モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
図書館で借りた「半次捕物控え―御当家七代お祟り申す」(佐藤雅美 講談社文庫 2013年7月)を読む。佐藤雅美には江戸時代を題材にした幾つかのシリーズがある。今、思い出すのだけでも「町医北村宗哲」「八州廻り桑山十兵衛」「縮尻鏡三郎」「居眠り紋蔵」そして「半次捕物控え」である。町医北村宗哲以外は今で言う「法曹・刑事もの」である。もっとも北村宗哲の前身と言える啓順シリーズは、御典医の妾腹に生まれた啓順が官許の医学校を中退、無頼と交わるうちに人を殺め、追手から逃亡を続ける姿を描く「犯罪・逃亡もの」である。本作は「第1話 恨みを晴らす周到な追い込み」から「第8話 命がけの仲裁」までの8つの短編で構成されている。8つの短編はそれぞれが独立しているのだが、全編を通すと大和郡山の柳沢家にまつわるお家騒動とその復讐劇という形式になっている。おそらく最初は雑誌に連載されたものと思われるが、連載当初からこのような形式を考えていたに違いない。佐藤雅美の優れた構成力というしかない。で、「半次捕物控え」の時代設定は、本文中に「およそ40年前の寛政元年、幕府は棄捐令を発した」という記述がある。寛政元年=1789年だから、それから40年後、1829年(文政12年)ごろになる。ということは「居眠り紋蔵」とほぼ同時代ということになる。

7月某日
図書館で借りた「加賀乙彦 自伝」(ホーム社 発売・集英社 2013年3月)を読む。300ページ近い本だが面白くて1日で読んでしまった。といっても年金生活者の身だから時間だけはあるからね。それと自伝と言っても書下ろしではなく、雑誌「すばる」2011年8月号・11月号、2012年7月号に掲載した「加賀乙彦インタビュー」を基にした語り下ろしだからかもしれない。加賀は1929年生まれ、東京山の手の比較的裕福な家に育った。42年に府立6中(現新宿高校)に入学、翌年に名古屋陸軍幼年学校に47期生として入学。45年敗戦により6中に復学、9月に都立高等学校(現首都大学東京)理科に入学、49年東大医学部に入学というのが主な学歴。陸軍幼年学校は敗戦により、都立高校(旧制)は学制改革により消滅している。53年に医師国家試験に合格、55年には東京拘置所に医系技官として採用、1年半の間死刑囚や無期囚に数多く面接する。57年、28歳のとき精神医学及び犯罪学研究のためフランス留学、60年に帰国、「日本に於ける死刑並びに無期受刑者の犯罪学的精神病理学的研究」により医学博士号を取得。この辺まで作家というよりは精神科医の印象が圧倒的に強い。作家として知られるようになるのは「フランドルの冬」が芸術選奨文部大臣賞を受賞してからだろうか。私がこの作家に親しんだのは朝日新聞に連載されていた「湿原」を読んでから。「宣告」「高山右近」も読んだとは思うが、例によって内容は覚えていない。加賀は87年、58歳のときに妻とともにカトリックの洗礼を受けている。私は10年ほど前に亡くなった社会保険庁のOBの福間基さんのことを思い出した。福間さんも陸軍幼年学校出身で奥さんとカトリックに入信していた。陸軍幼年学校とカトリック以外に共通点を見出すことはできないが。

7月某日
「女帝 小池百合子」が面白かったので同じ作家の「日本の天井―時代を変えた『第1号』の女たち」(石井妙子 角川書店 2019年6月)を図書館から借りて読む。「天井」とはガラスの天井のことで、米大統領選挙でクリントンがトランプに負けたときに使われたのが私が新聞記事の中で目にした最初だと思う。著者は、日本にももちろん「ガラスの天井」は存在し、それは「ガラスではなく鉄や鉛でできており、見上げても青空を見ることさえできない。それが少なくとも近年までの日本社会であったと思う」(まえがき)と述べる。「女帝小池百合子」を読んで石井妙子は優れたノンフィクション作家だと思ったが、本作を読んで彼女はインタビュアーとしても卓越した能力を持っていると感じた。優れたインタビュアーの条件とは何か?私が思うに、第一は問題意識、時代認識である。第二にインタビュー対象者への事前の資料調べである。石井は日本の女性にとっては鉛や鉄でできた個人の意識(男だけでなく女も)や社会の意識、制度の壁などに対する問題意識、時代認識は非常に鋭いし高いと思う。それとインタビュー対象者に対する共感力の高さね。本書では上場企業初の取締役となった石原一子、女性プロ囲碁棋士第1号の杉内壽子、中央官庁の女性局長第1号の赤松良子、エベレスト登山の田部井淳子、漫画家の池田理代子、アナウンサーの山根基世、落語家の三遊亭歌る多が紹介されている。個人的には赤松が一番面白かったかな。「『…私は気が強かったからね。仕事で男に引けを取ることはなかったわよ』/そう言い終わると、『さあ、約束の時間が過ぎたから失礼するわね』とインタビューを自ら締めくくり、かたわらの杖を取ると出口に向かって颯爽と去っていった」。格好いいね。

7月某日
NHKのBSプレミアムで「シェナンドー河」を観る。日本公開は1965年、主演はジェームズ・スチュアート、舞台は南北戦争の末期で南軍の劣勢が明らかになった頃のバージニア州。ジェームズ・スチュアートが演じる農場主はシェナンドー河のほとりで広大な牧場を経営しつつ、妻亡き後7人の子どもを育て上げた。ある日末子の「ボーイ」が北軍に捕らえられる。河で拾った南軍の帽子を被っていたためだ。農場を長男一家に預け、農場主は残りの兄弟とともに「ボーイ」を探しに旅に出る。「ボーイ」は見つからず、一家は家路を急ぐが兄弟の1人が北軍の少年兵に誤って殺される。長男夫妻も暴漢に殺害され、赤ん坊1人が残された。ラストシーンは日曜日の教会。赤ん坊の機嫌が悪く、乳母の黒人の腕の中で泣き叫ぶ。そこに行方不明だった「ボーイ」が帰ってきて農場主と抱き合う。ジェームズ・スチュアートが頑固な農場主を好演。反戦映画として私は観ました。

7月某日
「新版昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹 中公文庫 2020年6月)を大変面白く読んだ。猪瀬は石原都知事に乞われて副知事に就任、石原の後任の都知事にもなったのだが、確か徳洲会グループからの政治献金がらみの疑惑で辞任を余儀なくされた。しかし猪瀬はもともとは優れたジャーナリストだったんだよね。「天皇の影法師」「ミカドの肖像」「ペルソナ・三島由紀夫伝」などは率直に言って優れたドキュメンタリーだと思う。さて本書はもともと世界文化社の「BIGMAN」に6回にわたって連載されたものに大幅加筆されたもので、最初の単行本は1983年に世界文化社から刊行され、文庫は86年に文春文庫、2010年に中公文庫として上梓されている。今回「新版」とされているのは巻末に政治家の石破茂との対談が掲載され、さらに新型コロナウイルスに触れた「我われの歴史意識が試されている―新版あとがきにかえて」が収録されているためであろう。で本書はタイトルだけでは内容は皆目わからない。石破との対談で猪瀬本人が語っていることをもとに本書の内容を紹介しよう。昭和16(1941)年4月に政府は「総力戦研究所」を立ち上げ、当時の大蔵省、商工省、内務省、司法省らの若手官僚、さらに陸海軍の少佐、中佐クラスの将校、民間からは日本製鐵、日本郵船、日銀、同盟通信(後の共同通信)の記者が集められた。彼らの任務は「もしアメリカと戦争したら、日本は勝てるのか、そのシミュレーションを」することであった。大蔵官僚は大蔵官僚、日銀の行員は日銀総裁、記者は情報局総裁に就任し「模擬内閣」をつくり、出身の省庁や会社から資料、データを持ち寄って検討していった。彼らの結論は「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が敗れる」というものだった。開戦に至る過程で昭和天皇には戦争を回避する気持ちが強く、海軍も開戦には否定的であった。陸軍では主戦論が勝っていたが、主戦論者であった東篠陸相も昭和16年10月に首相に就任するやその意志は揺らぐ。私は結局、当時の政治家にも軍部にも「責任を持って決断する」人材がいなかったのではと思わざるを得ない。「昭和16年夏の敗戦」は80年後の「令和2年夏の敗戦」につながらないとは言えない。令和2年の敗戦は新型コロナウイルスに対する敗北だけどね。