モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「『卑弥呼の鏡』が解く邪馬台国」(安本美典 中央公論新社 2024年5月)を読む。魏志倭人伝によると卑弥呼は魏の皇帝から100面の鏡を与えられた。そのうちの2面が京都府北部、天橋立近くの籠神社に伝えられている、というのがタイトルの「卑弥呼の鏡」の意味だ。それはともかく、考古学と歴史学、神話学から古代の日本の歴史を考えるという、なかなか壮大な意図を持った本だ。本書によると卑弥呼は天照大御神であり、邪馬台国は北九州に存在したが、東征により大和に移ったという。本書は神話には歴史的事実が秘められている、という立場で、これはシュリーマンがギリシャ神話からの発想でトロイの木馬を発見したという例もあり、別に珍しいことではないらしい。天孫降臨神話や出雲の国譲り神話、神武天皇の東征神話も、歴史的な事実に基づいているということらしい。ところで著者の安本先生は1934年生まれ。京大文学部卒で、専攻は日本古代史、数理歴史学、数理言語学、文章心理学という。今年90歳だが、学問に対する情熱は衰えないようだ。「この本を、亡き妻玲子に捧ぐ」と献辞がある。「あとがき」にも亡き妻を思って「私たちにとって、私があなたに涙を捧げるよりよりも、とむらい合戦として本を書き、その本をあなたに捧げるほうが、ふさわしいであろう。そのほうが、きっとあなたも喜んでくれるであろう」と記されている。

7月某日
「色ざんげ」(島村洋子 2001年4月)を読む。先週読んだ「二人キリ」と同じく、阿部定を巡る人々の物語である。登場人物も定の処女を奪った大学生、定を芸者に売る女衒の夫婦、定を妾にする名古屋の中京商業の教頭など、ほぼ重なっている。たぶん、参考にした書籍が一緒だったのだろう。阿部定事件は1936年5月に発生しているが、同年2月には陸軍青年将校によるクーデター未遂事件、2.26事件が起きている。翌年7月には日中戦争の発端となった盧溝橋事件が起きる。何ともきな臭い時代の猟奇事件だったわけだ。

7月某日
口腔ケアを受けるために近所の手賀沼健康歯科に週2回通っている。ここは担当の歯科衛生士が決まっていて毎回同じ女性が担当してくれている。口腔ケアといっても具体的には歯石の除去。歯科衛生士からは歯磨きに加えて歯間ブラシやフロスによる口腔ケアをアドバイスされたので実践中。口腔ケアを受けた後、歩いて5分の絆マッサージへ。おかげさまで腰痛は治まったようだ。
「されく魂-わが石牟礼道子抄」(池澤夏樹 河出書房新社 2021年2月)を読む。「されく」とは水俣地方のことばで「さまよう」という意味だ。池澤の石牟礼に対する尊敬の念と親愛の情があふれた本。石牟礼の代表作といえる「苦海浄土」について。池澤は「これはルポルタージュ文学であるように見えながらその枠を最初から無視して周囲にあふれ出す文学である」、あるいは「『苦海浄土』について彼女は『聞き書きのふりでやっているんです』と言う。あるいは『水俣病の主人公たちに仮託していた自分の語り』と言う。実際そうではなくてこれほど見事な語りは書き得ない」と書く。なるほど。

7月某日
「ひねくれ一茶」(田辺聖子 講談社文庫 1995年8月)を読む。92年9月に単行本が刊行されたとある。田辺聖子先生の作品は現代小説を中心に読んできた。大阪のOLを主人公にした恋愛小説である。ユーモアが底流にあり安心して読める。田辺先生の小説ジャンルにもうひとつ評伝小説がある。今回の「ひねくれ一茶」もそうである。雪深い信濃から15歳で江戸へ出てきた一茶は、当時流行していた俳諧で才能を開花させる。父親の死を契機に故郷へ帰ることを決意する。そこには亡父と継母の間にできた弟との相続争いが待っていた。村の長老の仲立ちで何とか相続争いをまとめた一茶。50歳にして嫁を迎え句作にも励む。しかし何人かの子を幼くして亡くし、愛妻も若くして病死する。後添えを貰うも精神的にも肉体的にもあわず離縁する。三度目に結婚した妻とはうまく行き子供も設けるが、そのときには一茶の寿命も尽きるときだった。評伝小説は資料を読み込むだけで大変だろうと思うが、そこは田辺先生、巧みに一茶の実像(及び虚像)に迫っている。江戸での俳人(その多くは豪商や豪農であった)との華やかな交流とそれと対象的な信濃での親類付き合いや近隣との交流が描かれる。ここに田辺先生の人間観察眼が光っているように思う。

7月某日
「墨のゆらめき」(三浦しをん 新潮社 2023年5月)を読む。新宿のホテルに勤める俺、小さなホテルなのでフロントからレストランの案内、結婚式と披露宴の手配と何でもこなさなければならない。案内状の宛名書きの差配も仕事のひとつだ。宛名書きをお願いした書家が亡くなったので後継者にお願いに行くところから物語は始まる。若先生を略して「若先」と呼ばれる独身、中年の後継者に俺は魅かれていく。若先は先代から書道塾と宛名書きの仕事を継承している。若先と塾に通う子どもたち、そして若先と俺の淡い交流が淡々と綴られる。そして衝撃の最終章。若先と先代は刑務所で出会う。若先は受刑者、先代は受刑者に書道を教えるボランティアとして。

7月某日
週2回通っていた手賀沼健康歯科での口腔ケアはいったん終了。来月に一度、経過観察がある。現在の私の診察、ケア環境は中山クリックでの月に1度の高血圧診察、週2回の絆治療院でのマッサージである。本日は11時から絆でマッサージ。起床が10時過ぎだったので朝食抜きで絆へ。
「幕末社会」(須田努 岩波新書 2022年1月)を読む。明治維新という日本社会の大変革を準備したのが幕末である。新書の惹句に曰く「徳川体制を支えていた『仁政と武威』の揺らぎ、広がる格差と蔓延する暴力、頻発する天災や疫病-先の見えない時代を、人々はどのように生きたのか」。私の考えでは明治維新は封建体制としての幕藩体制から明治の絶対主義天皇体制への移行と捉えられる。しかし本書を読むと幕末には百姓の自立、反抗、自己主張を始める若者、新たな生き方模索する女性が出てきたそうだ。明治の自由民権運動を経て大正デモクラシーへと進む。その先には昭和ファシズムがあるのだが、大正デモクラシーの先に、ファシズムではない違った道があったようにも思える。どこで違ってしまったのか。

7月某日
「『不適切』ってなんだっけ-これは、アレじゃない」(高橋源一郎 毎日新聞出版 2024年6月)を読む。高橋は1951年の早生まれ。ということは私の2年下だが、私の記憶では彼は現役で横浜国立大学へ入学しているので大学の学年は1年下。本書は「サンデー毎日の連載2021年10月31日号から24年3月3日号の掲載された中から選び、加筆したもの」と注記がされている。私は本書を読んで「高橋源一郎の価値観は私の価値観とほぼ重なる」と思った。「ギョギョギョとじぇじぇじぇ」と題された章では「さかなクン」とさかなクンを主人公にした映画「さかなのこ」について論じている。高橋にとって「さかなクン」は「遠くから子どもたちに『自由』を教えにやってくる『親戚のおじさん』なのだ」と書いている。私にもそんなおじさんがいた。父の長兄で父とは20歳くらい離れている。ずっと生まれ故郷の苫小牧を離れて放浪し、50歳ころに帰郷し王子製紙の守衛の職にありつく。ほどなく王子製紙の争議が起きる。守衛でありながら第一組合に所属し、東京本社でのハンストに加わり入院する。定年後「雁信亭書林」という古本屋を開店する。学歴はなかったがインテリで小学校の校歌の作詞を匿名で作詞することもあったらしい。高橋源一郎から私のおじさんの話になったが、共通するのは「自由の尊重」だ。

7月某日
7月最後の日曜日。酷暑が続く。産業革命以降の化石燃料の浪費の結果か。「宙ぶらん」(伊集院静 集英社文庫 2011年8月)を読む。10の短編がおさめられており、表題作以外は集英社のPR雑誌「青春と読書」に、表題作の「宙ぶらん」は「小説すばる」に発表された。伊集院は昨年11月に亡くなっている。小説の名人と言っても過言ではない。そして女性に持てた。生涯、3人の女性と結婚している。最初の妻とは離婚、2番目の妻は女優の夏目雅子で死別、3番目の妻も女優の篠ひろ子だ。立教大学に進学、野球部に所属するが片を痛めて退部。確か広告会社に就職して各種イベントを企画、作詞も手掛ける。「ぎんぎらぎんにさりげなく」が代表作。色川武大と仲が良かった。二人とも博打うち。本書の解説は桐野夏生。表題作を評して「それでも清冽で、美しく感じられるのは、主人公の『私』が本当に『宙ぶらりん』ではないからである。『私』の心の梁は高く、欠損はない」とする。同感ですね。