モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
図書館で借りた「恋にあっぷあっぷ」(田辺聖子 集英社文庫 2012年1月)を読む。巻末に「この作品は1988年4月に集英社文庫として刊行され、再文庫化に当たり、加筆修正されました」と付記されている。単行本された年月が明らかにされていないのは残念。というのは田辺の現代小説、とくに若い女性を主人公にした小説ではその時代の風俗(ファッション、食事、遊びなど)が特徴的に描かれ、「あーそうだったなぁ」とうなずかされることが多いのでね。それはともかく本作の主人公はアキラと呼ばれる夫と結婚して5年の31歳の人妻。大阪の郊外の文化住宅に住み、夫はサラリーマン、アキラは近所のスーパーで経理のバイトをしている。文化住宅とは作品中で「いわば西洋風棟割り長屋である。……5軒あるどの家も、それぞれ、入り口とそれに続く3、4段の階段を持っている」とされている。結論から先に言ってしまうと、この作品は大阪郊外の文化住宅で夫に庇護され、それなりに満足していたアキラが、R市の高級住宅地のブティックに勤め始めたことをきっかけに自立していく物語である。裏表紙の惹句に「夫がいて恋人がいてパトロンを持つという贅沢を知った女の心の成長を描く大人の恋愛小説」とうたわれているが、ことはそう単純ではない。
「恋人」とは隣家に越してきた一家の主人のジツである。アキラにはジツの3人家族が「三片がどこかデコボコしておさまりきれぬパズル」だったが、ジツの急病によって「いまやっとうまく嵌まり……しごくなめらかにおちついておさまっていると思わせられた」となる。ジツのアキラに対する魅力はそれまでしかなかったと言ってよい。「パトロン」とはアキラの勤めるブティックを訪れた海亀のような容姿のお金持ち「鷹野さん」で、アキラと鷹野さんは深く愛し合うようになる。アキラの夫の博多への転勤が決まり夫は当然、アキラもついてくるものと思うが、アキラは「あたし、好きなひと、できたの、そのひとと暮らしたいの」と拒否する。夫との協議離婚が成立し、離婚が成立するまで控えていた鷹野さんへ連絡すると待っていたのは鷹野さんの訃報であった。アキラは夫と恋人とパトロンを失ったのだ。鷹野さんを失った深い悲しみのなか、アキラはまた夫と別れてからの「演技のいらない人生の快適さをたっぷり楽しんでいる」のである。本作は恋愛小説というよりも、一人の既婚女性の自立への道のりを描くビルディングロマン=教養小説である。

7月某日
図書館で借りた「愛の夢とか」(川上未映子 講談社文庫 2016年4月)を読む。著者初の短編集で谷崎潤一郎賞受賞作。単行本として出版されたのは13年3月、雑誌の初出は1作のみが07年で、他の7作は11年と12年である。表題作の「愛の夢とか」と最後に収められている「十三月怪談」には東日本大震災のことがさりげなく触れられている。「愛の夢とか」では「川の近くに家を買って、二カ月したらとても大きな地震が来て」「「たまに原発関連のニュースなんかをみているときに」というふうに、「十三カ月怪談」では「それはもちろん時子が亡くなる二年前に起きた巨大地震が原因で、彼らは地震のほんの数カ月前、海にほど近いその高層マンションを購入したばかりであった」というふうに。東日本大震災に私の感性は少なからぬ影響を受けた。具体的に言ってみろと言われると困ってしまうが。川上未映子の心にも何らかの痕跡を残したと思われる。いずれにしても良質な短編集である。

7月某日
図書館で借りた「よその島」(井上荒野 中央公論新社 2020年3月)を読む。主人公の碇谷蕗子は70歳、夫の碇谷芳朗は76歳、夫妻とともに島に移り住んできた元作家の野呂晴夫は蕗子と同じ70歳である。市場経済の中にシルバーマーケットというのは確かに存在し、高齢化の進展とともに、その規模を拡大させているのは承知している。しかし老人を主人公にしたからと言って老人文学というジャンルが存在するかといえば、私は否定する。谷崎の「瘋癲老人日記」や深沢七郎の「楢山節考」など老人を描いた優れた作品は多いが、それは老人という存在を通して人間という普遍的な存在を描いているからなのだ。「よその島」はその観点からすると優れた文学作品だし、エンターテイメント文学としても読みごたえがあった。碇谷夫妻には殺人を犯したという思い込みがある。野呂には別れた妻の間に生まれた子供が28歳で死んだときに葬式にもいかなかった自分を責める。過去とどう向き合いどう清算するか、が作品のテーマになっていると思う。物語の終盤で芳朗は認知症を発症し、蕗子のことも蕗子と認識できない。蕗子と認知症になった芳朗の会話が感動的である。
「奥様をお好きでした?」(と蕗子が芳朗に聞く)
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「ごめんなさい……。碇谷さんは少し、私の夫に似ているんです」
蕗子は急いで答えを拵えた。
「夫が私のことをどう思っていたのか、碇谷さんのお答えに賭けてみたくて」
「ご主人は……」
「今はここにいないんです」
「どちらに?」
「今は、よその島におります」
「ああ、そうなんですね」
芳朗はほっとしたように頷いた。
「もちろん、好きでしたよ、妻を。とても好きでした」
「本当に?」
「ええ。あなたのご主人も、きっとあなたのことを好きですよ」
その言葉を保証するように、芳朗はにっこりと笑った。

7月某日
厚労省の医系技官で健康局長を務めた高原亮治さんが亡くなってから何年になるのだろうか。毎年命日に堤修三さんと高原さんの遺骨が納骨されている四谷の聖イグナチオ教会にお参りしている。教会の前のベンチに座って堤さんを待ったが約束の16時になっても来ない。「待っても来ないので先にお参りして帰ります」とメール、折角なので聖イグナチオ教会を覘く。会堂には数人の信者と思しき人が座っていた。曇天にも関わらずステンドグラスから射す柔らかな光、荘厳なパイプオルガンの調べに誘われて、信者ではない私も思わず正面のイエス像に向かって高原さんの魂の平安を祈る。四谷から地下鉄丸ノ内線で淡路町へ。大谷源一さんと「花乃碗」で待ち合わせているのだ。17時過ぎに着席、大谷さんに「着きました」とメールすると「今、有楽町、6時過ぎになります」と返信がある。ジントニックを頼み、2杯目のウオッカトニックを呑み終わる頃に大谷さんが来る。堤さんから返信があり高原さんの命日は明日ということ。私が日にちを間違っていたわけだ。「花乃碗」は、社保研ティラーレの吉高会長と佐藤社長に連れて来てもらったのが最初で、今回は2度目。なかなかしっかりした料理を出す店だ。