モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
酒中日記7月(その4)で白井聡の「国体論 聞くと星条旗」(集英社新書)について触れた。明治維新以降、現在に至るまでの日本の統治構造について示唆に富む論が展開されていた。しかし十分に理解したとは言い難いので再読することにした。私は小説でも一般書でも同じ本を2度読むことはほとんどしない。唯一の例外と言えるのは田辺聖子の小説。これは同じ小説を何度読んでも面白い。それだけ白井聡の国体論が気にかかったということなのだが。本書は、日本の国体の歴史は「近代前半」(明治維新~敗戦)と「近代後半」(敗戦~現在)で反復されているとする。「近代前半」の国体とは王政復古から戊辰戦争、明治10年の西南戦争を経て明治政権の基盤が確立するなかで日本独特の国体観念が成立する。天皇制は他の国の君主制とはかなり異なる。戦前の天皇制の基本理念とは、①万世一系の皇統=天皇現人神 ②祭政一致という神政的理念 ③天皇と日本国による世界支配の使命 ④文明開化を推進するカリスマ的政治指導者としての天皇-とまとめられる。これらいずれも他の君主制には見られない特徴であろう。
戦前の天皇制にはこのように明確な特徴づけがなされるが現在の天皇制を扱おうとすると甚だしい混乱に陥る、と白井は主張し、それは「戦後の国体」はアメリカという要因を抜きにしては考えられないとする。戦前の天皇制の基本理念の①は天皇による支配秩序の永遠性(天壌無窮)を含意するが、これは現在にあっては日米同盟の永遠性(天壌無窮)に置き換えることができる。②の祭政一致を現在において体現しているのは「グローバリスト」によって構成される経済専門家(中央銀行関係者、経済学者等)で、「ニューヨーク・ダウ平均株価の上下に一喜一憂し、最終的な政策決定者たる神聖皇帝(米大統領)の経済思想を懸命に忖度する」光景は「祭政一致の今日的形態」とみなすことができる。③は戦前の「八紘一宇」の戦後的形態は「パックス・アメリカーナ」に見出すことができる。④の文明開化の推進は戦後の物質的生活、消費生活、大衆文化等々の諸領域におけるアメリカニズムの拡大である。白井はこうした「戦後の国体」は破滅に向かうとしている。そして、「戦後の国体」に対して控えめに、しかしながら断固として否定したのが今上天皇の「お言葉」だったとする。うーん、「成程」と肯かざるを得ない。

7月某日
週末。今週も毎日出社しかも猛暑。いささか疲れたので帰りはグリーン車を奮発。車内で缶ビールとワンカップ。我孫子で「七輪」でホッピーとハイボール。「愛花」で常連さんと話す。呑み過ぎたのでタクシーを呼んでもらう。タクシーを降りたら尻餅をついてしまった。
なかなか立ち上がれないでいたら、家から長男が出てきて助けてくれた。今年70歳になるのだからほどほどにしないとね。

7月某日
図書館で借りた「その話は今日はやめておきましょう」(井上荒野 毎日新聞出版 2018年5月)を読む。製薬会社の営業職を定年退職した昌平と妻のゆり子、2人は定年後の共通の趣味として自転車を楽しむようになる。昌平は自転車事故で入院するが、退院時に一樹という青年に親切にされたことがきっかけで一樹に病院の送り迎えなどを依頼する。桐野夏生の小説をプロレタリア文学と評したのは白井聡だが、今回の井上荒野の小説もそうした観点から見ることもできる。高度経済成長期に大手製薬会社の営業職として過ごした昌平は役員にこそならなかったが、東京の郊外に一戸建ての家を建て、今はまさに悠々自適の暮らしを送っている。対して高卒の一樹は高卒後、工場勤務に就くが長続きせず、その後も職を転々とする。昌平はプチブルジョア階級で一樹はプロレタリア階級である。一樹の実家もプロレタリア階級、昌平の2人の子供は昌平同様プチブルジョア階級である。作家の意図ではないかもしれないが現代日本社会の「階級の固定化」が表現されている。一樹はゆり子や昌平のブレスレットや時計を盗む。盗みは発覚し一樹は職を失う。そこからラストに至るまでが読ませる。階級対立を超えた昌平夫妻と一樹の精神的な「連帯感」の回復が暗示される。井上荒野は戦後の文学界で異彩を放った井上光晴の娘だが、血筋を感じてしまう。

7月某日
南阿佐ヶ谷のケアセンターやわらぎのデイサービスを訪問。石川はるえさんに相談と報告。デイサービスには小学校低学年くらいの女の子が来ていて利用者の高齢者とゲームに興じていた。子供と高齢者や障害者の「共生」ってことかな。石川さんが「呑みに行きたいんでしょ」というので「阿佐ヶ谷パールセンター」の角打ち「三矢酒店」に向かう。「角打ち」とは酒屋の店頭で呑ませることで、昔は多くの酒屋でやっていたが、今は見かけない。「三矢酒店」で地酒を2杯ほどいただく。帰りに同じ商店街の「日本海」でお寿司。石川さんにすっかりご馳走になる。

7月某日
図書館で借りた「天切り松闇がたり第一巻 闇の花道」(浅田次郎 集英社文庫 2002年6月 単行本は1999年9月)を読む。大正6年夏、下谷車坂の長屋に育った松蔵は数えで9歳、母は死に姉は吉原へ売られる。松蔵も抜弁天の安吉という盗賊に買われる。安吉親分は目細の安と呼ばれ、スリの大親分として名高い仕立屋銀次の跡目を継ぐと噂されている。解説の降旗康雄(映画監督)は「天切り松の心の中で、人が人たるものとして真ん中に置かれているのは目細の安一家と言う盃で結ばれた小さな共同社会です。社会学者が言うゲマインシャフトの原型でしょうか」と書いているが、共同社会には共同社会の掟があり、盗みやスリは高度な技術をともなう伝承すべき芸能なのだ。物語は80歳を過ぎた老盗賊の松蔵が警察の留置場で同房の留置人や看守、刑事を相手に昔語りをするというかたちで始まる。私が大田区の大森警察署に留置されていたのは49年前の1969年9月、窃盗や賭博の容疑の人たちと同房であった。物語は浅田節全開で山縣有朋や永井荷風も登場、泣かせどころもきちんと用意されている。

7月某日
暑いので4時前から大谷源一さんを上野に呼び出してホッピーを呑む。鰺の叩きを肴に1時間ほど歓談。ひとり2000円でお釣りがくる。つまみを頼まなければ「千ベロ」(1000円でベロベロ)も可能ということだ。