8月某日
「死刑囚 永山則夫」(佐木隆三 講談社 1994年7月)を読む。永山則夫は1968年にタクシー運転手らを被害者に4件の連続射殺事件を起こし、翌年4月に逮捕され死刑判決が確定し、98年4月1日に死刑が執行されている。永山は私より1年遅く1949年に北海道の網走で生まれ、幼くして青森に転居した。一家は極貧状態が続き永山も中学卒業後、渋谷の西村フルーツパーラーに就職するが、長続きせず転職を繰り返す。横須賀の米軍人宅から盗み出した拳銃によって犯行に及ぶ。私が大学1年生の暮れに、現役で明治大学に入った川崎君と川崎君の友人と新宿で呑んでいた。終電がなくなったので明大前の川崎君のアパートへ帰るためタクシーを止めた。運転手が「若い人一人なら絶対に乗せないよ」と言っていたことを今でも覚えている。タクシーの運転手にとってはそれくらい切実な事件だったのだ。本書は永山の公判記録を基本的な資料として書かれている。それでいて著者は本書はノンフィクションではなくノンフィクションノベルであると主張する。公判記録のすべてが真実であるのか不明であるし、見方によって真実は多様な見え方をするということだろうと思う。永山が逮捕された年の9月に私は学生運動で逮捕、起訴され10月には東池袋の東京拘置所に送られる。私は年末には出所しているが短期間とはいえ永山と同じ拘置所にいたことになる。同じ北海道生まれで一歳違い、拘置所ですれ違っていたかも知れない、そういう縁を感じてしまうのだ。
8月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と懇談。話題は表敬に訪れた金メダリストのメダルを噛んだ河村名古屋市長のこと。言語道断で一致。阿部正俊さんの遺稿集「真の成熟社会を求めて」の印刷が出来上がり、キタジマの金子さんが届けてくれる。金子さんと社会出版社の高本社長に挨拶。金子さんに上野駅まで送って貰う。
8月某日
「あるヤクザの生涯 安藤昇伝」(石原慎太郎 幻冬舎 2021年5月)を読む。裏表紙に「この本は、次の人が予約して待っています」の黄色い紙が貼ってあったので、読んでいる本を中断して読み進むことにする。180ページ足らずで活字も大きいから2時間ほどで読み終わった。安藤昇は1926年生まれ、少年院から予科練を志願し敗戦により復員、法政大学予科に進学する。花形敬らと安藤組を結成する。横井英樹襲撃事件で逮捕され5年間の服役後、安藤組は解散し安藤は映画俳優に転身する。安藤組時代の力道山との抗争(力道山の使いの東富士と百万円で手打ち)や山口洋子、嵯峨美智子など数々の女出入りも告白されている。安藤昇の語り下ろしの形をとっているが、「この稿を書くにあたって大下英治氏の「激闘!闇の帝王 安藤昇」や安藤昇氏の「男の終い支度」などの書籍を参考にさせて頂きました」(付記)とあるように、既存のドキュメントやインタビューなどを再構成したものというのが正しいだろう。
8月某日
東京オリンピックが終わる。オリンピックに格別の興味があるわけではないが、コロナ禍で外出もままならず家でオリンピック関連のチャンネルを見ることが多くなる。私の同居家族(奥さんと息子)はオリンピックには興味がないようだ。だいたいテレビをほとんど見ない。奥さんはタブレットで韓国や中国のドラマを楽しんでいるらしい。たぶん大人も子供もテレビを見なくなっているのではないか? 高度成長期、一家だんらんの真ん中にはテレビが据えられていた。今や一家だんらんという言葉自体が死語に。
8月某日
「9条の戦後史」(加藤典洋 ちくま新書 2021年5月)を読む。加藤典洋が亡くなったのは2019年の5月、亡くなる1カ月前に「9条入門」(創元社)が出版されている。「9条」とはもちろん戦争放棄をうたった日本国憲法の9条のことである。加藤は1948年4月1日生まれで、学齢としては1948年の早生まれと同じ扱いになるらしい。山形東高校を1965年に卒業、同年に東大に入学している。本書を読んでいる期間がちょうど東京オリンピックと重なり、読み終わるのに1週間以上かかってしまった。新書版で500ページ以上という本の厚さもあるが、9条に対して、あるいは軍備や戦争と平和に関して日本人や政治家、政治学者らがどのように感じ、論じてきたかが詳細に論じられており、文章の意味を読み取るのに時間がかかってしまった。「『はじめに』に代えて」で野口良平という人が加藤が中高生向けに書いた「僕の夢」という文章を引用している。「理想というのは大事だ。政治というのは、新しい価値を作り出すための人々の企てだからね。むろん、理不尽なことには立ち向かうんだが、そういう必要と、この理想と二つがあってはじめて、政治は、実現できないと思われていたことを可能にする人間の営みになる」。これはほとんど全共闘運動のことを語っていると私には思われた。戦後、日本は保守党が主導権を握る内閣の下で、対米従属しながら核武装を回避しつつ、曲がりなりにも軽武装路線を貫いてきた。しかし安倍政権で事態は大きく変化した。安倍がトランプをパートナーとしつつ、米国の言いなりに武器を調達し、米軍の世界戦略に積極的に協力してきた。加藤は9条と国連との連携により、日米安保条約を解消し、米国を含めたアジア太平洋地域の安全保障を提言しているのだが…。