モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「古代王権-王はどうして生まれたか」(吉村武彦責任編集 岩波書店 2024年5月)を読む。天皇制を歴史的にどうとらえるか-これは戦前と戦後ではおおいに様相が違ってくる。戦前は天孫降臨神話が歴史的な事実とみなされ天皇は現人神であった。戦後は天皇制の歴史的な解明も進められている。本書もその成果のひとつと言えよう。本書では王権を「一定の地域あるいは集団・社会において、政治的権力・権威をもつ王としての権力システムで、権力を維持する軍事・儀礼・レガリア・イデオロギー・神話などの制度・文化を内包して、継続的に支配体制を維持する政治権力であり、その政治体制もあらわす」とされる。レガリアとは正当な王、君主とみなされる象徴的なモノで、日本では三種の神器がこれに当たる。日本列島で王権が成立したのはいつ頃なのか。これは今のところ中国の歴史書に頼るほかはない。後漢書東夷伝などによると倭の奴国王が後漢に朝貢、「漢委奴国王」の金印を授与されている(西暦57年)。倭の女王卑弥呼も、魏に遣使して「親魏倭王」を授与されている(239年)。本書によるとヤマト王権が確立する以前は、「実力」優先で王位が継承されていたらしい。「5世紀の倭の王は、自ら軍事作戦や外交関係の先頭に立つ朝鮮半島の諸王に対抗し得る、列島中央部の盟主としての『実力』をもてねばならなかったのであろう」という。6世紀になると「実力主義を重んじたそれまでの王位継承から、血縁原理優先のもと、むき出しの実力を競い合う混乱を抑制した王位継承へと、舵が切られた根本原因であろう」としている。

8月某日
御徒町駅前の「吉池食堂」で大谷さんと会食。17時20分のスタート予定だったが、早く着いたので先に始める。2杯目のビールを頼んだ頃に大谷さんが到着。改めて乾杯。我孫子のコーヒーを渡す。19時頃にお開き。大谷さんにすっかりご馳走になる。大谷さんは上野まで歩くとのことで私は御徒町から山手線で上野へ。上野から常磐線で帰る。

8月某日
13時30分から元年住協の林弘幸さんと我孫子駅の「日高屋」で会食。生ビールで乾杯の後、私はハイボール、林さんはホッピー。餃子やチャーハン、野菜炒めなどをつまみに呑む。林さんは永大産業出身で年住協ではもっぱら営業畑を歩み、九州支所長や東京支所長を歴任した。私は年住協のPR誌「年金と住宅」の企画と編集をやっていたので年住協のときは仕事上の付き合いはなかったけれど、家が同じ常磐線ということもあって東我孫子ゴルフクラブで何度か一緒にゴルフをした。私は車の運転ができないのでゴルフに行くときは林さんの車に乗せて貰った。なんか仕事以外で世話になりっ放しだ。いつもは割り勘なのだが「森田さん、千円でいいよ」と林さんが言うので、私は千円負担。いつもすみません。

8月某日
週1回のマッサージを受けに近所の「絆」へ。本日は同居している長男が休みなので車で送って貰う。15分のマッサージと15分の電気治療を受ける。健康保険が適用されるので自己負担は550円。長男に迎えにもらい、ケーキ屋さんの「桃の丘」へ。これも同居している次男が誕生日なのでケーキを購入。

8月某日
「時代の反逆者たち」(青木理 河出書房新社 2024年2月)を読む。青木理の対談集。青木は共同通信社出身のジャーナリスト。右傾化が進む日本社会で反骨の言説を曲げない貴重な存在。李琴峰、中島岳志、斎藤幸平ら9人との対談が掲載されている。ロシア文学者で翻訳家の名倉有里はロシアのウクライナ侵攻に触れて「権力が今回暴走した原因は、その政治構造、社会構造のなかで権力に対する抑止機能が十分に利かなくなっていること、要するにブレーキの機能が不十分な構造になっていることにある」と語っている。これは日本にも当てはまると思う。とくに安倍政権下の「忖度」の構造ね。名倉は数年前にベストセラーになった「同志少女よ、敵を撃て」の著者、逢坂冬馬の実姉だって。安倍晋三については中島岳志との対談のなかで安倍晋三の母方の祖父、安倍寛について「相当に腰の据わった反戦、そして反骨の政治家だったようです」と紹介されている。安倍寛の「一人息子が安倍晋太郎氏で、彼も立派な保守政治家だったと僕は思います。ところが晋三氏は父への反発が強いのか、安倍家に背を向けて岸家の方に目がいってしまう。本質は『岸信三』なんです」と語る。中島は共産党について「言っていることはリベラルでも、組織の内部はパターナルなのが共産党と公明党です」と語る。なるほどね。

8月某日
「すれ違う背中を」(乃南アサ 新潮社 2010年4月)を読む。前科(マエ)持ち2人組。芭子と綾香、芭子は30代前半で綾子は一回り上。芭子は女子大生のときホストに入れあげ、金欲しさから男をホテルへ誘い睡眠薬で眠らせ金を奪うことを繰り返す。綾香は家庭内暴力を繰り返す夫を殺害するという過去を持つ。出所した芭子は家族から絶縁を言い渡され、その代償に祖母が住んでいた根津の一軒家を与えられる。同じく出所してきた綾香は将来パン屋として開業することを目指して根津のパン屋でパン職人見習いの職につく。根津、谷中、上野界隈での彼女たちの日常が描かれる。私は現役時代、湯島、根津界隈で呑むことが多かったのでこの界隈には多少の土地勘はある、最初に行くようになったのは湯島に会った「マルル」というスナック。当時、厚労省だった吉武さんに連れて行ってもらったと思う。上野松坂屋の元デパートガールがママで、大学は出ていなくてもなかなかのインテリだった。それから根津の「うさぎ」という小料理屋。ハジメさんというマスター兼板前さんがいて、とてもいい人だったが、癌を患って死んでしまってからはあまり行かなくなった。「うさぎ」の近くのマンションの1階にあったのがスナック「根津組」。玉川勝太郎の娘という人がママで芸能人も顔を出すという話だった。根津組を出てそろそろ終電が無くなるころに入り口の灯りが目についたのがスナック「ふらここ」。ここは現役を終えるまで10年ほど通ったと思う。今はもうないけれど。

8月某日
「大嘗祭-天皇制と日本文化の起源」(工藤隆 中公新書 2017年11月)を読む。大嘗祭は天皇の代替わりのときに行われる宗教的な儀式のことである。本書が刊行された2017年は平成29年で、したがって「はじめに」では「私が実際に大嘗祭の報道に触れたのは、私の人生の中でただ一度、平成期の天皇の即位のときであった」と記されている。そして「昭和64年(1989)1月7日早朝の昭和天皇の死去(崩御)から、同日午前10時の、皇居正殿松の間での『剣爾等承継の儀』による新天皇の誕生で、法的には即位の手続きは終了している」、にもかかわらず「翌年11月22、23日に、あらためて大嘗祭が行われたというところに、大嘗祭の本質が潜んでいる」とする。つまり「即位の儀による政治的・法的正当性と、大嘗祭という神話・呪術的正当性が揃うことによって、天皇位継承したことになる」のだ。この「神話・呪術的正当性」とくに「呪術的正当性」は天皇制に特有のものと考えられる。男系男子による天皇制という考え方にも疑問を呈する。継体天皇は応神天皇の5世の孫として皇位を継承しているが、これは越前、近江地方の勢力による皇位の簒奪との見方もある。しかし継体の妻は雄略の孫、先帝の仁賢の娘であり、継体が簒奪者だったとしても「女系の血統」により雄略からの血統は維持されたことになる。「つまり、ヤマト国家の側には、「女系の血統」や女性天皇を許容する弥生時代以来の感覚が存在していたのではないか」としている。本書は大嘗祭を切り口に日本民族のアニミズム・シャーマニズム的な伝統を明らかにしたものといえるだろう。