モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
我孫子の駅前の本屋で見た「すき焼きを浅草で」(平松洋子 文春文庫 2020年5月)を購入、早速読む。我孫子駅前の本屋はもともと平賀書店といって地元資本のお店だったのが、何年か前に東武鉄道系の書店に代わり今では1階がコンビニ、2階が漫画と雑誌、文庫本主体の本屋となっている。2階には店員は不在で、1階のコンビニで決済する。地方都市の本屋の生き残ることの難しさがこんなところにも表れている。「すき焼きを浅草で」は週刊文春で連載中のコラム「この味」を文庫化したもので、すでに6冊が文庫化されていることを初めて知った。作者の平松洋子さんという人のことを30~40代の独身女性というように漠然と想像していたが、実は1958年生まれの現在62歳、結婚していて成人した子供もいることを知ってちょいとびっくり。基本的には食にまつわるエッセーなのだが、ときに現代日本社会に対する鋭い批評もあって、「平松洋子侮りがたし」である。このところ本はもっぱら図書館だが、平松洋子のこのシリーズは書店で、しかも我孫子駅前のコンビニの2階の本屋で買おうかな!

8月某日
朝、家の周りを散歩する。6時に家を出て、家の前の手賀沼遊歩道へ出てそのまま沼に出る。もう釣りをしている人が何人かいる。竿を固定して近くの人と大声で話している人がいる。あんな声を出していては魚が寄ってこないのではないか。犬の散歩をしている人どうしが何人か集まって会話をしている。ジョギングしている人とも何人かすれ違ったり追い越されたりする。7割程度は私と同じ年恰好かそれ以上の高齢者である。グランドでは多少は若いご婦人のグループが敷物を敷いて体操をしている。手賀沼の近くに住んで半世紀近くになるが、手賀沼の魅力を感じるようになったのはこの1~2年、仕事を辞めてからだ。1時間ほど散歩して家に帰る。明日はもう少し早く家を出よう。
図書館で借りた加賀乙彦の「風と死者」(筑摩書房 1975年2月)を読む。奥付が新装版第2刷となっている。1966年から69年にかけて雑誌に掲載された4編の短編が収められている。加賀乙彦の短編を読むのは初めてだが、私には4編がそれぞれに面白かった。「くさびら譚」は、「私」の大学時代の恩師で世界的な神経病理学者、朝比奈教授の話である。教授はあるときから神経病理学に興味を失い、キノコの採取、分類にとりつかれる。そして自ら「私」の勤務する精神病院への入院を希望する。加賀は異常と正常を超えて「精神の高み」があることを示したかったのではなかろうか。「車の精」は、フランス人の老神父から譲られた愛車の話。優れたユーモア小説として私は読んだ。「ゼロ番区の囚人」は東京拘置所で精神科医を務めた作者の経験に基づいている。「風と死者」は精神病院での火災がテーマ。火災で死んだ患者、その家族、看護人、精神科医などの「語り」が見事である。そういえば加賀の「湿原」でも「宣告」でも、登場人物の会話が結構、効果的なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。単行本は昭和53(1978)年だから半世紀近く前の作品なんだけれど、全然色褪せていない。この本を読むのは確か2回目だがそれでも面白い。12の短編が収められているがそのどれもが面白い。「春つげ鳥」は22歳の「わたし」と倍の年齢の笠原サンの物語。二人は愛し合っていて丘の上の一軒家で暮らし始める。笠原サンは毎朝8時半に家を出て7時頃に帰る。「でも、その夜、笠原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。「、」の打ち方が絶妙。読者の不安を煽る打ち方。笠原サンは会社で倒れ、病院に運ばれ死んだのだ。悲しい物語ではある。だけどかけがえのない「愛の物語」なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「スミス・マルクス・ケインズ―よみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)を読み始める。著者はドイツの経済ジャーナリスト、1964年生まれ。ベルリン自由大学で歴史学と哲学を専攻。2006年より日刊紙「taz」で経済部門担当と著者略歴にあった。今日の夕刊1面トップで「GDP年27.8%減、戦後最悪」と報じられていた。新聞は「コロナ危機が国内経済に与えた打撃の大きさが浮き彫りとなった」と述べている。本書の副題「よみがえる危機の処方箋」ではないが、過去の経済学の巨人がどのように考えて来たのか、知ることも悪くはないだろう。「国富論」の著者は「第2章 経済を発見した哲学者―アダム・スミス」と「第3章 パン屋から自由貿易まで―『国富論』(1776)」で取り上げられている。アダム・スミスは「神の見えざる手」という言葉からも自由経済の信奉者と見られがちだが、著者の見方はまったく違う。「スミスはむしろ富裕層の特権と闘った社会改革者だった。たしかに競争と自由市場は擁護したが、それは自己目的ではなく、あくまで地主や裕福な商人の特権を切り崩すための手段だった。スミスは、現代に生きていればおそらく社会民主主義者になっていただろう」と言うのである。

8月某日
「スミス・マルクス・ケインズ」は一休みして、重松清の「星に願いを―さつき断章」(新潮文庫 平成20年12月)を読む。1995年から2000年までの6年間、互いに関係のない3人の5月の一コマを綴ったものだ。1995年というと今から25年前、1月に阪神淡路大震災があり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件があり、5月には麻原彰晃以下の教団の主要幹部が逮捕された。私は47歳で仕事に遊びに飛び歩いていた頃である。私は3人の主人公のなかではタカユキに共感を覚えた。神戸で震災ボランティアに参加したタカユキは東京の実家に戻ると共に怠惰な高校生に戻っていた。怠惰な高校生にもガールフレンドができる。1学年下の彼女は優秀で現役で北大に入学、2浪して都内の私立の教育学部に入ったタカユキは彼女に会いに札幌へ行き、学校の先生を志望している旨を伝える。私も怠惰な高校、大学生活を送ったからね、わかるんだよね、タカユキの気持ちが。

8月某日
企画を手伝っている地方議員向けのセミナー、「地方から考える社会保障フォーラムの開催日。今回から会場を日本生命丸の内ガーデンタワーに移し、従来2日間にわたっていたものを1日に短縮した。講師は厚労省から鈴木俊彦事務次官、伊原和人江利川毅医療科学研究所理事長、伊原和人政策統括官、栗原正明企画官、それに江利川毅医療科学研究所理事長だ。今回からオンライン中継も導入したがさほどの混乱もなく終わることができた。終了後、大谷源一さんに会場まで来てもらい飲みに行くことにする。千代田線の大手町から町屋へ。何度か行ったことのあるトキワ食堂へ行く。ここは居酒屋ではあるのだが、本来は名前の通り食堂である。私たちの隣のバーさんも「鯖の味噌煮定食」を食べていた。想像するに夫は既に亡くなり子供たちも独立して、バーさんは一人暮らし。「一人分の晩御飯を作るのも面倒臭いから」とトキワ食堂へ。私と大谷さんも1時間ほどで解散、お勘定は一人当たり2230円でした。