モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
「六月の雪」(乃南アサ 文藝春秋 2018年5月)を読む。声優に見切りをつけて契約社員となった杉山未来は祖母と2人暮らし。家族は父の転勤先の福岡で暮らす。祖母が娘時代、台湾で暮らしていたことを知った未来は、入院した祖母を元気づけるために、祖母が暮らした台湾の南部の都市、台南を訪れる。そこでの7日間、未来が見て感じた台湾とは?台湾は日清戦争での日本の勝利により日本の領土となった。およそ50年、日本に統治されたのち第2次世界大戦の日本の敗北により中国に返還されたが、中国共産党によって大陸を追われた国民党軍が台湾に逃れ、国民党=蒋介石が独裁政権を樹立する。ここら辺までは高校の日本史、世界史の教科書にも書かれている。日本統治時代に女学校まで台南で暮らした祖母は父親が技師をやっていた精糖会社の社宅に一家で住むが日本の敗戦により、ほとんどすべての財産を台湾に残し日本に帰国する。未来は台南で通訳をやってくれた女性や台湾の歴史に詳しい高校教師と親しくなる。彼らの手助けもあって未来は祖母が暮らしたと思われる社宅を訪ねることができた。そこには当然だが台湾人が住んでいる。その台湾人の母娘が語る過酷な自分史。歴史は政治史や経済史を軸に語られる。日清戦争の賠償金をもとに日本の工業化は推し進められたという具合に。しかしこの小説を読んでこのような歴史は、無数の個人とその家族の歴史に支えられていることがよく分かった。ストーリーの中にごく自然に台湾の近現代史を織り込んだ乃南アサの力量に脱帽。

8月某日
新宿で白梅大学の山路先生、社保険ティラーレの佐藤社長と「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。終って上野駅でブラブラしていたら携帯に大谷さんから「八重洲口で白井幸久先生と呑んでいるから」と誘いの電話。白井先生は確か高崎健康福祉大学の教授で東京都介護福祉士会の前会長。東京福祉専門学校で大谷さんの同僚だった。東京駅を出て大谷さんに電話すると、「八重洲の大通りを真直ぐ来て最初の信号で電話頂戴、迎えに行くから」。時刻は17時を少し回ったぐらい。引退すると呑み始める時間が早まる。大谷さんに連れられて呑み屋「八吉酒場」に入って白井先生に合流。生ビールの後に静岡県の「磯自慢」を頂く。このお店は肴も「鰺のなめろう」はじめ美味しかった。少し気持ちよくなったところで本日は終了。深酒は避ける―これも引退後の鉄則。東京駅から上野-東京ラインで我孫子へ。

8月某日
「女中譚」(中島京子 朝日文庫 2013年1月)を読む。直木賞受賞作「小さなおうち」の姉妹小説という。「小さなおうち」は戦前の一見平穏な家庭を、そこに女中として入った女性の目から描いた佳作。私からすると「女中譚」は「小さなおうち」の姉妹小説というより裏「小さなおうち」だね。主人公は90歳を超える「あたし」。秋葉原のメイド喫茶に通い、かつて女中をしていた戦前の若かりし頃を回想する。どうしようもないダメ男、わがままなドイツ人とのハーフの美貌のお嬢さん、永井荷風。愛人あるいは女中として仕えた3人を見る「あたし」の眼差しは立派な「批評」である。

8月某日
我孫子の「しちりん」で元年住協の林弘幸さんと待ち合わせ。ホッピーとウイスキーの水割りを呑む。林さんは私より一歳年上だが今も働いている。働ける間は働いた方がいいと思うが、それには「働く意欲」が大切。林さんを見ているとそれを感じる。林さんと別れて「愛花」へ。

8月某日
「今日は予定入ってますか?」とエッチ・シー・エムサービス社の大橋社長からメール。「特に予定はありません」と返すと、神田の「清瀧」でネオユニットの土方研太さんと呑みませんかというメールが来る。土方さんと私はビール、大橋社長はホッピー。清瀧は埼玉県蓮田市の酒造メーカーが経営しているので、私は2杯目から日本酒。土方さんは「胃ろう・吸引シミュレーター」の開発者で、2人はシミュレータの実演と販売で名古屋出張の帰り。十分な手応えがあったということだ。土方さんにすっかりご馳走になる。もう一軒行くという2人と別れ、私は我孫子へ。「愛花」に寄る。

8月某日
浅田次郎の「天切り松闇がたり」シリーズの「第4巻 昭和侠盗伝」(集英社文庫 2008年3月)と「第5巻 ライムライト」(同 2016年8月)を読む。ついでに「完全版 天切り松読本」(浅田次郎監修 集英社文庫 2014年1月)も図書館から借りて読む。このシリーズは、掏摸の名人でかつ侠盗の親玉でもある「目細の安」一家に預けられた松蔵が「天切り」(屋根を破って富豪の家に侵入する江戸時代から続く盗賊の技術)を修業しながら一人前の盗賊へ成長するビルディングロマンであると同時に「目細の安」一家の「説教寅」「振袖おこん」「黄不動の栄治」「書生常」の侠盗ぶりを描くピカレスクロマンでもある。そして私はそこに織り込まれる大正そして昭和初期の風俗、エピソード、史実にとても魅かれる。モボやモガ、デパートが出現し消費文化が花開く大正から昭和初期。それはまた日清日露戦役、第一次世界大戦を経て帝国主義的な膨張をつづけた日本とオーバーラップする。一方で軍縮や大正デモクラシーの動きもあるという複雑な時代でもあった。昭和恐慌に端を発した農村の疲弊に対して青年将校が決起した5.15、2.26事件も昭和初期であった。
第4巻の「日輪の刺客」は2.26事件の前年の1935年、白昼、陸軍省で斬殺された永田鉄山軍務局長と犯人の相沢三郎中佐の物語である。同じく第4巻の「惜別の譜」は相沢中佐の処刑と相沢中佐の妻、米子を巡る悲しくも哀切な物語である。また第5巻の「ライムライト」は来日中のチャップリンと、犬養毅首相を殺した5.15事件を巡る物語である。「目安の一家」が引き起こす事件はもちろんフィクションである。しかしその背景の歴史的な事件や社会的な風俗はいずれも作家の入念に調査に基づいている。それが物語にリアリティを与えていると思われる。

8月某日
「ビアレストランかまくら橋」で「例の会」。「例の会」というのは私が勝手に名付けたのだが、江利川毅さんと川邉新さんを中心とした不定期の呑み会である。江利川さんと川邉さんは厚生省入省が同期で年金局資金課長にも相次いで就任した。そのときの課長補佐が足利聖治さんと岩野正史さん。この4人に当時、年金住宅福祉協会の企画部長だった竹下隆夫さん、年友企画で年金住宅融資を担当していた私が加わって始めたのが「例の会」である。この日は岩野さんがインドネシア出張、足利さんは会議が入って欠席、竹下さんも欠席、代わりに川邉さんの後の資金課長だった吉武民樹さん、その頃社会保険庁から年金局に来ていた眞柴博司さん、中西富夫さん、それに厚生省入省後、衆議院法制局が長かった茅野千江子さん、セルフケアネットワークの髙本真左子代表理事、年友企画の岩佐愛子さん、社保険ティラーレの佐藤聖子社長が加わり総勢10人となった。吉武さんが台湾の紹興酒を持ち込んだが、普段吞んでいる紹興酒とは違って濃厚な味がした。「チャンポンを食べに行く」という吉武さんと神田駅で別れ我孫子へ。

8月某日
年友企画の石津さんと京成立石へ。立石はディープな呑み屋街があることでテレビなどでも取り上げられることが多い。何年か前に我孫子の「愛花」の常連の大越さんに連れて行ってもらってから、何度か行ったことがある。ウイークデイの5時前ながら有名店にはすでに行列が。カウンターだけの店がやっていたので入る。生ビールで乾杯の後、私はチューハイ、石津さんは例によってビールを呑み続ける。カウンターの女性が「私も呑むのはもっぱらビール」。店と客の距離感が「近過ぎずもせず遠過ぎずもせず」、ちょうどいい。石津さんは京成立石から直通で京急の青物横丁へ、私は金町から千代田線で我孫子へ帰る。

8月某日
社保険ティラーレの吉高さんから「幕末維新のリアル―変革の時代を読み解く7章」(上田純子・僧月性顕彰会編 吉川弘文館 2018年8月)をいただく。月性という幕末の僧侶は「海防僧」と呼ばれ、尊王攘夷を唱えた。尊王攘夷のゲッショウというと私などは西郷隆盛と錦江湾で入水自殺を遂げた(西郷は助かる)月照を思いうかべるが、これはもちろん別人。月性はむしろ「男児志を立てて郷関を出づ/学、もしならなくんば、また還らず/骨を埋める 豈墳墓の地を期せんや/人間 到る処青山あり」の漢詩の作者として名高い。7章のうち「幕末維新論」が5章、「僧月性論」が2回。明治維新論は国内的な要因だけでなく世界史的な視点から明治維新を読み解くという視点が新鮮。英国から独立したアメリカが西に向かって領土を拡大し、1840年代に太平洋に至った。第7章「洋上はるか彼方のニッポンへ」で後藤敦史(京都橘大准教授、1982年生まれ!)は太平洋の蒸気船航路の開拓もペリーの日本来航の動機の一つであったことを明かす。私にとってはとても新鮮。