9月某日
「B-29の昭和史-爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代」(若林宣 ちくま新書 2023年6月)を読む。太平洋戦争末期、日本の主要都市が米空軍機による空襲にさらされ、その空爆の主役を演じたのがB29であるということくらいは私も知っていた。広島、長崎に対する原爆投下もB29によってなされたことも。しかしB29そのものや、B29開発に動いた米軍首脳の考え方について興味を持つことはなかった。B29による本土爆撃はそのほとんどが対象を軍基地や施設に限定しない無差別爆撃であった。しかし無差別爆撃はB29が初めてというわけではなく、日本軍の重慶爆撃やスペイン内戦におけるナチスドイツ空軍による無差別爆撃(これはピカソのゲルニカで描かれている)が知られている。本書によると朝鮮戦争でもB29による無差別爆撃が行われたし、ベトナム戦争ではB29の後継機、B52が無差別爆撃を行った。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも爆撃機が飛び立ったのは日本本土や沖縄の米軍基地からだった。現在進行中のウクライナ戦争でもロシアは爆撃機やミサイル、ドローンなどで無差別爆撃を行っている。産業革命以降、科学技術は飛躍的に発展し、それが軍需に転用された。核融合の理論と技術は原子爆弾を生み、それは原発として民需に転用されている。現代は科学技術の発展=人類の発展と喜んではいられない時代なのであろう。なお本書にはB29が撃墜された際、撃墜機から脱出した米兵が捕らえられ、終戦時に捕虜虐待の証拠隠滅のため処刑された例が紹介されている。戦時中、鬼畜米英と唱えられたが鬼畜はどちらであったのか?
9月某日
「戦後日本政治史-占領期から『ネオ55年体制』まで」(境屋史郎 中公新書 2023年5月)を読む。新書ながら戦後80年に及ぶ政治史を簡潔にまとめている好著。私が政治らしきものに目覚めたのが60年安保の年の6月16日、朝起きると母親が緊張した表情で「昨日、女子学生が死んだんだよ」と教えてくれた。1960年の6月15日、日米安保条約の改定に反対する学生、労働者、市民が国会を取り囲み、混乱の中で東大の女子大生が亡くなった。私が学生運動に参加したのも1967年10月8日、当時の佐藤首相の訪ベトナムに反対して反日共系の学生が中心となって激しいデモを行い、その渦中で京大生が亡くなった。私は当時、浪人生だったが大学へ入ったら学生運動をやろうと心に決めたものだ。しかし、戦後の政治史のなかで学生運動が中心的に扱われたことはない(当たり前だけど)。本書でも第2章の「55年体制Ⅱ-高度成長期の政治」のなかで「新左翼の興亡」として1節が割かれているに過ぎない。改めて考えると60年代後半から70年代初めの学生運動の高揚期は高度経済成長期と重なる。人手不足は深刻で就職戦線は売り手市場、学生は選り好みさえしなければどこかには就職できた。「戦後日本政治史」に話を戻すと、戦後は官邸に権力が集中する過程だったんだなと思う。それは立法・行政・司法の3件の中で行政府(つまり官邸)が立法府に対して優位を確立する過程だったとも思う。それは大袈裟に言うとファシズムの予兆でもあるような気がする。タモリが「新しい戦前」と言ったのはこれらのことを指しているのではないか?
9月某日
「日韓関係史」(木宮正史 岩波新書 2021年7月)を読む。日本と韓国との関係は政府と政府の関係、経済を通じた関係、市民相互の関係などがある。本書は主として政府間の交渉を通して日韓関係を概観したものである。日本列島と朝鮮半島は日本海を挟んで隣り合っている。有史以来、日本は朝鮮半島の影響を受けて来たし、朝鮮半島もまた日本の影響を受けて来た。大和朝廷は朝鮮南部に日本府を設けた。朝鮮への進出を意図したが白村江の戦で敗退した。鎌倉時代、二度にわたって蒙古軍の侵略を受けたが、蒙古軍には多くの高麗の人々が含まれていたらしい。豊臣秀吉は日本を平定した後、中国大陸を征服する野望を抱き、手始めに朝鮮半島を侵略した。徳川政権は鎖国政策を続けたが、オランダ、中国(明、清)、朝鮮との交流は続けた。朝鮮の王朝は徳川政権に何度か使節を送っている。明治時代に日本は日清、日露の対外戦争を戦い勝利したが、戦争の原因の一つは朝鮮半島への影響力を巡ってのものだった。1910年に大韓帝国は日本に併合され、日本の支配は1945年の日本の敗戦まで続く。私の考えでは明治維新まで日本は朝鮮を先進国と見て来たのではないだろうか。事実、漢字や仏教、そして稲作や製鉄の技術などは朝鮮半島を経由して日本列島にもたらされた。
しかし明治維新後、日本は朝鮮を国として遅れた国と見做すようになり、1910年には日本に併合される。1945年の日本の敗北により朝鮮は独立するのだが、南北に分断されて状態が続いている。分断国家となった原因を作ったのは日本の韓国併合であったのは間違いのないところであろう。韓国独立後も韓国では政治的には独裁政権が続き、経済的にも日本の高度成長を後追いするしかなかった。この状態を著者は日韓の非対称性と呼ぶ。しかし1990年前後から韓国では民主化と経済成長が著しく進む。韓国と対照的に北朝鮮は庶民の生活を犠牲に軍事独裁体制を確立した。一人あたりのGDPを南北で比較すると1970年に北が386ドル、南が287ドルだったものが2018年には北688ドル、南33,622ドルと大差がついている。一人あたりGDPでは韓国は日本に並び、経済力では対称性が実現している。おそらく去年か今年には韓国は日本を追い抜くと思われる。しかし韓国も日本以上に少子化が進んでいるらしい。少子化という危機を共有し、かつ自由で民主的な社会という価値観を共有している二つの国家が、共栄、共存してゆくことを願うのみである。
9月某日
四川料理隨苑淡路町店で「山歩き同好会」の同窓会。この同好会は私が年友企画に在籍していた当時、私と社員の岩佐、村井さん、社会保険研究所の谷野さん、それに厚労省の酒井英行さんで近郊の山に日帰りで行っていたことから何となく緩くスタートした。酒井さんが勲章をもらったときに富国クラブを会場に同好会で祝う会をやったことを記憶しているが、その後はコロナもあってやっていない。今回は岩佐さんが音頭をとってくれて久しぶりの開催となった。酒井さんはお酒を辞めているということだったが、みんなで和気あいあいのときを過ごした。酒井さんから皆にお菓子が配られた。お勘定は谷野さんが払ってくれた。恐縮。