9月某日
「関東大震災 虐殺の謎を解く-なぜ発生し忘却されたのか」(渡辺延志 筑摩選書 2025年7月)を読む。1923年9月1日の正午に起きた関東大震災、今年は102年目の年を迎えた。震災時、朝鮮人が井戸に毒を入れてまわっている、等の流言飛語が飛び交い、それを根拠に多数の朝鮮人が虐殺された。本書はその虐殺の跡を丹念にたどった書である。著者は1955年福島生まれ、2018年まで朝日新聞に勤務したジャーナリストである。本書は通説に惑わされることなく真実を探ろうとする。たとえば当時の在郷軍人が、自警団による虐殺の中心とされてきたが、著者は資料を丹念にたどると、在郷軍人の「組織としては迫害を防止し、虐殺を阻止しようと懸命に働いていたように見えるのだ」とする。とはいえ流言を根拠とした虐殺があったのは事実である。「流言の根幹は『朝鮮人の集団が武装して襲ってくる』という戦争状態を思わせるものであり、だからこそ人々を脅えおののかせたのだろう」と著者は言う。ではなぜ、当時の庶民は「朝鮮人が襲ってくる」と思ったのだろうか。1910年に韓国は日本に併合されたが、1919年の3.1独立運動をはじめ、植民地支配に抵抗する韓国民衆の運動は続いていた。ここからは私の想像になるが、関東大震災における朝鮮人虐殺は、日韓併合をはじめとする日本の朝鮮半島、朝鮮人民に対する支配に対する朝鮮人民の抵抗への、日本人民大衆の反感、嫌悪があったように思う。韓国(および朝鮮人民)への日本帝国主義の支配は、欧米列強のアフリカやアジアへの植民地支配といささか趣を異にすると私は思う。アフリカやアジアへの植民地支配は、欧米文明国の遅れた地域の支配として合理化された。しかし朝鮮は古くから中国文明の受け入れの日本の窓口であった。恐らく幕末の開国までは、中国大陸と朝鮮半島こそが日本にとっての先進国であった。そういう記憶は日本人の記憶の底に沈潜している。そうした先進国を植民地支配している。「いつか反撃されるのではないか」-そんな危機感が当時の大衆には沈潜していたのではないだろうか。そしてその危機感が大震災のときに朝鮮人虐殺に結び付いたのではなかったか。
9月某日
「マザーアウトロウ」(金原ひとみ U-NEXT 2025年7月)を読む。金原は1983年生まれ、03年に「蛇にピアス」ですばる文学賞を受賞しデビュー。波那と波那の恋人、蹴人の母親、張子の物語。張子は夫を亡くした独身。張子は自立した女性として描かれる。私は張子が1970年代の生まれで、波那と蹴人が2000年代の生まれであることに軽いショックを受けた。考えてみれば当り前のことだけれど、今年77歳となる私らの世代は最早、少数派、団塊の世代などと大きな顔をしていたのは、過去の話しなのだ。
9月某日
「関東大震災 朝鮮人虐殺を読む-流言蜚語が現実を覆うとき」(劉永昇 亜紀書房 2023年9月)を読む。第1部〈不逞鮮人〉とは誰か第2部朴裕宏-ある朝鮮人留学生の死第3部ハルビン駅で会いましょう-安重根と伊藤博文の十字路の3部構成。著者は1963年生まれの在日コリアン3世で「風媒社」編集長。朝鮮人虐殺など100年前の話しと思うかもしれないが、最近の参政党の伸張などを見ると日本人の中で排外主義の風潮が高まっているような気がする。そういえばトランプのアメリカファースト、やフランス、イタリア、ドイツでの極右政党の伸びを見ると、排外主義は世界的な風潮なのかもしれない。少子化は先進国に共通の減少であり、とすれば外国人労働者に頼らざるを得ないのも先進国共通の課題だ。外国人を排斥して困るのは自国民なのだけれど。