9月某日
「いちばん長い夜に」(乃南アサ 新潮社 2013年1月)を読む。前科(マエ)持ち二人組の芭子と綾香のシリーズ最終作。作者の「あとがき」によると、2011年3月11日、著者は早朝から新幹線で仙台に向かった。仙台は綾香の出身地で、綾香が夫殺しを実行した現場でもあることからの日帰り取材旅行であった。午後2時46分、後日「東日本大震災」と名付けられた大地震が発生する。本作には作者のこの体験が色濃く反映している。芭子は綾香が自首したときに離れ離れとなった幼子の行方を探りに綾香に内緒で仙台を訪れる。調査を進めるうちに芭子は大震災に遭遇する。避難先で知り合った青年と相乗りのタクシーで東京を目指す。芭子の体験はほぼ作者の体験と重なる。「あとがき」では「最後に、震災で亡くなられた方々のご冥福と、あの日以来人生が変わらざるを得なくなった皆さんが、それでも生き続けて下さることを心から祈っております。そして、私と編集者とが震災当日、深夜近くまで身を寄せさせていただいたホテル「法華クラブ」の皆さん、東京まで運んでくださった三台のタクシーのドライバー各氏に、お礼を申し上げます」と記されている。芭子と綾香のシリーズは上戸彩と飯島直子でテレビドラマ化されている。
9月某日
「アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。ヤマト王権については日本書紀や古事記などの文献、さらに中国の魏志倭人伝などの文献、そして前方後円墳や埴輪、銅鏡などの考古学資料によって解明は進められているが、まだ全容を明らかにはできない。本書は今から10年以上前の著作だが、私には新鮮で面白かった。本書並びに溝口の論の特徴は「古代天皇制は無文字社会に片足をおいた制度」であり「古代天皇制思想の核である天孫降臨神話は、名のとおり『神話』であり、『神話』は基本的に無文字社会の産物である」という点にある。無文字社会の産物である神話をもとにして古代天皇制について考える、ということであろうか。日本書紀や古事記でもっとも注目すべきは天孫降臨神話であろう。明治憲法でも「天皇の統治権の『淵源』は『皇祖皇宗の神霊』にある(告文)としている」。皇祖皇宗とは「皇祖神」であるアマテラスや、神武天皇にはじまる歴代の天皇を指している。日本に古代国家が成立したのは東アジアの政治情勢が強く影響していると本書は指摘する。4から5世紀前半の東アジアは激しい動乱のなかにあった。北方遊牧民が大量に華北に進出、約130年間にわたって興亡を繰り返した。朝鮮半島北部では、漢民族の文化と遊牧民の文化と接触し融合させながら高句麗が国家形成を果たした。その高句麗から朝鮮半島南部の国々や倭は、大きな影響を受けた。400年ころ、新羅に進出していた倭軍は高句麗に惨敗している(好太王の碑)。
同じ頃、古墳文化も大きく変貌する。「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌である。副葬品にそれまでみられなかった馬具がみられるようになり、武器・武具も騎馬戦向きのものに変化した。この時期に、新しい政治思想、王の出自が天に由来する「天孫降臨神話」も、高句麗の建国神話を取り入れる形で導入された。その元を辿れば朝鮮半島の北に広がる北方ユーラシアの遊牧民族が古くから持っていた王権思想である。天孫降臨神話の元は北方ユーラシアの王権思想にあった。日本の皇祖神・国家神は「ヤマト王権時代(5~7世紀)はタカミムスヒ」「律令国家成立以降(8世紀~)はアマテラス」。7世紀末に中央集権国家(律令国家)がはじめて成立した。「タカミムスヒからアマテラスへという国家神の転換は、そのような歴史の変化にぴったり対応している」のだ。タカミムスヒもアマテラスも太陽神だが、その出自が違うようだ。タカミムスヒが北方ユーラシア、高句麗系とすると、アマテラスはヤマト王権、弥生系である。これからは私の推測だが、「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌が起きたとき、ヤマト王権は皇祖神話を、天孫降臨神話を残しつつ、主神を北方ユーラシア系のタカミムスヒから土着のアマテラスへの転換を果たしたのであろう。一方、イザナキ・イザナミの国生み神話は「大まかに捉えれば、みな南方系である」としている。南方とは中国の江南から東南アジア、東インド、インドネシア、ニューギニアにかけての地域を指している。ということは日本神話は北方系と南方系の合作?
9月某日
11月の米大統領選まで50日を切った。テレビ討論会では明らかに民主党のハリス副大統領が優勢でトランプ前大統領の劣勢ははっきりしていた(と私は思う)。トランプの発言で注目されたのが、オハイオ州スプリングフィールドではハイチから来た移民が犬や猫を食べているというものだ。本日(9月18日)の朝日新聞の夕刊コラム「時事小言」で藤原帰一は「犬やネコを食べるというイメージは人種・民族の差別と迫害の典型的な表現に他ならない」とし、ハリスとトランプの違いは「強硬な移民政策をとるか否かでなく、多数派と異なる人種と民族を米国から排除するかどうかである」としている。日本でも自民党と立憲民主党がそれぞれ総裁選と代表戦の真最中である。どちらの選挙でも人種・民族的な差別が議論になったことはないようである。しかし、これはそうした差別が日本社会に存在しないことを意味しない。差別は存在するのに、それを覆い隠す力が強く存在するのではないか、と私は危惧する。民族や国籍による差別、性差による差別、LGBTQに対する差別、その他、全ての差別に私は反対です。