9月某日
「僕の女を探しているんだ」(井上荒野 新潮社 2023年2月)を読む。-大ヒットドラマ「愛の不時着」に心奪われた著者による熱いオマージュの物語。-と惹句。「愛の不時着」って、確か北朝鮮に不時着した韓国の娘と北朝鮮の青年の恋愛TVドラマ。私は観ていません。こちらは日本を舞台にしたラブストーリー。恋人たちの危機を韓国出身らしき青年が助けてくれる。そうした話が9編。
9月某日
「松本清張の女たち」(酒井順子 新潮社 2025年6月)を読む。松本清張は明治42(1909)年生まれ。高等小学校を卒業したのちに就職、やがて朝日新聞の九州支社で現地雇用で働く。専業作家となったのは46歳のとき、当時としても遅い作家デビューだった。本書では松本作品に登場する女性に焦点を当てた。松本が作家として最盛期を迎えたのは日本の高度経済成長期。男が外で働き女が家庭を守るという時代だった。松本の作品に登場する女性は、もちろん専業主婦もいるのだが、酒場で働くママやホステス、客室乗務員など働く女性も多い。高級クラブでの松本の姿も描かれているが、遊びに来るというよりも取材という側面が強かったらしい。
9月某日
「1945年に生まれて 池澤夏樹 語る自伝」(聞き手・文 尾崎真理子 岩波書店 2025年7月)を読む。池澤夏樹の小説は「ワカタケル」と「また会う日まで」しか読んだことはないが、二つとも面白く読んだ。「ワカタケル」は歴史上かなりユニークな天皇だった雄略天皇、ワカタケルを主人公にしたもの。「また会う日まで」は池澤の一族というか父方の一族のファミリーヒストリーである。池澤の父親は小説家の福永武彦だが、幼い頃に両親が離婚、母親が再婚した池澤喬を父として育てられる。「池澤の父に最初に会った時、「離れて暮らしていたパパよ」と母から紹介されて、そのまま僕は受け入れたみたい」と当時のことが記されている。実は私は、池澤喬と交流があった。本書にも出てくるが池澤喬はコーポラティブハウジングの熱心な推進者で、確か当時、産経新聞社に務めるかたわらコーポラティブハウス推進協議会の事務局長をやっていた。私は「年金と住宅」という雑誌の編集をやっていたので取材であったのかもしれない。何回かあっているので、もしかしたら住文化研究協議会の縁かもしれない。当時、「息子さんが芥川賞をとった」と話題になったことを覚えている。本書を読むと語学が堪能で、外国だけでなく、日本でも転居を繰り返す、私からすると稀有なコスモポリタンとしての池澤像が浮かび上がってくる。
9月某日
「痴者の食卓」(西村賢太 新潮社 2015年7月)を読む。作者の分身である北町貫多と同棲相手の秋恵の物語。勤めを持たない貫多は秋恵のスーパーでのアルバイトに頼る日々を送る。にもかかわらず、貫多は気に喰わないことがあると秋恵に殴る蹴るの暴行を加える。西村賢太は2022年に急死して著作権は石川近代文学館が継承している。秋恵には自在のモデルがいるが彼女には継承されていない。日本文学には明治以来、私小説の伝統があるが、西村の死以降、その伝統を継ぐ人はいるのだろうか。
9月某日
「遺骨と祈り」(安田菜津紀 産業編集センター 2025年5月)を読む。安田菜津紀は1987年生まれ、上智大学卒のフォトジャーナリスト。TBSテレビ「サンデーモーニング」のコメンテーターとして出演。とてもリベラルな考え方の持ち主で、私はかねてから好感を抱いていた。本書は沖縄、福島、ガザを訪ね、考え、感じたことのレポートである。平和な日本に暮らす私たち、そう言っていいのだろうか? と本書を読んで感じた。日本製の電子部品がガザへの軍事侵略に使われていないという保証はない。イスラエルを支持するアメリカに日本外交は沈黙する。福島の原発が供給していた電力は首都圏向けだった。「沖縄への負担押し付け、福島からの搾取、そしてガザ、パレスチナで起きている民族浄化、私はどれに対しても、この社会構造の中で「踏んでる側」に立っている」(「プロローグ」より)という言葉は重い。
9月某日
表参道の中華の名店「ふーみん」で「江利川さんを囲む会」。直前に江利川さんから「欠席します」のメールが来た。「ふーみん」に着くと川邉さんや吉武さん、岩野さんら来る。前回から参加の小堀鴎一郎先生も。小堀先生は87歳の現在も車を自ら運転して訪問診療をしている。今回欠席の大谷さんから前回の剰余金1万5千円を預かってきたので、今回の会費は一人7千円に収まった。帰りは吉武さんと表参道から千代田線で帰る。
9月某日
大谷さんから借りた「世界秩序が変わるとき-新自由主義からのゲームチェンジ」(齋藤ジン 文春新書 2024年12月)を読む。新自由主義からの脱却には私も賛成だが、その先には何があるのか。本書で私は具体的に読み取ることができなかった。しかし著者は本書で自身が性的マイノリティ―であることを明かしている。だとすると性や人種、国籍などによる差別のない社会ということか。これも賛成。
9月某日
「イスラエルとパレスチナ-ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」(ヤコブ・ラブキン 鵜飼哲訳 岩波ブックレット 2024年10月)を読む。著者はユダヤ人の歴史家。イスラエルはパレスチナのガザへの侵攻を続け、国際法に違反して武力によって領土を拡大している。イギリスの首相やフランスの大統領はパレスチナの国家としての承認に言及している。第二次世界大戦後のイスラエルの建国そのものがアラブ人の土地を奪うことによって成し遂げられた。住んでいる人の土地を奪い、そこに自国民を入植させる姿は、かつての日本が満州を占領し、満洲国をでっち上げ、日本人を入植させたことを彷彿とさせる。イスラエルを支持する国はいまやアメリカなど少数だ。共和党だけでなく民主党もイスラエル支持のようだ。在米ユダヤ人の票とユダヤ財閥の献金を期待してのことなのだろうか。50年前の日本赤軍3名による、テルアビブ空港での銃乱射事件を思い出す。無差別の殺戮には反対だが、3人の心情には思うところがある。
9月某日
「日韓条約 60年後の真実-韓国併合とは何だったのか」(和田春樹 岩波ブックレット 2025年9月)を読む。戦前の日本は台湾、南樺太、朝鮮半島を領有する植民地国家であった。このうち台湾と南樺太は日清、日露戦争の結果、合法的に日本に領有された。しかし朝鮮半島はどうか?本書でも韓国併合が合法的になされたか、そうでなかったかの議論が紹介されている。戦後の日本政府の見解は、合法的であったというものだが、果たしてそうか。日本軍の圧力の下で伊藤博文らの脅迫的な要請で、韓国併合はなされたのではなかったのか。少なくとも朝鮮人民の多くは併合に反対であった。そのことは「3,1万歳事件」など多くの朝鮮民衆の決起でも明らかである。