モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
上野の東京都美術館に「藤田嗣治展」をフリーライターの香川さんと観に行く。没後50年ということだ。今回初めて知ったのだが藤田の父は陸軍軍医で軍医総監までやった人だそうだ。第一次世界大戦の直前にパリに留学しているということは、実家はそれなりの財力があったということか。それはさておいても展示されていた藤田の作品は風景画、ヌード、静物、晩年の宗教画までどれもなかなか味わい深いものがあった。当時の芸術の中心地だったパリでアジア人として独自性を発揮しつつ西欧の先端的な芸術に溶け込むというのは大変な才能と努力だったと思う。藤田の戦争画が2点展示されていた。「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」である。戦争画は戦意高揚のために画家が描かせられたということになっているが、藤田の絵は「アッツ島」にしろ「サイパン島」にしろ、戦意を高揚させる目的を達したとは言い難い。戦争の理不尽さ無意味さがリアルに徹した筆使いのなかに私には感じられる。上野駅入谷口近くの居酒屋で香川さんと呑む。香川さんにメイプルシロップを頂く。

9月某日
「はじまりのレーニン」(中沢新一 岩波現代文庫 2005年6月)を読む。本書は1994年6月に岩波書店から刊行されている。ソ連が崩壊したのが1991年だから、「はじめに」で中沢は「レーニン主義を体現すると言われてきたもののすべてが、いまや解体した。器が壊れたのだ。(中略)私たちは、器が破壊されたことに、よろこびを見いださなくてはならない」と述べているのだ。「レーニンはよく笑う人だった」をはじめとして今まで流布されてきたレーニンの像とは全く異なる像を本書から読み取ることができる。レーニンはもちろんマルクス、エンゲルスの著作から唯物論を学ぶのだが、それにとどまることなくヘーゲルや「靴屋の親方」で「ドイツ観念論の父」ヤコブ・ペーメにまでさかのぼる。ペーメの「三位一体論」がヘーゲルの弁証法やマルクスの資本論の形成に影響を与えたという。正直、これらの論説は私の手に余り理解の範疇を超えるのだが、興味を持って読み進むことはできた。「グノーシスとしての党」という章ではレーニン主義の党=ボルシェビキが古代キリスト教の異端、グノーシスと極めて類似した思想を持っていたことが明かされる。中沢新一の本を読むのは、歴史学者の網野善彦のことを描いた「僕の叔父さん」以来だけれど、もう少し読んでみたい気がする。

9月某日
中島京子の「長いお別れ」(文春文庫 2018年3月)を読む。単行本は2015年5月。認知症の東昇平は中学校の校長を定年退職したのち、名誉職の図書館長をやり今は悠々自適の身。クラス会の会場にたどり着けなかったことから認知症が発覚、妻と3人の娘を巻き込んだ認知症と共に暮らす日々が始まる。認知症を題材にした家族をテーマにした小説。夫を思いやる妻と3人の娘、ときには頑なになりながらも教師時代と同じように誠実に生真面目に生きる認知症の夫の姿が温かい筆致で描かれる。認知症の人との接し方は「なるほど、こうあるべきなのか」と思わせる。認知症の母を赴任先の中国から一時帰国して見舞う工藤晴夫のエピソードがいい。中国土産のシルクのマスターを渡すと母は、自分の息子とは認識できず「あなた、とっても優しい人ね」「私、あなたのことが好きみたい」と告げる。晴夫は少し泣きそうな顔で笑いだす。いいよなぁ。

9月某日
「死してなお踊れ 一遍上人伝」(栗原康 河出書房新社 2017年1月)を読む。栗原は最近「村に火をつけ、白地になれ 伊藤野枝伝」(岩波書店)を読んで面白かったので、我孫子市民図書館で「栗原康」を検索、最新作を借りる。一遍上人は鎌倉期の僧侶で時宗の開祖として知られる。実際には宗派の名称としてとして時宗が用いられるようになったのは江戸時代以降で、一遍のころは念仏を唱えることによって成仏ができるという教えのもと、念仏を唱えながら踊るという宗教的な集団であった。栗原は「一遍聖絵」「一遍語録」を底本にしている。町田康が古典の「義経記」を底本にして「ギケイキ1、2」を執筆したのと同じだが、そこは小説家の町田と研究者の栗原の違いか、「ギケイキ1,2」のほうが話としては圧倒的に面白い。しかし栗原も町田も偶然、名前は「康」だ。栗原は「やすし」、町田は「こう」と読むにしても、軽妙な文体にも共通点がある。栗原はまだ若いのでこれからの精進に期待。

9月某日
「行きつ戻りつ」(乃南あさ 新潮文庫 2002年12月)を読む。初出は同社の月刊誌「ミセス」で、1年間の連載であったことから12の短編が収録されている。「ミセス」の読者を意識して12の短編の主人公は主婦、妻である。夫や子どもとの葛藤、金銭的な悩みなどを抱えた妻たちが、それぞれの事情から日本各地、北海道斜里町から熊本県天草町まで12か所を訪れる。「まことによい読後感」と題する解説(立松和平)が載せられているが、いずれの作品も未来を予感させる心地よいエンディング。新潮文庫には栞が付いている。栞が付いているのは多分、岩波文庫と新潮文庫だけ。奥付の発行年の記載が昭和とか平成といった元号なのも新潮文庫の特徴。こだわりかね。

9月某日
「世界経済の『大激変』-混泳の時代をどう生き抜くか」(浜矩子 PHPビジネス新書 2017年)を読む。自民党総裁選挙で安倍晋三が三選された。対抗馬の石破茂が予想以上の善戦、勝者の硬い表情と敗者の笑顔がテレビのニュースで繰り返し流される。反アベノミクスの急先鋒のエコノミストが浜矩子だ。今回の著作では安倍政治とトランプの類似性やヨーロッパの極右勢力、フランスのルペンなどとの共通性に警鐘を鳴らしている。ルペンは「もはや、右翼も左翼もない。あるのは、グローバル主義対愛国主義の対立のみだ」という。浜はこのルペンの発言にかぶせて「あるのは、ニセポピュリズムと真のポピュリズムの対立のみだ」とする。真のポピュリズムとは人民主義、人民本位と浜は主張する。おそらく来年の参院選挙で与党勢力は後退し、円安を基調に回復してきた景気も先行き不透明になるのではないか。浜の主張に耳を傾けていきたい。

9月某日
「日本の『運命』について語ろう」(浅田次郎 幻冬舎 2015年1月)を読む。浅田次郎の講演をまとめたもの。浅田が歴史小説を執筆するにあたっていかに資料を読み込んでいるかがよくわかる。浅田は酒を一滴も飲めないそうだが、資料の収集とその解読で確かに酒を呑んでいる暇はなかろうと思う。浅田は中国文明に尊敬の念を抱き、清朝と徳川政権を比較して、徳川政権は270年、清朝は300年続いたが徳川将軍は15代、清の皇帝は12代、徳川は30年短いにもかかわらず15代の将軍が交替という事実を指摘する。家康、吉宗を除いて英明な将軍はいない、対して清の皇帝は皆それぞれに優秀だったというのが浅田の主張。浅田は真のインテリ、知識人だと思う。真の知識人は差別意識からも自由なのだ。

9月某日
「自民党本流と保守本流-保守二党ふたたび」(田中秀征 講談社 2018年7月)を読む。田中秀征は自民党を離党して1993年、武村正義らと新党さきがけを結成、同年の細川護熙政権で首相特別補佐、第一次橋本龍太郎内閣で経済企画庁長官を歴任。ここで言う自民党本流とは、岸-福田-小泉-安倍と続く、自主憲法制定と防衛力の強化を軸とした流れであり、保守本流とは池田勇人の宏池会を源流とする池田-大平-宮沢のグループと、佐藤栄作の後継となった田中-竹下-橋本のグループである。流れからすると小沢一郎や細川護熙、羽田孜、鳩山由紀夫もこのグループになる。保守本流の思想的なバックボーンとして著者は石橋湛山の小日本主義をあげる。石橋湛山は戦前すでに朝鮮、台湾、樺太はいらないという考えを表明していた。植民地支配の経済コストから日本にとっては過重と判断した。戦後、日本の政治的な対立軸は長く保守の自民党と革新の社会党の二大政党であった。しかし冷戦の終結後、社会主義を主なイデオロギーとする社会党の存在意義は薄れる一方で、現在は社民党として辛うじて国会に議席を維持しているに過ぎない。著者の考えは現在の自民党は自民党本流と保守本流に分裂すべきというもの。

9月某日
「新時代からの挑戦状-未知の少親多死社会をどう生きるか」(金子隆一・村木厚子・宮本太郎 厚生労働統計協会 2018年7月)を読む。厚生労働統計協会の常務理事の西山隆さんからいただいた。第一部の金子明治大政経学部特任教授(前国立社会保障・人口問題研究所副所長)の論文が、長期的で人類史的な視点で人口減少問題を解き明かし、私にとっては「目からウロコ」であった。旧石器時代の人類の総人口は数万人から最終的には数百万人程度と推定され、人口に目立った増加が現れたのは、約1万年前に人類が農耕を開始し定住生活を始めてから。といっても人口の増加は極めて緩やかなカーブを描いていたが、産業革命以降は爆発的な人口増加に見舞われる。肥料や農業技術の改良、アメリカ大陸などでの新しい農地の開拓による食糧増産、近代化による衛生環境の整備、医療技術の発展が人口増加に寄与した。日本では関ヶ原の戦いのあった1600年には1227万人が江戸中期の1721(享保6)年には3128万人に達する。開墾による農地拡大や農業技術の発達、貨幣経済の進展などが環境の人口収容力を大幅に拡大させた。後半期には人口が収容力の上限近くに達したうえ世界的な寒冷化による天候不順(享保・天明・天保の3大飢饉もこの時期)もあって人口は一定水準を超えなかった。再び本格的な人口増加を迎えたのは幕末で、以降、明治,大正、昭和と太平戦争の一時期を除いて2008年に1億2800万人のピークを迎える。これからが本論に入るのだが、日本の総人口が1億人に達したのは1967年で、将来最後に1億人を維持する年は2052年である。しかしその中身は1967年の高齢人口、高齢化率は667万人、6.6%であるのに対して2052年は3793万人、37.9%と全く違っているのだ。著者は「多数決原理に基づく民主主義と、市場原理を基礎とする資本主義は、人口高齢化とともに、社会の資源配分を高齢者に偏らせ、青少年層や子育て世代の生活に不利をもたらす働き」があるとし、「社会経済システムを再構築する必要がある」と警鐘を鳴らす。エライこってす。