社長の酒中日記 1月②

1月某日
 社会保険研究所グループのグループ経営会議が社会保険出版社で開かれるので出席。各社とも厳しい様子。当社もそれは同じだが私としては、今年は(今年も)「根拠のない楽観主義」で行こうと思う。会議後、宴会。社会保険出版社からは課長以上が参加したので結構な人数に。私のテーブルには研究所(中部)K社長、研究所(東京)のA役員、出版社のK取締役とSさんがいた。日本酒を3~4本頂く。

 2次会はパスして早々に帰宅。帰ったら年賀状の返事が来ていた。しかしSさんという差出人に覚えがない。住所を検索して思い出した。親会社のK社長に何度か連れてってもらったことのある寿司屋のご主人だ。年末「しばらく休みます」の貼り紙が入り口に貼られていたので、気になって年賀状を出したのだっけ。ご主人とは私が退院してしばらくたったとき、銭湯でご一緒して「大変だったんだね」と背中を流してもらったことがある。不覚にも涙が出そうになった。賀状には「ただ今、格子無き牢獄にいます」という添え書きがあった。病気療養中なのかもしれない。早く良くなってほしいけど、今年一番うれしかった賀状だ。

1月某日
 昨年、社会保険出版社から編集・製作を依頼された「だれでもできる症状・異常の自己チェック」は昨年10月に完成。監修をお願いした「いなば内科クリニック」の稲葉敏院長と食事。社会保険出版社側からはK取締役以下3名、当社からは編集を担当したIとH、私、それに社外スタッフのKさんらが参加してくれた。稲葉先生とは葛飾区に認知症のネットワークを作ろうとPDN(ペグ・ドクターズ・ネットワーク)のNさんと動いたときにNさんの紹介で知り合った。稲葉先生は慈恵医大のアイスホッケー部出身。練習は毎日、夜11時スタートだったという。リンクの関係で早い時間は使用できなかったからだ。当然、実家までは帰りつかないので、大学の近くのマンションに居候したそうだ。卒業後は津南町立病院などで勤務した後、亀有に開業した。飾らない人柄で大変、楽しかった。

1月某日
 当社のO役員の見舞いに社員のIと行く。西武池袋線の最寄りの駅で待ち合わせ入院先へ。入院先のY診療所は地域医療に熱心に取り組み訪問看護ステーションも併設している。病室に入ると坊ちゃんが見舞いに来ていた。なかなかイケメンで母子の仲も睦まじそうだった。坊ちゃんはバイトへ。入れ替わりにお母さんと訪問看護師さんが来る。O役員は思ったより元気でひと安心。社員と別れ、私はリハビリ中の友人Kさんを見舞いに初台へ。友人は理学療法士とリハビリ中で、麻雀パイを並べていた。そういえばKさんは強かったらしい。和歌山から別の友人のOさんも見舞いに来ていた。新宿でDさんと日本酒を少々。Dさんは生活福祉研究機構の専務で現在は和歌山在住。地元で町興しもやっている。生活福祉研究機構では地域福祉の研究もやっており、「地域包括ケア」の取組みなどで協力できればと思う。

1月某日
 「株式会社に社会的責任はあるか」(岩波書店 奥村宏 2006年6月)を読む。エンロンの粉飾決算やクボタやニチアスのアスベスト禍への対応を論じて、企業責任について考える。私も会社の代表者だから企業責任や経営責任はあるに決まっている。が、社会的責任はどうか? 奥村は社会的責任というあいまいな概念で本当の意味での企業責任や経営責任を逃れているのではないかと指摘していると思う。結論として奥村は「企業は実態ではなく機能としてとらえることが必要である。企業を実態としてとらえるところから『会社人間』が生まれ、会社が主人公になって人間を支配するようになる」「企業のために労働するのでなく、人間が主体になって仕事をする場として企業を考えていくことが必要である」という。「人間が主体になって仕事をする場」。なるほど。もうひとつ株主総会について富山康吉の著作を引用して次のように述べる。「株主総会が会社の最高議決機関であり、そこでは一株一箇の議決権による多数決によって決議がなされること。これが近代株式会社の内部関係についての法理であり、近代資本である産業資本が要求するところであった」。株主総会を形骸化させちゃあいけないよね。

1月某日
 日赤本社にO副社長を訪問。荻島良太君のコンサートチケットの販売目的。あらかじめ秘書に電話で説明したら、「是非買いたい」と。Oさんと荻島さんは同期。同期の堅い絆を再確認。厚労省のHさんが来ていたので同席。亡くなった高原さんのことなど話す。

1月某日
 去年の3月まで大阪大学の教授をしていた元厚労官僚のTさんと内神田の「このじょ」で呑む。ここは庄内料理の店で「このじょ」は庄内弁。意味は忘れました。今度、行ったとき確認します。

 Tさんは「柿木(しもく)庵通信」というのをメールで送ってくる。会うに当たって読んでおこうとプリントアウト。「社会福祉法人はこれからも存続できるのか」「国民皆保険はどのように崩壊していくか?」などのタイトルで先生の考えが展開される。先生は大変な「インテリ」で、私も少なからず尊敬していないわけではないのだが、文章が小難しいのが難点。「難しい」というのは「私の勉強不足で済みません」ということなのだが、「小難しい」というのは「もっとわかりやすく書けよー!」という罵倒の観念も含まれる。

 それはさておき私が注目したのは「2つの踏切事故と損害賠償責任」という小文。認知症の高齢者が家を抜け出しJRの電車に乗り、近くの駅で降車、線路に立ち入って電車にはねられて死亡した事件に関し、JR東海が720万円の損害賠償を請求。名古屋地裁は原告の主張を大筋で認め、遺族に損害賠償を命じた事件だ。先生は「法社会学的な問題として本件を理解したい」として、①JR各社はこのような踏切事故について必ず損害賠償請求をしているのか、②損害賠償請求をする場合としない場合とを分けるメルクマールは何か…、など7項目にわたって疑問を表明している。個人的には、⑦鉄道会社の行為が原因で運行ダイヤが乱れ、損害を被ったという乗客からの損害賠償請求についてはどうか、という疑問に「そーだよなー」と全面的に賛意を示したい。

 呑み会にはフリーライターのKさんも同席。この話題で盛り上がる。先生には「けあZINE」への投稿もお願いする。「易しく書いてよね」というこちらの要望に、「易しく書くのが難しい」だって。

1月某日
 民介協のO専務に神田駅前の軍鶏料理をご馳走になる。なかなか美味。生活福祉環境づくり21のYさんも同席。O専務は富士銀行出身。でも並みの銀行出身者とは一味違う。県立奈良商業を出て富士銀行に就職するが、当時、関西では富士銀行の知名度が低く「なんで静岡の銀行に就職せなならん、南都銀行でも信金でもあるやないか」と親戚のおじさんに言われたという。O専務が頭角をあらわしたのが八重洲支店勤務になってから。当時、八重洲界隈にはK鉄工やDハウスなど関西系企業があり阪神ファン同士で盛り上がったという。

 O専務の話はまだ続くが、この日、立川の社会福祉法人「にんじん」の研究発表会に呼ばれているのでそちらに行くことにする。会場の「女性センター」の場所が分からずに着いたら8時過ぎ。研究発表を2つしか聞けなかった。しかし施設や在宅で働きながら、少しでも利用者のためにサービスを向上させていこうという意欲は十分に伝わった。発表会の後、「にんじん」のI理事長にご馳走になる。元厚労省のNさんやYさんも一緒。

1月某日
 社会保険倶楽部霞が関支部の賀詞交歓会。日本年金機構の副理事長や関東ブロック本部長に挨拶。社保庁OBのK林さんやT辻さん、K沢さん、I田さん、Y田さんたちとも歓談。キャリアではK田さんはじめ、K辺さん、T田さんらが見えていた。久しぶりに元参議院議員のA先生にも会えた。厚年会館でやっていた昔の賀詞交歓会に比べると参加人数はずいぶんと減ったが、その分、アットホームな雰囲気になったかもしれない。

1月某日
 林真理子の「正妻 慶喜と美賀子」(講談社 13年8月)上下巻を読む。徳川最後の将軍、慶喜と公家の今出川家から正夫人として徳川家入りした美賀子の物語だ。幕末の京都の政争や蛤御門の変、長州征討、王政復古、鳥羽伏見の戦などを縦軸に、これはこの小説を読んで初めて知ったことだが、類まれな慶喜の好色さを横軸に物語は展開する。火消しの親方で慶喜の身辺警護を担った新門辰五郎の娘お芳も慶喜の妾となり、京都で慶喜の身の回りの世話をする。鳥羽伏見の戦のあと大阪城へ敗走した幕軍は、いまだに戦意旺盛で無傷の幕府海軍とともに薩長と再戦すれば、歴史の駒はどちらに転ぶか分からなかった。にもかかわらず慶喜は側近とともに海路、江戸へ逃げた。明治維新後、静岡に隠棲した慶喜に美賀子は真相を尋ねる。

 慶喜は仏公使ロッシェと薩摩一国と引き換えに仏軍の応援の密約があったこと、さらに薩長には兵庫港と引き換えに英国から支援の密約があったことをあげ、このまま内戦が長引けば日本は欧米の属国になりかねなかったことをあげる。密約云々は作者の想像力の産物と思われるが、それはそれとして最後の将軍の特異な性格が、その好色さも含めて描き出されている。

1月某日
 「さいごの色街 飛田」(井上理津子 筑摩書房 2011年10月)を読む。大阪市西成区の地下鉄動物園前駅近くの飛田地区には「料亭」が160軒、軒を並べる。この「料亭」、名前は料亭だが中身は売春の場所の提供である。飛田は公認の売春地区であったが、売春防止法により「料亭」に衣替えした。部屋にホステスが客を招き入れ、酒肴を提供する。そこでホステスと客の自由恋愛により性行為が成立する(可能性がある)、ということで売春防止法を免れているということなのだが。東京の吉原も公認の赤線だったが、売春防止法施行後、ソープランド街になった。飛田は20分、15000円。吉原に比べて随分とお手軽である。実質本位の大阪と「体裁」を重んじる東京の差なのだろうか。いろいろ考えさせられた。