1月某日
正月やることもないので本を読む。年末に買っておいた「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」(早坂隆 文春新書 2015年6月)を読む。私はどちらかというと2.26事件を引き起こした青年将校たち、いうところの皇道派に同情的である。理由は簡単でテレビドラマや小説では事件を青年将校のがわから描いたものが圧倒的に多いからだろう。永田鉄山は皇道派と対立した統制派のリーダーであり、2.26事件の前年、皇道派の相沢三郎中佐に白昼、陸軍省軍務局長室で斬殺されている。永田は長野県諏訪の出身。幼少期から頭脳明晰で陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸大を通じて成績優秀だったという。それだけでなく同僚、部下に慕われ、上司の評価も高かった。彼の考えは本書によると決して「好戦的」なものではなく、むしろ戦争を防ぐために国民総動員体制の確立を急いだとされる。彼は機動戦における自動車の重要性に早くから着目、揺籃期にあった自動車産業に陸軍から補助金を出したというエピソードも紹介されている。
皇道派が天皇親政による昭和維新を掲げたのに対し、永田はむしろ議会を重視したようだ。統制派は永田の生前から問題を抱えていた。それは関東軍を中心として陸軍中央のコントロール(統制)が効かなくなってきたことである。関東軍の指導部は石原莞爾、板垣征四郎はじめ統制派が占めていたにも関わらずである。国家社会主義内部の路線闘争として統制派と皇道派をとらえれば、統制派は統制経済による急速な重化学工業化を主張したのに対し、皇道派は昭和恐慌によって疲弊した農村の救済を主張した。皇道派の主張は心情的には理解できるものの昭和初期の日本における経済政策としては統制派に軍配を上げざるを得ないのではないか。2.26事件以降、陸軍は完全に統制派の支配となるのだが、永田なき統制派は、統制なき統制派となり大東亜戦争への道を突き進むことになる。
1月某日
日立製作所の前会長、川村隆の「ザ・ラストマン」(角川書店 2015年3月)を読む。ラストマンとはその組織にとって最後の人、切り札のことである。会社でいえば社長である。川村は69歳で子会社の会長から日立本社の社長に就任、V字回復を成し遂げた。川村は日経新聞の「私の履歴書」にも執筆、それはそれで面白かったが、本書はむしろビジネスパーソンの「心構え」について語っている。といっても堅苦しいものではなくごく平易な言葉で語られているのが特徴だ。大変勉強になったが一つだけ挙げるとすれば「戦略は変えるな、戦術は朝令暮改でよい」というもの。現実への柔軟な対応力と現実を見る高い戦略的視点の重要性を言っている。同じように「君子は豹変す、小人は革面す」という言葉を上げている。「徳の高い人は過ちに気づけば直ちに改めるが、小人は表面上は革めたように見えるが内容は変わらない」という意味だ。もって瞑すべし。
1月某日
図書館で借りた「忘れられたワルツ」(絲山秋子 新潮社 2013年4月)を読む。7編の短編が収められている。最初の「恋愛雑用論」を読みだして「あれっ読んだことある」と気づいた。たぶん出版された直後、図書館で借りて読んだんだろう。でもストーリーはほとんど覚えていない。だから最後まで楽しませてもらった。
1月某日
向田邦子の「無名仮名人名録」(文春文庫 2015年12月新装版)を本屋で見かけてためらわずに購入した。昔「だいこんの花」や「寺内貫太郎一家」といった向田作のテレビドラマをよく見た覚えがある。あれは何時頃なんだろう、30年も前かしらと思って、カバーの著者紹介を見ると、向田は昭和4(1929)年生まれ、55年に直木賞受賞、56年に航空機事故で急逝している。ということは35年前に死んでいるんだ。私が見たドラマは35年から40年前のものなのか。あの頃は比較的早く家に帰っていたということでもある。向田邦子って頭がよさそうで嫌味がなさそうで料理がうまそうではっきり言って私の好みではあるのだが、生きていれば今年87歳だからね。それはともかく彼女の感覚や文体の瑞々しさといったら、ちょっと比類すべきものがないのじゃないかな。なんでもない日常茶飯のことでも彼女の手にかかるとひとりでに輝きだしてしまうようなそんなエッセーでした。