社長の酒中日記 2月その1

2月某日
「イスラム国」に囚われていた後藤健二さんの処刑がネットで確認され、テレビは朝からそのニュースで持ちきりだ。もちろん誰にも人の命を奪う権利などはない。イスラム国の今回およびこれまでの「蛮行」は文明に対する許しがたい挑戦であることは確かだ。イスラム国に対する空爆や周辺国に対する援助の強化も必要であろう。しかしイスラム国がシリア、イラクの広範な地域に「国家」を樹立したことをどう考えるかが大事なのではないか?シリアのアサド政権の圧政、スンニ派とシーア派の抗争、それに根底にはこれらの地域の貧困があるのではないか?原油価格が下がったとはいっても、オイルマネーはこれらの地域では貴重な収入源なはず。それが貧富の差を拡大していることはないのか?民衆の生活向上に回っているのだろうか?処刑に対する怒りだけではなく、イスラム国を生み出す背景にまで迫った冷静な分析が必要と思うのだが。

2月某日
「地域包括ケアの構築と住民参加」というシンポジウムを聞きに行く。保険者事例報告は北海道喜茂別町の東原弘行氏の「テレビ電話・IP告知端末を活用した健康管理や見守りシステム」武蔵野市の笹井肇氏の「まちぐるみの支え合いの仕組みとしての地域包括ケア」、富士宮市の土屋幸己氏の「地域包括ケアシステムの考え方とその実践」はそれぞれ興味深かったが、わたしはフォーマルなサービス連携だけでなくインフォーマルなケアの担い手に着目した土屋氏の話が面白かった。私も今年67歳、近所を見回しても一人暮らしの老人が急に増えているし、介護は他人事ではないのだ。わたしたち団塊の世代が75歳となる2025年に向けて、税金と介護保険によるフォーマルなサービスだけではなく、土屋氏の言う地域住民等の「コモンな互助」が必要になってくると強く感じるからだ。
パネルディスカッションでは堀田聡子氏の「欧米では親子の扶養の義務感がないだけ親子の関係が崩れにくい。日本は義務感にしばられているためいったん親子の関係が崩れると脆い」という話が面白かった。また夕張市民病院の医師で現在は鹿児島で「医療介護塾」を主宰している森田洋之氏が「夕張市は高齢化率46%を超え、高齢世帯率は6割、高齢独居は3割。だが高齢者は生き生きと暮らしているし、重度の認知症のおばあちゃんが向かいの家の雪かきを自分の仕事として認識して毎日やっている」と語り「介護されることが果たして幸せなのだろうか?」と疑問を投げかけていた。

2月某日
社会保険出版社の高本社長から「筒井孝子先生に原稿を頼みたいのだけれど」と相談される。筒井先生とは5年ほど前、当時、筑波大学の教授だった江口先生(現在は神奈川大学)の紹介で会ったのが最初。社会保険研究所が版元となって筒井先生の「地域包括ケアのサイエンス」を出版した時も当社の迫田が編集を担当した。先生はその間、保健医療科学院の主任研究官だったが、昨年、兵庫県立大学に転じている。先生の携帯に電話をすると快く会ってくれるという返事。しかも打合せが重なっているので当社まで出向いてくれるという。高本社長と社会保険出版社の担当編集者も当社に来てもらう。原稿は連載で1年間、地域包括をテーマにという注文だった。筒井先生は快諾した後「8時から打合せがあるのよ」と風のように去って行った。残された私と高本社長、担当編集者の須賀君は当社の迫田、打合せに来ていたフリーライターの沢見さんを誘って近くの居酒屋へ。今年初めて「なまこ」をいただくが、もう少しコリッとしているほうが美味しい。

2月某日
元年金住宅福祉協会の小峰昇さんがミサワインターナショナルを退職することになった。小峰さんは、今から25年ほど前、私が日本プレハブ新聞社で業界紙の記者をしていたときに知り合った。あるとき、「君は早稲田の政経学部出身というが鈴木基司を知っているか?」と聞かれたが、鈴木さんは私の1年上で一緒に革マルとの内ゲバを闘った仲。小峰さんは群馬県前橋市で鈴木さんと高校生運動で一緒で、それから急速に仲良くなった。その小峰さんから「森田君、生涯一記者もいいけれど、新しい会社が出来たので行ってみないか?」と誘われたのが今の会社、年友企画だ。
わたしが入ったころは年金住宅融資も社会保険も伸び盛り。しかもほとんどが随意契約で「ノーリスク・ハイリターン」の仕事をさせてもらった。給料も私のような学生運動の活動家崩れにはもったいない額をいただいた。しかし上手くしたもので小泉改革以降、舞台は暗転、年金住宅融資も社会保険庁も廃止された。しかし今の私を支えてくれているネットワークは、現在の会社に入ってから形成されたものがほとんど。つまり小峰さんとの出会いがなければ今の私はないと言っても過言ではない。そんなことで小峰さんの退職を祝う会を企画することにした。ところが小峰さんから「「祝う会」はダメ「小峰さんの退職を口実にみんなで一杯やる会」なら私も会費を払って参加する」との申し出があり、そうさせてもらうことにした。
当日は雨にもかかわらず、23人ほどが竹橋のホテルKKR東京「さくらの間」に参集、盛会であった。旧厚生省からは元参議院議員の阿部さん、元年金局長の吉武さん、元社会援護局長の中村さん、元保険局長の木倉さんが参加、旧建設省住宅局からは小川さん、合田さんが参加、住宅業界からは加藤さん、小山さん、岡田さん、望月さん、桑原さんらが参加、小峰さんのあいさつも素晴らしく、なかなか素敵な会だった。高齢者住宅財団の落合さんから「仕事で行けないが2次会に行くなら声かけて」の連絡があったので、吉武、合田と3人で葡萄舎へ。ほどなく落合さんが来て、3人で乾杯。わたしと吉武さんは3次会へ。

2月某日
SMSの介護業界の経営者、管理者向けのサイト「けあマスト」を立ち上げることになり、今日は大田区蒲田のカラーズの田尻社長の取材。詳しくはサイトを見ていただきたいが田尻さんのこだわりの一つは人材。というか介護業界は人材の確保と育成につきると言ってよいのではないか?問題は市場が「質の競争」となっていないところにあると思う。話は変わるが田尻さんの夫は、私と同郷の北海道室蘭市出身。彼は進学校の室蘭栄高校を卒業後、東京学芸大学数学科に進学。シャンソン歌手となったという変わり種。今や3児の父でもある。取材後、神田へ。愛知県で家具の転倒防止をやっている児玉道子さんがHCMの森社長と「福一」で待っている。わたしが着いたのが6時半過ぎ。2人はすでに出来上がっていた。

2月某日
先日亡くなった宮尾登美子の「天璋院篤姫」上下(講談社文庫)を読む。宮尾登美子は昔よく読んだ。「岩伍覚書」とか「朱夏」ね。どちらも自伝的な小説で前者は娼妓のあっせんを業とする親子の話、後者は確か結婚して満州に渡った著者の半生を描いたものだ。対して「天璋院篤姫」は薩摩藩の分家、今泉家から島津斉彬の養女となり、のち13代将軍、家定の御台所となる篤姫の物語だ。斉彬の養女となってからもいったんは近衛家の養女となってから大奥入りするなどいろいろとややこしいのだが、やはり宮尾登美子というべきか、しっかりと読ませる。前半は篤姫の成長譚、ビルドゥイングスロマン、後半は何と言っても、未亡人となった篤姫と、14代将軍家茂に輿入れした皇女和宮との嫁姑の物語である。そうなのだが和宮は京都から何十人も侍女を連れて行ったものだから、江戸派と京都派に大奥を二分する闘いとなる。
もともと篤姫は、家定の後継に水戸の徳川斉昭の男子である徳川慶喜を擁立するために、島津斉彬から大奥に送り込まれたのだが、慶喜はこの物語で徹底して敵役となっている。考えてみると鳥羽伏見の戦いに幕軍が敗れ大阪城に退いたとき、幕軍の大勢は薩長との雪辱戦に向かっていたが、慶喜は数人の側近とともに軍艦で密かに江戸へ逃げ帰った。確かに将としては如何なものかと思わせる。鳥羽伏見の戦い後、江戸城の表、幕閣は政治的に機能しなくなるのだが、大奥は篤姫の元、一糸乱れぬ統率を保つ。篤姫は徳川家に輿入れした嫁として実家の薩摩の攻撃により斃れても止む無しという考えだ。江戸城の明け渡し後、和宮は京都に帰り、篤姫も徳川家の当主となった田安(徳川)亀之助と同居する。明治天皇が江戸を首都としたことから和宮も江戸、東京に帰って来て、平穏な嫁姑関係となる。別の本で読んだことがあるが、勝海舟の屋敷を篤姫と和宮が訪ね、昼食となった。お櫃からご飯をよそうとき、篤姫と和宮が「わたしがわたしが」といって譲らなかったという。勝がお櫃をもう一つ用意して互いによそいあったという。くだらないけど「女の意地」というか面白い。

2月某日
青梅線の可部駅の近くにある介護事業所「こころの広場」の井上社長を取材。千葉県我孫子市の我が家から2時間半はかかった。井上さんは東京福祉専門学校の卒業生。卒業後、特養に勤めたが入居者への職員の態度等、「何か違う」と退職、トラックの運転手に。2年後に別の特養へ。また「何か違う」とトラック運転手へ。そして介護保険がスタートするころ訪問介護事業所を立ち上げた。介護業界には魅力的な人が多い。医療・看護に比べると給料も低いし、介護福祉士養成系の大学や専門学校の偏差値も高いとは言えない。このことは何を意味するか?人間は収入の多寡、学歴の高低では測れないという当たり前のことをわからせてくれるのだ。
夕方、健康・生きがいづくり財団の大谷常務が、健康・生きがいづくりアドバイサーの「バッチ」を作りたいのだがと相談に来る。アドバイサーにとってどんなデザインが適当か内部で議論が必要ではと答える。打合せ終了後、神田駅近くの「千両箱」へ飲みに行く。ここは刺身が旨い。「うまずらはぎ」の刺身がおすすめで確かにうまかった。寒かったので熱燗2合徳利を2人で3本。