社長の酒中日記 4月その3

4月某日
結核予防会の竹下専務と高田馬場の「だるま」で5時半くらいから呑み始める。竹下さんとは30年来の付き合い。この間、一緒に呑んだ回数はもっとも多いのではないか。よく飽きないものである。焼き鳥をつまみに秋田県由利本庄の「天寿」、東北大震災で蔵元自体が福島から山形へ引っ越した「親父の小言」などを呑む。

4月某日
「介護職による看取り、およびグリーフケアのあり方に関する調査研究」を一般社団法人のセルフ・ケア・ネットワークとやることになった。社会保険福祉協会が助成してくれることになり、関西学院大学の坂口先生に全般的な監修をお願いすることにする。明日、朝の9時半に先生の研究室にうかがうことになっているので神戸に泊まることにする。旅行代理店に頼んだが手ごろなホテルがどこも一杯で「ケーニヒスクローネホテル」がやっととれた。朝食付きで1泊1万2、3000円だったと思う。当社の出張規定では宿泊費は一律9500円だから差額は自腹である。昔仲人をした佐々木健君がこっちに住んでいるので呑みに行くことにする。ホテルに迎えに来てくれた佐々木君が「なんでこんなお洒落なホテルに泊まっているんすか」と驚くほどのホテルである。あとで調べたら「ケーニヒスクローネ」とは神戸の有名な洋菓子屋さんらしい。三宮の居酒屋で新鮮な刺身と灘のお酒を御馳走になる。

4月某日
坂口先生をセルフ・ケア・ネットワーク(以下SCNと略)の高本代表理事と訪ねる。調査にいろいろとアドバイスをいただき監修も引き受けてもらった。三宮に戻り生田神社に参拝。お昼ご飯を高本代表理事に御馳走になる。インタビュー調査のため尾道へ。福山で「のぞみ」から「こだま」に乗り換え新尾道へ。新尾道からバスで尾道へ。最初のインタビューは在宅医療やチーム医療の先駆者である片山先生。片山先生は診察があるのでインタビューは6時から。それまで時間があるので私は尾道の繁華街を散策。小洒落た喫茶店でビールをいただく。尾道ゆかりの作家、林芙美子の坐像も見ることができた。片山先生からは「主治医の立場」での在宅緩和ケアや長期にわたるグリーフケアの話を伺うことができた。グリーフケアというのは人間同士のマナーであり、ヒューマニィティとフィロソフィーが必要という話が印象に残った。片山医院からタクシーで黒瀬歯科医院へ。歯科医院の前で先生と奥さんが待っていてくれる。内装を黒で統一したお洒落なレストランに案内される。地元の食材をふんだんに使った創作料理と広島の日本酒をいただく。口腔ケアや医科と歯科、歯科と介護の連携の話も伺ったのだが、料理と酒に夢中で覚えていない。近くのバーに寄って私はウイスキーのソーダ割りを頼む。先生はウオッカベースのモスコーミュール。すっかり御馳走になってしまった。

4月某日
早起きして尾道の港のほうを散策。尾道は「しまなみ海道」の起点。サイクリング客の誘致に力を入れている。港の空き倉庫を改修してホテルにしている。1階はレストラン、喫茶、物産店になっている。私は尾道の柑橘類と野菜を買う。11時に昨夜の黒瀬先生に紹介された小規模多機能「森のクマさん」を訪問。看護師で地区統括本部長の佐古田さん社会保険労務士でこの施設を運営するブレークスルーの相川社長が応対してくれた。佐古田さんは「誰にでも死は必ず来る。入居施設として入居者の最期まで責任を持ちたい」と語り、当初は介護職も看取りには抵抗があり、辞めていく職員もいたが1年半たつと職員の離職率はずいぶん減ったという。「疾患や障害しか見てこなかったのが入居者を全人的にみられるようになったからだと思う」と語ってくれた。昼食を近くのイタリアンレストランで御馳走になる。私はあさりのスパッゲティをいただく。非常においしかった。相川社長によると尾道の飲食店は総じて平均点が高いということだった。古くから港町として栄えてきたこととも関係するのだろうが文化度が高いのだ。
東京へ帰る高本さんと別れ、私は名古屋へ。名古屋では社会福祉士でケアマネの小藤さんに「対人援助DVD」の制作について相談。その後、児玉道子さんとその夫の隆夫さん、それから隆夫さんの社会福祉士の研修仲間と沖縄料理の居酒屋へ行く。沖縄出身者が集まる店のようで沖縄方言、うちなー口が飛び交っていた。若い人たちと呑めて楽しかった。

4月某日
3泊4日の出張も終わり。今日は日曜日なので東京駅から我孫子へ直帰。我孫子の駅前の「しちりん」と「愛花」による。

4月某日
映像プロデューサーの横溝さんと社会保険福祉協会の内田さん、岩崎さんと4人で西国分寺の社会福祉法人にんじんの会が運営する「にんじんホーム」を訪問。理事長の石川さんと介護事業者のための危機管理をテーマとしたDVDの教材の製作の打合せのためだ。にんじんの会の在宅サービスの職員、老健や特養、グループホームの職員も参加してディスカッション。老健のドクターやナースも参加したので医療的な危機管理についても話すことができた。終わって横溝君は次の打合せへ。社会保険福祉協会の2人と私は西国駅前の割烹で理事長に御馳走になる。新潟の酒と肴が絶品だった。

4月某日
厚生労働省の武田審議官を訪ねて1階のゲートを出ようとすると共同通信の城から声を掛けられる。今日、健康生きがい財団の大谷常務と福井Cネットの松永さんと呑むという。私も予定した呑み会が先方の体調不良で中止になったこともあって参加することに。会社近くのレストランかまくら橋に6時に行くと「今日は貸切です」と断られる。同じビルの地下1階の津軽料理の店「跳人」にする。6時半ころ大谷さんと松永さんが到着。遅れて城が参加。松永さんは福井県で障碍者の就労に取り組んでいる。松永さんと話していると障碍者の問題は健常者の問題であり、市民社会全体の問題であることがよくわかる。

4月某日
今日は「緑の日」で休日なのだが東京福祉専門学校の白井孝子先生に用があるので出社。西葛西の東京福祉専門学校へ。大谷さんにも付き合ってもらう。キタジマ印刷の金子さんのところへ。金子さんにも休日出勤してもらう。キタジマ印刷は都営地下鉄の森下の近く。近辺には良さげな呑み屋さんが多いのだが、休日の4時過ぎということで空いている店が少ない。いっそのことと京成立石まで足を伸ばすことにする。「中みっちゃん」という居酒屋に入り、ビール、お酒、ニラ玉、アジのなめろう、ホウレンソウのバター炒めなどをいただく。安くておいしかった。

4月某日
「舟を編む」(三浦しおん 光文社文庫 15年3月 単行本初版は11年9月)を読む。玄武書房に勤める馬締光也青年が国語辞書「大渡海」の制作のために辞書編集部に異動する。下宿の女主人との交流、その孫娘との出会い、恋愛、結婚、同僚、先輩、編集顧問の老いた国語学者たちとのさまざまなエピソードがこの小説に大小の起伏を与えている。馬締は自らがノメリコムことができる「辞書作り」という仕事につけて幸せであった。私自身のことを言うのはいささか憚られるが、私も介護や福祉というジャンルに雑誌作りを通して出会えることができて幸せであった。

4月某日
私が理事をやっている高田馬場の社会福祉法人サンで理事長の西村さんと評議員で税理士の伊藤さん、理事で弁護士の川島さんと打合せ。ここの社会福祉法人は職員はもとよりほとんど無報酬の理事や評議員によっても支えられていることを実感する。打合せを終わって有楽町電気ビル地下1階の「あい谷」へ。ここは10数年通っているが今日が閉店ということだ。新宿に「あぐら」という店があり、厚生省の官僚がよく使っていた。そこの雇われママさんのような人が「あい谷」でもママさん役をやっていた。今日聞くと経営者のマスターは当時学研の社員で客として「あぐら」に来ていたという。おそらく脱サラして「あい谷」を始めたものと思われる。阿曽沼氏と南極の氷でウイスキーを呑む会をやったり、私の母校である室蘭東高校の首都圏同級会をやったりいろいろと思い出のある店だ。さみしいが店も客も老いてゆくのだ。