6月某日
「介護職の看取り・グリーフケアの実態調査」でソラスト世田谷のサービス提供責任者の村上さんを桜新町のオフィスに訪問。桜新町は「国民的」マンガ「サザエさん」の作者、長谷川町子が住んでいた町で長谷川町子美術館もある。地下鉄の出口を出るとサザエさん一家の銅像が出迎えてくれる。15分ほど歩いてオフィスへ。村上さんが笑顔で迎えてくれる。世田谷区は区民の所得が高い。ということは従業員の人員確保が難しく、その一方で介護保険外のサービスのニーズが高いという特徴がある。村上さんは介護職について10数年の経験があるが、前職はゴルフのキャディ。それも名門、読売カントリー。よみうりのキャディはマナーのなっていない客は叱り飛ばすという噂があったが、それほど自分の仕事に誇りを持っているということなのだろう。村上さんはおそらく同じ想いを介護職に持っているにちがいない。介護の仕事について含蓄のある話を聞かせてもらった。
今日はさらに「へるぱ!」の取材で新橋の医療法人・悠翔会へ。理事長の佐々木先生へインタビュー。先生は30代後半の精悍な顔立ち。急性期病院ではなくなぜ在宅診療なのかを熱く語ってもらった。介護職の村上さんにも言えることだが、自分の仕事に誇りを持っている人は他者にやさしく謙虚だ。だから本当の意味での多職種連携ができるのだと思う。それから車で神田錦町の「由利本庄市うまいもの酒場」へ。由利本荘の地酒をしこたま飲む。根津の「ふらここ」で川村学院の吉武副学長と待ち合わせていたが、吉武さんが着いた頃には私はかなり酔っていてよく覚えていない。反省!
6月某日
中野剛志の「国力論―経済ナショナリズムの系譜」(以文社 08年5月)を読む。私は経済学を系統的に学んだわけではない(もちろん経済学以外の学問についても同じ)が、最近のアベノミクス、低金利、円安、グローバリズムといった経済の新しい潮流を見聞きするにつれ、経済現象を正しく読み解かなければならないと思ってしまう。そんな関心から岩井克人、水野和夫、浜矩子などの本を読むことが多いが、中野剛志もその一人。中野は東大教養学部卒、通商産業省入省。ウイキペディアによるとまだ経産省の現役官僚らしい。学部生のときに佐藤誠三郎の指導を受け、そして10年以上にわたって西部邁の薫陶を受けたという。ということは筋金入りの保守の論客と言うことになるが、保守vs革新という対立構造が意味をなさなくなって久しいと思っている私にとってはどうでもいい話である。さて本書の内容だが、「今日、世界中の大学の経済学部で標準的な理論として教えられる」主流派経済学=新古典派経済学に対して経済ナショナリズムを真向から対峙させたものである。経済ナショナリズムの源流はアレクサンダー・ハミルトンとフリードリヒ・リストにあり、彼らには「経済発展の原動力は、ネイションから生み出される力(国力)であり、そしてネイションの力を強化するには経済発展が必要である」という政治経済観、信念があった。これを受けて著者は、ヒューム、ヘーゲル、マーシャルの思想の跡をたどる。そしてマーシャル以降もネイションと経済のダイナミックな関係に気づいた数少ない経済学者として、ケインズ、ロビンソン、ミュルダール、クズネッツの理論に含まれる経済ナショナリズムに光を当てる。経済学の門外漢たる私にとって十全に内容が理解されたとは言い難いが、今後も関心を持っていきたい分野であることは確かだ。
6月某日
「外交の大問題」(鈴木宗男 小学館新書 15年6月)を読む。鈴木宗男は例の鈴木宗男事件が起こるまで地元以外では嫌われ者であった。私もほとんど評価していなかった。しかし「国策逮捕」後、評価は一変したように思う。これは同時に逮捕された外務省の佐藤優(本書でも鈴木と対談している)の存在が大きい。彼の獄中記をはじめとする一連のドキュメントが多くの国民をして「悪いのは外務省ではないか」と考えを変えさせたのだ。で本書は鈴木の体験したキルギス人質事件や北方領土交渉が語られるのだが、私にはさほどの新鮮味はなかった。やはり鈴木宗男は論理で語るより情に訴えたほうが迫力がある。
6月某日
八重洲北口のビモンに6時に着。生ビールを頼む。ほどなく元全社協の副会長で現在、損保会社の顧問をやりながら社会福祉法人の会長をやっている小林和弘さんが来る。社会福祉法人の経営についていろいろ教えてもらう。2人でワインを呑んでいると元次官の阿曽沼氏が登場。上智大学で会議だったらしい。日帰りで京都に帰るということなので東京駅近くに場所を設定したわけ。8時過ぎにお開き。阿曽沼氏は無事、京都へ帰れただろうか?
6月某日
阿曽沼さんも年金改革などで荻島國男さんに薫陶を受けたと思う。荻島さんは児童手当課長の次に水道環境部の計画課長に就任、廃棄物処理法案を仕上げた。だがこのころ築地のがんセンターに入院した。当時私が編集に携わっていた「年金と住宅」(財団法人年金住宅福祉協会)に連載をお願いした。タイトルは正岡子規の「病中六尺」を模して「病中閑話」とした。原稿は病室に取りに行ったり郵送されたりした。病室でまだ中学生だった良太君に会ったこともある。亡くなる直前に病室に行ったら奥さんの道子さんが「死に顔を見てもしようがないから顔を見て行って」とベッドへ案内してくれた。荻島さんはモルヒネで朦朧となりながらも「原稿、今は書けないんだ」と私に告げた。がんセンターから新橋、厚生省の前まで歩いた。荻島さんが死ぬというのに厚生省は何事もなかったようにこうこうと灯りを点けていた。腹立たしくも不思議な気持がしたことを覚えている。
6月某日
高齢者住宅財団の落合さんは長いことフラメンコダンスを習っていて、毎年リサイタルの切符を送っていただく。去年は私の体調不良(二日酔い)で欠席したので、今年は満を持して出席の筈だったが開演が7時半からだったのでつい一杯やっていたら会場の伊勢丹会館に着いたら、すでに始まっていた。元国土交通省の合田さん、元厚生労働省の宮島さんも来ていた。彼らによると落合さんの見せ場は終わったということらしい。それでも落合さんの踊りのシーンはいくつか見ることができた。踊りもよかったがギター(いわねさとし)、能で言うと謡のようなカンテ(森薫里)がよかった。雨が降ってきたので呑みには行かず解散。
6月某日
「介護職の看取り、グリーフケア」のインタビュー調査で地域密着型特養ホームつきしまを訪問する。長岡福祉協会首都圏事業部の統括施設長、笹川美由紀さんをインタビューするためだ。SCNの高本代表と市川さんが一緒だ。地下鉄の月島駅前に再開発されたキャピタルゲートプレイスザ・モールの3階、4階が長岡福祉協会の運営するケアサポートセンターつきしまで定員29人の特養と定員6人のショートステイ、いずれも個室だ。笹川さんのインタビューを通じて今まで漠然と感じていたことが確信に変わったように思う。それは利用者の尊厳を重んじ十分なケアを行うことが、手厚い看取り、遺族のグリーフケアに繋がるということだ。看取り加算が付くからと言って終末期に手厚い介護を行うというのはやはり違う。日常の十全なケアの延長線上に看取りケアはあるのだと思う。ここの特徴のひとつは食事が充実していること。ある日の夕食メニューは野菜の煮物(鶏肉・ちくわ・かぼちゃ・里芋・人参・椎茸・ごぼう)、なすと小松菜のピーナッツ和え、お漬物にご飯とみそ汁だ。インタビュー後施設を案内してくれた鈴木チーフリーダー(20代の好青年)は、「ご飯をたくさん召し上がっていただけます。要介護度軽くなる方もいらっしゃいます」と誇らしげに語ってくれた。中央区在住の高本代表はしきりに老後は「私もここに入りたい」と言っていた。
6月某日
佐伯啓思の「日本の宿命」(新潮新書13年1月刊)を読む。「新潮45」2011年9月号~2012年5月号の連載に加筆を施したもの。佐伯啓思は東大経済学部卒。京都大学名誉教授。、西部邁や村上誠亮に師事したとウィキペディアにある。「新潮45」の常連執筆者だから保守派には間違いない。開国、明治維新、文明開化、敗戦、占領、そしてアメリカをどうとらえるかについて佐伯の考えはたいそう参考になった。佐伯の考えは林房雄の「大東亜戦争肯定論」に近い。この論文は確か私が高校生の頃、雑誌「中央公論」に掲載されたもので、当時の左翼少年だった私は「とんでもない!」と怒ったものだ。しかし今は林の考え方に共感するところが多い。国、それは国家=ステートというより邦=クニに近いかもしれない。私らにとってクニ、ナショナルなものこそ思想の基礎となると思い始めたのである。いずれにしても日本が前世紀に中国大陸や東南アジアで戦ったいくさについては、戦後的な価値観だけではなく、世界史、そのなかの東アジア史、そのなかの日本史の中できちんと位置づける必要がある。
6月某日
芝公園にある住友不動産タワー。あたりを睥睨するかのごとく聳えたっている。家賃も高いに違いない。そのタワービルの3フロアを占めているのが昨年から当社のクライアントになったSMS社。いつもは当社のスタッフと連れ立って訪問するのだが今日は1人。SMS社のスタッフも訪問する人たちも私の息子くらいの年恰好。待合室で待っている間もどうも居心地が悪い。時間になって長久保さんが来る。女性スタッフが妊娠、出産、育児休業に入ると挨拶に来る。やはり若い会社なんだなー。