8月某日
図書館から借りた「里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く」(角川oneテーマ21 13年7月 藻谷浩介・NHK広島取材班)を読む。今から3年前に出版された本だが、「地方から考える社会保障フォーラム」のテーマとして「里山資本主義」はどうかと思い、図書館から借りた。里山資本主義はマネー資本主義の対極にある概念である。マネー資本主義とは金融が支配するアメリカ的なグローバリズム経済のことで強欲資本主義とほとんど同義と私は感じた。「里山資本主義」は「足るを知る」経済である。岡山市内から車で1時間半、中国山地の山あいにある岡山県真庭市が舞台だ。建材メーカーの銘建工業が、建材の製造過程で出てくる木くずに着目、「木質バイオマス発電」に挑戦、発電所は24時間フル稼働で、出力は1時間に2000キロワット、一般家庭2000世帯分という。発電だけでは使い切れない木くずは円筒状のペレットに圧縮され、一般家庭の暖房用や農業用ハウスのボイラー燃料として売り出される。これは木材資源の豊富な中国山地の山あいだから成立する特殊解なのだろうか?真庭のような例は特殊解ではなく日本全国に通用する一般解であると藻谷は論ずるのだが、藻谷の射程は空間的にはグローバルに広がっているし、時間的には50年後を見据えている。
8月某日
SMSの発行する「カイポケMagazine」の取材、「介護事業者のICTへの取組み」で日本政策金融公庫総合研究所の竹内英二主席研究員に会う。場所は会社から歩いて5分の大手町ファイナンシャルシティのノースタワー。午後、同じテーマで大田区の介護事業所「カラーズ」の田尻社長に取材する。取材して分かったことはICTは目的ではなく、経営合理化の手段であること。手段ではあるがICTによって組織のムリムダを排除していかないと事業者は市場から退去せざるを得ないこと、ICTの導入にあたってはボトムアップではなくトップダウンでやらなければうまくいかないことなどだ。
夕方、川村女子大学の吉武民樹先生から「モリちゃん、「ふらここ」へ行こうよ。9時頃行くから」という電話。「私は6時半ころ三河島で人に会ってそのまま我孫子へ帰るつもり」と返事すると「いいじゃないか。じゃ9時頃ね」と電話を切られる。仕方がないので時間をつぶして9時頃「ふらここ」へ。しばらくして吉武先生が果物を抱えて登場。私は時間つぶしにワインを6杯も吞んでいるのでほとんど酩酊状態。タクシーで帰る。
8月某日
年住協の川崎理事長へ挨拶。川崎理事長は厚生省のキャリアだが社会保険庁の経理課長や総務課長、次長も経験し保険庁のノンキャリアにも共通の知人がいる。亡くなった葛原さんとは麻雀の卓をよく囲んだようだ。国民年金福祉協会の理事長もやったということでそのときは浅岡さんが下にいたという。午後、国保中央会に入札の資料を取りに行く。そのついでと言ったらなんですが、新しく国保中央会の理事長になった原勝則さんに挨拶、原さんは理事長室で打合せ中だったが、わざわざ部屋から出てきてくれた。夕方、当社の大山専務、三菱東京UFI銀行神保町支社の当社担当のマキエ君と3人で「ビアレストランかまくら橋」で吞むことになっている。マキエ君からは「少し遅れます」との連絡があったが私と大山専務は6時から「かまくら橋」で吞むことにする。7時近くにマキエ君は到着したがそのころには私も大山専務も出来上がっていた。
8月某日
土曜日だが出社。15時から「新木正人君を偲ぶ会」に出席するために四谷の「プラザエフ」(主婦会館)に行く。新木という人を私は全く知らない。もちろん生前会ったこともない。しかし早稲田で1年上だった鈴木基司さんや高橋ハムさんが発起人に名を連ねているうえ、大谷さんから「「遠くまでいくんだ」の人だよ、一緒に行こう」と言われて顔を出すことにした。会場に着くと大谷さんが案内してくれた。慈恵学園の平田さんや元社会保険研究所の金山さんなど懐かしい顔に出会う。詩人の佐々木幹郎も来ていて挨拶していた。佐々木幹郎は1967年の10.8(ジュッパチと読む、10月8日のこと)羽田闘争で死んだ山崎博昭と大阪の大手前高校の同級生。「遠くまで行くんだ」は中核派の運動から離れた人が多かったようだが基司さんやハムさんもセクト中心の学生運動に疑問を抱き、早稲田で反戦連合を組織した。それはさておき新木という人は定時制高校の先生を長く勤めた人だという。いろいろな人が挨拶していたが、故人の人柄だと思うが「みんなに好かれていたんだな」ということが分かるスピーチだった。