11月某日
健診なので東新宿のフィオーレへ朝食を摂らずに直行。本人確認などIT化が進んで進行がスムースに行くようになった。検査技師(ほとんどが女性)はじめ職員の態度も好感が持てた。会社へ戻る途中、京都大学の理事をやっている阿曽沼さんから電話、「後程連絡します」と返す。1時間ほど時間がとれそうなので丸の内北口の丸善内にある喫茶店で会う。私の近況や愚痴を一方的に話す。4時過ぎに年住協の森理事が来社。介護職の医療行為に関わる研修を実施するにはどうしたらいいのか聞きに来た。当社の迫田が説明、浴風会ケアスクールが研修機関になっているので、しかるべき人を紹介することを約束。元厚労省の川邉さんと「ビアレストランかまくら橋」で歓談。
11月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」が社会保険研究所の会議室で行われているので聞きに行く。和光市の東内京一保健福祉部長の「和光市における超高齢化社会に対応した地域包括ケアシステムの実践―マクロの計画策定とミクロのケアマネジメント支援」が面白かった。興味深かったところをピックアップすると、介護保険事業計画の策定に当たっては「日常生活圏域ニーズ調査を実施し、地域の課題・ニーズを的確に把握」する。この調査は郵送と未回収者への訪問による調査で「どの圏域に、どのようなニーズをもった高齢者が、どの程度生活しているか」調査する。具体的な調査項目としては身体機能・日常生活機能、住まいの状況、認知症状、疾病状況などで、この結果をもとに地域の課題や必要となるサービスを把握・分析する。こうした調査をもとにして介護保険事業計画が策定されるのだが、和光市の第6期基本方針は次のようなものだ。①「介護予防」及び「要介護度の重度化予防」による自立支援の一層の推進②在宅介護と在宅医療の連携および施設や病院における入退院時の連携を、ICTの活用とコミュニティケア会議により高次化することによる在宅介護の限界点の向上③地域包括ケアシステムの構築を念頭に置いた地域密着型サービス拠点の整備と地域における互助力の充実を図ることによる、サービス提供事業者と地域互助力との協働による介護予防・日常生活支援総合事業の推進④地域及び個人の課題を解決するための地域包括支援センターによる包括ケアマネジメントの推進と、さらなる機能化⑤認知症を発症しても地域で暮らし続けられるよう、認知症高齢者の全ての状態に対応することができる地域体制の構築⑥高齢者介護・障碍者福祉・子ども子育て支援・生活困窮者施策を一元的にマネジメントする「統合型地域包括支援センター」の設置による「地域包括ケアシステムの包括化」の実現。
和光市はこうした基本方針のもとさまざまなサービス(基本は在宅サービス)を」展開しているがその基本は「尊厳の保持」や国民の義務としての「心身能力の維持向上」といった介護保険法の本質理解にあるということだった。基本に帰るというのはなにごとにおいても原則なのだ。懇親会を途中で失礼して民介協の扇田専務の待っている神田駅南口の「魚屋道場」へ。扇田さんの富士銀行同期生、横井さんとSCNの高本代表理事に合流。元銀行員と高本さんの掛け合いがなんとも面白い。扇田専務にすっかり御馳走になる。
11月某日
図書館で借りた「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子 朝日出版社 09年7月)を読む。図書館でたまたま手に取った本だが、なぜか面白そうだった。ひとつは東京大学文学部教授である著者の歴史講義のドキュメントではあるが、講義の対象が東大の学部生や院生ではなく栄光学園の中学1年生から高校2年生までという点。栄光学園の生徒だからもちろん偏差値は高いが歴史に関する知識は我々と大差ない。むしろ中高生向けの講義が市民向けとして十二分に機能しているように感じられた。市民向けと銘打つとイデオロギー過剰になりがちなところがあるような気がする。右にしろ左にしろ。その点本書はイデオロギーではなく科学としての歴史叙述がされているようだった。明治以降の日本の対外戦争を、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争に分けて論じられる。資料の使い方が私が歴史を学んだ50年前とはずいぶん違う。「岩手県における戦死者数推移」というグラフでは、太平洋戦争開戦から敗戦まで岩手県全体で3万724人が亡くなっているがそのうち44年以降の戦死者が87.6%を占めている。制空権も制海権も失った44年以降の戦死者が9割近いのである。
著者は言う。「44年から敗戦までの1年半の間に、9割の戦死者を出して、そしてその9割の戦死者は、遠い戦場で亡くなったわけですね」。日本古来からの慰霊の考え方は、「異郷で人知れず非業の死を遂げるとこうした死は、たたる、と考えられていた」と著者はいう。戦死者の霊魂の話は本書の主たるテーマではない。著者の意図は明治以降の対外戦争を最新の資料を駆使しながら科学的に解明するということだと思う。だがその底流には敵味方問わず非業の死を遂げた者たち、遺族への鎮魂の思いが深く存在するように思われる。
11月某日
介護保険の請求に関わる帳票類のチェックをSMSに頼まれる。残念ながら当社にはそのノウハウがないので、社会福祉法人にんじんの会の石川理事長に恐る恐るお願いすると「いいわよ」との返事。チェックが終わったというので荻窪の星乃珈琲で待ち合わせ。その前の仕事に手間取って待ち合わせ時間に20分ほど遅れてしまったが、当社の迫田との間で受け渡しは済んでいた。石川さんのところで開発した認知症予防の「だんだんダンス」のDVDを受け取る。今日は西荻窪で今年亡くなったフリーライターの森絹江さんを偲ぶ会があるのでそのまま西荻窪へ。前にも書いたが森さんは早稲田のロシヤ語研究会の後輩。私が4年のとき確か法学部の新入生として入学してきた。ロシヤ語研究会で酒やマージャンを覚え、学生運動の雰囲気を感じたのだと思う。部落解放研究会にオルグられたのをきっかけにブンドに魅かれて行ったようだ。同じ露語研で理工学部のブンドの森君と結婚したことを風の便りに聞いた。大学も中退し神奈川で労働運動をやりながら子育てをしているのもやはり風の便りで聞いた。再会したのは15年くらい前だろうか。彼女がフリーライターになったと聞いてからだ。専門学校の入学案内を皮切りに「へるぱ!」の取材原稿などをお願いした。で、今日は森さんが取材を通じて親しくなった奥川幸子先生、白井貴子先生、服部安子先生、私と迫田でこじんまりした偲ぶ会となったわけ。会場は西荻窪の「汐彩」(しおさい)。奥川先生がよく使っている店だそうだ。フグ刺しやフグのから揚げなどを堪能する。日本酒も美味しかった。