4月某日
大学時代の同級生A宮弁護士を事務所に訪ねる。当社のI佐が同行。若干の相談を終えた後、事務所近くの「新橋やきとん京橋店」へ。八海山と三千盛をしこたま呑む。A宮、U海、S崎、O、Y下それに私、女性ではコンちゃん、後に私の奥さんになるO原がクラスの仲良しグループだった。A宮は卒業後司法試験に挑戦、見事合格、検事に任官した。10数年検事をやった後、弁護士になった。久しぶりに学生時代の昔話をして楽しかった。楽しさの余韻を楽しみたくなって我孫子駅前の「七輪」に寄ったのが間違いのもとだった。青海社のK藤社長がいるではないか。もう一軒行こうとバーに行ってしまった。気が付いたら家で寝ていたといういつものパターンだ。
4月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」の第3回目が今日と明日、社会保険研究所で開催される。愛知県半田市で住宅改造や町おこしの団体をやっているK玉道子さんや健康生きがい開発財団のO谷常務に今回、講師をお願いした。当社のS田を交え富国生命ビルの富国生命倶楽部で夕食を食べることにする。共同通信のJ記者にも声をかける。富国生命倶楽部にはルオーやルーベンスなどの絵が掲げられている。夜景もきれいだ。赤ワインをいただく。K玉さんをホテルに送って、私とO谷常務は上野駅構内の「森香るバー」へ。
4月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」2日目。午前中にO谷常務、午後にK玉さんの話を聞く。2人ともしゃべりは◎。それで思うのだが如何に内容が良くてもしゃべり方が今ひとつだと思いは十分に伝わらない。私の知人のなかでしゃべりのうまさでは元宮城県知事の浅野さんがピカイチであろう。内容は今一のとき(失礼!)でもしゃべりで聞かせる。元事務次官の辻さんは「辻説法」と言われたぐらいだから情熱的な語りでは右に出るものはいないだろう。聞く方は少し疲れるが。元社会保険庁長官の堤さんは内容は高度で深いのだが滑舌に難あり。話が逸れたが「フォーラム」終了後、O谷常務とK玉さんに我孫子市議の関さん、由利本荘市議の梶原さんと会食。梶原さんは70過ぎの老人だがとても魅力的な人だ。市民のために地域を替えていくために市議になったと目的が明確だ。若いときに炭鉱や自衛隊の経験があるという。「体験してみたかった」というのが動機という。秋田訛りで訥々とした喋りだが聞かせます。
4月某日
国土交通省のG田さんが役所を辞めたので「跳人」で高齢者住宅財団のO合さんとご苦労さん会。G田さんは彼が旧建設省住宅局の住宅生産課の工業化住宅の係長だったころの付き合いだからおよそ30年。私が日本プレハブ新聞の記者時代、取材でずいぶんお世話になった。偉ぶることのない誰にでも親切な、本当の意味で「いい人」。田酒など青森の酒をのむ。翌日はHCM社のコンペがあるので私は神田泊。
4月某日
HCM社の春季ゴルフコンペに参加。江東区の若洲ゴルフリンクス。私は2組目で三井住友海上のN込部長、年住協のM田部長、HCMのK島さんと廻る。乗用カートだったが、プレーが終わってから万歩計を見ると歩数は2万歩を超えていた。N込さんは公務部長で何かと厚生労働省に人脈があり私と共通の知人も多かった。M田部長は私の同郷の北海道室蘭市出身。ただ私と違って高校から道内有数の進学校である凾館ラサールへ。大学は東北大学、就職は大手損保というエリート、でもとても気さくな人柄だ。K島さんはHCMのベテラン女性社員。そんなわけで、廻っていても和気あいあいで楽しかった。私の成績はグロス131、ハンディキャップ36、ネット95で参加19人中17位。銀座のクラブのママも特別参加したが、表彰式は土曜日なのでママの店を借り切って盛り上がる。
4月某日
図書館で借りた「鴨川食堂」(柏井壽 小学館 2013年11月)を読む。新聞の書評などで結構取り上げられていた本だ。元刑事の鴨川は刑事を辞めたあと、和洋中なんでもありの「鴨川食堂」をオープン。娘の「こいし」が手伝っているが、実はこいしは食堂の奥で探偵事務所をやっている。この探偵事務所、普通の事件は扱わず、依頼人の記憶に残っていて「ぜひもう一度食べたい」と思っている食事を探し出し、再現するという探偵事務所だ。私はこのところ弁当作りに目覚め、「レシピ」の再現は面白く読ませてもらったが、小説としての味付けは今ひとつと感じた。でも作者は京都のカリスマ案内人として有名な人らしく初の小説集ということなのでこれからに期待しよう。
4月某日
「<働く>は、これから―成熟社会の労働を考える」(猪木武徳編 岩波書店 2014年2月)を読む。現役生活も終盤に差しかかっている私は、この頃とみに「私が私であることの意味」を考える。もちろん結婚して家庭を築いたことも大きな意味である。そして私にとっては「働いてきたこと」も大きな意味を持っているように思う。私自身のことだけでなく、日本社会にとっても「働く」ことの意味を再確認、再定義すべきときに来ているようにも感じる。そんなことから本書を読むことにした。
杉村芳美は成熟社会にふさわしい働き方として「自分にも全体(組織・社会)にも偏らないこと、個人と全体また他者との相互依存の関係を知ること、特定のイデオロギー・価値観に偏ないこと、経済的な利益を追求しすぎないこと、そして働き方と仕事意識・仕事観の多様性に寛容であること」をあげている。岩井八郎は多様化し個別化する日本人の人生全体に変化をもたらす仕組みとして、すべての日本人が一五歳になると五〇〇万円のライフコース基金が支給され、これを教育資金や職業訓練資金として使える構想を提案する。
藤村博之は生涯現役社会の実現に向けて、経営者が高齢者雇用の可能性と重要性をしっかりと受け止め、先頭を切って挑戦するようになれば、日本は世界中から尊敬される国になるという。猪木武徳はフランスの思想家トクヴィルの言う「結社」(association)に着目して「個人の生活のためだけではなく、国家のためだけでもなく、その中間に存在する具体的な共同体や組織の共同の利益のために、自発的に働くことに意味と価値を見出す」とする。その具体的な共同体こそ「結社」だとし、そして労働が労働たり得るためには「他人と連携して」「全体のために」という要素がなければならないともいう。
私がもっとも面白いと感じたのは宇野重規の「労働と地域」の意味論というべき論文であった。宇野は労働の三つの要素「稼ぎ」「仕事」「暮らし」のなかで現代は「稼ぎ」の比重があまりに大きくなっていると指摘する。かつて日本の伝統的な労働概念では、「稼ぎ」にはならなくても、所属する共同体を維持するための諸活動「仕事」があったし、「稼ぎtがなくとも共同体のなかで「暮らし」を継続することも可能であったという。自らの暮らすべき「地域」を見出した人々には「存在論的安心」が確保されているのだ。
4月某日
SMSのN久保さんからメールで日本社会福祉教育学校連盟の役員名簿が送られてきて「誰か知っている人いますか?」という。もちろん知っている人はいるが「何のために知りたいの?」とSMSに出向く。結局、日本介護福祉士養成協会がいいんじゃないのという話になった。SMSはなかなかいい会社と思うが、自分たちが立脚している医療・介護・看護業界の知識が今ひとつ。だからこそ当社と連携する意味があると思う。三井住友海上の顧問となった元厚労省のM島さんにランチをご馳走になりながらいろいろな話をきかせてもらう。顧問業もしっかりやるとなかなか大変なんだ。結核予防会のT下理事のところに寄り、夕方「葡萄舎」で一杯。
4月某日
国民年金委員というのを厚生労働大臣から委嘱されている。その千葉県委員会の理事会があるので千葉市に出かける。理事会中に高校の同級生だったS川君からメール。6月に予定していたブルーベリー摘みに行けないというメールだ。そういえばS川君は千葉だったなと思って4時には会議が終わるので千葉で一杯やろうとメール。4時10分前に千葉駅着のメールが来たので会議もそこそこに千葉駅へ。築地日本海で乾杯。韓国の海難事故が話題に。「昔の日本だね」で一致。話が盛り上がっているところへ国民年金委員会のメンバーが店に入ってきた。S木さんが私たちの席に合流。S木さんは一緒に札幌へ出張したとき、私の高校の同級生と一緒に呑んでいるので話はさらに盛り上がった。
4月某日
川村学園女子大学の学部長からこの4月に副学長になった元厚労省年金局長のY武さんと我孫子で食事。Y武さんが我孫子駅北口のビストロ・ヴァン・ダンジュというフレンチの店を予約してくれた。私には健生財団のO谷常務が同行。5,000円のコース料理を注文したが、これが正解。フォアグラ、鯛の香草焼きなど本格的なフレンチだ。かなり高いワイン、といっても8,000円くらいだが、を頼んで、白ワインを追加。食後のコーヒーも美味しかった。私は我孫子に住んで40年以上たつが我孫子ではほとんど外食したことがない。Y武さんは蕎麦屋などいろいろな店を知っている。私も職を退いたら、我孫子のグルメ巡りを楽しみたい。
4月某日
去年まで阪大の教授をやっていた元社会保険庁長官のT修三さんからメール。認知症の高齢者が電車に跳ねられ、遺族にJR東海が損害賠償の訴訟を起こしていた件だ。名古屋高裁は妻に約365万円の支払いを命じ、Tさんはこの判決に「怒り心頭」のメールを寄越したわけ。早速、神田明神下の「章太亭」で会うことにする。Tさんは朝日歌壇に掲載されたという「檄にいま「脱原発」を飛ばしたし全共闘は老いたるもなほ」という短歌を「章太亭了解しました」のメールに添えてきた。Tさんも団塊の世代で元東大全共闘という噂。元全共闘と言えば、午前中に早大全共闘の先輩で、自治労書記局から今は「ふるさと回帰支援センター」の事務局長をやっているT橋ハムさんに会って、名古屋の一件について「団塊の世代が動かなきゃ」と訴えた。ハムさんはもちろん賛同してくれた。午後、高田馬場でグループホームを運営しているN村美智代さんにも同様のことを話す。N村さんの夫は医者で数年前にがんで亡くなっている。私は会ったことはないが東大医学部で安田講堂に籠城したメンバーだそうだ。
4月某日
東海銀行のOBで、亡くなった当社のO前役員と親しかったF谷さんから「O前さんの亡くなる前の様子を知りたい」というメールが入る。F谷さんは南柏に住んでいるので我孫子駅前の「七輪」で会うことにする。5時半の待ち合わせ10分前に行くとF谷さんはすでに来ていた。O前さんの発病から亡くなるまでをメモにして渡す。F谷さんは麻布高校から一浪して早大法学部に進学。私より2、3年上で第一次早大闘争のころは革マルのシンパだったらしい。F谷さんも名古屋の一件には憤慨していた。私が北海道出身で父親が室蘭工業大学の教師をしていたというと、F谷さんの父親も室工大の卒業生だという。世間は狭い。
4月某日
図書館で借りた「夢に見た娑婆 縮尻鏡三郎」(佐藤雅美 文藝春秋 2012年4月)を読む。有能ではあるが故に大番屋に左遷された縮尻鏡三郎が難事件を解決するシリーズ。今回は食用の鳥を捕獲したり商ったりする鳥問屋をめぐる物語。佐藤雅美の他のシリーズにも言えることだが、時代考証とくに江戸の経済を支える経済的な下部構造と、その上部構造としての法制度や官僚組織の説明が半端ではない。
4月某日
4月最終日。有楽町の交通会館の「ふるさと回帰支援センター」のT橋ハムさんを訪ねる。前の山口県知事で亡くなった山本繁太郎さんを偲ぶ会の打合せ。次いでHCMに寄り、M社長が休みなのでO橋さんと雑談。17時に会社で健康・生きがい開発財団のO谷常務と実務者研修のeラーニングの打合せ。当社のA堀が同席。知り合いのO嬢が相談があるといってベルギーワッフルを手土産に来社。真面目だから悩むんだよなー。私はほとんど悩みがないというか悩まない。30代、40代に結構重たい(とそのときは思った)鬱病を何回か患ったことが嘘みたいだ。隣の鎌倉橋ビルの「跳人」でO谷常務とO嬢と食事。3人でウヰスキーのボトルを1本近く空ける。今週も呑み過ぎ。