3月某日
HCM社のM社長が富国生命の後輩、Y崎さんの部長昇格祝いの呑み会をするというので便乗することに。HCM社の近くの焼き鳥屋「南部どり」へ。2人で始めているとほどなくY崎さんが来たので乾杯。そしてやはりMさんの後輩で、今度常務に昇格するというS井さんも見えたのでまた乾杯。S井さんは初対面だが、札幌出身で大学は弘前大学だそうだ。私の知っている富国生命の社員は、だいたいが体育会系のノリで良く呑む。後半、富国倶楽部の美人のお姉さんも現れて、座は一層盛り上がった。
3月某日
幼馴染の佐藤正輝が出張で東京に来るというので、首都圏周辺の高校の同級生に声を掛けたら8人ほどが集まった。正輝は専門学校でコンピュータを学び、現在は札幌でシステム会社を経営している。その他はやはり幼馴染で舞台照明をやっている山本や、青学を出てJALのパーサーになった上野、北大工学部から出光興産に入った品川、確か青学の工学部を出て家具メーカーに入社した益田が来た。女子は中田さんら3人が参加した。女子の一人が百合丘で都市農業をやっていて今度、ブルーベリーを摘みに行くことにする。
3月某日
かねてすい臓がんで入院加療中だった当社役員の大前幸さんが入院先の病院で亡くなる。昨夜遅く亡くなったということで、亡くなったことを知らず病院に行ったら、看護師さんに亡くなったことを告げられ、病院の近くの自宅に弔問へ。死に顔を拝ませてもらったが眠っているようだった。通夜、告別式は出張が入っているので欠席することにした。出張を延期することもできたのだが、泣き顔を知り合いに見られるのが嫌さに欠席とした。大阪でグループ経営会議に出席後、京都で阿曽沼さんに会って、酒をご馳走になりなぐさめ、励まされる。大前さんとは大前さんが新宿のクラブ「ジャックの豆の木」に出ていた頃からだからもう30年以上になる。当社に入社してからだって30年近くなる。私が社長になってから10年以上も私の片腕だった。というか存在感は大前さんの方が私よりもはるかにあって、むしろ私が「片腕」。本体が亡くなって「片腕」だけでどうやって生きて行こうか。しかし私も65歳になって、去年は畏友高原さんが死に今年は大前さんが死んでしまった。歳をとるというのはこういうことなのだ。
3月某日
厚労省の元局長で今は内閣で「税と社会保障の一体改革」に取り組んでいるN村さんと白梅女子大学の教授で毎日新聞の元論説委員のY路さん、それに自治労の元副委員長で現在は横浜の寿町で介護のNPOの理事長をやっているT茂さんと会社近くのそばや「周」(あまね)で呑む。4人はたまに会って呑む仲だが、最初はどういう集まりだったか、記憶にない。実はY路さんは私も学生時代お世話になった江古田の国際学寮出身。寮にいるときは重ならなかったようだが、U木さんのことなど良く知っているそうだ。T茂さんは同じ自治労で早稲田の反戦連合だったT橋さんの紹介。当社のS田も遅れて参加。
3月某日
田町の「女性就業支援センターホール」で全国介護事業者協議会の研修会が開催されるので参加。この研修会は何度か参加させてもらったことがあるが、発表者の真摯な態度にいつも感心する。私は「せんだい医療・福祉多職種連携ネットワーク~ささかまhands」の事例の報告が面白かった。個人のネットワークを顔の見える関係から着実に広げていくというのが目新しい。佐藤副理事長やカラーズの田尻さん、扇田専務に挨拶して、約束があったので中座して西国分寺へ。西国分寺の「味の山家」で呑む。
3月某日
山口県知事を病気で1月に辞めた山本繁太郎さんが亡くなった。肺がんだった。山本さんは国土交通省出身で自治労の執行委員だった高橋ハムさんや「ケアセンターやわらぎ」の石川治江さんと旧厚生省の辻さんや吉武さん、旧建設省の小川冨吉さんや水流さんなどが参加する「シャイの会」の有力メンバーだった。うるさ型が多い中でどちらかというと他人の話をじっくり聞くタイプで、退官後、衆議院選挙に2度挑戦したが、2度とも惜敗。山口県知事選に当選後、間もなく病に倒れた。以前「国会議員よりも知事がやりたかった」と話したことを覚えている。思い半ばでの死は無念だったろうと思う。合掌。
3月某日
「コンプライアンス革命―コンプライアンス=法令順守が招いた企業の危機」(郷原信郎著 文芸社 2005年6月)を読む。著者の郷原は東大理学部から三井鉱山に入社、半年で辞めて司法試験に合格、検事に任官したという経歴の持ち主。郷原の言いたかったことは「真のコンプライアンスを実現するためには、組織の構成員一人ひとりが組織内の慣行に流されず、自分たちが社会から求められているものを敏感に受け止め、問題意識を持ち、そのつどコンプライアンス対応を考えて実行することが必要である」ということだ。そのためには「法令順守コンプライアンス」ではなく「法令に適応し、法令の背後にある社会的要請に適応していくことがコンプライアンスの本質」ととらえなければならないという。なるほどと思う。そして当社にとっては、コンプライアンスと同時にコーポレート・ガバナンスも極めて重要な課題となってくるように思う。
3月某日
社会保険研究所とその子会社である当社は、公的年金制度や健康保険、つまりは社会保険をベースにしたビジネスモデルを築いてきた。しかし公的年金制度は高齢化にともない給付に重点が移っているし、そもそも社会保険庁が解体されてから日本年金機構が発足してもPR予算は絞られたまま。厚生年金基金は10年以内の解散が決まっているし、健保組合も厳しい財政状況が続いている。つまりビジネスとして「延び代」があまりないのだ。ただ社会保険は社会保障の一部である。社会保障全般で見れば医療、介護、福祉など延び代はまだまだあるように思う。そんなことから、社会保険研究所グループで「社会保障研究会」を組織することにした。第1回は元年金局長で現在、川村学園の現代創造学部の学部長をやっている吉武さんにお願いすることにした。
3月某日
吉武さんと「社会保障研究会」の打合せで我孫子へ。吉武さんの勤め先の川村学園が我孫子にあり、吉武さんも私も我孫子だからという理由。我孫子のレストラン「コ・ビアン」で6時の待ち合わせ。電車の中に吉武さんから電話があり教授会の関係で30分ほど遅れるとのこと。私は予定通りコ・ビアンの新しい方の店へ。コ・ビアンは数年前に我孫子のメインストリートに新店がオープンした。そもそもコ・ビアンという名前はABIKOを逆さまにしてKOBIANとしたところから付けたらしい。日本酒とサラミとチーズを頼んで待つことにする。今まで店内をゆっくり見ることはなかったが、壁を見回すと私の正面にダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が掲げられていて。改めて店内を見渡すと、宗教画と思しき絵が数枚掛けられていた。絵のほかにも何かそれらしき石膏像が何点か飾られている。へー、なかなか文化的なんだ、と思っていると吉武さん登場。赤ワインを1本頼む。赤ワインが1本なんと700円!またたくまに1本を飲み干し、2本目に。私はハンバーグを頼んだが、どんな味だったか良く覚えていない。打合せた内容もおぼろ…。
3月某日
「市場社会の思想史―『自由』をどう解釈するか」(間宮陽介 中公新書 1999年3月)を読む。間宮氏は元阪大教授で元厚労官僚のTさんの高校の同級生ということで、この前3人で呑んだ。間宮さんは東大経済学部、大学院で学んだあと神奈川大学に勤め、最後は京都大学で教授を務めた。で、間宮さんに会うというので急遽、間宮さんの本を図書館で借りたというわけ。新書とは言え、経済学は門外漢の私には少々敷居が高く、間宮さんに会った時には半分も読めていなかった。というわけで今回やっと読了。感想を述べるほど読み込んだわけではないので印象に残った文章を書き写そう。
「彼ら(ウェブレンとケインズ)は自由放任を市場経済の枠のなかで批判したのではなく、貨幣経済を背景において批判したのである。自由放任の経済は経済の金融化を促し、それが産業としての経済を不安定化させ、弱体化させる」。これはまさに日本経済のバブルとその崩壊を言い当てているように思える。そして「二度にわたるオイル・ショックが経済成長を鈍化させた結果、財政赤字が深刻な問題となり、その元凶がケインズ主義の総需要管理政策に、さらには大本のケインズ理論にあり、と論じられるようになってきた。代わって台頭してきたのがマネタリズムや合理的期待学派など、人間の合理性に全幅の信頼を置き、政府の諸規制を緩和して経済主体の自由度を最大限まで高めようとする経済学であった。彼らの合言葉は『自由化』『規制緩和』『小さな政府』といった自由放任主義の金科玉条であった」。
さらに「そしていまや、自由のインフレーションに対して再度疑念が呈せられつつある。レーガノミックスやサッチャリズムは社会的不公正を増大させずにはおかなかった。また東西冷戦構造の崩壊後、人々の目は地球環境問題に向き始めている。地球環境を保護するためには企業や消費者の『自由』を直接間接に制限せざるを得ないだろう」とも言っている。なるほどなー。ちなみに間宮さんは東大闘争の頃、反帝学評の青いヘルメット被っていたそうだが、今度またTさんと3人で呑みたいものだ。