社長の酒中日記 5月③

5月某日
 年金・福祉推進協議会のS木事務局長と当社のI津さん、総務・経理を手伝ってくれているパートのK隅さんとT島さん、それに日本医療保険事務協会のM田さんと東京駅のキッチンストリートにあるステーキハウス「ビモン」で食事。S木さんとM田さんは元日本国民年金協会の職員。その縁でM田さんは推進協議会の経理をときどき手伝っている。推進協議会の事務局は当面、当社に置くことになっており、S木さんのデスクも当社の私の隣にある。そんなこともあってS木さんが気を遣って、ご馳走してくれることになったのだろう。K島さんとT島さんにはずいぶん助けられているとI津さんが言うのを何度か聴いたことがある。2人とも性格が明るくて真っ直ぐなのがありがたい。彼女たちがいるといないでは職場の雰囲気が微妙に違うと感じるのは私だけではないと思う。各種ステーキを注文してみんなでシェアして食べた。

5月某日
 社会保険研究所で「月刊介護保険情報」の校正をやっているナベさんと葡萄舎に行く。ナベさんとは私が当社に入社する前の前の会社、日本木工新聞社で机を並べていた仲だから、40年近い付き合いだ。葡萄舎は当社に入社してから通いだした店だから、こちらも35年くらいの付き合い。店主のケンちゃんは北千住出身。私の記憶が確かなら高卒後、東京電力に入社したが、ひょんなことから呑み屋を手伝いだし、これまたひょんなことからインドを放浪することになったらしい。インドで身に着けた「カレー料理」がこの店の売りでもある。そういえばユニセフの仕事でインドに駐在したことのある元厚労省のO泉さんをこの店に連れてきてカレーを食べさせたら「ホンモノだ」と言っていた。神田駅南口徒歩5分なのでぜひ、一度行ってみる価値あり。なおランチタイムのカレーも絶品。

5月某日
 「へるぱ!」の取材で埼玉県幸手市の東埼玉総合病院の中野智紀医師を訪問。浅草から東武線の特急で東武動物公園駅へ。在宅医療連携拠点推進室に通される。中野先生がやって来て名刺交換。名刺には地域糖尿病センター長、在宅医療連携拠点推進室長、経営企画室長とあった。診察・治療といった医師本来の仕事以外に地域と関わる仕事や経営に係る仕事を幅広くやっていることが名刺からもうかがえる。東埼玉総合病院はURの幸手団地に隣接しており幸手市と杉戸町を主な診察圏とする。「地域と密着しなければこの地域では病院経営は成り立たない」というのが中野先生の考えだ。中野先生の運転で幸手団地の元気スタンド・ぷりズム合同会社の代表社員、小泉さんを訪問。小泉さんは40代後半だが、どうみても30代にしか見えない。大手スーパーを辞め、介護予防型コミュニュケ―ション喫茶を立ち上げ、今は配食サービスなどにも手を広げている。小泉さんの取材を終え、再び先生の運転で今度は杉戸町のNPO法人すぎとSOHOクラブの小川理事長を訪問。小川さんはNTTを定年で退職した後、NPO法人を立ち上げた。裏山での筍掘りやカブトムシの幼虫採集など様々な住民参加型イベントを企画している。その様子を小川さんはかなり使い込んだと見られるタブレットで見せてくれた。東武動物公園駅まで先生に送ってもらい特急に乗車。北千住で同行した編集のS田とライターのMさんと一杯。

5月某日
 以前、古本屋で100円で買った遠藤周作の「イエスの生涯」(新潮文庫)を読む。単行本の初版は昭和48年10月、遠藤が50歳のときである。私が25歳の時です。キリスト教は仏教、イスラム教と並ぶ世界三大宗教のひとつである。恐らくは最初はユダヤ教の一つの分派として原始キリスト教団は始まったと思われる。弟子たちがイエスの死後、イエスの残した言葉を拾い集めてマルコ、マタイ、ルカなどの新約聖書の原型を形づくるうちにユダヤ教とは全く異なる「愛」の宗教が生まれたと見るべきだろう。捕縛された以降の「受難時代」のイエスは全く無力であった。遠藤はそこに着目する。イエスは「(ガリラヤやその他の地で病人を癒し、死者も生き返らせたと言われるのに)全くの無力、無能しか見せられなかったということである。受難物語を通してイエスは全く無力なイメージでしか描かれていない。なぜなら愛というものは地上的な意味では無力、無能だからである」(第12章主よ、御手に委ねたてまつる)と遠藤は書く。これは遠藤の棄教した宣教師を描いた「沈黙」にも通じるテーマである。

5月某日
 元建設省の住宅技官で現在、株式会社日本建築住宅センターの社本社長は、私がこの会社に入る前の日本プレハブ新聞社の頃に、社本さんが住宅局の住宅生産課か民間住宅課の課長補佐をしていて、取材で知り合った仲だからもう30年以上の付き合いになる。その社本さんが70歳を迎えたというので、神保町の新世界菜館でお祝いの会が開かれた。会の音頭をとったのは元週刊住宅情報の編集長で現在「風」という会社を経営している大久保恭子さん。集まったのは元住宅局長の那珂正さん、元住宅局の審議官で、現在、ビルディング協会の小川冨由さん、小川さんの後任でURに出向している水流潤太郎さん、住宅金融支援機構や住宅・建築省エネルギー機構の出向を経て今年、国土交通省を退官した合田純一さん、それに合田さんの後任で住宅金融支援機構の理事に出向している坂本さん、そして現職の住宅生産課長の伊藤明子さんだ。私が知っている旧建設省の住宅技官は優秀な人が多い。東大や京大で建築や都市工学を学んだ秀才だが、日本の住宅や都市を変えて行こうという気概を持った人が多いのだ。それでいて適度の遊び心を持っていて、私は妙に気が合うと思っている。そんなことから社本さんの70歳のお祝いに、やや部外者ながら私にも声が掛かったのだろう。美味しい料理と楽しいおしゃべりで2時間半はあっという間に過ぎた。

5月某日
 民介協の総会。当社は賛助会員なので国際展示場正門前の東京ファッションタウンビル9Fの会場へ。理事長がジャパンケアの馬袋社長からソラストの佐藤専務に代わった。民介協との付き合いは4,5年前の厚労省の補助事業を一緒にやろうと扇田専務に持ちかけて以来だが、馬袋さん当社のような零細企業も差別することなく尊重してくれた。深く感謝。佐藤さんもいろいろと当社のことを気にかけてくれる。民介協とは今後、いろいろな仕事を共同でやって行きたい。総会後の懇親会では石巻で取材に協力してくれたパンプキンの渡辺常務と渡辺社長などに挨拶。記念講演をした厚労省の朝川課長には「けあZINE」を宣伝。課長はすでに知っていたらしく「ああ、これいいよね」と言ってくれた。

5月某日
 社会保険出版社の池谷前専務の告別式に参列。池谷さんは当社の故大前役員と親しく麻雀仲間でもあった。今頃あっちの世界で亡くなった小牟礼さんたちと麻雀を楽しんでいるだろう。しかし65歳を過ぎると急に訃報が多くなったような気がする。

5月某日
 ブックオフで買った桐野夏生の「顔に降りかかる雨」(講談社文庫)を読む。桐野は好きな作家で刊行された小説の6割くらいは読んでいるような気がするが、これは未読。カバーに第39回江戸川乱歩賞受賞作とあり、確かに犯人探しの謎解きの要素もあるから推理小説というジャンルなのだろうが、私はむしろ良質なハードボイルド小説として楽しめた。夫が自殺した村野ミロは勤めていた広告代理店も退職、調査探偵業を引退した父の事務所兼マンションで無為な日々を送っている。ある日、親友のノンフィクションライター宇佐川燁子が1億円を持って消えたと燁子の愛人、成瀬時男がミロを訪ねてくる。成瀬は元東大全共闘、拘置所でヤクザの幹部と知り合い、拘置所を出た後、この幹部の仕事を手伝っている。元東大全共闘というのは藤原伊織の「テロリストのパラソル」とも共通する。元全共闘しかも東大が付くから一種の凄みがあるわけ、というのは私の思い過ごしか。私にとっては元東大全共闘は明治期の元新撰組隊士のような意味がある。

5月某日
 第4回地方から考える社会保障フォーラムの講師のお願いに社保研ティラーレの佐藤さんと厚労省へ。健康局の伊原総務課長に「がん対策」でどなたかにお願いできないかお聞きする。がん対策官の江副さんを紹介してもらう。その後、社会援護局の古都審議官、政策統括官の唐沢さんに挨拶。佐藤さんは民主党政権のとき環境政務官を務めた樋高剛さんの秘書をやっていた。そんなわけで環境省の地球環境審議官をやっている白石順一さんも訪ねることにする。白石さんとは白石さんが厚生省国際課の課長補佐のときからだから20年以上のつきあい。佐藤さんと飯野ビルの地下のベトナム料理の店「イエローバンブー」に行く。佐藤さんは樋高さんの秘書になる前は飯野ビルに有ったインド綿の服を売る店にいたそうだ。建て替える前の飯野ビルである。

5月某日
 我孫子駅前の東武ブックストアを覗いたら文庫本コーナーの一角に、藤沢周平の「雲奔る 小説・雲井龍雄」が平積みにされていた。藤沢周平も昔から好きな作家で刊行されている小説はほとんど読んでいると思っていたがこれは未読であった。さっそく購入する。雲井龍雄は幕末の米沢藩の下級武士の家に生まれ、江戸で安井息軒の門に学ぶ。勤王の志強く京都で反幕府の情報活動を行う。雲井の活動のユニークなのは王政復古の大勢が決して以降、薩長連合に楔を打つべく反薩摩を掲げて長州と土佐の連携を図ろうとするところだ。しかし巻末の解説で関川夏央が書いているように「雲井龍雄の活動は、すでに京都で終わっていた。より酷ないいかたをすれば、活動開始以前に終わっていたのである。それは背景と同志を持たない『草莽の士』の宿命であった」のである。雲井は学問に秀で詩作もよくした。しかし新政権は雲井を捕え、小伝馬町の牢で斬首した。首は小塚原にさらされた。28歳であった。時流に乗れない男だった。時流に乗ることは仕事をするには必要なことと思う。だが時流に乗るのはあくまでも手段でしかない。時流に乗ることを自己目的としてはならないと思った。

5月某日
 企業年金基金のT口常務と社会保険研究所のK林氏と神田明神下の「章太亭」で呑む。この店は去年の春先だったか御茶ノ水の順天堂大学で認知症の勉強会の終わった後、ふらふらと迷い込んだ店だ。女将さんは元芸者で芸者のときの名前を店の名前にしたそうだ。女将さんのいとこだったか姪っ子だったか、昔はさぞかし美人だったと思われる女性が手伝っている。お客の年齢層も高く落ち着いた店なので、それ以来ときどき使っている。T口さんとは同じゴルフ場、鹿沼のディアカントリーのメンバー。最近はあまり行かないが、以前は2人とも月1回の例会に良く出席していた。昔話も出て楽しかった。

5月某日
 4月から兵庫県立大学に移った国立保健医療科学院の筒井孝子さんが社会保険研究所から「地域包括ケアのサイエンス」という本を出した。編集は当社のS田女史が担当した。その筒井さんや老健局の宮島前局長が兵庫県立大学の「医療・介護マネジメントセミナー」でシンポジウムに出るというのでS田女史と本をセールスしに出かける。筒井さんの講演は初めて聞いたが極めて明快で「地域包括ケア」の必然性が私なりによく理解できたように思う。筒井さんの講演を私は次のように理解した。①少子高齢化と財政的な制約により、限られた医療と介護資源をより効率的に利用することが求められている②同時に複雑な疾病と医療ニーズを抱えた高齢者に対するケアや生活の質、患者満足度、及び制度の効率性を高めることが求められている―これらが地域包括ケアシステム構築の前提としたら、ケア提供主体の役割としては(1)サービス提供事業者は①統合的なサービス供給デザインを考える②医療が必要な人に医療を届ける仕組みを考える③意思決定や自己管理を推進する仕組みを考える③利用者の情報を事業所内外で活用できる仕組みを考える(2)地域住民は①資源が有限であることを理解し、政策を理解する②生活や健康を自己管理する(3)自治体職員は①住民のニーズを政策に反映する施策立案と管理を行う②当該自治体が関わる圏域の医療資源を把握し地域住民へ効率よく還元できる仕組みを考える③住民の生活や健康を自己管理を推進する施策を展開する(4)保健・医療・福祉の実践家は①自己管理を促進するサービスの開発②意思決定を尊重する支援の提供③床情報の積極的活用(共通言語の使用等④地域資源の実践への活用⑤多職種によるケアの提供(臨床的統合)-などがあげられている。包括的な連携という考え方は医療・介護の世界だけでなく一般のビジネスでも有効と思う。