6月某日
ルポライターの沢見涼子さんから「世界」の7月号が送られてくる。巻頭の「世界の潮」に沢見さんが書いた「認知症列車事故裁判 『介護の社会化』に逆行する判決」が掲載されている。昨年8月の名古屋地裁判決は、家族の監督が不十分だったとして妻と長男に約720万円の支払いを命じたが、名古屋高裁判決は長男の責任は認めず、妻にのみ責任があるとして半額の約360万円を支払うように命じた裁判について論じている。沢見さんは「認知症の人を介護する家族はもちろん、認知症とその予備軍が4人に1人という以下の時代に会っては、すべての人にとって衝撃的な判決だ」と論じている。そして厚労省が進めている「地域包括ケアシステム」に触れて「鉄道会社こそ沿線住民とともにある会社なのだから、当然、地域で高齢者を支えるべき一員のはず。JR東海も賠償請求訴訟を起こすよりは、この事故を機にどうしたら同じような事故を繰り返さずに済むか、住民と一緒に考えて取り組んでいくことがむしろ求められているのではないか」と結んでいる。住民、市民にとっての足という鉄道会社の原点をJR東海はどのように考えているのだろうか?
6月某日
社会保険庁OBのM本さん、M木さん、I田さん、W辺さんと私の5人で栃木県鹿沼市のディアレイク・カントリー倶楽部でゴルフ。この会はもう20年以上も続いていて、一時は4組、5組で廻ったこともあるし会員数も20人を超えていたように思う。メンバーも高齢化し亡くなった人もいて現在は2組がせいぜい。今日は5人なので2人と3人に別れる。天気予報では9時頃から雨足が弱まるという予測だったが午前中はどしゃ降りに近い降りになってしまった。ときどき強風も加わって足の悪い私は午前中でリタイアを宣言、早々と風呂に入らせてもらった。4人が上がってくるのを待って、私とI田さんはM木さんの車で東武日光線の新鹿沼駅まで送ってもらう。ここから電車で私は北千住、I田さんは春日部までI田さん持参のワインを呑みながら2時間近く年金制度や社会保険庁時代のおしゃべり。これが楽しい。
6月某日
三井住友海上のN込さん主催で同社顧問で元厚労省老健局長の宮島さんと食事会。三井住友海上からN村課長が参加、折角だから宮島さんの本「地域包括ケアの展望」(社会保険研究所発行)の編集をやった当社のH尾、出版記念パーティの司会をやった高齢者住宅財団のO合さんにも声を掛ける。会場は大手町センタービルの「小洞天」。三井住友海上は駿河台、高齢者住宅財団は八丁堀で当社が一番近いのだが、私とH尾が遅刻、改めて乾杯。宮島さんの山形県庁出向時代の話など楽しかった。山形は温泉良し酒良しで私も昔は良く行ったものだが最近は全然。「小洞天」の中華料理でおなか一杯になったところで解散。私は内神田の会社の近くにある「渦」へ。ここは安倍首相の奥さんが経営している店だそうだが、もちろん奥さんは店にはいなかった。おなか一杯でつまみはほとんど喉を通らず、焼酎を2杯ほどいただく。
6月某日
ブックオフで買ってあった井上靖の「わが母の記」(2012年3月 講談社文庫)を読む。何で買ったのか理由は覚えていないが、「昭和の文豪」と言われた井上靖の実母が今でいう認知症になっていく話である。小説ともエッセーとも言えない、その中間のような語り口である。認知症を描いた小説としては有吉佐和子の「恍惚の人」(1972年)、耕治人の「そうかもしれない」(1988年)がある。「恍惚の人」はフィクションかも知れないが、「そうかもしれない」は妻の認知症を描いている実話である。自分の身近な母や妻の精神が壊れて行くのを体験するのはつらいことだし、それを文学としてしまうのも辛いことではあるが、そこに小説家の業のようなものも感じてしまう。
6月某日
医療介護福祉政策フォーラム(中村秀一理事長)の第2回実践交流会がプレスセンタービルで開かれるので、土曜日だが出勤。報告は4つ。社会福祉法人新生会の名誉理事長の石原美智子氏の「介護の専門性とは」、社会福祉法人きらくえん理事長の市川禮子氏の「きらくえんの歩みとユニットケアの到達点」、社会福祉法人恵仁福祉協会常務理事で高齢者総合福祉施設アザレアンさなだ総合施設長の宮島渡氏の「地域でねばる」、地域密着型総合ケアセンターきたおおじ「リガーレ暮しの架け橋」グループ代表の山田尋志氏の「社会福祉事業の共同事業の実践」である。私は宮島氏と山田氏の話を面白く聞いた。宮島氏は長野県上田市の旧真田町地区での実践。「地域で暮らすニーズ」に対して施設機能を出前する=施設機能分散という発想で対応し、これによって自宅の施設化と施設の自宅化(個室・ユニットケア)を実現した。そして結果として、地域社会から要介護者を隔離しないと、地域住民の「気づき」が高まったという。山田氏は介護人材の確保・育成のため中小法人の共同事業を発案したという。限られた資源を有効に活用するためにも、施設系、訪問系に限らず共同化は避けられないように思う、これは当初は経営田としての法人にメリットがあるのだが、経営の安定化や介護技術の向上、標準化によって利用者にもメリットは還元されると思われる。このフォーラムには厚労省の現役やOB、それから関係者がたくさん来ていた。
6月某日
埼玉県認知症グループホーム・小規模多機能協議会(西村美智代代表)の総会後の講演会を聞きに行く。これは日曜日だが講演する演者が熊本大学の池田学先生なので聞きに行くことにする。この日はワールドカップの日本対コートジボワール戰の日。池田先生は午前中、国際会議に出席していたが、先生方のトイレが長く、どうもトイレを口実にテレビ観戦していたようだ、とかオランダ戰に負けたスペインの先生が元気がなかった、と笑いをとる。先生の本日のテーマは「BPSDに対する治療とケア」の原則。BPSDは決して周辺ではないし問題行動とも言えないとしBPSDをコントロールできなければ認知症そのものが進行する。そしてBPSDに対する介入の原則として①BPSDを正確に評価し②標的症状を緻密に定め、理論的な仮説から治療方法を選択する、をあげる。さらに「まず、非薬物療法を検討し、効果が不十分な場合に薬物療法を検討する」としている。先生の講演態度は極めて真摯で医療職と介護職の連携に対しても積極的というか、日ごろ認知症の患者と接している介護職の仕事を正当に評価しているのが印象的だった。