社長の酒中日記 7月その3

7月某日

キリンビール工場の案内嬢
キリンビール工場の案内嬢

建築家のK玉道子さんに誘われて福祉住環境コーディネーター中部推進協議会の工場見学会に参加する。中部推進協議会は過去、何度も工場見学会をやっているらしいが、今回はキリンビールの愛知工場の見学。名古屋駅から東海道線で一つ目の枇杷島駅でK玉さんたち中部推進協議会のメンバーと待ち合わせ。送迎バスに乗って工場へ。土曜日なので工場は稼働していなかったが、ビールの製造工程はそれなりに理解できた。工場を見学し終えるとビールを3杯試飲できるコーナーへ。私は「一番搾り」と「黒ビール」、それにハーフ&ハーフを呑む。見学会の目的はビールを呑むことではなく、工場のバリアフリー度をチェックすることなので案内嬢に頼んで車いす対応のエスカレーターを動かしてもらう。積極的に工場見学を行っている会社らしくキリンビールのバリアフリー度はかなりのものだったらしい。その後会場を工場内のレストランに移して懇親会。F橋真由美さんには三河と尾張の気質の違いを教えてもらう。

7月某日

素麺。腰があって美味しかった。
素麺。腰があって美味しかった。

名古屋泊。12時にK玉さん、F橋さんと松坂屋の前で待ち合わせ。K玉さんの友人で防災ボラネット守山の代表W見さんも参加して名古屋のセントラルパークで開かれている「ビールフェスタ」に参加する。ドイツビールを堪能。おつまみの鯖の塩焼きも美味。福祉畑に長く携わっていたW見さんの話は興味深かった。2時間ほどで切り上げ、私とK玉さんは地下鉄で金山に出て、JRで亀崎へ。ホテルで休んで6時に前回も亀崎で会ったY本さんが車で迎えに来る。Y本さんの車に乗ると向こうからK玉さん夫婦が歩いてくる。K玉さんのベンツは最近廃車にしたようだ。Y本さんのなじみの店がある三河安城に向かうが、Y本さんが携帯電話で確認すると、満員とのこと。急遽予定を変更してご当地名物の素麺を食べることに。さすがにビールはもういいという感じで日本酒を3人でお銚子1本。ホテルへ帰って爆睡。

7月某日

ノバネットワークスの社長と蕎麦屋「平甚」のご主人。
ノバネットワークスの社長と蕎麦屋「平甚」のご主人。

亀崎から名古屋へ。名古屋から岐阜の高山行の高速バスに乗って郡上八幡へ。高速のバス停に降りると民介協の理事で郡上八幡で訪問介護事業を展開しているノバネットワークスのT中栄子社長が車で迎えに来てくれていた。T中社長と東京で会ったとき「人手の確保が大変だし、そもそも郡上八幡では『巡回』が難しい」という話を聞いて、ぜひ一度現場を見てみたいと思ったからだ。最初に本社に寄ると郡上市の地図が掲げられていて利用者宅がピンで示されている。なるほどタテに長い市域で利用者宅がまばらに点在している。T中社長の運転で1時間ほど周辺を回ったが「うーん」と唸らざるを得なかった。介護に限らず何事においても私たちは自分の住んでいるところ、今いるところを基準に考えがちである。普段の生活はそれで支障はないのだが、例えば介護とか福祉、医療など国民共通の課題について考えるとき、地方の実情をどれほど組み入れているだろうか?声の大きいところの利害が優先されていないだろうか?これは大変深刻な問題と思う。お昼は平甚というお蕎麦屋さんでおろし蕎麦をご馳走になる。高速バスのバス停まで送ってもらい再び名古屋へ。名古屋ガーデンパレスホテルでグループ経営会議。3泊4日で尾張。三河、美濃を駆け巡ったことになるが、ちょっとした織田信長気分を味わった。

7月某日
元厚生労働省の次官で、財団法人健康・生きがい開発財団の理事長をやっている辻哲夫さんのビデオインタビュー。辻さんは東大の特任教授もやっているので場所は辻さんの研究室がある東大の工学部8号館の会議室。時間通りに辻さんはやって来てまずスチールの撮影。「僕は写真は苦手なんだ」とやや機嫌悪し。千葉大での講演の帰りということで疲労に加えてこの暑さだからね、無理もない。しかしインタビューが始まるといつもの辻さんの調子に戻ってきた。インタビュー後、タクシーで富国生命ビルへ。
このビルの28階にある富国倶楽部で筒井孝子さんと会食。ビルのロビーに入ると当社のS田と保健医療院のO田賀さん、SMSのN久保さん、K田さんが待っていた。N久保さんとK田さんを先に富国倶楽部へ案内する。ほどなくして筒井さんが来る。ビールで乾杯だが筒井さんはお酒ではなくジンジャーエール。筒井さんは介護、医療の世界で立派な学問的な業績を残している人なのだが、偉ぶったところが少しもない人だし、話題も豊富で一緒にいて楽しい人だ。

7月某日
池田省三記念介護講演会を聴きに行く。主催は医療介護福祉政策研究フォーラムと地域ケア政策ネットワーク。昨年4月に亡くなった池田さんとは、確か五島正規さんの出版記念会で一度だけ話したことがある。「僕は実存的マルクス主義なんですよ」と話していたのが印象に残っている。
当日のプログラムは、①地域包括ケアシステムの構築と地域支援事業の見直し(原厚生労働審議官)②地域包括ケアシステムの意義と課題(田中慶大名誉教授)③介護保険―改めて、今何を議論すべきなのか(香取年金局長)④池田省三氏が市町村に与えた“衝撃”と“課題”(笹井武蔵野市福祉部長)⑤介護保険の意義と限界(山崎消費者庁次長)。
このなかで原さんは老健局長として制度運営の当事者だったから除外するとして、それ以外の人は、介護保険制度そのものに関しては、この制度によって「措置から契約へ」や「当事者主権」「介護の社会化」といった概念が一般化したことに対しては大きな評価を与える一方、介護保険の現状と将来については、それぞれが当然ではあるが手放しの楽観論は示さなかった。われわれ団塊の世代が75歳になる2025年に向けて財政的な制約の中でどのような制度改正ができるのだろうか。私はそのカギは住民参加、市民自治がどれだけ実現できるかにかかっているように思う。戦後民主主義が花開いた頃に生を受けたわれわれは、その晩年に至っても私たちの民主主義がホンモノであったかどうか試されているような気がする。コトは介護保険制度だけの問題ではないのだと思う。大きく言えばこの日本社会をどうするのか?どういう社会をわれわれは望んでいるのかということだと思うのだが。終わった後、社会保険旬報のT野編集長と富国生命ビルの「そじ坊」へ。

7月某日
元毎日新聞の論説委員で現在は白梅大学の教授をやっているY路さんとプレスセンターで待ち合わせ。JALの労組から連合に出向していた人を紹介したいということだ。定刻の6時5分前に行くとY路さんともうひとりが既に来ていた。早速、名刺を交換する。LIP介事連代表と印刷されている名刺をもらう。LIP介事連とは「介護事業者による連合組織(Federation of Caregiving Industries)の設立を目指す準備団体だそうだ。N井さんという代表には「確かに訪問介護、特養、老健など業界別に団体はあるし、介護福祉士、社会福祉士、OT、PTなど資格別には団体はあるが、統一的な団体はないのでその必要性はあるのだろうけれど、なかなか大変だと思いますよ」と答えておいた。生ビールと冷酒を頂く。我孫子に帰って「愛花」へ。A岡さんが友人を連れてきていた。その友人は現代思想に興味があるらしくM.フーコー、デリダや浅田彰のことを話した。「柄谷行人は今のどこの先生ですか?」と聞かれたので「近大じゃないの」と答えておいたけど、「愛花」で現代思想が話題になるとは思わなかった。

7月某日

土浦城の縄文
土浦城の縄文

月曜日が「海の日」で3連休。土浦で「道の駅」を社会福祉協議会が運営していると聞いたことがあるので見に行くことにする。常磐線で我孫子から40分くらいで土浦。歩いて15分ほどで土浦城跡、その手前に「道の駅」はあった。実際の運営は「にいはり園」という社会福祉法人がやっているようだ。支援者が販売している「あとひき」という「おかき」を購入、「水菜」と「小松菜」も購入。帰りに亀城とも呼ばれる土浦城址も見学。こじんまりとしたいい城のように思う。土浦駅構内のスーパーでメロンと水戸納豆を買う。

7月某日
我孫子駅前の「東武ブックス」で「ちくま新書」の「第1次世界大戦」と藤沢周平の「静かな木」を買う。土浦に行く電車の中でまず藤沢周平の本から読み始める。「藤沢周平最晩年の境地を伝える3編」と惹句にあった。「岡安家の犬」は友人たちと「犬鍋」を楽しんでいた甚之丞はその肉が愛犬アカのものと知ると、アカを捕えた友人で妹との縁談が持ち上がっている野地金太夫と絶交、妹との縁談も破談を宣告する。野地は苦労の末、アカに似た犬を手に入れ、詫びを入れる。ストーリーとしてはこれだけなのだが、男の友情、愛犬との交情が甚之丞の祖父、十左衛門のエピソードを交え、ユーモラスに語られる。これも藤沢ワールドである。表題作の「静かな木」は、藩の勘定方を退いた孫佐衛門が息子の窮地を家老の旧悪を暴くことによって未然に防ぐという物語。城下の寺にある欅の老木と孫佐衛門を重ね合せるわけだが、それがなんともいいんだねぇ。「偉丈夫」は寡黙で六尺近い偉丈夫の片桐権兵衛は藩の危機を救うという話。3作とも多くの藤沢作品の舞台となった海坂藩が舞台である。藤沢の頭の中には海坂藩の地図が出来上がっていたに違いない。

社長の酒中日記 7月その2

p01
「東京凛屋」の看板

7月某日
世田谷美術館に「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展‐印象派を魅了した日本の美」を見に行く。19世紀後半から20世紀後半にかけて欧米では浮世絵をはじめとする日本美術が大流行し、マネ、ドガ、ゴーギャンなど印象派に大きな影響を与えた。これらを総称してジャポニスムというらしいが、彼らは狩野派、尾形光琳、俵屋宗達らのいわゆる日本画ではなく浮世絵を称賛したかに私は興味がある。狩野派など伝統的な日本画は屏風や掛軸に表装されたり襖絵として主として武士や公家など支配者階級の家屋の室内を飾った。これに対して浮世絵は今回展示されている葛飾北斎の「富岳三十六景 武州千住」でも25.2×36.6㎝の大きさに過ぎない。他の浮世絵もサイズとしては同じようなものである。伝統的な日本画は、当初から美術品、芸術品の扱いを受けたが、浮世絵は恐らく、美人画や役者絵ならば今でいうブロマイド、東海道五十三次のような風景画は絵葉書の感覚ではなかったかと想像する。もちろんサイズが小さいために輸出が簡便だったという理由もあるだろうが、印象派の巨匠たちは、東洋の島国の庶民の美意識の高さにも驚愕したのだと思う。世田谷美術館にはフリーライターのK川さんとデザイナーのY沢さんと行く。帰りに用賀の商店街を歩くと、マンションの1階にちょっと風情のある店があったので入ることにする。これが正解。野菜中心の料理が旨かった。店の名前は「東京凛屋」。

p02
「毎日がアルツハイマー」のチラシ

7月某日
浴風会ケアスクールの服部校長のご厚意で映画「毎日がアルツハイマー2関口監督、イギリスへ行く編」の試写を観に行く。これは同じ関口佑加監督の「毎日がアルツハイマー」の続編である。会場の内幸町ホールに行くと台風が近づいているにもかかわらず、開場前に長い列ができていた。待つこと30分、やっと座ることができたが、周りを見回すと圧倒的に女性が多い。想像ではあるが認知症患者の家族とケアワーカーの人たちが多いのではないだろうか。私は知らなかったが、「毎日がアルツハイマー」を「毎アル」、「毎日がアルツハイマー2」を「毎アル2」と呼ぶそうだ。「毎アル2」は関口監督の母「ひろこさん」がアルツハイマーを発症してから3年目の日常を淡々と描く。「淡々と描く」と簡単に書いてしまったが、実はこれが大変なんだろうなぁと思う。監督が自分でカメラを回しながらアルツハイマーの実の母と会話する。自分を産んで育ててくれた母が老いて認知症になる、この現実をどう受け止めるかが普通の人にとっては大問題。関口監督はこの大問題を受け止めた上で、これを記録映画にしようと思った、そのプロ根性にまず、拍手である。認知症に今のところ特効薬はない。薬によっては認知症の進行を遅らせることができる程度と聞いている。こうした現実は認知症患者本人と家族の気持ちを暗くさせがちだ。しかしこのドキュメントは現実を受け入れたうえで、人生の最終章をできるだけにハッピーに過ごそうとする本人とその家族、支える医療者とケアワーカーが描かれている。「毎アル2」では関口監督が「パーソン・センタード・ケア」(認知症の本人を尊重するケア)の実際を学びにイギリスへ行く姿も描かれている。☆4つ。

7月某日
元厚労省で今年3月まで阪大教授だったT修三さんとフリーライターのS見涼子さん、高田馬場でグループホームを運営している社会福祉法人サンのN村美智代理事長、弁護士のK良明芳先生、それに当社のI藤君と富国倶楽部で会食。何でこのメンバーかというと認知症高齢者の列車事故に対する名古屋高裁の賠償請求判決の件だ。S見さん「世界」7月号に「JR東海も賠償請求訴訟を起こすよりは、この事故を機にどうしたら同じようなことを繰り返さずに済むか、住民と一緒に考えて取り組んでいくことが求められているのではないか。最高裁の判決は、こんどこそ『介護の社会化』を後押しするものであってほしい」と、高裁判決とJR東海を批判する記事を書いている。Tさんは高裁から認知症家族の側を支援しているし、自身のメールマガジン「柿木庵通信」でもJR東海を批判する記事を何度か書いている。今夜の会合はこの2人に市民と法律家の立場からK良さん、介護施設の経営者の立場からN村さんに参加してもらったものだ。
今夜の会合では、JR東海よりも名古屋地裁、名古屋高裁の判決と判決を書いた裁判官に批判が集まった。N村さんは、ただでさえ人手不足なのに、こんな判決が出ればますます働く人が来なくなると語り、経営者としては、利用者家族からの損害賠償請求が増えるかも知れないという懸念をほのめかす。私はこれからの日本社会は、福祉に限らず社会的な連帯、支え合いを強めて行かねば立ち行かないと思うものだが、名古屋地裁、高裁の判決は個人や家族の責任を一方的に強調しているように思える。この判決を認めるわけには行かない。

7月某日

「シゲチャンを偲ぶ会」に集まった面々。真ん中の女性が石川さん、左が伊藤さん、右が徳茂さん。男性は略。
「シゲチャンを偲ぶ会」に集まった面々。真ん中の女性が石川さん、左が伊藤さん、右が徳茂さん。男性は略。

3月に亡くなった元国土交通省住宅局長で前の山口県知事、山本繁太郎さんを偲ぶ会を東海大学校友会館で行う。「偲ぶ会」と言っても、「シャイの会」メンバーによる小さな会だ。当日、18時半受付開始なので当社のI津さんと校正マンのナベさんに声を掛けて会社近くのタイ料理屋でビールを呑んでいると高橋ハムさんから「何やっているんだ」の電話。時計を見ると何と18時半。慌ててタクシーで会場に向かう。高橋さん、徳茂さん、竹下さんがすでに来ていた。19時になったところで高橋さんの音頭で献杯。出席者がそれぞれ「シゲチャン」の思い出を語る。私とシゲチャンとの関係はシャイの会、ハムさんを通してのものだから、それほど深いものではない。シャイの会でお会いすると、もいつもニコニコとした温顔であったことを思い出す。シャイの会のメンバーはみんな自己主張だけは強いのだが、そんななかで私にとってシゲチャンは異色の存在だったと言ってよい。
当日、参加したメンバーは、厚生省関係が吉武(川村女子大学副学長)、江口(神奈川大学教授)、中村(国際医療福祉大学教授)、藤木(地域医療推進機構理事)、それと依田さんは名刺を貰うの忘れた、いまどこだっけ?清水(国立病院機構副理事長)、国土交通省関係が小川(ビルディング協会専務理事)、水流(UR理事)の皆さん。そして今回の人事異動で内閣府の審議官、地域活性化総合事務局次長になった伊藤明子さん、それに元自治労でふるさと回帰支援センター理事の高橋さん、同じく元自治労で現在は横浜で訪問介護事業をやっている徳茂さん、社会福祉法人にんじんの会の理事長石川さん、元年住協で今はミサワインターナショナルの小峰さん、同じく元年住協で現在は結核予防会理事の竹下さん、元滋慶学園で今は健康・生きがいづくり開発財団の理事の大谷さん、それに私の総勢16人。
元建設省で長岡市長の森民夫さんからは「懐かしい皆さんと一緒に繁さんとの思い出話をすることを楽しみにしておりましたが、誠に残念です」のメッセージと長岡の酒が届けられた。
終了後、私と吉武、竹下さんが吉武さんの提案で上野の焼肉屋へタクシーで向かっていると、石川さんから「どこにいるのよ」と電話。石川さんは立川なので急遽方針を変更して東京駅丸の内口の丸ビルへ。博多もつ鍋の店に入る。遅れて石川さんと中村さん、それと弘前大学の准教授でNPOの研究で「けあセンターやわらぎ」を調査している、あっ名前を覚えていない、その准教授が合流。いつも石川さんにはご馳走になっているし、この前は立川から我孫子まで2万円以上タクシーチケットを使わせてもらった(私だけでなく吉武さんも同乗)ので、今回は私が払おうとしたらすでに石川さんが払っていた。石川さん、ごちそうさま、いつもすみません。