社長の酒中日記 7月その4

7月某日

八坂神社のお祭り
八坂神社のお祭り

日立フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会をミューザ川崎シンフォニーホールに聞きに行く。会社のI津さんの甥の嫁さんがチェロを弾いているというので誘われたのだ。シンフォニーホールに行くとI津さんの友人2人が来ており、すぐにI津さんも合流。シンフォニーホールは3~4層の立派な建物。考えてみると正式のホールで正式の管弦楽を聴くのは初めての体験かも知れない。1曲目のヴェルディの歌劇「ナブッコ」序曲が終わると2曲目が同じヴェルディの歌劇「アイーダ」第2幕第2場より「グランフィナーレ」。ターンタカタッタンターンというトランペットの旋律には覚えがある。実は中学時代私は吹奏楽部でアルトサックスを吹いていて、そのとき「アイーダ}序曲を演奏しこの旋律が何度も繰り返された記憶があるのだ。私が吹奏楽部であったことはあまり話していない。だって下手だったからなぁー。でももう50年も前の話だからいいか。そう思ってI津さんには「この曲、中学のブラバンで演奏したんだぜ」と話しました。この日は我孫子の八坂神社のお祭りなので演奏が終わると真直ぐ家路へ。今年のお祭りは例年より人が多いような気がする。

7月某日

手賀沼(ヨットが係留されている。後方に見えるのが「ベルばら」の池田理恵子デザインの「水の館」。
手賀沼(ヨットが係留されている。後方に見えるのが「ベルばら」の池田理恵子デザインの「水の館」。
「手賀の湯」。安近短(安くて近くて移動距離が短い)で人気が高い。
「手賀の湯」。安近短(安くて近くて移動距離が短い)で人気が高い。

3連休の最終日。このところ2キロほど体重が増えている。弁当持参で手賀沼公園を散歩することにする。手賀沼は手賀大橋を挟んで南北に分けられるが今日は南部手賀沼を一周するつもり。だったのだが1時間ほど歩いて柏公園にたどり着いたところで方針変更。北柏から各駅停車で1駅、我孫子に戻る。駅前の県と市の複合施設「けやきプラザ」で弁当を食べる。バスで我孫子高校前へ。そこから歩いて手賀沼湖畔の温泉「手賀の湯」へ行く。サウナに2回入って汗を流したが、結局、体重は減っていなかった。手賀の湯の近くの「道の駅しょうなん」で切り干し大根を買って帰る。

7月某日
今日は火曜日。ということは川村学園大学のY武副学長は休みの日。というわけでY武さんに「我孫子で呑みませんか?」と電話すると、「今日は(大学本部のある)目白で会議。東京でならいいよ」との返事。「築地の多け乃食堂を予約しました」のメールが入る。健康・生きがいづくり財団のO谷常務を誘って築地へ。お店に近付くにつれ思い出した。ここは昔、K地君江さんと何度か来たことがある。K地さんは安くて美味しい店をたくさん知っていたが、この店もそうだ。お刺身の盛り合わせが驚くほど美味しかった。集団的自衛権の行使を巡ってY武さんと激論。Y武さんは集団的自衛権は当たり前という。O谷常務もその尻馬に乗る。彼らは大東亜戦争はじめ、ほとんどの戦争が自衛のため、平和のためというスローガンのもと闘われたのを知らないのだろうか。ベトナム戦争だって南ベトナムの傀儡政権の要請によってアメリカは介入したのじゃなかったか。でもそれはそれとして、結局、その日は楽しく呑んで終わり。我孫子でY武さんと別れ、私は駅前の愛花に寄る。

7月某日
HCMを訪問。O橋さんと4時頃事務所を出て2人だけの暑気払い。神田駅東口の津軽料理の店「跳人」へ。南部や津軽、陸奥の銘酒を頂く。O橋さんが歌を歌いに行こうというので以前行ったことのある南口のスナック「リード」へ。1人4000円で呑み放題、歌い放題というので入ることに。ママとホステスが60代後半、先客の女性客が1人いてこの人も70代。石原裕次郎や美空ひばりなどの昔の歌をたっぷり歌って帰る。ママに店も認知症スナックだねぇ、また来るよと伝える。

7月某日
F都さんが今回の厚労省の異動で国立病院機構に異動になったので激励会を共同通信のJ記者の音頭で開催することになった。場所は神田の葡萄舎。ところがその日になってJ記者から「仕事が入って出られない」の連絡。まぁ現役の記者なら仕方ないか。私は予定通り18時30分頃「葡萄舎」へ。私と同世代の、ということは爺さんと婆さんたちが8人くらいで来ていた。会話を聞くともなく聞いていると同級生が亡くなって「偲ぶ会」のようだった。うーん、そういう世代だよな。19時過ぎに健生財団のO谷常務が登場。20時過ぎにF都さんからタクシーで向かっているとの電話。高齢者住宅財団のO合さんも駆けつける。みんなF都さんのファンである。さらに遅れて厚労省の現役課長補佐も参加。しかしもうその頃は22時近くなっていて、私はかなりへろへろだった。

7月某日
元滋賀県知事の国松知事を取材。健生財団のパンフレット作成のためだが、非常に面白かった。なんというか、一生懸命に楽しんで生きているという感じですね。65歳からの人生は「余生」などではなく「本生」なんだと語る。その語る姿も熱意を込めて語ってくれるからこっちも惹き込まれる。PPK(ぴんぴんころり)のためにはNNK(寝たきり、認知症、孤独死)にならないことを心がけようなど知事経験者だけにスローガン作りも巧みだ。最後には歩き方まで教えてもらった。私の大学時代の友人で、第2次早大闘争で、ともに逮捕起訴されたH山君は滋賀県職労だったが「知っていますか?」と尋ねると、今、国松さんが取り組んでいる障害者スポーツの団体の事務局長をやっているそうだ。世間は狭い。

7月某日

真ん中が川辺さん、左が岩野さん、右はレストランのご主人
真ん中が川辺さん、左が岩野さん、右はレストランのご主人

埼玉県立福祉大学の理事長になった江利川毅さんが厚生省の年金局資金課長になったのは今から30年近く前だろうか。その次の資金課長が今、日本IBMの顧問をしている江利川さんと同期の川辺新さんだ。年金局資金課というのは年金積立金の運用を管理するのが仕事で、年金福祉事業団と特別地方債の管理をやっていたように覚えている。私はこの会社に入って間もなくで年金住宅融資を主な担当としていたから、私にとっては資金課がいわば主務官庁。江利川さんや川辺さんが課長になってから歳が近いこともあって、仲良くなった。江利川さんと川辺さんが課長のとき補佐だったのが今、支払基金の専務理事をやっている足利さんと看護大学教授の岩野さんだ。この4人に当時、年金住宅福祉協会に勤務していた結核予防会の竹下さんと私を加えて不定期の呑み会をやっている。今日は当社の近くのビアレストラン「かまくら橋」が会場。足利さんと江利川さんが欠席のため川辺、岩野、竹下それに私の4人。竹下さんを除く3人が揃ったところで乾杯。竹下さんが来ないので電話すると「あれ、今日やるの」の返事。で今日は3人で決行することに。別にどうという話をするわけではないのだが、気の置けない仲間の楽しい時間だ。お互いだんだん年齢を重ねて行くの仕方がないが、長く続けたい集まりだ。