社長の酒中日記 9月その2

9月某日

葡萄舎でMさんとI津さん、I井さん
葡萄舎でMさんとI津さん、I井さん

CIMネットのN宮理事長と「退院支援ソフト」の普及を応援している。このソフトは北里大学病院のO沢医師が急性期病院から回復期病院、あるいは在宅に復帰する患者さんの状態をデータ化し回復期病院の医療ソーシャルワーカーや医師に提供するというもの。これからの地域連携や地域包括システムにはもってこいのシステムと思う。今日はN宮さんの紹介で公益社団の日本医療社会福祉協会の業務執行理事のS木さん、それに高崎医療センターで医療ソーシャルワーカーをしているS原さんと会うことになった。S木さんは普段は福島県いわき市病院でソーシャルワーカーをしている。いわき市は震災後、何度か行っているので話があった。とくにいわきから2~3駅先の四倉は奥さんの実家があるそうで、話が盛り上がった。厚労省の医政局か保険局に繋ぐべき話と思われるが、相談がてら、元厚労省で国際医療福祉大学のN村先生に紹介することにした。今日は6時からHCMのM社長と待ち合わせていたので途中で失礼する。神田の葡萄舎に行くとM社長と当社のI井さんはすでに来ていた。もうひとり当社のI津さんも呼ぶ。私はN宮さんにビールと日本酒をご馳走になっていたのでかなり酔っぱらう。

9月某日

「とんび」
「とんび」

3連休。我孫子駅前の東武ブックスで買った角川文庫の「とんび」(重松清)を読む。トラックドライバーのヤスさんは、奥さんを事故で亡くし一人息子のアキラを育て上げる。アキラは早稲田大学法学部へ進学し、出版社に入社、年上で子連れの同僚と愛し合う。2人は結婚しこどもが生まれる。まさに通俗を絵に描いたようなストーリーなのだが、私はたまにはこういう小説を読むのもいいかもと思ってしまった。人間の善意を素直に信じられそうだから。

9月某日

「緑の毒」
「緑の毒」

図書館で借りた桐野夏生の「緑の毒」(角川書店 2011年8月)を読む。これは重松の小説とは180度違って惹句に曰く「暗い衝動をえぐる邪心小説!」。妻もある39歳の開業医が連続レイプ犯という設定。医者というかなり特殊な職業の夫婦の話でもあり、開業医や救急病院を舞台とする医療の内幕小説でもあり、被害者たちがネットで出会って結束して犯人を追いつめる復讐譚でもある。「とんび」のような人生もあれば「緑の毒」のような人生もある。そういうことだと思う。

9月某日

「コーポレート・ガバナンスー経営者の報酬と交代はどうあるべきか」
「コーポレート・ガバナンスー経営者の報酬と交代はどうあるべきか」

「コーポレート・ガバナンス―経営者の交代と報酬はどうあるべきか」(久保克行 日本経済新聞出版社 2010年)を図書館から借りて読む。非常に参考になった。私なりに理解したのは①経営者は株主から経営を委託されている②したがって業績が不振な会社の経営者は交替させるべきである③取締役会の役割は本来、経営を監視するところにある④しかしながら日本の企業の場合、社長の部下という側面が強く監視機能が働いていない場合が多い、というものである。また「会社は誰のものか?」というテーマも気になるところだ。アメリカでは「株主のもの」という意識が強く、近年、日本もそういう傾向が強くなっているという。私の場合は抽象的だが、会社は公共財であるという意識が強い。株主のものでも従業員のものでもなく、社会のものだという考えである。社会に役立つモノや情報を生産することによって付加価値を得、従業員の生活も安定させることができるという考えだ。

9月某日
社会保険庁OBのK野さんと神田の庄内料理の店「このじょ」へ。「このじょ」というのは庄内弁で「このあいだ」という意味らしい。元気なお姉さんがフロアを担当している。「虎穴」という日本酒をいただく。ネーミングがいいね。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」にちなんだものだろう。K野さんとはK野さんが庁の保険指導課庶務班長のときからの付き合いだから25年以上の付き合い。Kさんが国民年金協会に来てから付き合いはさらに深くなった。亡くなった当社のO前さんとも仲が良く、3人で呑んだことも何度かある。

9月某日
元厚労省のA沼さんと東京駅近くの「すし屋の勘八」で呑む。認知症や地域包括ケアについていろいろと教えてもらう。遅れてジャーナリストのH家さんが参加。後輩というか部下のY屋さんを連れてくる。Y屋さんはがん、認知症の取材を続けているという。いろいろ情報交換させてもらう。年寄り同士で呑んで懐旧譚にふけるのも悪くないが、若い人と話すのもいいものだ。

9月某日

医療介護福祉研究フォーラムの第22回月例研究会
医療介護福祉研究フォーラムの第22回月例研究会

医療介護福祉政策研究フォーラムの第22回月例研究会。今回のテーマは「障害者福祉の到達点と今後の課題」。最初に社会・援護局の障害福祉専門官の高原伸幸さんが「生涯福祉の現状と実践的課題」について講演した。高原さんは中国四国厚生局も併任ということで広島の今回の台風による土砂災害の報告もあった。また奥さんがくも膜下出血で倒れ、高次機能障害となったことも率直に話していた。講演では障害福祉サービスの予算がこの10年間に2倍となり、平成26年度には1兆374億円に上っていることにも触れていたが、障害福祉サービスに関心の薄い私としては少々びっくりした数字だった。このほか施設から地域への移行が進んでいるなど、最近の障害福祉はずいぶんと変わっているのだなぁという印象を強くした。
続いて前中国四国厚生支局長稲奈川秀和さんの「障害者差別解消法による障害者政策の新たな展開」も「共生社会」という言葉からはじまって、貧困や障害による差別について私に考えるきっかけを与えてくれた講演だった。最後の「障害者の可能性を切り拓く―アール・ブリュットの取り組み方」は滋賀県の社福グローの田端一恵さん。アール・ブリュットとは日本語に直訳すると「生の(加工されていない)芸術」という意味で、既存の文化や流行などに影響されずに自身の内側から湧き上がる衝動のまま表現した作品をさす言葉だそうだ。実は私は2年前の滋賀県大津市で開かれた「アメニティフォーラム」に参加したときY武さんに誘われて近江八幡市にある「アール・ブリュット」のミュージアムに行ったことがある。そのときも障害者のアートに驚いたものだが、講演した田端さんなどの裏方が支えているわけなのだ。このフォーラムでは旧知の人に会えるのが楽しみで、本日も全社協のT井副会長や前任のK林さん、それから久しぶりに社会保険庁の企画課長のころ知り合ったN野さんにあうことができた。

9月某日

サービス提供責任者の方々による座談会
サービス提供責任者の方々による座談会

財団法人社会保険福祉協会の50周年記念事業の一環でサービス提供責任者の方々による「座談会」を開催するという。印刷物としてまとめる仕事を頂いたので、編集者とライター、カメラマンが取材に行く。私も少し覗かせてもらったが、三つのグループに分かれて、活発な討議が行われている。議論の内容もさることながら、訪問系のヘルパーさんたちが交流することの大切さを感じた。
聖イグナチオ教会の納骨堂のマリア像?
聖イグナチオ教会の納骨堂のマリア像?
私はこの日は、元厚労省の医系技官で昨年急死したT原さんのお墓参りをすることになっていたので途中で失礼する。お墓参りと言ってもT原さんの遺骨は、上智大学の聖イグナチオ教会に納骨されているのでそこで元厚労省でこの前まで阪大教授をやっていたT修三さん、埼玉県庁のOGで上智大の非常勤講師のK藤ひとみさん、それに当社のI佐と待ち合わせる。聖イグナチオ教会は、たいへんモダンでしかし荘厳さも併せ持つ建物だった。お参りをした後、高田馬場のグループホームを見学する。理事長のN村美智代さんが案内してくれる。ここのグループホームは職員、ボランティアの数も多いようで入居者は手厚い介護を受けているようで、私は何度かお邪魔しているが入居者の表情が明るくていい。

9月某日

築地本願寺
築地本願寺

第一生命の東京マーケット営業部のS水部長さんに第一生命の築地寮でフィスメックのK出社長とご馳走になる。会場に行く前に築地本願寺を見物した後、会場へ。S水とは珍しい姓なので出身を尋ねると福岡という。高校は修猷館だそうで、ならばY武さんの後輩ということになる。私の知り合いのうちで出身高校が最も多いのが修猷館かも知れない。Y武さん、元日経の論説委員のW辺俊介さん、Y武さんと同期で弁護士のH田野さん、東急住生活研究所の所長をやったM月久美子さん、それからまだ厚生労働省の現役のH生さんもそうだ。不思議と飾らないいい人ばかりだ。

9月某日

「西郷隆盛―西南戦争への道」
「西郷隆盛―西南戦争への道」

岩波新書の「西郷隆盛―西南戦争への道」(猪飼隆明 1992年初版)を読む。猪飼は序章で「西郷の軌跡は、近代天皇制国家成立過程そのもののうちに、またその関連の中ではじめてその本質が明らかにされると考えて」いると述べている。岩倉、大久保らの遣欧使節グループすなわち有司専制グループと残留組(西郷、板垣、江藤ら)の対立と考えると分かりやすいし、残留組がのちに国権派と自由民権派に別れて行くのも面白い。

9月某日

「ばかもの」
「ばかもの」

図書館から借りていた「ばかもの」(絲山秋子 2008年 新潮社)を読む。冒頭から大学生と年上女のセックスシーンで少し驚いたが、これは大学生のヒデと額子との関係をわかりやすく提示するのに必要だったためで、その後の展開は私の予想を裏切るものだった。額子は出奔するようにヒデと別れ、結婚するが事故で腕を失う。ヒデは地元の家電量販店に就職するが強度のアルコール依存症になり恋人にも去られる。ヒデは依存症を克服すべく入院する。退院後、二人は再会する。二人が結婚することを暗示して物語は終わるのだが、私にはとても爽やかな恋と肉体と精神の再生の物語として読めた。

社長の酒中日記 9月その1

9月某日
久しぶりにディアレイクカントリー倶楽部でゴルフ。旧社会保険庁のOB5人と私。私の組はM本さんとW辺さん。M木さんとI田さんT口さんの組が続く。暑さもそれほどでもなく、ときどき秋を感じさせる爽やかな風が吹いた。私は4年前、脳出血で倒れ、右半身に障碍が残った。それでもゴルフは続けている。ゴルフの上手な人が半身不随になったら、ゴルフを再開するのに抵抗はあると思うが、私のように健常だったときも下手だった場合は再会するのに何の抵抗もなかった。そんな話を妻にしたら、「あんた、そんなことより誘ってくれる人に感謝しなさい!」と怒られた。ごもっとも。

9月某日
フリーライターのI川玲子さんと西新橋の「花半」で5時半から呑み始める。I川さんは日本舞踊をやっていたという。師匠は実の叔母さんで、その師匠と弟子の確執の話がかなりおもしろかったのだが、例によって中身は忘れてしまった。話に夢中になっているうちに、周りのお客さんは皆帰ってしまった。開店から閉店までいたわけね。嗚呼。

9月某日
「へるぱ!」という雑誌の企画・編集・発行を㈶医療経済研究・社会保険福祉協会(社福協)という財団法人から委託されている。今日はそこの常務さんと担当のU田さんたちとの暑気払い。有楽町の「あい谷」で18時から。「へるぱ!」は介護保険のサービス提供責任者向けの雑誌で年4回の発行。実は私はこの雑誌を手掛けるまでは「サービス提供者」のなんたるかを理解していなかった。この雑誌によって介護サービスの実態をわずかながら理解できるようになったし、この雑誌がなかったら当社のビジネスも今のような展開にはなっていなかったと思う。民介協、老年医学会、介護福祉士会、SMS、ソラストなどの団体、企業や多くの介護事業経営者や医師、看護師、ケアマネ、現場のスタッフと出会うことができた。会社にとっても自分にとっても大きな財産だと思っている。社福協には深く感謝している。といっても実際にこの雑誌を切り盛りしているのは当社のS田である。彼女が企画を考え、取材先を選定している。ときに取材先に同行するがこれが実に勉強になる。S田にも深く感謝である。

9月某日

駅員の帽子を被って記念撮影
駅員の帽子を被って記念撮影

健康・生きがいづくり開発財団の仕事で「健康・生きがいづくりアドバイザー」の活動を撮影している。前回は北海道札幌市のA石さんだったが、今回は長野県長野市の「三才プロジェクト」。中央線の長野駅から2つ目に三才駅という駅がある。なんでも名古屋のデパートが三歳児に焦点を当てたキャンペーンを展開、その際に三才駅の切符をプレ算としたのがきっかけになって注目を集めるようになったという。このプロジェクトのリーダーのA井さんや事務局長の話を聞くことができたが、純粋に地域のため三歳児のための活動をしている姿に感動した。この三才プロジェクトには長野高専の生徒たちも協力しているが、その協力の姿も自然で大変、微笑ましかった。北海道のA石さんはじめ、健康・生きがいづくりアドバイザーの活動はあなどれない。高齢者のこうした活動は地域包括ケアの支えの一部となっていく可能性があると思った。お土産に虫かごに入った鈴虫を頂く。会社に持って行ったら可憐な鳴き声を聴かせてくれた。

9月某日
最近、休日の取材が続いている。今日は久しぶりの休みなので近所を散歩する。私の家は千葉県我孫子市の手賀沼の沼縁に建っている。もともとは岳父が引退後、住むために建てたものだが、引退前に亡くなってしまい、最初は私たち夫婦、そして子供が2人生まれ、連れ合いを亡くした私の奥さんの母堂とも同居した。建築後40年、増改築を2度ほどしたけれど、今でも健在だ。その我が家の周辺を紹介します。

手賀沼の夕暮れ
手賀沼の夕暮れ

 

手賀沼公園には愛犬家が多く集う
手賀沼公園には愛犬家が多く集う

 

 

沼縁に若いカップルが寄り添っていた
沼縁に若いカップルが寄り添っていた

 

手賀沼公園の夕景
手賀沼公園の夕景

 

9月某日
元建設省の住宅技官で、現在はプレハブ建築協会のG田専務を誘って神田明神下の章太亭へ。ビールを頼んだ後、日本酒のぬる燗へ。つまみはお造りとサンマ、おでん。旬のサンマは銀色に輝き美味しかった。「これどこのサンマ?」と女将に聞いたら「章太亭の!」という答え。まっそれはそうだ。G田さんには住宅業界の現状とサービス付き高齢者住宅の取組みなどについて教えてもらう。別れ議に「G田さん。尊敬する上司っていた?」と聞いたら「いましたよ。Y本さんにU野さん」という答え。2人とも住宅局長経験者でY本さんは今年亡くなった前山口県知事、U野さんは建設省の住宅技官でG田さんの先輩。「二人とも亡くなったけど」とG田さん。寂しいですね。翻って私には尊敬できる上司はいたか?私は尊敬できる上司であったか?少なくとも尊敬できる上司ではないね。

9月某日

O谷常務と八丈焼酎「島流し」
O谷常務と八丈焼酎「島流し」

健生財団のO谷常務に財団の「健康・生きがいアドバイザー」のDVD制作の途中経過を説明。池袋の前に2人で行った「八丈島」という店に。「島流し」という35度の焼酎をキープしていたので生ビールのあとにそれを呑む。半分以上残っていたが、35度はさすがにきつく全部呑むことはできなかった。O谷常務は「今度来るとき俺が呑んでおくよ」と言っていたのでまかせる。

 

 

 

 

9月某日

林真理子「不機嫌な果実」
林真理子「不機嫌な果実」

林真理子の「不機嫌な果実」(文春文庫 単行本は1996年10月)を読む。読み始めはあまり感心しなかった。人妻とかつての恋人である広告会社の社員とのたんなる不倫話としか思えなかったからである。だが中盤から音楽評論家の新しい恋人が登場するあたりから、話は面白くなってくる。人妻は真剣に離婚を考え、家を出て実家に帰る。結婚、恋愛、セックスって何だろうと高校生のように考えてしまうところだった。小説は再び広告会社の社員との不倫に走るシーンで終わる。主人公が最後に到達したの「子供をつくること」。私はこの唐突な終わり方に林真理子の並々ならぬ「作家的力量」を感じたのだが。

 

 

9月某日
北海道室蘭市の小中高と一緒だったS藤正輝君が夫婦で上京。高校が一緒だったS川、U野君、女子は北海道室蘭市の小中高と一緒だったS藤正輝君が夫婦で上京。高校が一緒だったS川、U野君、女子はN田さんとO原さんに声かけて集まることにした。会場は東京駅丸の内口と三菱UFJ信託銀行本店ビル地下1階の「ヴァン・ドゥ・ヴィ」。約束の6時に行くと、S川、U野、N田、O原はもう来ていたので、とりあえずビールで乾杯。10分ほど遅れてS藤夫妻が到着。お土産に北海道の銘菓「若狭イモ」を頂く。私の高校は第一次ベビーブーマー世代の私の1年上が1期生で私たちは2期生。つまり新設校だったわけで少子化にともなって数年前室蘭商業高校と統合されて東翔高校という名前になったという話を風の便りに聞いたことがある。普通科3クラス、商業科2クラスでクラス会は普通科3クラスが合同で行う。それだけ仲がいいということだと思う。首都圏同窓会を今月に開く予定だ。S藤夫妻の歓迎会なのにお勘定はS藤君が払ってくれた。

社長の酒中日記 8月その3

8月某日

「資本主義の終焉と歴史の危機」
「資本主義の終焉と歴史の危機」

「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫 集英社新書 14年3月)を読む。水野が着目するのは「利子率の低下」である。日本の10年国債の利回りは1997年に2.0%を下回り2014年1月末時点では0.62%、米、英、独の10年国債も金融危機後に2%を下回り、短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現している。利子率=利潤率の著しく低い状態の長期化は、企業が経済活動をしていくうえで設備投資を拡大していくことができなくなったということに等しいと水野は言う。そして「利潤率の低下は、裏を返せば、設備投資をしても、十分な利潤を産み出さない設備、つまり「過剰」な設備になっている」ことを意味しているとし、これは「長い16世紀」におけるジェノバの「「山のてっぺんまでブドウ畑」に21世紀の日本は「山のてっぺんから地の果てまで行きわたった」ウォシュレットが匹敵するという。
「利子率の低下」とともに水野が着目するのが「価格革命」である。これも「長い16世紀」には燕麦、麦芽は7~8倍、小麦は6.5倍と高騰している。ひとつは人口の増加であり、従来別個の経済圏だった地中海圏と英蘭仏独と東欧圏の経済圏の統合だと水野は見る。ヨーロッパ経済圏の統合と人口増大によって、供給に制限のある食糧需要が非連続的に高まった。こうした「長い16世紀」の「価格革命」に対して「長い21世紀」の「価格革命」は資源価格、とりわけ原油価格の高騰としてあらわれている。結論を急ごう。結局、水野は資本主義はその誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステムであったと結論する。そして水野はこの「歴史の危機」を直視して、資本主義からのソフト・ランディングを求めるように提言する。水野の言説には説得性があると思われる。だからこそこの本がベストセラーとなったのだろう。しかしわれわれには、ソフト・ランディングすべき地面が未だ見えてこないのだ。

8月某日

「信用金庫の力」
「信用金庫の力」

図書館から借りていた「信用金庫の力」(岩波ブックレット 12年9月)を読む。城南信用金庫の吉原毅理事長が執筆したものだ。「資本主義の終焉と歴史の危機」では、世界経済システムが一大転換期にあることを歴史的な低金利から証明しようとしたものだが、本書もまた株式会社に支えられている資本主義の危機を述べ、協同組合運動と地域金融の意義について語っている。信金という金融機関を「銀行の小さいヤツ」くらいにしか認識してこなかった私としては「目からウロコ」が落ちる思いであった。著者は慶応大学の経済学部を77年に卒業、いくつもの就職試験に落ちた後、地元の城南信金に就職する。そこで出会った城南信金及信金業界全体のリーダーだった小原鐵五郎との出会いが現在の城南信金と吉原を支えている。
著者は市場経済を野放しにしておくと「お金」の暴走が始まり貧富の差が拡大するとして、市場経済原理主義ではなく「人を大切にする社会の構築」を説く。そのためには効率のみを重視するのではなくコミュニティの要素も重視しなければならないという。ここでいうコミュニティとは「出会い、共感、感謝、感動、理想、文化、学び、発展」などがある存在と著者はいう。非常に共感できるし、事実、城南信金は3.11の福島原発の事故を受けて「原発に頼らない社会」を追求することになる。この挑戦の結果はまだ出ていない。しかし著者と城南信金の勇気と危機感には注目していきたい。

8月某日
多田富雄の「春楡の木陰で」(集英社文庫 14年5月)を読む。多田富雄は世界的な免疫学者として高名だが、医学生の頃は医学の勉強そっちのけで江藤淳らと同人誌を出す文学青年だった。その一方で現代創作能の作家でもあり、鼓の名手としても知られる。01年に脳梗塞を患い、右半身の自由と声を失う。本書は前半が日本の大学院を終えた後、アメリカ中西部のデンバーに留学した日々を綴ったもので後半はリハビリ生活とそれを支えた内科医でもある妻のことが描かれている。多田という類まれな感受性の持ち主とそれに出会う様々な人々のことが飾らない文章で描かれる。

8月某日
引続き多田富雄の「寡黙なる巨人」(集英社 07年7月)を図書館で借りる。「あの日を境にしてすべてが変わってしまった」と多田は語り始める。「あの日」とは脳梗塞を発症した日であり、それは多田が67歳の誕生日を迎えて間もなくのことだった。私も4年前脳出血で倒れ、急性期病院と回復期のリハビリ病院併せて3か月の入院を経験している。しかし多田の本を読んで思うのは、闘病経験など軽々しく人にいうものではないなということだ。多田はかなりの重度の左半身の麻痺が後遺症で残り、一時はリハビリの甲斐あって独力で歩行することも可能になったのだが、前立せんがんの手術の予後療養で足の筋力が低下し、以後、車いす生活を余儀なくされる。半身まひと同時に声も失うが、こちらのほうも言語療法が成功したとは言えず、喋れない状態が続く。多田は当初は自死も考えたという。それを思いとどめさせたのは一に内科医である妻の働きによるが、私には自らの病さえ、それを「寡黙なる巨人」と名付け、観察する多田の好奇心も大きく作用しているように思える。多田に比べれば私などまだまだということである。

8月某日
JR東日本の関連会社で東日本ライフサービスという会社がある。ここのI藤さんという常務は私の古くからの友人。どれくらい古いかというと、私が日本プレハブ新聞という業界紙に勤めていた頃からだから、かれこれ30年にはなる。当時、I藤さんはナショナル開発という住宅展示場の運営会社にいて、取材を通じて知り合ったのが最初。そのI藤さんが会社を退くことになったので今日は当時のI藤さんの同僚で今はフリーライターのK川さんとささやかな宴を神田の葡萄舎ですることにした。I藤さんは私の一つ上で早大を卒業後、北海道のテレビ会社に勤めた後、ナショナル開発へ。その後インドネシア旅行社という旅行会社やオーストラリアの大学の日本法人の事務局など、面白い仕事をいろいろとやっている。仕事は変わってお付き合いはずーっと繋がっている。なぜだかわからないがどこか気が合うのだろう。川村女子学園大学のY武副学長が合流。何の会だか訳が分からなくなったところで散会。

8月某日

「知の巨人」
「知の巨人」

「知の巨人-荻生徂徠伝」(佐藤雅美 講談社 14年6月)を図書館から借りて読む。佐藤雅美は好きな作家で図書館から借りて良く読む。ほとんどが江戸時代中後期を舞台にした時代物。だが今回は評伝。荻生徂徠は論語はじめ四書五経などの原典に忠実であろうとし、漢文の読み方も上から直接、読み下してㇾ点やかな交じり文は用いなかったという。佐藤雅美の時代小説も、小説はもちろんフィクションだが時代考証が厳密なのが特徴。その辺が荻生徂徠に共感したのかも。

8月某日

O橋さんチェコの美人留学生
O橋さんチェコの美人留学生

HCM社のO橋さんがチェコからの美人留学生を紹介するという。会社に来てもらうことにして名刺を交換する。カタカナでドヴォジャーコヴァ―・ヨハナと書かれた名刺をもらう。お茶の水女子大学の文教育学部でマンガ論の研究をしているという。日本語はペラペラで容姿はO橋さんの言うとおりなかなかの美人。何でO橋さんと知り合ったかというとO橋さんの地元の居酒屋で若い外国人の女の子2人が日本語で話し込んでいるのを見たO橋さんが「何で日本語で話しているの?」と声を掛けたのがきっかけだそうだ。もうひとりはブルガリア人で共通言語が日本語ということらしい。将来の希望は日本の出版社でマンガに関わる仕事をしたいと話していた。

8月某日

実家の近所。遠くに室蘭港
実家の近所。遠くに室蘭港

札幌出張に合わせて室蘭市の実家に寄る。実家には今年91歳になる母と社会保険労務士をやっている弟と弟の嫁さんが住んでいる。実家は室蘭市の絵鞆半島の先っぽにある。最も私が育ったのは父親の勤務先である室蘭工業大学のある水元町である。今の実家は室蘭市の海側、育ったところは山側ということだ。だから今の実家には愛着はないのだが、とにかく景色のいいところで私は気に入っている。91歳の母は耳が遠くなったぐらいで、ボケもせず介護保険の世話にもならず元気。100歳まで生きるかも知れない。夜は札幌の高校の同級生とその嫁さんたちが集まって歓待してくれる。

8月某日

トウモロコシとジャガイモの皮むきをする「さくらんぼの会」のみなさん
トウモロコシとジャガイモの皮むきをする「さくらんぼの会」のみなさん

本来の出張の目的である健康生きがいづくり開発財団の「生きがいづくりアドバイザー」の活動を紹介するDVDの撮影。ディレクターのY溝君、カメラマン、当社のH尾さんと大通公園で待ち合わせ。大通公園を撮影した後、旧道庁の赤レンガも撮影。昼食時となったが、清田区にあるアドバイザーのA石さん宅に直行。A石さん夫妻は「さくらんぼの会」を主催し、地域の高齢者向けに自宅をサロンとして開放しているのだ。今日はまずみんなでトウモロコシとジャガイモの皮むき。トウモロコシとジャガイモが茹で上がったところでみんなで食事。バターとイカの塩辛と一緒にジャガイモを食べる。これが意外と合う。昼食を摂らないで正解だった。サロンは月1回の開催ということだったがこういうサロンなら私も参加してみたいと思った。後で聞いたのだがこのサロンの中核となっているのはA石さんの奥さんのヘルパー時代の仲間たち。そういうのってちょいとうらやましい。私は札幌でHCMのM社長と「胃ろう・吸引ハイブリッド・シミュレータ」の委託販売先の「竹山」のS村さんと会うために地下鉄の駅までA石さんのご主人に車で送ってもらう。
東急インでMさんと打合せ。S村さんは6時に来ることになっているが、少し遅れて登場。東急イン地下の居酒屋へ。「ハイブリッド・シミュレーター」について意見交換。近くのオールデイズのスナックへ。パティ・ペイジの「テネシーワルツ」をリクエストすると画像とともにパティ・ペイジの歌声が流れる。

8月某日

三川屋の特上寿司
三川屋の特上寿司

Mさんと小樽へ。事業者を訪問した後、少し早いがお昼にする。Mさんが寿司屋横丁の三川屋さんに連れて行ってくれる。ここは歴史のある店で昭和の初期からあるらしい。特上寿司をご馳走になる。特上でも2000円とか2500円(Mさんに払ってもらったのでよく分からない)。三川屋さんは寿司専業ではなく焼肉などもやっている。東京だったら4~5000円はするのではないか。帰りに近くの食料品屋によって私はトウモロコシと「八角」の干物を買う。

8月某日

「世界史の中の資本主義」
「世界史の中の資本主義」

「世界史の中の資本主義-エネルギー、食糧、国家はどうなるか」(東洋経済新報社 水野和夫+川島博之 20013年)を読む。私たちが生きている21世紀は世界史的に見て大きな転換期にあるという。まずフロンティアを喪失した現在つまり新たな投資機会を失った資本主義は、貨幣が過剰となり金利は超低金利となる。次に歴史上初めて人口の増加が止まり食糧が過剰となってくる。歴史の進化なのか退歩なのかよく分からないが、人類は食糧の過剰という事態を迎えつつある。食糧だけではない。石油価格も現在は高騰しているが、シェールガス革命や代替エネルギーの開発により供給過多になってくとの予想もある。歳への人口集中と同時に少子化が進行する。人口減は世帯当たりの所得を増やす要因とはなるが,経済成長にはマイナスに働く。これからも我々は「未だかつてなかった」ような体験をしていくのであろうか。

8月某日

{雑魚や}の鱧の湯引き
{雑魚や}の鱧の湯引き

「へるぱ!」の取材で認知症ケアでユニークな取り組みをしている滋賀県守山市の藤本クリニックへ。藤本直規先生は認知症の患者を中心に据えたケアを展開しているが、詳細は10月発行の「へるぱ!秋号」を読んでほしい。いろいろ感心するところが多かったのだが、藤本先生が力を入れていることの一つが若年性認知症。若年性だけに仕事や生活のことなど難しい問題があるようだ。藤本先生はNPO法人をつくって若年性認知症患者の就労支援を行っている。袋詰め作業などやって患者は月1万円ほどの収入を得るという。たかが1万円だがされど1万円だと思う。若年性認知症で仕事を失った人が自らの労働により報酬を手にする。これは大きな励ましになるのではないかと思う。
守山から京都へ。編集者の当社のS田、フリーライターのS見も一緒。京都のホテルには元厚労省のA沼さんが迎えに来てくれる。S田とS見も誘ってA沼さんが予約していた店「雑魚や」(ざこや)へ。「ぐじ」や「鱧」をいただく。仕舞屋風のなかなかいい店だった。

8月某日
京都から神戸三宮へ。HCMの平田会長にお昼ご飯をご馳走になる。12時にJR三宮の中央口で待ち合わせ。私はその前に神戸市立博物館へ。ギヤマンの展示が行われていた。それに合わせて伊能忠敬の地図も併せて展示されていた。私は常設展で神戸の今昔を楽しませてもらった。お昼は「日本料理櫂」。明石の昼網の新鮮な魚介が売り。生ビールの後、燗酒を頂く。おいしいお料理だったが、経営上のアドバイスをいろいろ頂いたので、味わうどころではなかった。