社長の酒中日記 10月その2

10月某日
健康生きがいづくり財団のPR用パンフレットとDVD作成の仕事を請け負っている。今日は財団理事長で元厚労次官の辻さんに中間報告の日。辻さんが特任教授をやっている東大にスタッフのH尾とY溝君と向かう。H尾の的確な説明もあって中間報告はクリア。辻さんからいただいた指摘もいちいちもっともなものだった。東大から池袋へ。友人で弁護士のK良くんに会う。今、理事を引き受けている社会福祉法人のことなどを相談する。川村学園大学の副学長をやっているY武さんから電話。「今、東京に来ているから例の店で待っていて」と一方的に言う。相変わらず自分勝手な人である。例の店とは多分、根津の「ふらここ」であろうと検討をつけて根津に行ったらまだ開いていない。近所の「安暖亭」(アンダンテ)というこじゃれたチャイニーズレストランに入り、ホタテとセロリの炒めたものとビールを頼む。食べ終わって「ふらここ」へ行くとY武さんはまだ来ていなかった。ほどなくして常連の女性客が来る。明日から遅い夏休みをとって釧路で馬に乗るらしい。Y武さんが来てビートルズなどを歌う。

10月某日
CIMネットのN宮さんから「大分のK枝先生が見えているので来ませんか?」との電話。K枝先生は私より年上だが九大の医学部出身。今はどこの病院にも属さず、いくつかの病院で非常勤で診察治療に当たっている。地域医療とITを結びつけることに情熱を傾けている。先日のY審議官の講演をネタに私が「小さな市町では地域包括ケアの実現は難しいと思う。各医療圏ごとがいいのではないか?」と言ったら「それはいいかもしれない」と賛同してくれた。自治体の行政力には大きな格差が出てきているように思う。それを放置して地域包括ケアの実施を自治体に求めても無理が出てくると思う。増田元総務相による「自治体消滅の警告もある。ことは地域包括ケアだけの問題ではないのである。広域連合の発想が必要だと思う。

蕎麦屋をでたところ
蕎麦屋をでたところ
元厚労次官で今は京大の理事として早朝を補佐しているA沼さんから「幾つか挨拶回りして、5時半ころ神田駅でどう?」とのメール。その日はシルバーサービスのK留さんやフィスメックのK出社長と約束があったが7時からなので神田駅へ5時過ぎに向かう。文庫本を読んでいるとA沼さんがやってくる。西口商店街を歩いていると「シャン トゥ ソレイユ」というベルギー料理の店の看板が目に入ったのでそこにすることに。ムール貝のワイン蒸しなどなかなか美味しかった。会社の近況などを報告し、アドバイスを受ける。A沼さんと別れ、K留さん、K出さんと待ち合わせている蕎麦屋へ。K出さん結核予防会のT下常務が既に来ていた。おいしい日本酒を冷でいただく。遅れてK留さんが来る。K留さんと呑むのは初めてだが、仕事でいろいろお世話になっている。いつも威張ることなく対等に我々と付き合ってくれる。業界や厚労省の信頼も厚いと思う。私は少し酔いすぎたので蕎麦屋で失礼する。

10月某日

返事はあした
返事はあした
田辺聖子の「返事は明日」(集英社文庫)を読む。短大卒の江本留々は24歳のOL.2歳上の恋人、隆夫がいる。隆夫とは落語会で知り合い意気投合、そのまま恋愛関係になる。隆夫は長身色白でまつ毛が長い一見貴公子風。天草四郎からとって「シローちゃん」とも影で呼ばれている。しかしこの隆夫は一言で言えば煮え切らないのである。それに対してルルは一途。この辺のギャップ、行き違いが小説の流れを作っている。結局、ルルは同僚で料理の上手い村山くんとの結婚を決意する。村山くんは故郷へ帰って温泉旅館を継ぐのだが、村山くんと結婚するということは温泉宿のおかみさんになることでもあるが、ルルはそれでもいいと思うのである。田辺聖子にはツチノコ騒動を描いた傑作があるが、田舎というか鄙び願望が少しあると思う。田辺自身は大阪で生まれ大阪で育ち神戸で結婚した純粋な都会人であるがそれだけに鄙びへのあこがれがあるのではないか。伴侶となった「カモカのおっちゃん」も土の匂いのする人のように思う。それはさておきこの小説にはものを食べる場面が結構あってそれも楽しめる。村山くんとは「美々卯」で食事をするのだが、田辺はルルにこう言わせている。「私もムラちゃんもうどん好き、『うどん仲間』といっていい。一緒にうどんを食べられるって、とてもいい男であるのだ。だって気取ってる人間なら、うどんを食べてるトコを人に見られたくない、と思うであろう」。そばは気取って食べられるからいいそうである。そうなるとラーメンもダメね。パスタはギリギリかな。

10月某日

末裔
末裔
絲山秋子の「末裔」(講談社 2011年2月)を読む。区役所職員の省三が家に帰るとドアの鍵穴が無くなっていた。鍵穴がなければドアは開かない。妻を亡くし子供たちは家を出てひとり暮らし。外側からしか家のドアはあけられないのだ。省三はとりあえず、新宿に出て一人呑むことにする。そこから省三のファンタスチックな旅が始まる。この小説を読んで感じたのは家族とか血族にとって、過去は確実に確定されたもので確かな実在なのだが、未来は不確定に満ちているということである。それは家族や血族に限らないのだけれど、家族や国家という共同的な幻想は、その共同幻想が未来永劫続くという観念とセットになっているような気がする。省三は先祖の足跡を辿りに長野県の佐久まででむくことになり、なんとも安らいだ気分になる。省三の回想に出てくる省三の父や伯父は、とても懐かしく描かれる。「末裔」は絲山流の昭和へのオマージュである。

10月某日

一橋大学兼松講堂で開かれた国立市の「認知症の日」
一橋大学兼松講堂で開かれた国立市の「認知症の日」
本日は国立市の「認知症の日」。「地域包括ケアのサイエンス」を書いた筒井孝子さんも講演するというので当社のS田と本を売りに会場の一橋大学兼松講堂へ行く。筒井さんは市民向けにとてもわかりやすい講演をしていた。「役所にたよらないこと、男の人は一人で留守番できるようになること」というような内容だったような気がする。一連のイベントが終了したあとの近くのイタリアレストランで開催された、打ち上げにも参加させてもらった。国立市の佐藤市長、一橋大学の林教授なども参加、当社のS田と元社会保険庁長官でスエーデン大使もやったW辺さんは高校が北海道の岩見沢東高校の同窓ということで盛り上がっていた。

10月某日

月例社会保障フォーラムで講演する小笠原先生
月例社会保障フォーラムで講演する小笠原先生
福祉医療介護政策研究フォーラム(中村秀一理事長)の月例社会保障研究フォーラム。今日の講師は岐阜県の小笠原内科の小笠原文雄院長(日本在宅ホスピス協会会長)による「おひとりさまを支える在宅ホスピスケア~ひとりで家で死ねますか?」という講演。小笠原先生の講演は以前にも聞いたことがあるのだがそのときはそれほど印象に残らなかった。だが今回は「在宅医療」の意味を考える非常に意義深い講演だったし、小笠原先生の人柄と思えるが偉ぶることのない率直でユーモア溢れる講演だった。先生が看取った患者さんや患者さんの家族の写真がスライドで写されたが、笑顔に溢れていた。先生は希望死、満足死、納得死と呼んでいたが、こうした死に方が医療・看護・介護・福祉・保健の連携・協働+介入によって可能になるのであった。だが日本全国で在宅死を可能にさせるには、地域医療とくに訪問看護や在宅緩和ケアの体制整備、患者・家族への情報提供が必要だろうと思った。

10月某日

独立ケアマネのO村さん
独立ケアマネのO村さん
独立ケアマネの取材で江戸川区の小岩へ。「けあまね処すもも」の管理者で主任介護支援専門員のO村さんを取材する。独立ケアマネの取材は3人目。いままでの2人は大変興味深い取材ができたのだが、今回も手応え十分だった。O村さんは専業主婦だったが、子供を抱えて離婚後、専業主婦でもできそうな仕事としてホームヘルパーに。ケアマネの受験資格を得たあと、受験し合格した。当初は事業所に属したケアマネだったが昨年独立したという。管理者、代表社員を含めてスタッフは4人。なんとか利益を出しているという。独立ケアマネの取材をして、ケアマネジャーのあるべき姿がなんとなく分かるようになってきた気がするし、独立ケアマネのそれぞれの人間性に触れることができて大変、楽しい取材である。

10月某日

そもそも株式会社とは
そもそも株式会社とは
「そもそも株式会社とは」(岩田規久男 ちくま新書 2007)を読む。大変勉強になった。
まず「株式会社の基本は、株主が取締役の選任権と解任権をはじめとする会社の重要な経営方針を決定する権利を持っている」(株主主権の原則)ということ。また「株式会社とは、株主が経営者に株主の利益に沿って、会社を経営するように委託した組織である」とも言える。取締役会の任務は「業務執行の決定」と業務執行取締役の「監督」にあり、取締役はこの2つの任務を果たすことを株主から委任されている。取締役は経営のプロとして「善良なる管理者の注意義務(善管注意義務)」を怠って、会社に損害をあたえたときには、会社に対して損害賠償しなければならない。会社がその取締役の責任を追及しない場合には、株主が会社に代わって提訴できる(株主代表訴訟)。こうした意味から岩田は、会社は株主のものと言える(株主主権論)としているのだが、しかし株主主権論は「会社の付加価値を創造する主体は従業員と経営者である」ことを否定するものではない、とも言っている。また、会社がイノベーションによって付加価値を創造してゆくとき、そのもっとも重要な主体は従業員と経営者であることも確認している。岩田は「会社は誰のものか?」という問いには「株主主権論」の立場にたちながら、付加価値創造の主体はあくまでも従業員と経営者と言っているのだ。深く納得。

社長の酒中日記 10月その1

10月某日

富国倶楽部からの夜景
富国倶楽部からの夜景

大学の同級生のA宮弁護士の事務所が西新橋の弁護士ビルにあるのでHCMに寄ったついでに表敬訪問。金曜日に飲む約束をする。その足で郵政互助会琴平ビルにある医療介護福祉政策研究フォーラムのN村理事長を訪問。オヤノコトネットのO沢さんに会うことになったことを報告。今日は6時から富国生命ビルの富国倶楽部で元自衛官の人と会うことになっているので、少し早いが富国倶楽部に向かう。富国倶楽部にはユトリロやクールベといった名画が掛けられている。

クールベの「波」
クールベの「波」

「シャガールが戻ってきました」と掛かりのF谷さんが教えてくれたのでシャガールを鑑賞。ほどなくHCMのO橋さんが来る。2人でビールを呑んでいると元自衛官お二人がやってくる。今日は自衛官の再就職先についての相談。二人共大変感じの良い人で、「色々と聞いてみましょう」と約束してくれた。

昭和の香りがするスナックのたまちゃんと
昭和の香りがするスナックのたまちゃんと

私とO橋さんは2人で新橋の昭和の香りがするスナック「陽」へ。ママさんは現役の生命保険の外務員。

10月某日
国際福祉機器展に当社の有力顧客である社会保険福祉協会とSMSが出展しているので見に行くことにする。社福協とSMSのブースに出向き担当者に挨拶。時間がないので二つのブースの近所だけを見学。介護報酬請求ソフトやケアプラン作成ソフトなど今年はICTを活用したもの、それもクラウドを利用したものが多いように感じた。事務管理部門のコスト削減、合理化が課題となっているということだろう。

レストランかまくら橋にて
レストランかまくら橋にて

私が当社に入社する前にいたのが日本プレハブ新聞社という住宅の業界紙。当社に入社してからもリクルートの「ハウジング」という雑誌を創刊から2年くらい手伝った。そんなわけで今でも住宅関連業界や国土交通省住宅局関係には知り合いが多い。今日は日本プレハブ新聞時代の同僚、O田賢治さんが音頭をとって積水ハウスの広報マンだったH順一郎さん、ミサワホームで政官、業界の調整役を担っていたK山さん、住宅展示場の運営をやっていたI藤さん、K川さん、リクルートで「ハウジング」の編集をやっていたT島みどりさんが当社の近くの「ビアレストランかまくら橋」に集まった。話題はどうしても住宅のことになる。住宅展示場の役割についても議論になったが、私としては実際に建てる家とはかけ離れて広く豪華なモデルハウスには疑問がある。商品見本としての役割よりも客寄せとしての役割が強いように思う。住宅を先ごろ亡くなった経済学者の宇沢弘文のいう「社会的共通資本」としての捉え方が消費者側にも供給側にも弱いと思う。

10月某日

奥さんの実家の元ガソリンスタンドの一角に事務所を構えたI川さん
奥さんの実家の元ガソリンスタンドの一角に事務所を構えたI川さん

SMSの仕事で事業所に属さない独立ケアマネの取材。第1回は練馬のI川さん。I川さんはカネボウ化粧品の出身。昭和25年生まれというから私とほぼ同年齢。利用者に適したケアプランを、いかに費用を抑えて提供するのがポイントと話す。非常にわかりやすい。独立ケアマネは取材したことがなかったので勉強になる。夜、大学時代の同級生A宮弁護士に虎ノ門の「たけとら」という店で日本酒をご馳走になる。

10月某日

10・8山崎博昭プロジェクト
10・8山崎博昭プロジェクト

今から47年前の1967年10月8日、当時の佐藤栄作首相の訪米に反対する全学連の学生たちが羽田空港に突入しようと機動隊と激突した。この戦いで京都大学の一年生だった山崎博昭君(18歳)が弁天橋で亡くなった。彼を追悼するモニュメントの建設と記念誌の作成を目的とした「10・8山崎博昭プロジェクト」の集会が大井町で開かれるという。O谷氏と一緒に出かけることにする。当時私は浪人中で同年の山崎君が死んだことにショックを受けたことを覚えている。翌春、早稲田大学に入学するのだが、授業に出席した記憶はほとんどない。デモと集会、サークル活動(ロシヤ語研究会といってもロシヤ語を学習したわけではなく麻雀の面子を集めに通っていた)の日々だった。集会は詩人の佐々木幹郎の司会で始まったが、私同様ほとんどが前期高齢者のジジババ。羽田闘争のドキュメント映画「現認報告書」を観たところで、私はインタビューの仕事があったので退席した。

N村さんと当社のS田
N村さんと当社のS田

インタビューの仕事は前日に引き続き、独立ケアマネの取材。ケアマネの受験講座の講師を勤めるN村さんを講師の現場に訪ねる。ここではインタビューは無理なのでタクシーで会社へ。N村さんは社会事業大学出身の社会福祉士。長野県安曇野市で独立ケアマネを営んでいる。独立したのは一年ほど前。前日のI川さんのインタビューでも感じたが、独立ケアマネは経済的には結構きつい。きついけれどもケアマネの職責からして事業所と独立していることが望ましいのもわかってきた。介護保険制度は財政的に持続可能な制度にしていくことも大切だがケアプランの作成含めて「質の担保」の側面からの検証も必要だ。インタビュー後、当社のS田、I藤と四人で「葡萄舎」へ。

10月某日

愛してよろしいですか?
愛してよろしいですか?

日曜日。朝から雨。床屋へ奥さんに車で送ってもらう。朝食兼昼食をビールと日本酒で頂く。昼寝をした後、雨の日の日曜日には田辺聖子と決めて集英社文庫の「愛してよろしいですか?」を読み始める。初版は昭和57年とあるから30年以上も前の作品である。ハイミスの「すみれ」と就職を控えた大学生「わたる」の恋物語である。携帯電話もコンビニもなく「すみれ」のアパートには風呂もない。だけれどこれは恋愛を巡る周辺環境が変わっただけで、「すみれ」と「わたる」の恋愛そのものが古びて色褪せたわけではない。「すみれ」は基本的に真面目な女性である。これは田辺の小説のヒロイン全般に言えることだが、「すみれ」は「わたる」に「誠実だけが人間に大切なものやわ」「マジメや誠実が人間の根本でなかったら、社会の連帯や構造も崩れてしまうやないの」と言う。言葉がやや70年代的ではあるが、要するに「すみれ」は、真面目でキュートな女性として描かれているのだ。

10月某日
民間介護事業者協議会のO田専務と西新橋の「花半」へ。遅れてHCMのO橋常務。このところ考えている「退職自衛官の再就職先として介護業界はどうか?」についてO田専務が訪問入浴業界にいたときの経験を聞くためだ。この話は5分くらいで済んで、話はもっぱらO田専務が介護業界にいたときの話とその前の都市銀行に在籍した頃の話。O田専務のいた銀行は高卒200名、大卒250名の同期から支店長になるのが高卒5人、大卒50人くらいだそうだ。高卒は20人にひとり、大卒は5人にひとりの狭き門だ。O田専務はその狭き門をくぐり抜けて上福岡支店を皮切りにいくつかの支店長を歴任した。それだけにO田専務の話は説得力があり面白い。ひとしきりO田専務の話を堪能したあと、O橋常務と阪神タイガースの話題で盛り上がっていた。我孫子駅前の「愛花」に寄る。F田さんに会う。

10月某日

富国倶楽部からの夜景
富国倶楽部からの夜景

神田の葡萄舎で元厚労省で阪大教授を勤めたあと、現在「暇人」を自称しているT修三先生と呑む。先生とは元厚労省で上智大学の教授を勤め、昨年急死したT原亮治先生と3人で何度か呑んだ。T原先生は生前、プロテスタントからカソリックに改宗したが、T修三先生は、その影響もあってか最近、宗教書を読むことが多いという。そこで私が20年ほど前、初めてヨーロッパに行ったときの「宗教体験」の話をした。あれはスイスのどこかの都市の郊外だったと思う。日曜日で公式行事もなく1日自由時間だったので一人で街を散策していたら、教会があったので入ってみるとミサをやっていた。後ろの席で神父さんの説教している姿を眺めていたら、突然ポロポロと涙が出てきた。説教は多分ドイツ語がフランス語で行われていたのでもちろん意味が分かってのことではない。旅行も終盤に差し掛かって肉体的な疲労がピークに達していたため神経が昂ぶっていた影響もあると思う。それとカソリックの教会のイエス像やマリア像、ステントグラスなどの雰囲気も旅に疲れた心を刺激したのだと思う。そんな話をしていたら高齢者住宅財団のO合さんが遅れて登場。葡萄舎の焼酎はアルコール度数が高い(多分40度くらい)のでかなり酔っ払う。

10月某日

資本主義という謎-「成長なき時代」をどう生きるか
資本主義という謎-「成長なき時代」をどう生きるか

エコノミストの水野和夫と社会学者の大澤真幸の「資本主義という謎-『成長なき時代』をどう生きるか」(NHK出版 2013年2月)を図書館から借りて読む。大澤による「まえがき」から本書のコンセプトを見てみよう。第1章の「なぜ資本主義は普遍化したのか?」では、まず資本主義は文明の先進地域の中国やイスラム圏では誕生せず、周辺的な地域、西欧で生まれたことに触れている。これは、資本主義がマックス・ウェーバーやカール・シュミットが示唆するようにきわめて特殊な文化を背景に持つ倫理や生活様式(具体的にはキリスト教とくにプロテスタント)に規定されているためだ。しかし現在では、資本主義はほとんど普遍化し、どのような文化にも根付いている。資本主義は一方できわめて特殊であり他方で、ほとんど普遍的と言っていい波及力を持つ。この両極性をどう理解するかという問いが提起される。第2章の「国家と資本主義」は資本主義にとって国家とのつながりは必然であると主張する者もいれば、逆に、国家は、資本主義には本来不要なジャマ物であるとする専門家もいる。国家と資本主義の関係は「腐れ縁で続く夫婦の関係」のようなものと本書はいう。第3章の「長い21世紀と不可能性の時代」では歴史家のブローデルや世界システム論のウォーラステインが用いる時代区分の「長い16世紀」論、つまり1450年から1650年までの200年間は、西欧で世界経済したがって初期の資本主義が誕生した歴史の転換点となっている、という考え方にならって1970年代から現在、将来を長い21世紀ととらえる。第4章「成長なき資本主義は可能か?」では、われわれの社会は経済成長を前提にして運営されているが、経済成長がさまざまな問題をもたらし、そもそも経済成長自体が困難になってきている。経済成長なしの資本主義を考えてみる。第5章の「『未来の他者』との幸福論」では未来の他者との連帯や21世紀のグローバリゼーションのあとの制度設計について語られる。私にとって非常に刺激的な本ではあるが、簡単には解けない問題を与えられたような気がする。

社長の酒中日記 9月その3

9月某日

銀座の某クラブにて
銀座の某クラブにて
社会福祉法人の理事への承認を要請されたので受諾することにする。SMS社で打合せ中に理事長から「ハンコと署名が6時半まで必要なの」という電話が。しようがないから地下鉄で高田馬場へ。途中でハンコを買う。7時半から神田のジビエ料理の「罠」で呑み会があるので折り返し神田へ。「罠」にはHCM社のM社長と当社のS田が既に来ていた。白ワインから呑み始める。ジビエとは野鳥やイノシシ、シカなどの野生動物の肉を言うらしいが、この日はキジやイノシシ、シカなどを食べる。遅れて記者のJ、国立病院機構のFさんも参加。M社長とS田と私はM社長行きつけの銀座のクラブへ。

9月某日

錆びる心
錆びる心
図書館で借りた桐野夏生の「錆びる心」(文春文庫 00年11月 単行本初版は11月)を読む。桐野夏生は私のお気に入りの作家。「OUT」「柔らかな頬」「ナニカアル」「だから荒野」などいずれも面白かった。写真で見ると結構美人。62歳だけど。「錆びる心」は短編集。桐野は長編で並々ならぬ力量を示すがこの短編集も読ませる。桐野の小説を読むと「人間ってどうしようもないな」と思うと同時に「それでも人間って面白い」と思わせる。

9月某日
社会福祉士でいわき市の病院でMSWをやっているS木さんがCIMのN宮理事長と一緒に来社。当社で「メディカル・クラーク」という雑誌の編集をやっているI佐と「へるぱ!」やSMS社関連の介護系の編集をやっているS田を引き合わせる。S田は民介協の仕事でいわき市の地域包括センターの取材をしたことがあるので話が盛り上がった。14時に医療介護福祉政策研究センターのN村理事長にS木さんとN宮さんを連れて行く。北里病院のO野沢先生の開発した「退院支援システム」について説明する。N村さんからこのシステムの優れている点のエビデンスが不足しているのではないかとか他のシステムとの差異性がよく分からないとの貴重な指摘を受ける。

9月某日

青山2丁目の駅の近くのミラービルに向かいのビルが映っていた。
青山2丁目の駅の近くのミラービルに向かいのビルが映っていた。
国立新美術館に「オルセー美術館展」をデザイナーのY沢さん、フリーライターのK川さんと観に行く。「印象派の誕生―描くことの自由」というサブタイトルが示すようにマネ、モネ、ミレー、セザンヌ、ルノアールといった印象派の絵画を鑑賞。マネの「アスパラガス」という小品には、アスパラガスの束を描いたマネの絵に80フランの値に対し100フランが送金されてきたため「あなたがお買いになったアスパラガスの束から1本抜け落ちていたので追加します」という手紙を添えてその客に贈られたという説明文があった。シャレているね。私はそのアスパラガスの絵葉書と同じくマネの「ロシュフォールの逃亡」などの絵葉書を購入する。
「どまん中」のあんきも
「どまん中」のあんきも
絵を鑑賞した後、赤坂の「どまん中」という居酒屋で会食。我孫子へ帰ってから「あい花」に寄る。常連さんが書いた小説の草稿を読まされる。冒頭部分を読んだだけだが、ヒラリー・クリントンを模したと思われるオバマの後の大統領の就任演説が私には巧みに描かれていると感じられた。

9月某日

室蘭東高の首都圏同期会。手前の3人がS本、N沢、I田君。
室蘭東高の首都圏同期会。手前の3人がS本、N沢、I田君。
銀座の「銀波」という高級居酒屋で私の卒業した室蘭東高校の首都圏同期会。室蘭東高校は千五の第一次ベビーブーム世代の高校進学に備えて新設された高校で私たちが2期生。1学年5クラスでうち普通科が3クラス、商業科が2クラス。普通科でも3クラスしかないので全員が顔見知り。年齢が50台に差しかかったころから首都圏で同期会を開くようになった。出光興産を退職したS川君が永久幹事をやってくれている。銀座の交差点を渡って会場に行こうとしたら、やはり同期生のF君がいたので声をかける。F君は小学生のとき、私の通っていた高砂小学校に転校してきて以来、中学、高校と一緒。高校を卒業後、神奈川県警に勤務したが、いまはなぜか幼稚園を経営している。会場に入ると懐かしい顔が揃っていた。ちょいと呑み過ぎなので一時会で失礼する。

9月某日

大将論
大将論
図書館から借りた「大将論」(池宮彰一郎 朝日新聞社 02年3月)を読む。指導者とかリーダーと呼ばれるためには何が必要なんだろうという最近の私の関心にも答えてくれるような気がしたからだ。イスラム史の山内昌之との対談で、山内は「島津義弘は、領国と民に対する安堵、これが侍としての本分であると肝に銘じている」と言っている。これですね。会社と社員、社長の関係から言うと「会社と社員に対する安堵。これが社長としての本分である」と言い換えることができると思う。

9月某日

ビッグボックスで買ったブックカバー
ビッグボックスで買ったブックカバー
高田馬場でグループホームを経営する社会福祉法人の理事になってくれと頼まれた。認知症ケアや地域福祉を学ぶいい機会なので承諾することにした。ごループホーム経営の相談に乗ってくれる人が来るというので高田馬場へ。NPO法人でグループホームを経営しているH田さんと社会保険労務士のN田さんと名刺交換。その後、日暮里で健康生きがいづくり財団のO谷常務に会う。「ばんだい」というお店で日本酒を4~5杯。隣に座った式根島か神津島で電気屋を営んでいる70歳代のご夫婦と話す。温厚で上品なご夫婦だった。あんなふうに年をとりたいね。高田馬場のビッグボックスでブックカバーをバーゲンしていたので買う。

9月某日

K出、T本、T下さん
K出、T本、T下さん
結核予防会のT下さんが10月から常務になるというのでお祝いの会をすることに。上野の
池之端のホテル鴎外荘の京料理「伽羅」を予約する。上野駅から不忍池に沿って鴎外荘まで歩く。ホテルに着いたらフィスメックのK出社長が既に来ていた。取り敢えず二人で生ビールで乾杯。遅れてT下さん、社会保険出版社のT本社長が来る。コース料理を頼んだのだが私にはちょっと重い。

9月某日
八丁堀のCIMネットで「退院支援システム」の開発者、北里大学病院のO野沢先生に会う。現在実用化に向けてバージョンアップの最中という。完成したら厚労省の記者クラブで記者発表することをアドバイスした。HCM社でH田会長、M社長に会う。遅れて弁護士のK林先生が来る。私とHCMのK島さんをいれて5人で高級居酒屋へ。獺祭や田酒、黒龍などの銘酒をご馳走になる。K林先生は確か木場の材木屋の名家の出身。学習院から名大の大学院を出ている。奥さんは明治維新で活躍した井上聞多の直系で岳父は日本古代史の井上光貞という華麗なる家系。でも全然気取ることのない気さくな先生だ。知り合いの飲み屋のママさんが何か法律問題で悩んでいたとき紹介したら、1時間以上も話をきいてくれてアドバイスをくれたそうだ。それで相談料は2000円しかとらなかったそうでママはいまだに感謝している。