社長の酒中日記 1月その3

1月某日
図書館から借りた佐藤雅美の「老いらくの恋」(文芸春秋 2010年)を読む。縮尻鏡三郎シリーズの一冊。縮尻鏡三郎は勘定奉行所のキャリア司法官僚だったが、故あって仮牢大番役の「元締」といわれる責任者となっている。仮牢大番役は今でいう警察の留置所のようなもので、小伝馬町の牢に送るものをとりあえず預かったり喧嘩した者や酔っ払いを暫時預かったりしていた。庶民の司法相談にも応じていてそれが小説のネタにもなっている。このシリーズもそうだが、佐藤雅美の時代小説は、時代考証が非常にしっかりしているのが特徴で、それが小説にリアリティを与える一因ともなっている。江戸時代の司法制度や土地法制など私が知ったところで何の役に立つわけではないのだが、まぁそこそこの「歴史好き」である私には堪らないのです。

1月某日
「路地裏の資本主義」(平川克美 角川SSC新書 14年9月)を読む。「グローバリズムってどうなのよ?」「資本主義っていつまで続くの?」というのがわたしの目下の関心事のひとつ。平山のこの本も水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」、中野剛史の「世界を戦争に導くグローバリズム」などと同じ問題意識から読んだ。たとえば「現在、先進国を覆っている不況は、商品経済の自立的な運動の結果としての生産過剰に、人間の生活が追い付けなくなっているということを示している」という論理は、水野の15世紀イタリアの山の頂上まで葡萄畑(ワインの原料としての)、21世紀日本の全国津々浦々までウオシュレットの設置が歴史的な低金利を招いているという論理と同様なものである。また、自身の父親の介護体験とマルセル・モースの「贈与論」(勁草書房)から、弱きものへの支援は現代人が信じているような慈悲心ではなく、かつて弱き乳幼児だった自分に与えられた贈与を、第三者お返しする行為であるとする記述などは新鮮であった。

1月某日
市民のための福祉勉強会を継続してやっているホスピタリティ*プラネット(主宰・藤原留美さん)の勉強会へ当社のS田と行く。会場は品川駅港南口のコクヨ本社。勉強会は2部構成で1部は元老健局長の宮島俊彦さん、精神科医の上野秀樹さん、藤原留美さんの3人による鼎談で、2部がDAYS BLG!NPO町田市つながりの開の理事長、前田隆行さんの「認知症の人々の生きる力を引き出す」という講演。鼎談は宮島さんのリードで恙なく終了。上野先生はとても謙虚で感じがよかった。もともと1部は認知症の当事者が講演するはずだったのだが、都合で出られず急きょ鼎談に変更されたという。宮島さんは司会も上手。前田さんの活動報告は私にとっては「目からうろこ」。要介護度4の人がバッティングセンターでバットを振るったり、バスケットコートでバスケットに興ずる映像が映されたが、わたしはどうしても要介護高齢者を保護すべきもの、弱きものとして認識しがちだったが、これは間違いだということが分かった。もとろん加齢により身体的、精神的な能力は衰えていくのだろうが、だからと言って保護されたいと思うわけじゃない。前期高齢者にして身体障碍者4級の私が言うのだから間違いない。懇親会では上野先生と少し話ができた。八王子の歯科衛生士、古田さんと名刺交換。

1月某日
中央線沿線で訪問介護事業所や老健、特養、グループホームを展開している社会福祉法人にんじんの職員による実践報告会に行く。理事長の石川はるえさんとは古くからの友人。で、川村女子学園の吉武副学長と一緒に参加する。わたしは途中から参加したのだが、それでも介護現場の職員、それも若い職員が自分たちの仕事を客観的に見つめながら、利用者により良いサービスを提供するにはどうすべきか真剣に模索していることが伝わってきた。たとえば「夜勤2勤務制を検討してきて見えてきたもの」では従来の夜勤1勤務では職員の疲労感やひいては利用者の安全確保に自信が持てないという不安から夜勤2勤務制を試行。生活リハビリ回数・リクレーションの実施回数が増えた、残業時間が減ったなどの成果が出たという。現場の改善意欲は貴重だと思う。終了後、近くの呑み屋さんで吉武さんともどもごちそうになる。

1月某日
長寿社会開発センターの石黒秀喜さんにワークショップの講師をお願いに行く。オヤノコト社主催のワークショップで浴風会ケアスクールの服部安子さん、白梅大学の山地先生にもお願いしている。石黒さんは前から存じ上げているが名刺をもらったことがなかったのでもらう。名刺の裏に自称“アルチューハイマー”認知症疑似体験者常習者と刷り込まれていた。帰りにHCMに寄ってそのままM社長、O常務と呑みに。富国生命のY崎さん、I藤さん、富国倶楽部のF谷さんが合流。富国生命はM社長の元職場。合流したのは元部下たちでM社長は部下に慕われていたことがよくわかる。

1月某日
社会保険倶楽部霞が関支部の新年賀詞交換会。四谷の東京貨物健康保険組合の会館へ行く。支部長の幸田正孝元厚生次官の音頭で乾杯。社会保険倶楽部の霞が関支部は社会保険庁や保険局、年金局のOB、現役が会員。最近は現役はほとんど出席せず、OBのみだ。私や親会社の川上社長は関連出版社の社長ということで会員になっている。幸田さんややはり元次官の近藤純五郎さんにあいさつ。社会保険庁OBの三木さんや田辺さんと久しぶりに話せた。宴の途中で「ふるさと回帰支援センター」の高橋ハムさんから電話。健康生きがいづくり財団の大谷常務が来ているから顔を出せという。四谷からタクシーで有楽町の交通会館へ。近くの土佐料理屋、と言ってもちょいと洒落た洋風の高級レストラン風。かつおの塩たたき、酒盗などとおいしい日本酒をいただく。

1月某日
NPO法人の生活福祉21の勉強会。飯田橋のセントラルスポーツと高齢者雇用事業団を見学するとのことで、参加を申し込んでおいたのだがキャンセル。呑み会だけに参加する。会場は飯田橋の魚金。会費5000円にしては伊勢海老や毛ガニが出て豪華。生活福祉21の事務局の女性と民介協の扇田専務、東急建設の部長と歓談。終了後2次会に誘われるが、所要があるといって断る。結核予防会の竹下常務に電話して神田の葡萄舎で待ち合わせ。店主の賢ちゃんを入れて3人で呑む。

1月某日
家族を失った人の悲しみを癒す「グリーフケア」という分野がある。ケアワーカーが看取りをするケースが増えているという。少子化時代ということは多死化時代でもある。そう思って何かビジネスと結び付けられないかと考えている。社会保険出版社のT本社長の奥さんがグリーフサポートの一般社団法人を立ち上げたというので話を聞く機会があった。そのとき薦められたのがこの本「妻を看取る日」(新潮文庫 単行本の初版は09年12月)である。著者の稲垣忠生は国立がんセンターの総長を経て、今は名誉総長。奥さんとのなれ初めから闘病生活、死そして喪失と再生の日々が描かれている。二人が出会ったとき、稲垣は26歳、彼女は38歳の既婚者だった。「愛があるなら年の差なんて」とはいうものの12歳年上とは。今から40年前の話である。彼女の離婚再婚自体が大変だったろうし、お互いの家族の納得をえるまでの苦労も並大抵ではなかったろうと思う。でもとても仲の良い夫婦であったことが本を読んでいても暖かく伝わってくる。彼女の死の直後、稲垣は堪えきれず酒に溺れる。しかしもともとが聡明な人なので徐々に立ち直るのだが、私には時間の存在が大きいと感じられた。時間とともにつらい記憶は薄れ、楽しかった記憶がよみがえってくるのである。だから夫婦に限らず、人間には「楽しい記憶」が必要だということ。

1月某日
芝公園にあるSMS本社で介護事業の経営者、管理者をターゲットとする新しいWEB媒体の打合せ。私は介護業界のレベルを上げていくには行政の指導監督の強化ではなく市場競争によるレベルアップが必要との考え。そういう観点を持ちながら新しい媒体に協力していきたいと思っている。またSMSにはその方向で市場をリードして行ってもらえればと思う。SMSの打合せ後、浜松町の「青柚子」で当社の迫田や浜尾と社内体制などを話し合う。

1月某日
オヤノコトマガジン社が3月20日、21日に開催する「オヤノコトサミット」でワークショップを依頼に大田区の地域包括支援センター入新井の澤登さんをオヤノコトマガジン社の馬場さんと訪ねる。快諾してくれた上「ウチのスッタフも何人か行ってもらいましょう」と言ってくれた。日ごろから支援の必要な高齢者とその家族に接しているためか、私たちの希望を理解してくれ、貴重なアドバイスをいただく。17時30分から厚労省OBの堤修三さんと堤さんの高校からの友人で京大教授を定年で退いた間宮洋介さんと会社近くのビアレストラン「かまくら橋」で呑み会。二人は東大でも学部は違うが一緒。間宮さんは西部邁や宇沢弘文に師事したらしい。学者として高名な人だが全然偉ぶったところがない。東大の頃、堤さんは緑色、間宮さんは青色のヘルメットを被っていたとか。途中から当社の迫田が参加。

社長の酒中日記 1月その2

1月某日
「コーポレート・ガバナンス」(岩波新書 14年11月 花崎正晴)を読む。コーポレート・ガバナンス、企業統治はこの数年、わたしの関心の高い分野。会社は利益を上げることが重要な役割だが、利益を上げればそれでいいか、そうでもないだろう、というのが漠然としたわたしの考え。では企業は何のために存在するのか?というところからコーポレート・ガバナンスに関心が向かったきっかけだ。著者の花崎は早稲田の政経出身、日本開発銀行設備投資研究所などを経て現在、一橋大学商学研究所教授。株主と経営者の関係はエージェンシー関係として理解される。会社の所有者たる株主がその代理人としての経営者に経営を委任している。しかし株主と経営者の利害が常に一致するとは限らない。株主と経営者の利害対立は、企業がフリーキャッシュフローを多額に派生させたときに深刻になる。フリーキャッシュフローとは、企業にとって長期的に見てプラスの収益を生む設備投資プロジェクトの原資として使われたとしても、なお余剰となるキャッシュフロー部分を指す。フリーキャッシュフローが存在すると、資本コストを下回るような低い収益しか生み出さない非生産的な投資プロジェクトに資金が回ったり経営者の自己満足を引き上げるだけの浪費的な支出に使われたりといった非効率が生ずる。当社の所有するゴルフ場会員権なども「浪費的な支出」と言えなくもない。ただこの場合は株主も賛同して購入したからね。それはともかく、これからのコーポレート・ガバナンスとして著者は「各企業およびその投資家、従業員、顧客などのステークホルダーは、環境問題、コンプライアンス、企業倫理などを含めた多様な社会的責任に合致した行動をとっていくことが求められよう」としている。もって瞑すべし。

1月某日
「大切な人をどう看取るのか‐終末期医療とグリーフケア」(岩波書店 信濃毎日新聞社文化部 10年3月)を読む。07年10月から09年9月にかけて信濃毎日新聞に連載したものを加筆・訂正したもの。少子化=多子化ととらえれば「死」もビジネスチャンスととらえることができる。そう考えて終末期医療、看取り、グリーフケアの勉強をはじめたところ。あとがきである医師の「人間はいずれ誰しも最期を迎えるという当たり前のことを認識すれば、一人一人の行動や考えが変わる可能性は大きい。死を日常に取り戻すことは、社会を大きく変える力になる」という発言が紹介されていた。今、真摯に死を見つめることが求められていると思う。

1月某日
HCMのM社長、O橋さんと新宿で呑む。帰りは私とO橋さんは池袋まで一緒。わたしが「今日の総括が必要ですね」と言ってもう一軒誘うと、O橋さんの地元の「大山に行きましょう」という。大山商店街の名高いハッピーロードの外れの「伏音」という居酒屋に案内される。O橋さんが電話で予約を入れておいてくれたのでカウンターに席が用意されていた。前にO橋さんに紹介されたチェコからの留学生ヨハナ嬢もここでO橋さんがナンパしたらしい。常連客もマスターもママも感じが良かった。さすが大山!ケアステーションみなみ風練馬のサービス提供責任者をやっているT橋さんと名刺交換。O橋さん、また連れてってくださいね。

1月某日
竹内孝仁国際医療福祉大学教授と当社のO山役員と3人で富国生命ビル28階の富国倶楽部で食事。先生の日医大、医学連の頃の話、東京医科歯科大での医局長時代の話などとても興味深かった。先生は70歳代半ば近くになられているはずだが、今でもジムに通っているそうで、とてもチャーミングでお元気だ。今度、当社の社員にもいろいろと話を聞かせてもらいたいと思った。

1月某日
一般財団法人の社会保険福祉協会から制作を受託している「へるぱ!」の編集会議。いつもはこちらが協会に出向くのだが、今回は当社にU田さん以下、担当の方に当社までご足労願った。「へるぱ!」の編集を任せていただいたお蔭で、当社は曲がりなりにも介護の世界に食い込むことができた。社福協に深く感謝である。編集会議終了後、神田のベルギー料理屋で新年会。我孫子で「愛花」に寄る。O越さんが来ていた。

1月某日
3連休だが、いろいろとやり残したことがあるので休日出勤。ひと段落したところでライターのF田さんに電話。上野で会うことにする。F田さんは私より1~2歳下で早稲田の文学部の確か文芸学科出身。いろいろな意味で得難い人材で娘さんはピアノでチェコのプラハに留学している。F田さん自身は大卒後、行くところがなく家具の業界紙という私と同じようなコースをたどった。二人で焼酎を1本空けて帰る。

1月某日
フランスでアラブ系過激派によるテロで犯人の3人が射殺された。わたしの場合、テロで思い浮かぶのは東アジア反日武装戦線狼による三菱重工本社ビル爆破をはじめとする連続爆破テロだ。犯行グループの一人、斉藤和氏は逮捕直後に服毒自殺した。実は斉藤氏はわたしの高校の1年先輩。中学も同じで学業優秀で生徒たちだけでなく教師からの信望も厚かった。斉藤さんが逮捕され自殺したというニュースにわたしは驚愕したのだが、なんとなく「あの人ならやりかねないかな」と思ったものだ。のちに斉藤さんは高校時代からアイヌ問題に関心があり、それも日本帝国主義に対する怒りの発端となっていたようだ。一般市民を巻き込むテロ行為は理由が何であれ許されるものではない。しかしテロリストを逮捕、射殺することによって問題が解決したとする考えには反対だ。なぜ、テロが生まれるのかそこを考えなければテロの根絶とはならない。

1月某日
日本環境協会のH弘之氏と御茶ノ水で呑む。Hさんは元年住協で支社長をやっていた。年住協在籍中は仕事上のお付き合いはなかったのだが、呑み会やゴルフで一緒になった。今でも年に何回か呑む。なぜか気が合うんでしょう。とくに話題があるわけではないが互いの近況報告などを話す。

1月某日
元厚労次官のA沼氏と麹町のスペイン料理屋、メソン・セルバンテス。A沼氏は普段は京都在住で母校の京大の理事をやっている。東京へはときどき主張で出てくるらしい。A沼氏から電話があったので「女性好きなあなたのために何人か声を掛けときますよ」と言ったら「何言ってんだよ。女好きはあんたでしょ」と電話を切られた。それからすぐ電話がかかってきて「女の人に声を掛けることは比定しません」と言ってきた。ほら、やっぱり。それで参議院議員の秘書をやっているY倉さん、元住宅情報の編集長で今は会社社長のO久保さん、中央線沿線で介護事業を展開しているI川さん、NHK記者のH家さん、国土交通省から現在、内閣府に出向しているI藤さんに電話する。Y倉さんの都合がつかず、I川さんも体調不良とのこと。約束は7時30分からだったが、私に野暮用があって1時間ほど遅れてしまった。A沼氏とO久保氏が来ていた。しばらくしてH家さんも来る。A沼さんは「京大も予備校化が進んでいる。何とかしたい」と熱弁をふるう。でもわたしたち早大全共闘は40ン年前に「産学共同路線粉砕!」をスローガンにしていたのだけどね。まぁ和気藹々のうちに会合を終了しました。次の日の朝、内閣府のI藤さんから電話があり、「ごめん、11時過ぎまで仕事しちゃった」とのこと。旧建設省住宅局で係長になる前からI藤さんのことは知っているが、昔から仕事好きだったものね。お産で入院していた時も、病室から役所に電話を掛けて指示していたというエピソードを聞いたことがあった。

1月某日
埼玉グループホーム協議会のN村会長と東浦和の居酒屋へ行く。N村さんはほとんど呑まないのでわたしがもっぱら呑む。今日は東浦和で栄養士の先生を招いて勉強会があったということだ。介護業界に人が集まらない話だが、給与が日恋だけの問題ではないと思う。埼玉グループホーム協議会はよく勉強会や研修会をやっている。介護に携わる職員の向上心を刺激しているのだ。職員のスキルアップに努力しない事業所は淘汰されていくというか、淘汰されなければならないと思いますね。 

社長の酒中日記 1月その1

1月某日
年が明けたけれど相変わらずすることもない。妻に付き合ってテレビで箱根駅伝を見る。妻はわたしと早稲田の同級生だが、我孫子在住が長いせいか我孫子にある中央学院を応援している。わたしはとくに贔屓の大学もないのだが、走っている選手が皆若いというか幼いのにいささか驚く。「女の日時計」と同じくブックオフで買った桐野夏生の「アンボス・ムンドス‐ふたつの世界」(文春文庫 単行本09年10月)を読む。主人公が女性という以外なんの共通点もないかにみえる6つの短編をまとめたものだ。あえて言うなら、作中の主人公と現実との距離感、現実との違和感、ときには現実への憎悪がテーマとなっているように思う。表題作は夏季休暇中に不倫相手の教頭とキューバに旅した女教師が帰国すると担任の女子が事故死したことを知らされる。不倫相手は自殺し女教師も小学校を退職する。事故死の真相を究明するのがこの短編のテーマではない。小学生の女の子、校長、父兄、世間の自覚せざる悪意がテーマのように思う。現実との違和感、距離感、憎悪をこの小説は拡大、増幅してわれわれに見せてくれる。巧みな小説とはその見せ方が巧みでもあると思う。

1月某日
初詣で湯島天神へ行く。夕方4時ころ行ったのだがお参りまで1時間待ち。行列を整理していたお巡りさんによると、さっきまでは2時間、3時間待ちだったとか。受験生とその家族が多いのかもしれないが、受験生は家で勉強しておいたほうがいいんじゃないの?松戸で我孫子の飲み友達、O越さんと新年会。松戸駅の改札で6時の待ち合わせ。N田さん、O越さんの奥さんが来る。O越さんはパチンコ店から出られないようなので先に行く。駅から3分ほどで「かがやす」へ。ここはN田さんの発見したお店で、O越さんも2~3回来ているらしい。確かに安くてうまい。でも年齢も年齢だからそんなに食べられない。ほどなくO越さんも来る。満腹になって我孫子へ帰る。O越夫妻は「愛花」に寄ると言っていたが、私は失礼する。

1月某日
仕事始め。昔は仕事始めというとお昼頃から会社で軽く一杯やって、それから麻雀なんかをやったものだが、今は本当に「仕事」を始める日。わたしも午後からあいさつ回りをしたが、話が長引いて2社しか回れなかった。まぁいいんですけど。4時に会社に帰って、4時半から当社の仕事始め、5時から親会社の仕事始めに顔を出す予定。

社長の酒中日記 12月その2

12月某日
年末年始の休みが始まる。今年は9連休だが特に予定もないので、本を読んで過ごすことにする。我孫子駅前の書店で買った桐野夏生の「夜また夜の深い夜」(14年10月 幻冬舎)を読む。最近、読む本の大半は自宅から歩いて5分の我孫子図書館で借りる。桐野はベストセラー作家なので、図書館で借りるとなると何か月待ちとなる。で桐野の近著の「だから荒野」などは書店で買っている。主人公のマイコはナポリのスラムに日本人の母親と住んでいる。マイコには国籍がなく生まれたときから19歳の今に至るまでアジアやヨーロッパで転居を繰り返す。学校はロンドンの小学校に行ったきりで、その後は母親が日本から取り寄せた教科書使って教えている。ナポリに日本人が店長を務めるマンガ喫茶がオープンし、マイコはそこの常連となり日本のマンガに強く魅かれる。ここまでが物語の第一段階。第二段階はマイコが家出し、エリスとアナという2人の若い女性と邂逅し、行動を共にすることから始まる。エリスは内戦で肉親を殺され自身もレイプされ、そこから逃れるために殺人も犯す。アナも親に捨てられた過去を持つ。3人にはナポリに居ながらイタリア国籍も市民権もないという共通点がある。エリスがマフィアにレイプされたうえ殺されても対抗するすべがないのだ。しかしこの3人は人間としてのプライドと他者に対する優しさという感情を共有する。
グローバリズムが拡大深化し、格差は広がっている。そのとき国家は何をなすべきか、マイコら3人は国家、市民社会という後ろ盾がないままマフィアと争う。当然敗退し、エリスは殺されるのだが、3人の精神的な強いつながりは残る。アナは女の子を出産しその子にエリスと名付ける。マイコは南半球で名前を変えて母親と暮らす。新しい名前はエリスだ。

12月某日
図書館から借りた「愛に乱暴」(吉田修一 13年5月 新潮社)を読む。「夜また夜の深い夜」が無国籍の日本人を主人公にして外国を舞台にした、日本の小説には珍しい「グローバリズム」ノベルとすれば、「愛に乱暴」は東京郊外の高級住宅地を舞台とする伝統的な「ドメスティック」ノベルである。主人公桃子は夫と夫の実家の別棟に住む。ある日、夫は桃子と別れ恋人と再婚したいと告げる。わたしは小説を読むとき、登場人物の誰か(多くは主人公)に感情移入することが多いのだが、この小説の場合、桃子にも夫にも感情移入できなかった。わたしも男ですから桃子の夫が浮気する気持ちが分からないわけではないが、もうちょっとぴしっとしなさなさいよ、といいたくなる。夫の恋人が決して魅力的に描かれていないのもわたしには好感が持てる、というか夫の恋人が魅力的なら「それゃ無理ないよ」で終わってしまうものね。ドメスティックノベルではあるけれど、後期資本主義の日本で暮らす中産階級の家族の危機が良く描かれていると思う。そのなかで救いがあるとすれば近所のコンビニに務める外国人、李さんとの触れ合いと、パート先のサラリーマンが、今度独立するから一緒にやらないかと声をかけてくれたことだろう。桃子にも「家族」以外の社会とのつながりを残している点である。

12月某日
佐藤優の「功利主義者の読書術」(新潮文庫 平成24年4月)を読む。小説新潮に連載されたものをまとめたもので09年7月に単行本化されている。佐藤は1960年生まれだから私より一回り12年若い。同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省に入省。ロシア連邦日本大使館、本省勤務の後、背任と偽計業務妨害罪で逮捕起訴され、05年に執行猶予付き有罪判決を受ける。佐藤の本を読んで感心するのはその記憶力と読書量である。どちらも半端ではないのだが、本書においてはその読書の量と幅の広さに今更ながら驚かされる。わたしは佐藤が背任と偽計業務妨害罪で有罪となったのは、検察官僚が一つの国家意思のもとに遂行したものと思っている。国家が権力を維持するうえで鈴木宗雄や佐藤の言動や存在が邪魔となったが故の有罪判決と思っている。しかし佐藤が起訴され有罪にならなければ、職業的作家としての佐藤は誕生しなかったのではないか、あるいはノンキャリアの外務官僚としての将来に見切りを付けて作家となったとしても、今の佐藤とはそうとう違った作家になったのではないかと思われる。だとすれば佐藤の逮捕起訴、有罪判決も日本の文化状況という視点からすれば意味のあることだったかもしれない。
宇野弘蔵の「資本論を学ぶ」をとりあげて佐藤は大要次のように言う。日本の非正規労働者の増加について「非正規雇用者の労働者は、労働組合によって守られておらず、弱い立場にある。従って、賃金が低い水準に抑えられるのである」とし「年収200万円以下の給与所得者が1000万人を超えているのは、尋常な状態ではない」ともいう。ほとんど社会民主主義者の言説ではあるが、佐藤はそこでは終わらない。「マルクスの『資本論』や宇野弘蔵の著作がもっと読まれるようになれば、資本主義の限界についての認識が日本社会で共有されるようになる」というのである。わたしには佐藤が日本の経済や社会の現状分析の武器としてマルクスや宇野弘蔵の著作をもっと利用しなさいと言っているように思えるのだが。

12月某日
上野のブックオフで買った田辺聖子の「女の日時計」(講談社文庫)を読む。10数年前から田辺の小説は読むようになったが、「女の日時計」は初めて読む。初出は「婦人生活」の1969年1~12月号とあるから今から45年前。ストーリーをざっと紹介すると、阪神間で高級住宅地として名高い夙川の旧家に嫁いだ沙美子が主人公。母屋とは別棟の新居で穏やかで優しい夫と新婚生活を送っている。姑や小姑との小さな軋轢はあるが、夫の愛に包まれた生活を考えれば当然、我慢すべきものであった。義理の妹の見合い相手、相沢があらわれるまでは。相沢は沙美子に一目ぼれし沙美子もバンコクに赴任する相沢の後を追うことをいったんは心に決める。結局はそうはならず、病に倒れた姑を看病するうちに沙美子は一家の主婦の座を実質的に襲うことになる。沙美子の学校時代の親友と義理の姉の夫との不倫、親友と沙美子の夫の弟との純愛もからんでストーリーは展開してゆく。田辺はこの小説で何を言いたかったのだろうか?田辺は1964年に芥川賞を受賞、66年にカモカのオッチャンこと医師の川野純夫氏と結婚している。田辺にとって子持ちの川野氏との結婚は、一種の「断念」としての側面もあったのだと思う。「断念」は言い過ぎかもしれないが開業医の妻、それも二人の子持ちの後添えになるのだから、文筆業を続けることの不安がなかったわけではあるまい。田辺のそこらへんの「断念と不安」を象徴的に描いたのが「女の日時計」ではなかったのかと思う。そう考えて文体を見ると、以降の軽妙さは見られず、硬質で重い文体と感じてしまうのである。