1月某日
図書館から借りた佐藤雅美の「老いらくの恋」(文芸春秋 2010年)を読む。縮尻鏡三郎シリーズの一冊。縮尻鏡三郎は勘定奉行所のキャリア司法官僚だったが、故あって仮牢大番役の「元締」といわれる責任者となっている。仮牢大番役は今でいう警察の留置所のようなもので、小伝馬町の牢に送るものをとりあえず預かったり喧嘩した者や酔っ払いを暫時預かったりしていた。庶民の司法相談にも応じていてそれが小説のネタにもなっている。このシリーズもそうだが、佐藤雅美の時代小説は、時代考証が非常にしっかりしているのが特徴で、それが小説にリアリティを与える一因ともなっている。江戸時代の司法制度や土地法制など私が知ったところで何の役に立つわけではないのだが、まぁそこそこの「歴史好き」である私には堪らないのです。
1月某日
「路地裏の資本主義」(平川克美 角川SSC新書 14年9月)を読む。「グローバリズムってどうなのよ?」「資本主義っていつまで続くの?」というのがわたしの目下の関心事のひとつ。平山のこの本も水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」、中野剛史の「世界を戦争に導くグローバリズム」などと同じ問題意識から読んだ。たとえば「現在、先進国を覆っている不況は、商品経済の自立的な運動の結果としての生産過剰に、人間の生活が追い付けなくなっているということを示している」という論理は、水野の15世紀イタリアの山の頂上まで葡萄畑(ワインの原料としての)、21世紀日本の全国津々浦々までウオシュレットの設置が歴史的な低金利を招いているという論理と同様なものである。また、自身の父親の介護体験とマルセル・モースの「贈与論」(勁草書房)から、弱きものへの支援は現代人が信じているような慈悲心ではなく、かつて弱き乳幼児だった自分に与えられた贈与を、第三者お返しする行為であるとする記述などは新鮮であった。
1月某日
市民のための福祉勉強会を継続してやっているホスピタリティ*プラネット(主宰・藤原留美さん)の勉強会へ当社のS田と行く。会場は品川駅港南口のコクヨ本社。勉強会は2部構成で1部は元老健局長の宮島俊彦さん、精神科医の上野秀樹さん、藤原留美さんの3人による鼎談で、2部がDAYS BLG!NPO町田市つながりの開の理事長、前田隆行さんの「認知症の人々の生きる力を引き出す」という講演。鼎談は宮島さんのリードで恙なく終了。上野先生はとても謙虚で感じがよかった。もともと1部は認知症の当事者が講演するはずだったのだが、都合で出られず急きょ鼎談に変更されたという。宮島さんは司会も上手。前田さんの活動報告は私にとっては「目からうろこ」。要介護度4の人がバッティングセンターでバットを振るったり、バスケットコートでバスケットに興ずる映像が映されたが、わたしはどうしても要介護高齢者を保護すべきもの、弱きものとして認識しがちだったが、これは間違いだということが分かった。もとろん加齢により身体的、精神的な能力は衰えていくのだろうが、だからと言って保護されたいと思うわけじゃない。前期高齢者にして身体障碍者4級の私が言うのだから間違いない。懇親会では上野先生と少し話ができた。八王子の歯科衛生士、古田さんと名刺交換。
1月某日
中央線沿線で訪問介護事業所や老健、特養、グループホームを展開している社会福祉法人にんじんの職員による実践報告会に行く。理事長の石川はるえさんとは古くからの友人。で、川村女子学園の吉武副学長と一緒に参加する。わたしは途中から参加したのだが、それでも介護現場の職員、それも若い職員が自分たちの仕事を客観的に見つめながら、利用者により良いサービスを提供するにはどうすべきか真剣に模索していることが伝わってきた。たとえば「夜勤2勤務制を検討してきて見えてきたもの」では従来の夜勤1勤務では職員の疲労感やひいては利用者の安全確保に自信が持てないという不安から夜勤2勤務制を試行。生活リハビリ回数・リクレーションの実施回数が増えた、残業時間が減ったなどの成果が出たという。現場の改善意欲は貴重だと思う。終了後、近くの呑み屋さんで吉武さんともどもごちそうになる。
1月某日
長寿社会開発センターの石黒秀喜さんにワークショップの講師をお願いに行く。オヤノコト社主催のワークショップで浴風会ケアスクールの服部安子さん、白梅大学の山地先生にもお願いしている。石黒さんは前から存じ上げているが名刺をもらったことがなかったのでもらう。名刺の裏に自称“アルチューハイマー”認知症疑似体験者常習者と刷り込まれていた。帰りにHCMに寄ってそのままM社長、O常務と呑みに。富国生命のY崎さん、I藤さん、富国倶楽部のF谷さんが合流。富国生命はM社長の元職場。合流したのは元部下たちでM社長は部下に慕われていたことがよくわかる。
1月某日
社会保険倶楽部霞が関支部の新年賀詞交換会。四谷の東京貨物健康保険組合の会館へ行く。支部長の幸田正孝元厚生次官の音頭で乾杯。社会保険倶楽部の霞が関支部は社会保険庁や保険局、年金局のOB、現役が会員。最近は現役はほとんど出席せず、OBのみだ。私や親会社の川上社長は関連出版社の社長ということで会員になっている。幸田さんややはり元次官の近藤純五郎さんにあいさつ。社会保険庁OBの三木さんや田辺さんと久しぶりに話せた。宴の途中で「ふるさと回帰支援センター」の高橋ハムさんから電話。健康生きがいづくり財団の大谷常務が来ているから顔を出せという。四谷からタクシーで有楽町の交通会館へ。近くの土佐料理屋、と言ってもちょいと洒落た洋風の高級レストラン風。かつおの塩たたき、酒盗などとおいしい日本酒をいただく。
1月某日
NPO法人の生活福祉21の勉強会。飯田橋のセントラルスポーツと高齢者雇用事業団を見学するとのことで、参加を申し込んでおいたのだがキャンセル。呑み会だけに参加する。会場は飯田橋の魚金。会費5000円にしては伊勢海老や毛ガニが出て豪華。生活福祉21の事務局の女性と民介協の扇田専務、東急建設の部長と歓談。終了後2次会に誘われるが、所要があるといって断る。結核予防会の竹下常務に電話して神田の葡萄舎で待ち合わせ。店主の賢ちゃんを入れて3人で呑む。
1月某日
家族を失った人の悲しみを癒す「グリーフケア」という分野がある。ケアワーカーが看取りをするケースが増えているという。少子化時代ということは多死化時代でもある。そう思って何かビジネスと結び付けられないかと考えている。社会保険出版社のT本社長の奥さんがグリーフサポートの一般社団法人を立ち上げたというので話を聞く機会があった。そのとき薦められたのがこの本「妻を看取る日」(新潮文庫 単行本の初版は09年12月)である。著者の稲垣忠生は国立がんセンターの総長を経て、今は名誉総長。奥さんとのなれ初めから闘病生活、死そして喪失と再生の日々が描かれている。二人が出会ったとき、稲垣は26歳、彼女は38歳の既婚者だった。「愛があるなら年の差なんて」とはいうものの12歳年上とは。今から40年前の話である。彼女の離婚再婚自体が大変だったろうし、お互いの家族の納得をえるまでの苦労も並大抵ではなかったろうと思う。でもとても仲の良い夫婦であったことが本を読んでいても暖かく伝わってくる。彼女の死の直後、稲垣は堪えきれず酒に溺れる。しかしもともとが聡明な人なので徐々に立ち直るのだが、私には時間の存在が大きいと感じられた。時間とともにつらい記憶は薄れ、楽しかった記憶がよみがえってくるのである。だから夫婦に限らず、人間には「楽しい記憶」が必要だということ。
1月某日
芝公園にあるSMS本社で介護事業の経営者、管理者をターゲットとする新しいWEB媒体の打合せ。私は介護業界のレベルを上げていくには行政の指導監督の強化ではなく市場競争によるレベルアップが必要との考え。そういう観点を持ちながら新しい媒体に協力していきたいと思っている。またSMSにはその方向で市場をリードして行ってもらえればと思う。SMSの打合せ後、浜松町の「青柚子」で当社の迫田や浜尾と社内体制などを話し合う。
1月某日
オヤノコトマガジン社が3月20日、21日に開催する「オヤノコトサミット」でワークショップを依頼に大田区の地域包括支援センター入新井の澤登さんをオヤノコトマガジン社の馬場さんと訪ねる。快諾してくれた上「ウチのスッタフも何人か行ってもらいましょう」と言ってくれた。日ごろから支援の必要な高齢者とその家族に接しているためか、私たちの希望を理解してくれ、貴重なアドバイスをいただく。17時30分から厚労省OBの堤修三さんと堤さんの高校からの友人で京大教授を定年で退いた間宮洋介さんと会社近くのビアレストラン「かまくら橋」で呑み会。二人は東大でも学部は違うが一緒。間宮さんは西部邁や宇沢弘文に師事したらしい。学者として高名な人だが全然偉ぶったところがない。東大の頃、堤さんは緑色、間宮さんは青色のヘルメットを被っていたとか。途中から当社の迫田が参加。