社長の酒中日記 2月その3

2月某日
3泊4日で大阪、西宮、京都、名古屋、常滑へ出張。大阪では私が唯一仲人した佐々木君と会う。私がこの会社に入って間もなくリクルートの月刊ハウジングの編集を手伝っていたことがある。その頃新入社員としてリクルートに入社したのが佐々木君。何人かと連れ立って銀座、新橋、神田でよく飲んだ。しばらくして佐々木君が結婚することになり仲人を頼まれた。リクルートからすれば私はたんなる出入り業者の一人にすぎない。だから「そりゃ部長さんか誰かに頼むべきでしょう」といったんは断ったのだが「どうしても」というので引き受けるハメに。佐々木君はその後、月刊ハウジングの編集から離れ、勤務地も名古屋や大阪となった。20年近く前になると思うがリクルートを早期退職し大阪に編集企画会社エディウスを立ち上げ社長に。今回は大阪出張をきっかけに当社と何か連携できないか模索するつもりだった。ところが佐々木君はなかなか仕事を抜けられず、7時の待ち合わせが8時過ぎになってしまった。こちらは結構、酔っぱらってしまったので連携の話は持ち越しに。

2月某日
大阪介護支援員協会の研修部長、福田弘子さんに今回の介護報酬改定について取材。「私は介護報酬が上がった下がったでは動じません」ときっぱり。それより「利用者のためにも医療保険と介護保険の一本化が必要です」と力説。同感である。福田さんは看護師出身。富田林市の市立病院などで訪問看護師を歴任。第1回のケアマネの試験で資格を取った。看護師からケアマネになると医療職から事務職となるため給料は減る。でも福田さんはケアマネという仕事が好きだからケアマネを選択したという。
午後は関西学院大学へ。お昼頃、阪急の仁川という駅に着く。周りを見回したが店らしい店がない。駅前のビルの1階に「うどん屋」の旗が立っていたので入ることにする。カウンターとボックスだけの店。メニューから「冷たい野菜天ぷらうどん」を注文すると、「10分ほど時間がかかります」という。たべて驚いた。麺に腰があり野菜のてんぷらも美味しかった。帰るとき店の名刺をもらうと「讃岐Dining&Horse Bar」とあり店名はFrankelという。Frankelというのはイギリスの馬名だそうだ。仁川は阪神競馬場があるからHorseにこだわったのだろう。
タクシーで関学の正門に行くと、すでにグリーフサポートの高本代表理事が待っていた。関学の人間福祉学部の坂口幸弘教授を一緒に訪問するためだ。関学は始めてきたが南欧風の低層の建物が並んだ非常に雰囲気のある学園だ。坂口先生によると介護士へのグリーフケアの研修が昨年から多くなってきたそうだ。それまでは看護師への研修が中心だったが、先生もこれから介護士へのグリーフ研修が必要になるという意見だった。
坂口先生の元を辞して京都へ。京都は元厚労省で京大理事の阿曽沼さんとの会食だが、まだ時間があるので高本さん手がけたという結婚式場を見に行くことにする。高本さんは空間デザイナーでもあり、その時やった仕事がAZEKURAという結婚式場。社長の市田さんが案内してくれる。京都にも最近は他県や異業種からブライダル産業への進出があり市場は厳しいとのことだが、社長は「価格競争に巻き込まれないようにやっています」と独自の道を歩んでいるようだった。社長の愛車ロータスを見せてもらう。阿曽沼さんとの待ち合わせ場所、河原町の「いろめし黒川」へ高本さんと向かう。この店は以前、HCMの平田会長に連れてきてもらった。阿曽沼さんは6時半頃到着。東京出張の帰りだそうだ。お刺身や「もろこ」、おからなどを美味しくいただく。高本さんが東京へ帰る。阿曽沼さんは京大でインドネシアやマレーシアなどの留学生を迎え入れることに関心があるようだった。

2月某日
民介協の事例発表会。いつもは東京だが今回は名古屋の国際会議場。金山から地下鉄に乗って日比野で降り5,6分歩くと巨大な建物群が見えてくる。それが名古屋国際会議場。会場に行くと扇田専務が「記者席が空いているよ」というので最前列の記者席へ。事例発表会は何回か参加しているが、今回はいつにも増して興味深かった。介護福祉士だけでなく看護師、作業療法士の発表もあり地域包括ケアの現場での実践、利用者の終末期への対応、視覚障碍者への寄り添いや利用者の状況に合わせての環境整備、住宅改修など発表者が真剣に利用者とかかわっていることがわかった。懇親会はパスして名鉄で常滑へ。建築家の児玉さんと社会福祉士の小藤さんと居酒屋へ。貝類の煮つけ、青柳のてんぷらなど非常に美味そして安い。2次会は陶器を焼く窯をバーに改造した「共栄窯」へ。タイルの内装がなんとも美しい。

2月某日
9時に児玉さんがホテルに迎えに来てくれて、「焼き物散歩道」を歩く。整備されてはいないし人通りも多くないが、私にはそれが好ましい。市民文化会館で「とこなめ陶の森」の館長、渋木さんに紹介される。資料館、陶芸研究所を案内してもらう。INAXライブミュージアムで児玉さん、渋木さんと食事。渋木さんに地域包括ケアは何も高齢者に対象を限ったものではなく、障碍者、児童、市民みんなが参加するものと一席ぶってしまう。渋木さんは興味を示してくれたように見えたが。渋木さんと別れホテルに荷物を取りに行く。3泊4日の充実した出張だった。

2月某日
会社の本棚に埋もれていた「国の死に方」(2012年12月 新潮新書)を読む。東日本大震災と福島原発事故を受けて歴史家として「この国の形」について考えることを文章にしたものである。片山という人は一見すると関係ない事柄を紡ぎ合わせ、歴史的な意味を考えるという意味で稀有な人だと思われる。たとえば本書ではゴジラ、進化論、江戸幕府の職制、明治の元老、生命保険、関東大震災、米騒動、内地米と朝鮮米などキーワードにして鮮やかに日本近代史を切り取っていく。本書の序章は映画「ゴジラ」の映画音楽を作曲した伊福部達の生き方から始まるが、終章もまた「ゴジラ」で終わる。ゴジラの日本襲撃は日本に対する核攻撃と明らかに重ね合わされていると片山は言う。そしてゴジラを鎮めたのは、一民間科学者の平田昭彦扮する芹沢博士であった。日本社会は古来から利益社会と自己犠牲的精神風土の共存であり、広島長崎に対する原爆投下、無条件降伏から9年後に封切られた映画「ゴジラ」はそのことを明らかにしていると片山は言う。

2月某日
ケアマネの全国研修会に参加した愛知県のケアマネとビアレストランかまくら橋で呑み会。今回の介護報酬の改定で中重度の利用者に対する報酬がアップされることについて「要介護度を改善するインセンティブとならない」という声があった。本人の自立度が上がると、要介護度が下がり介護報酬は減額される。つまり事業者にとっては減収となる。要介護度が低下するということは本人にとっても社会にとっても良いことには違いがないのだが、その結果、事業者にとっては介護報酬の減収となってしまう。その矛盾は介護保険制度のスタート以来言われてきたことなのだが。

社長の酒中日記 2月その2

2月某日
松戸の聖徳大学の篠崎先生に「介護マスト」の原稿を頼みに行く。松戸駅西口近くのドトールで待ち合わせ。篠崎先生は前任校の八戸学院大学へ取材に行ったのが最初。筑波大学出身で出版社での編集経験もあり、フラットで飾らない人柄に人気がある。介護業界には魅力的な人が多いということを話すと賛同してくれた。午後、日本の福祉現場力を高める研究大会に出席。もともとは東京福祉専門学校や埼玉福祉専門学校を傘下に持つ滋慶グループの卒業研究の発表会だったが、最近は学生たちが企画委員会を立ち上げて自主的にやっているらしい。そのためなのか、今年はメインタイトルが「介護がデザインする未来の社会」で内容も今日的で面白かった。私は2部からの参加となったが、「LGBTの介護」「介護と葬儀の連携」「ピープルデザインが描く『超福祉』」はいずれも興味深かった。LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランス・ジェンダーの頭文字をとったものでセクシュアルマイノリティの人たちを指すらしい。講演した佐藤さんは都内の特養で働く男性介護士だが戸籍上は女性で、介護現場でもいろいろと苦労があるとのことだ。LGBTの当事者の話を聞けただけでも貴重な体験をさせてもらったと思う。閉会後のレセプションにも顔を出す。

2月某日
建国記念の日で休日だが、引き続き「介護マスト」の執筆依頼で休日出勤。長野県上田市で地域ケア総合研究所を主宰している竹繁さんと上野駅で会う。竹繁さんが午後、日立大田で講演があるので上野発11時の特急に乗るため上野駅での待ち合わせとなった。今回の介護報酬の改定に限らず介護の経営が難しさをますであろうという方向は竹繁さんと一致。現場の「悩める経営者にメッセージをお願いしたいと依頼した。

2月某日
厚労次官をやって現在は医科学研究所と県立埼玉福祉大学の理事長をやっている江利川さん、江利川さんと同期で江利川さんの後に年金局資金課長をやった川辺さん、そのときの課長補佐で去年まで支払基金の専務理事をやっていた足利さん、それに当時、年金住宅福祉協会の企画部長で現在は結核予防会の常務の竹下さんと会社の近くの「レストランかまくら橋」で呑み会。メンバーの看護大学の岩野さんは欠席。話題は元厚労省で大分大学教授の椋野美智子さんの大分市長選挙への出馬に。自民党はすでに元資源エネルギー庁の次長の出馬が決まっているとのこと。少子高齢化や地域包括ケアへの地方都市への対応ということでは、厚労省OBで研究者でもある椋野さんが適任と思うのだが。

2月某日
元社会保険庁で国民年金協会の専務理事だった河野さんと神田明神下の「章太亭」で6時から呑み会。寒いので日本酒の熱燗にする。河野さんは現在は完全にリタイアしていて週末は府中競馬場へ通っているそうだ。河野さんと初めて会ったのは、は河野さんが社会保険庁の年金保険課の庶務班長のときだから30年位前かもしれない。仕事上以外でもいろいろお世話になったというか、わたしの知っている社会保険庁OBの中では浅岡純朗さんなどと並んで異色で面白い人。

2月某日
土曜日だが残務処理で会社へ。ひと段落したのでオヤノコトマガジンの大澤社長に電話。今なら時間があるというので有楽町の交通会館へ。意見交換の後、高田馬場の社会福祉法人サンへ。10年位前、当社に勤めていた今泉友香さんに会う。今泉さんは社会福祉士の国家試験が終わったばかりで多少時間があるというので高田馬場の駅ビルの「文流」で食事。介護の世界についていろいろ教えてもらう。今泉さんと別れ我孫子駅前の「しちりん」でウイスキーのソーダ割り。

2月某日
図書館で借りた「悪い恋人」(井上荒野 朝日新聞出版 2014年12月刊)を読む。夫の両親と2世帯住宅に住む沙知に裏の森の開発計画がもたらされる。開発業者としてあらわれた高校の同級生と肉体関係を結んでしまう。こう書いてしまうと湿っぽい人妻の不倫小説となってしまうのだが、井上はあくまでも小説の登場人物とは距離を置くというスタンス。
現代の庶民の生活に潜む「闇」を鮮やかに切り取っていると私は思う。ところで井上荒野は井上光晴の娘で、私は20年位前にパーティで会ったことがある。井上光晴の娘と紹介されて「お父さんに似てますね」と私が言ったことを覚えている。井上光晴には会ったことはないけれど写真などで見ると、面長な顔に特徴があった。荒野も面長だった。井上光晴をネットで調べたら66歳で亡くなっている。今の私の年だ。当時の井上光晴は巨匠だったけどね。

2月某日
社会保険出版社に高本社長を訪問。厚生年金と共済年金の一元化に向けて意見交換。その後、日本橋小舟町の一般社団法人セルフケア・ネットワークへ。ここの代表理事の高本さんと社会保険出版社の高本さんは同姓だが、夫婦なので当たり前である。高本社長の紹介で高本代表理事を紹介された。セルフケア・ネットワークでは理事の城下さんを紹介される。高本代表理事とは今週、一緒に関西学院大学を訪問することになっているので、その打合せをする。その後、高本社長と寿司屋さんへ。「たぬき」というとぼけた名前の寿司屋さんだが、ご主人と思われる温厚そうな人が握ってくれる。遅れて高本代表理事と城下さんも参加。高本社長にご馳走になってしまう。「今夜も最高!」だったが、いささか日本酒を飲みすぎ。「こんなことをしていていいのだろうか?」という反省の気持ちが一瞬心をよぎるが、もちろんよぎっただけである。

2月某日
SMSの長久保さんと当社で打合せ。6時から打合せだったので終了後、当社の向かいにある「レストランかまくら橋」で食事。近くの酒屋「藤田屋」で購入した日本酒(日高見と出羽桜)、焼酎(壱岐の35度)を持ち込む。この日は根津のスナック「ふらここ」のママから「あやちゃん(常連客)が熊本の馬刺しを持ってきてくれるから吉武さん(元厚労省)を誘ってきて」と言われていたので、吉武さんも「レストランかまくら橋」に来てもらう。日高見と出羽桜を空け、壹岐を半分くらい呑んだところで「ふらここ」へ。馬刺しをいただく。さすがに美味い。

2月某日
朝、テレビのニュースでアメリカのオバマ大統領が「IS(イスラム国)の過激思想に青少年が影響されないように地域社会の再構築を」と言っていた(ように思う。集中して見ていなかったので)。私は少子高齢化社会を支えていくためには、税金や社会保険料による公助や共助だけでなく地域社会による互助が必要、と思っているからオバマの考え方には共感する。これからの社会を考えるのに必要なキーワードの一つは間違いなく「地域」だ。

2月某日
医療、福祉系の専門出版社の青海社の工藤良治社長とは我孫子駅前の呑み屋「愛花」で出会った。ママが「こちらも出版社の社長さん」と紹介してくれたのだが、工藤さんはすでに酔眼朦朧としていた。その後、根津の青海社を訪ねたり、一緒に呑んだことも何度かある。工藤さんのお酒は「好きだけれども弱い」のが特徴。焼酎をロックで呑んだりするのだが、すぐに酔ってしまう。その工藤さんが同社が隔月刊で発行する「臨床作業療法士」を毎号贈呈してくれる。最新号が送られてきたのでページを開くと印象が違う。特集「住民が主役のコミュニティづくり―作業療法士ができること」もいい視点だと思うし、新連載の「列島情熱作業療法」「勝手にOT番付」も面白かった。工藤さんに「面白かったよ」と電話したら、「デザイナーと編集委員を替えたの」という返事だった。「臨床作業療法」誌はお勧めです。

社長の酒中日記 2月その1

2月某日
「イスラム国」に囚われていた後藤健二さんの処刑がネットで確認され、テレビは朝からそのニュースで持ちきりだ。もちろん誰にも人の命を奪う権利などはない。イスラム国の今回およびこれまでの「蛮行」は文明に対する許しがたい挑戦であることは確かだ。イスラム国に対する空爆や周辺国に対する援助の強化も必要であろう。しかしイスラム国がシリア、イラクの広範な地域に「国家」を樹立したことをどう考えるかが大事なのではないか?シリアのアサド政権の圧政、スンニ派とシーア派の抗争、それに根底にはこれらの地域の貧困があるのではないか?原油価格が下がったとはいっても、オイルマネーはこれらの地域では貴重な収入源なはず。それが貧富の差を拡大していることはないのか?民衆の生活向上に回っているのだろうか?処刑に対する怒りだけではなく、イスラム国を生み出す背景にまで迫った冷静な分析が必要と思うのだが。

2月某日
「地域包括ケアの構築と住民参加」というシンポジウムを聞きに行く。保険者事例報告は北海道喜茂別町の東原弘行氏の「テレビ電話・IP告知端末を活用した健康管理や見守りシステム」武蔵野市の笹井肇氏の「まちぐるみの支え合いの仕組みとしての地域包括ケア」、富士宮市の土屋幸己氏の「地域包括ケアシステムの考え方とその実践」はそれぞれ興味深かったが、わたしはフォーマルなサービス連携だけでなくインフォーマルなケアの担い手に着目した土屋氏の話が面白かった。私も今年67歳、近所を見回しても一人暮らしの老人が急に増えているし、介護は他人事ではないのだ。わたしたち団塊の世代が75歳となる2025年に向けて、税金と介護保険によるフォーマルなサービスだけではなく、土屋氏の言う地域住民等の「コモンな互助」が必要になってくると強く感じるからだ。
パネルディスカッションでは堀田聡子氏の「欧米では親子の扶養の義務感がないだけ親子の関係が崩れにくい。日本は義務感にしばられているためいったん親子の関係が崩れると脆い」という話が面白かった。また夕張市民病院の医師で現在は鹿児島で「医療介護塾」を主宰している森田洋之氏が「夕張市は高齢化率46%を超え、高齢世帯率は6割、高齢独居は3割。だが高齢者は生き生きと暮らしているし、重度の認知症のおばあちゃんが向かいの家の雪かきを自分の仕事として認識して毎日やっている」と語り「介護されることが果たして幸せなのだろうか?」と疑問を投げかけていた。

2月某日
社会保険出版社の高本社長から「筒井孝子先生に原稿を頼みたいのだけれど」と相談される。筒井先生とは5年ほど前、当時、筑波大学の教授だった江口先生(現在は神奈川大学)の紹介で会ったのが最初。社会保険研究所が版元となって筒井先生の「地域包括ケアのサイエンス」を出版した時も当社の迫田が編集を担当した。先生はその間、保健医療科学院の主任研究官だったが、昨年、兵庫県立大学に転じている。先生の携帯に電話をすると快く会ってくれるという返事。しかも打合せが重なっているので当社まで出向いてくれるという。高本社長と社会保険出版社の担当編集者も当社に来てもらう。原稿は連載で1年間、地域包括をテーマにという注文だった。筒井先生は快諾した後「8時から打合せがあるのよ」と風のように去って行った。残された私と高本社長、担当編集者の須賀君は当社の迫田、打合せに来ていたフリーライターの沢見さんを誘って近くの居酒屋へ。今年初めて「なまこ」をいただくが、もう少しコリッとしているほうが美味しい。

2月某日
元年金住宅福祉協会の小峰昇さんがミサワインターナショナルを退職することになった。小峰さんは、今から25年ほど前、私が日本プレハブ新聞社で業界紙の記者をしていたときに知り合った。あるとき、「君は早稲田の政経学部出身というが鈴木基司を知っているか?」と聞かれたが、鈴木さんは私の1年上で一緒に革マルとの内ゲバを闘った仲。小峰さんは群馬県前橋市で鈴木さんと高校生運動で一緒で、それから急速に仲良くなった。その小峰さんから「森田君、生涯一記者もいいけれど、新しい会社が出来たので行ってみないか?」と誘われたのが今の会社、年友企画だ。
わたしが入ったころは年金住宅融資も社会保険も伸び盛り。しかもほとんどが随意契約で「ノーリスク・ハイリターン」の仕事をさせてもらった。給料も私のような学生運動の活動家崩れにはもったいない額をいただいた。しかし上手くしたもので小泉改革以降、舞台は暗転、年金住宅融資も社会保険庁も廃止された。しかし今の私を支えてくれているネットワークは、現在の会社に入ってから形成されたものがほとんど。つまり小峰さんとの出会いがなければ今の私はないと言っても過言ではない。そんなことで小峰さんの退職を祝う会を企画することにした。ところが小峰さんから「「祝う会」はダメ「小峰さんの退職を口実にみんなで一杯やる会」なら私も会費を払って参加する」との申し出があり、そうさせてもらうことにした。
当日は雨にもかかわらず、23人ほどが竹橋のホテルKKR東京「さくらの間」に参集、盛会であった。旧厚生省からは元参議院議員の阿部さん、元年金局長の吉武さん、元社会援護局長の中村さん、元保険局長の木倉さんが参加、旧建設省住宅局からは小川さん、合田さんが参加、住宅業界からは加藤さん、小山さん、岡田さん、望月さん、桑原さんらが参加、小峰さんのあいさつも素晴らしく、なかなか素敵な会だった。高齢者住宅財団の落合さんから「仕事で行けないが2次会に行くなら声かけて」の連絡があったので、吉武、合田と3人で葡萄舎へ。ほどなく落合さんが来て、3人で乾杯。わたしと吉武さんは3次会へ。

2月某日
SMSの介護業界の経営者、管理者向けのサイト「けあマスト」を立ち上げることになり、今日は大田区蒲田のカラーズの田尻社長の取材。詳しくはサイトを見ていただきたいが田尻さんのこだわりの一つは人材。というか介護業界は人材の確保と育成につきると言ってよいのではないか?問題は市場が「質の競争」となっていないところにあると思う。話は変わるが田尻さんの夫は、私と同郷の北海道室蘭市出身。彼は進学校の室蘭栄高校を卒業後、東京学芸大学数学科に進学。シャンソン歌手となったという変わり種。今や3児の父でもある。取材後、神田へ。愛知県で家具の転倒防止をやっている児玉道子さんがHCMの森社長と「福一」で待っている。わたしが着いたのが6時半過ぎ。2人はすでに出来上がっていた。

2月某日
先日亡くなった宮尾登美子の「天璋院篤姫」上下(講談社文庫)を読む。宮尾登美子は昔よく読んだ。「岩伍覚書」とか「朱夏」ね。どちらも自伝的な小説で前者は娼妓のあっせんを業とする親子の話、後者は確か結婚して満州に渡った著者の半生を描いたものだ。対して「天璋院篤姫」は薩摩藩の分家、今泉家から島津斉彬の養女となり、のち13代将軍、家定の御台所となる篤姫の物語だ。斉彬の養女となってからもいったんは近衛家の養女となってから大奥入りするなどいろいろとややこしいのだが、やはり宮尾登美子というべきか、しっかりと読ませる。前半は篤姫の成長譚、ビルドゥイングスロマン、後半は何と言っても、未亡人となった篤姫と、14代将軍家茂に輿入れした皇女和宮との嫁姑の物語である。そうなのだが和宮は京都から何十人も侍女を連れて行ったものだから、江戸派と京都派に大奥を二分する闘いとなる。
もともと篤姫は、家定の後継に水戸の徳川斉昭の男子である徳川慶喜を擁立するために、島津斉彬から大奥に送り込まれたのだが、慶喜はこの物語で徹底して敵役となっている。考えてみると鳥羽伏見の戦いに幕軍が敗れ大阪城に退いたとき、幕軍の大勢は薩長との雪辱戦に向かっていたが、慶喜は数人の側近とともに軍艦で密かに江戸へ逃げ帰った。確かに将としては如何なものかと思わせる。鳥羽伏見の戦い後、江戸城の表、幕閣は政治的に機能しなくなるのだが、大奥は篤姫の元、一糸乱れぬ統率を保つ。篤姫は徳川家に輿入れした嫁として実家の薩摩の攻撃により斃れても止む無しという考えだ。江戸城の明け渡し後、和宮は京都に帰り、篤姫も徳川家の当主となった田安(徳川)亀之助と同居する。明治天皇が江戸を首都としたことから和宮も江戸、東京に帰って来て、平穏な嫁姑関係となる。別の本で読んだことがあるが、勝海舟の屋敷を篤姫と和宮が訪ね、昼食となった。お櫃からご飯をよそうとき、篤姫と和宮が「わたしがわたしが」といって譲らなかったという。勝がお櫃をもう一つ用意して互いによそいあったという。くだらないけど「女の意地」というか面白い。

2月某日
青梅線の可部駅の近くにある介護事業所「こころの広場」の井上社長を取材。千葉県我孫子市の我が家から2時間半はかかった。井上さんは東京福祉専門学校の卒業生。卒業後、特養に勤めたが入居者への職員の態度等、「何か違う」と退職、トラックの運転手に。2年後に別の特養へ。また「何か違う」とトラック運転手へ。そして介護保険がスタートするころ訪問介護事業所を立ち上げた。介護業界には魅力的な人が多い。医療・看護に比べると給料も低いし、介護福祉士養成系の大学や専門学校の偏差値も高いとは言えない。このことは何を意味するか?人間は収入の多寡、学歴の高低では測れないという当たり前のことをわからせてくれるのだ。
夕方、健康・生きがいづくり財団の大谷常務が、健康・生きがいづくりアドバイサーの「バッチ」を作りたいのだがと相談に来る。アドバイサーにとってどんなデザインが適当か内部で議論が必要ではと答える。打合せ終了後、神田駅近くの「千両箱」へ飲みに行く。ここは刺身が旨い。「うまずらはぎ」の刺身がおすすめで確かにうまかった。寒かったので熱燗2合徳利を2人で3本。