社長の酒中日記 3月その2

3月某日
「へるぱ!」のインタビューで厚労省老健局の高橋振興課長にインタビュー。質問に誠実に答えてくれた。高橋さんは国土交通省との交流人事で老健局へ。福祉の仕事は初めてと思うが勘所はきちんと押さえている。しかしわたしが高橋さんのような優秀なキャリア官僚に望みたいのは「現場を見てほしい、現場の声を聴いてほしい」ということ。中央官庁の情報は役所(都道府県などの自治体)や市町村長、団体を通してのものが多いのではないだろうか?それはそれで結構なのだが、現場との微妙な「ズレ」を感じてもらいたい、そのためには現場を見てもらいたい、ということである。
社会保険出版社の高本社長を訪問。今後の事業の展開などについて意見交換。フィスメックの小出社長も合流。3人で社会保険出版社の近くの新潟の「へぎそば」の店に。「栃尾の油揚げ」などを肴に八海山や麒麟山、吉乃川、越乃景虎などの新潟の銘酒をいただく。途中から元厚労省で現在、川村女子学園大学の副学長をやっている吉武さんが参加。吉武さんが入ると「座がもつれる」ケースがあるが、この日は終始上機嫌。まぁ高本さんも小出さんも吉武さんとは初対面みたいなもの。初対面の人に対してはさすがの吉武さんも「紳士」にならざるを得ないのであった。高本社長にすっかり御馳走になる。

3月某日
大学時代の同級生、A宮弁護士と神田の鎌倉橋の交差点で待ち合わせ「葡萄舎」へ。法律問題を相談してあとは焼酎。僕らのクラスは優秀な民青とあまり優秀ではない全共闘派(僕ら)がいたが、クラス委員選挙ではいつも民青に負けていた。クラス討論で、民青から「お前は偉そうなことを言うけれど、日米安保の条文を読んだことがあるのか?」と聞かれ、「読んでねーよ。ベトコンの少年兵は共産党宣言や資本論を読んでいなくっても立派に米軍と闘っているじゃねえか」と答えたら、民青から「今、ベトコンと言ったな。それは解放勢力に対する蔑称なんだぞ」と噛みつかれ、クラス討論は終了した。勉強嫌いは今に至るも変わらない。

3月某日
「けあZINE」のインタビューで株式会社介護コネクションの奥平代表取締役に会社に来てもらう。奥平さんは沖縄出身。新聞奨学生をやりながら早稲田大学社会科学部を卒業、不動産鑑定事務所に勤める。この事務所で高齢者住宅や施設の鑑定に携わったのが介護の仕事と出会ったきっかけ。新聞奨学生だった経験を活かして介護施設で働きながら、大学や専門学校で学ぶというシステムを考案して現在、試行中。卒業後、介護関係の仕事に就くのもいいが、奥平さんはむしろ、介護の仕事を通して仕事の厳しさや楽しさを学んで一般のビジネスに生かしてほしいという考え。介護に対する正しい理解が市民の間に広がってほしいと最近、強く思う。奥平さんのビジネスが成功することを祈る。インタビューが終わった後、当社のS田、SNSのN久保氏と「レストランかまくら橋」へ。奥平さんはお酒は呑めないそうで、ジンジャーエールで付き合ってもらう。わたしらは持ち込んだウイスキーをいただく。

3月某日
東商傘下のNPO,「生活福祉健康づくり21」の横田さんが3月いっぱいで退職するというので民介協の扇田専務と送別会。神田駅南口の扇田専務いきつけの居酒屋へ。中国吉林省出身の女の子が注文取りやお運びをやっている。横田さんは退職して地元川越の町内会で伝統のある山車の回収・保存に力を入れるという。こういうひとが地域を根っこから支えているんだろうと思う。

3月某日
企画を手伝ったオヤノコトサミットが有楽町の交通会館で開かれているので覗きに行く。白梅大学の山地先生の「介護保険制度改正」、浴風会ケアスクール服部さんの「認知症患者家族の悩みにこたえる」、わがやネットの児玉さんの「親の安全な住環境のために」、大田区西新井の地域包括支援センターの澤登さんの「地域で楽しくクラスためのヒント」をきかせてもらう。聴衆がちょっと少ないのが残念だったがなかなか聞きごたえのある講演だった。会社へ帰ってグリーフサポートの高本さんと当社の浜尾の3人で「介護職にとってのグリーフサポート」の調査事項について打合せ。児玉さんも合流。高間と、児玉さんと私の3人で神田の葡萄舎へ。高本さんは夫の社会保険出版社の高本社長が葡萄舎のファンなので一度来てみたかったという。高本さんと児玉さんは初対面だが年齢もほとんど一緒で、気が合ったみたいで今度児玉さんが住んでいる知多半島へ行こうという話になっていた。遅れて高本社長も参加。私は我孫子へ帰って駅前の「愛花」で焼酎のお茶割を2杯ほどいただく。

3月某日
オヤノコトサミットの2日目。長寿社会開発センターの石黒理事に講師をお願いしているので覗きに行くことにする。10時からと思っていたら11時からだったので地下1階の喫茶店で時間をつぶす。11時近くなったので会場に行くと徐々に人が集まりだした。石黒さんの講演テーマは「親の老いと親孝行の心得」。石黒さんは自らの体験を踏まえながら軽妙に話す。午後、会社に帰り17時から高田馬場の社会福祉法人サンへ。

3月某日
市民図書館で借りた「会社をどう変えるか」(奥村 宏 ちくま新書 03年12月)を読む。10年位前に出版された本だが日本経済を替えていくにはそれを支えている会社を変革していかざるを得ない、という著者の考えは基本的に正しい。日本の会社の現状はバブル崩壊の後遺症、それに加えて人口の減少による市場の縮小により、20年の間、低迷を続けてきた。現在は円安効果によって経済は回復の兆しを見せているが、個人や企業のもたれ合い、責任の回避といった日本の風土それ自体を変えていかなければ、本当の構造改革はできないと思っている。改革には痛みが伴う。その痛みをできるがけ少なくしながら改革の効果を上げていくのが経営者の責任である。

社長の酒中日記 3月その1

3月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と厚労省の武田審議官を訪問。地方議員を対象とした「地方から考える社会保障フォーラム」の講師、テーマの選定についてアドバイスをもらう。その後、虎の門フォーラムの中村理事長と面談。虎の門フォーラムを出たら6時近くなっていたので結核予防会の竹下氏に電話。「東商の近くで呑み始めたばかり」という。大手町ビル地下1階の「玉の光酒蔵」で待つことにする。福祉住環境コーディネータ資格などについて話す。竹下さんは現在、福祉住環境コーディネータ協会の会長だ。

3月某日
元衆議院議員の樋高剛先生とティラーレの佐藤社長と富国生命ビル28階の「富国倶楽部」で会食。樋高先生は民主党、生活の党を通じて小沢一郎氏の側近。奥さんは平野貞夫氏の娘でもある。樋高先生の単行本つくりを手伝って以来の付き合いだが、早稲田大学応援部出身の好漢。「政界再編へ向けて民主党、維新などといろいろやって行きたい」と話す。今の政治状況は自民党の1強体制、自民党も安部総理の1強体制。民主主義にとっては如何なものかと私も思う。樋高先生は純粋にこの国の将来を憂えている。こういう人を野においておいてはいけない。国政復帰を切に願う。

3月某日
元社会保険庁長官で全社協の副会長もやった末次彬さんたちと会社の向かいのレストランかまくら橋で会食。5時半過ぎに会場に行く。6時少し前に末次さん、6時半丁度にゴルフ仲間で援護局で中国の帰国子女とかかわってきた高根さんが来る。高根さんはお酒を飲まないのでジンジャーエール、わたしと末次さんはビールで乾杯。末次さんはアサヒのスーパードライは呑まないから念のため銘柄を確認するとキリンとの答え。しばらくして現在国際医療大学の教授で「虎の門フォーラム」を主宰している中村秀一さんが参加。中村さんも末次さんも社会保険診療報酬支払基金の理事長をやっている。中村さんが課長補佐の時、沖縄出身で医系技官の仲村さんが課長で仲村課長は「にんべんのなかむらさん」と呼ばれ、中村課長補佐は部下をギリギリと締めたこともあって「ひとでなしのなかむらさん」と呼ばれていたと「ひとでなしのなかむらさん」が話して盛り上がった。だいぶ遅れて地域医療支援機構の理事に出向している藤木さんが来る。藤木さんは東日本大震災のとき、北海道厚生局長で、震災発生後すぐにボランティアで被災地に入った。その後の人事異動で東北厚生局長として仙台に赴任し、被災地の支援に走り回った。末次さんと高根さんが帰った後、中村さんがカレーライスとスパゲッティをごちそうしてくれた。

3月某日
グリーフサポートの高本代表理事のご母堂の葬儀に参列するため浅草の東本願寺に。導師2人の読経の声が心に響く。男声2部合唱ですね。午後、製薬協の伍藤理事長を訪問。伍藤さんが社外役員をしているSMS社の件を報告。しっかりやるように激励される。夜は社会福祉法人サンの西村理事長と上野の駅近くのぶんか亭で打合せ。この店はJR東日本の子会社が経営するレストラン。西村さんはお酒を呑まないのでそばを注文。わたしは生ビールを1杯と日本酒を冷で3杯ほど。我孫子に帰って駅前のバーでジンバッグとボンベイサファイアというジンをロックで。

3月某日
伊達政宗の誌に「馬上少年過ぐ」という詩があり、近頃この詩がよく頭をよぎる。

馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残駆天の許すところ
楽しまざればこれ如何せん

司馬遼太郎に同名の小説があり、わたしがこの詩の存在を知ったのも司馬の小説によってである。この詩の大意は、つぎのようなものだ。
若いころは馬に乗って戦場を駆け巡ったが、天下は平定され私もすっかり白髪頭となってしまった。私がここにこうしていられるのも天が許したからだ。人生を楽しまないでどうしよう。
私の青春時代は学生運動華やかりしころで大学はバリケード封鎖で授業はほとんど出たことがない。警察との攻防だけでなく他党派との抗争もあり、何日も下宿のアパートに帰らなかったことも度々あった。政宗が戦場を甲冑で身を固め馬で駆け巡ったように私たちも長髪にヘルメット、片手にゲバ棒を握りしめ、学園や街頭を駆け巡ったわけである。私としてはまさに「残駆天の許すところ楽しまざるを如何せん」という心境なのである。

3月某日
全国社会保険共済会の会長、植田さんが肝臓がんで亡くなった。私と同年だから66歳のはず。お通夜に行く。会場が橋本なので途中、立川のケアセンター「やわらぎ」で石川はるえさんに会う。立川から八王子へ出て橋本へ。時間前に着いたのだが、すでに会場は参列者で一杯だった。お浄めの席で江利川さんはじめ多くの知り合いに会う。当社の大山、間杉さんも参列。植田さんは社会保険業務センターの副所長とノンキャリアのトップまで登り詰めた人だが、わたしたちにもフランクに接してくれたし、江利川さんはじめキャリアの信頼も厚かった。通夜の橋本の駅前で大山さんと一杯。通夜帰りの何人かに声を掛けられる。

3月某日
有楽町の交通会館に「ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんを訪問。ハムさんは早大全共闘時代からの知り合い。全共闘運動の敗北後、魚河岸で働いたり呑み屋の用心棒をやったりしたが自治労の書記局に採用された。20年以上前に厚生省の前で宣伝カーの上に載ってアジ演説をしているハムさんを見かけてから付き合いが再開した。ハムさんは福祉6法の改正で当時の若手厚生官僚の辻さんや吉武さんらと付き合うようになる。ハムさんとは大分市長選挙に立候補を表明している椋野美智子さんを「勝手に支援する会」の打合せ。今日は学芸大学前で5時半に堤修三さん、大谷源一さんと間と合わせ。駅近くの山内農場へ入る。遅れて元自治労副委員長の徳茂さんが参加。

社長の酒中日記 2月その4

2月某日
しまった。2月は28日までしかなかった。前回アップしてから3日しかないのでね。今日もいろいろとごちゃごちゃあったが、夕方、埼玉グループホーム・小規模多機能協議会の西村会長に会いに行く。転んで腰を打ったとか言っていたが、わたしは一言「老化だね」。私も5年前に患った脳出血の後遺症で右半身が不自由。不自由には慣れたけど、不自由からくる肩こりに悩まされている。右側に負荷がかかるためか、右肩、腰、臀部が異常に張るんですね。1週間に1回はマッサージに通う。わたしは「みんなのてもみ」神田中央通り店に通っている。店も施術者も感じがよく、気にいってるのだが1回60分、2980円(税別)というのが痛い。話が逸れてしまったが、西村さんとは終末期、グリーフサポートの研究に協力してくれるようにお願いする。帰りは南浦和から武蔵野線で新松戸へ。新松戸には「GUI呑」という呑み屋があり、今日はそこで元年住協の林弘行さんと待ち合わせ。林さんはすでに来ていた。さっそく生ビールと焼き鳥を頼む。林さんは現在、日本環境協会で会員増強の仕事をしている。最近は環境教育の普及にも力を入れているようだ。新松戸で林さんと別れ、我孫子駅前のバーに寄る。バーテンダーは私のことを覚えておいてくれた。ジントニック、バーボンのクレメンタイン、アイリッシュウイスキーをいただく。

2月某日
目黒のパーシモンホールで「認知症の人の看取りを考えるフォーラム」が開かれるというので聞きに行く。少し遅れて行ったら、パネラーの一人、長寿社会開発センターの石黒秀喜さんに「社長、暇つぶしかい?」と声を掛けられる。ゆきぐに大和病院長の宮永先生、それと昨日会った西村さん、NPO法人楽の柴田理事長、山形保健医療大学の小澤さんがパネラー、医療や介護の専門家ではない石黒さんの話の「医療や介護する人に迷惑かけたくないのよねぇ」という発言が会場の共感を呼んでいた。パーシモンホールは柿木坂にあるからパーシモン、柿木坂と言えば堤修三さんが住んでいるし近くの国立病院機構には古都さんがいる。しかし三軒茶屋に住んでいる香川喜久江さんのことを思い出し、電話して三軒茶屋で待ち合わせ。三軒茶屋で呑むのは初めてだが、一歩路地を入るとなかなか渋い店が並んでいる。「ごしき」という和食の店に入る。香川さんは何年か前にリンパ腺ガンになり完治したのだが、それ以来酒を辞めている。だが酒席には付き合ってくれる。福島の酒を3杯ほどいただく。我孫子の駅前の愛花に寄ったら大越さん夫妻が来ていた。夫の大越さんは国士舘大学出身なので今日、三軒茶屋で呑んだことを話す。「学生時代、ドレメのねーちゃんと付き合ってたんだよ」と懐かしそうに話す。

2月某日
土曜日だけど残務整理で会社へ。グリーフケアの研究企画書を点検。グリーフサポートの高本さんに若干の修正をお願いする。老健補助事業の申請について、健康生きがいづくり財団の大谷常務と打合せ。上野駅前の大統領という焼き鳥屋で待ち合わせたが、満員で入れず近くの「浜ちゃん」にする。ここもはぼ満員。以外に若いカップルが多い。安くておいしいからなのだろうか。上野駅近辺を歩くという大谷さんと別れ我孫子へ。我孫子では癒し堂というマッサージによる。ここは中国人がやっていて価格は税込みの2980円。腕は悪くない。
図書館で借りていた桐野夏生の「奴隷小説」(2015年1月 文芸春秋)を読む。これは短編集。桐野は長編もいいが短編もいい。今回は新潮、オール読物、文芸春秋などに掲載された7編の短編が収録されている。「奴隷小説」というタイトルをつけていることからも分かるようにテーマは隷属である。隷属は普通に暮らしていると恐怖である。しかし人は隷属にも慣れてくる。同じ境遇にあっても隷属する側に迎合する人と迎合できない人が出てくる。そこらあたりのことを短編にちりばめられているように思う。私はこの小説を読んでイスラム国や北朝鮮、川崎の少年殺人事件を思い浮かべた。