3月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と厚労省の武田審議官を訪問。地方議員を対象とした「地方から考える社会保障フォーラム」の講師、テーマの選定についてアドバイスをもらう。その後、虎の門フォーラムの中村理事長と面談。虎の門フォーラムを出たら6時近くなっていたので結核予防会の竹下氏に電話。「東商の近くで呑み始めたばかり」という。大手町ビル地下1階の「玉の光酒蔵」で待つことにする。福祉住環境コーディネータ資格などについて話す。竹下さんは現在、福祉住環境コーディネータ協会の会長だ。
3月某日
元衆議院議員の樋高剛先生とティラーレの佐藤社長と富国生命ビル28階の「富国倶楽部」で会食。樋高先生は民主党、生活の党を通じて小沢一郎氏の側近。奥さんは平野貞夫氏の娘でもある。樋高先生の単行本つくりを手伝って以来の付き合いだが、早稲田大学応援部出身の好漢。「政界再編へ向けて民主党、維新などといろいろやって行きたい」と話す。今の政治状況は自民党の1強体制、自民党も安部総理の1強体制。民主主義にとっては如何なものかと私も思う。樋高先生は純粋にこの国の将来を憂えている。こういう人を野においておいてはいけない。国政復帰を切に願う。
3月某日
元社会保険庁長官で全社協の副会長もやった末次彬さんたちと会社の向かいのレストランかまくら橋で会食。5時半過ぎに会場に行く。6時少し前に末次さん、6時半丁度にゴルフ仲間で援護局で中国の帰国子女とかかわってきた高根さんが来る。高根さんはお酒を飲まないのでジンジャーエール、わたしと末次さんはビールで乾杯。末次さんはアサヒのスーパードライは呑まないから念のため銘柄を確認するとキリンとの答え。しばらくして現在国際医療大学の教授で「虎の門フォーラム」を主宰している中村秀一さんが参加。中村さんも末次さんも社会保険診療報酬支払基金の理事長をやっている。中村さんが課長補佐の時、沖縄出身で医系技官の仲村さんが課長で仲村課長は「にんべんのなかむらさん」と呼ばれ、中村課長補佐は部下をギリギリと締めたこともあって「ひとでなしのなかむらさん」と呼ばれていたと「ひとでなしのなかむらさん」が話して盛り上がった。だいぶ遅れて地域医療支援機構の理事に出向している藤木さんが来る。藤木さんは東日本大震災のとき、北海道厚生局長で、震災発生後すぐにボランティアで被災地に入った。その後の人事異動で東北厚生局長として仙台に赴任し、被災地の支援に走り回った。末次さんと高根さんが帰った後、中村さんがカレーライスとスパゲッティをごちそうしてくれた。
3月某日
グリーフサポートの高本代表理事のご母堂の葬儀に参列するため浅草の東本願寺に。導師2人の読経の声が心に響く。男声2部合唱ですね。午後、製薬協の伍藤理事長を訪問。伍藤さんが社外役員をしているSMS社の件を報告。しっかりやるように激励される。夜は社会福祉法人サンの西村理事長と上野の駅近くのぶんか亭で打合せ。この店はJR東日本の子会社が経営するレストラン。西村さんはお酒を呑まないのでそばを注文。わたしは生ビールを1杯と日本酒を冷で3杯ほど。我孫子に帰って駅前のバーでジンバッグとボンベイサファイアというジンをロックで。
3月某日
伊達政宗の誌に「馬上少年過ぐ」という詩があり、近頃この詩がよく頭をよぎる。
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残駆天の許すところ
楽しまざればこれ如何せん
司馬遼太郎に同名の小説があり、わたしがこの詩の存在を知ったのも司馬の小説によってである。この詩の大意は、つぎのようなものだ。
若いころは馬に乗って戦場を駆け巡ったが、天下は平定され私もすっかり白髪頭となってしまった。私がここにこうしていられるのも天が許したからだ。人生を楽しまないでどうしよう。
私の青春時代は学生運動華やかりしころで大学はバリケード封鎖で授業はほとんど出たことがない。警察との攻防だけでなく他党派との抗争もあり、何日も下宿のアパートに帰らなかったことも度々あった。政宗が戦場を甲冑で身を固め馬で駆け巡ったように私たちも長髪にヘルメット、片手にゲバ棒を握りしめ、学園や街頭を駆け巡ったわけである。私としてはまさに「残駆天の許すところ楽しまざるを如何せん」という心境なのである。
3月某日
全国社会保険共済会の会長、植田さんが肝臓がんで亡くなった。私と同年だから66歳のはず。お通夜に行く。会場が橋本なので途中、立川のケアセンター「やわらぎ」で石川はるえさんに会う。立川から八王子へ出て橋本へ。時間前に着いたのだが、すでに会場は参列者で一杯だった。お浄めの席で江利川さんはじめ多くの知り合いに会う。当社の大山、間杉さんも参列。植田さんは社会保険業務センターの副所長とノンキャリアのトップまで登り詰めた人だが、わたしたちにもフランクに接してくれたし、江利川さんはじめキャリアの信頼も厚かった。通夜の橋本の駅前で大山さんと一杯。通夜帰りの何人かに声を掛けられる。
3月某日
有楽町の交通会館に「ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんを訪問。ハムさんは早大全共闘時代からの知り合い。全共闘運動の敗北後、魚河岸で働いたり呑み屋の用心棒をやったりしたが自治労の書記局に採用された。20年以上前に厚生省の前で宣伝カーの上に載ってアジ演説をしているハムさんを見かけてから付き合いが再開した。ハムさんは福祉6法の改正で当時の若手厚生官僚の辻さんや吉武さんらと付き合うようになる。ハムさんとは大分市長選挙に立候補を表明している椋野美智子さんを「勝手に支援する会」の打合せ。今日は学芸大学前で5時半に堤修三さん、大谷源一さんと間と合わせ。駅近くの山内農場へ入る。遅れて元自治労副委員長の徳茂さんが参加。