社長の酒中日記 4月その2

4月某日
珍しく8時台に帰宅する。水割りを啜りながらテレビのチャンネルをガチャガチャやっているとBSで吉永小百合が薬局を経営する姉役、笑福亭鶴瓶が役者を夢見ながら年齢を重ねてしまった無頼の弟役の山田洋次監督の「おとうと」をやっていた。私は山田洋次の類型的なストーリー展開は好きになれないのだが、この映画でも何度か泣いてしまった。出来の悪い弟に翻弄される美人でかしこい姉、これはもう類型以外の何物でもないと思うのだが、何というか姉と弟双方の類型的な「健気さ」が泣かせる。

4月某日
民介協の扇田専務とSCN(セルフケアネットワーク)の高本代表とグリーフサポートの打合せ。介護事業者の看取りについてインタビュー調査先についてアドバイスをもらう。打合せ終了後、会社の近くの「木花」に呑みに行く。扇田さんは常連のようだが私は初めて。タコの刺身や山芋の千切りなど居酒屋の定番メニューを注文するが、それぞれ美味しかった。酒は長野の焼酎。結局1本空ける。扇田さんは今、「孫に知ってもらうため」に自分史を執筆中。県立奈良商業を卒業して富士銀行に入行、八重洲支店や広島支店での扇田さんの活躍は折に触れて聞いているが、私には興味深い話ばかりだ。我孫子へ帰って駅前のバー「ボン・ヌフ」でジントニックとウォッカのソーダ割り。

4月某日
日本橋小舟町のSCNの事務所を訪問。調査研究事業の費用の件などを話し合う。SCNの事務所で体操の先生に会う。高齢者にストレッチや体幹を鍛える体操を教えているらしい。私もすでに前期高齢者の仲間入り、なかなか体を鍛えるまでには至らないが、毎朝、ストレッチ等の体操を15分くらいやるように心がけている。夜、神田明神下の「章太亭」へ。以前、当社で働いていた村井由美子と待ち合わせ。ビールを呑もうとしたら村井が来たので乾杯。村井は昨年結婚したが、相手はこれも当社にいた寺山君。付き合い始めたのは2人が会社を辞めてからだから、こういうケースは職場結婚とは言えないのだろうな。村井は章太亭を気に入ったようだ。というか章太亭はたいていの客が喜ぶ。押しつけがましくないけれど心のこもったサービス、古き良き時代、小津安二郎の映画に出てくるような小料理屋なのだ。

4月某日
昔の仲間と馬事公苑の八重桜を見ようということになった。昔の仲間というのは、私がこの会社に入る前の会社、日本プレハブ新聞で同僚だった高橋博君。その当時から仕事の付き合いがあり、今はフリーライターをやっている香川喜久江さん、デザイナーの山沢美紀子さん、それに初期の年友企画に在籍して今はフリーの編集者をやっている川瀬春江さんだ。私は八重桜は苦手なので花見はパスして呑み会から参加することにする。小田急線の経堂駅の改札で待ち合わせ。経堂は山沢さんの地元。目当ての焼肉屋に行くがお休み。駅の近くの居酒屋へ。これが正解で安くて美味しい。高橋君は今、実家の定食屋を手伝っている。シェフは80歳代のお母さん。固定客が高齢化し亡くなる人も多く、経営は厳しいとか。高橋君は昔から物事に凝るほうで、昔は酒、きのこ、オートバイなどなどだが、今は酒もたばこも辞めてノン・アルコールビールを呑んでいた。今の趣味は演歌以外の音楽と本だそうだ。昔の仲間とたまに会うのもいいものだ。

4月某日
「新たな縁を結ぶ会」に出席。この会にはこのところご無沙汰していたのだが、今年は当社の迫田が「申し込みをしているが仕事が忙しくて行けないので行って」ということで出かけることにする。会場はイイノホール。会場に行くと厚労省健康局の伊原総務課長に「日記、読んでますよ」と声を掛けられる。パネラーの唐沢保険局長に挨拶。私は第3部の立体シンポジウム「地域包括~ニセモノ・ホンモノ~創造編」から出席。コーディネーターは一橋大学の猪狩教授と朝日新聞の生井さん。パネリストは39歳でアルツハイマー型認知症と診断されたトヨタのトップセールスマンだった丹野智文さん、新宿食支援研究会代表で歯科医の五島朋幸さん、茅ケ崎のあおいけあ社長の加藤忠相さん、全国福祉用具専門相談員協会理事長の岩元文雄さん、元夕張市立診療所所長の森田洋之さん、社会福祉士の猿渡進平さん、東近江市永源寺診療所の花戸貴司さん、それに厚労省の唐沢保険局長だ。
印象に残った発言をいくつかあげておきたい。茅ケ崎市で認知症高齢者のためのデイサービスを運営する加藤さんは、質の高いサービスを提供できるのは「マニュアルではなくミッション」という。施設のハードの作り方でも利用者同士、利用者と援助する側の「距離感が大事」で要は「広すぎない」のが「居心地の良い空間」ということだ。夕張市立診療所の元所長の森田さんは、一人暮らしの認知症のおばあちゃんが、自分の家の前だけでなく他人の家の前まで雪かきしている例を挙げて、「認知症になっても世話される側でなくお世話する側にいる」として「役割を持つ」ことが大切と語る。また「自分たちがどういう医療介護を受けたいかみんなで考えること」によって市民全体が変わっていくと夕張市でも確実に市民の意識改革が進んできたことを報告した。花戸さんは「医療や介護に携わる人以外も地域の人みんながみんなを支え合う」ことと、こうしたことは「次世代の子供たちに受け継がれなければならない」と語った。これらを受けて唐沢局長は「社会保障だけでなくあらゆる政策分野の柱に地域包括ケアを」と語っていたのが印象的だった。若年性認知症の丹野さんは「認知症と診断され、落ち込んでいた気持ちを前向きにしてくれたのは認知症の当事者だった。私も人のために何かをしたいと願っている」と語り会場から大きな拍手が送られた。

4月某日 
「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲 単行本10年9月 文庫本15年3月 幻冬舎文庫)を読む。この人の本は震災関連で読んだ記憶がある。ウィキペディアで調べると「大震災の後で人生について語るということ」(講談社)だった。1959年生まれ。早大一文卒、宝島の元編集者ということだ。橘の主張はいちいちもっともと私には思える。「もしもぼくたちの人生が「やればできる」という仮説に拠っているならば、この仮説が否定されれば人生そのものがだいなしになってしまう。それよりも「やってもできない」という事実を認め、そのうえでどのように生きていくのかの「成功哲学」をつくっていくべきなのだ」という主張にもうなずける。橘の成功哲学はたった二行に要約できる。

 伽藍を捨ててバザールへ向かえ。
 恐竜の尻尾のなかに頭を探せ

同感ではあるが今年67歳になろうとする私にも可能だろうか? いやむしろ67歳のジジイだからこそ「伽藍を捨て」られるのだと思う。

4月某日
新宿区の高田馬場でグループホームを運営している社会福祉法人サンの理事長、西村美智代さんが来社。社会保険研究所の営業に引き合わせる。介護報酬の改定に関わる図書の広報を要請。会社の向かいの「ビアレストランかまくら橋」へ。後から共同通信の城、NHKの堀家、SMSの長久保氏が参加、当社の迫田、健康生きがいづくり財団の大谷常務も来る。

社長の酒中日記 4月その1

4月某日
大分市長選挙に立候補した椋野美智子さんを「勝手に応援する会」で集まったカンパを集めに大分へ。大分空港からバスで1時間ほどで大分市内へ。市役所のほうと勝手に思い込んでいたけれど事務所が見当たらないので電話したら駅の反対側だった。慌ててタクシーで事務所の住所へ向かうと新築のビルの1階に大きな「椋野事務所」の看板があった。さっそく、椋野さんと選挙の応援をしてくれている吉良さん(吉良代議士の弟さん)にカンパを渡す。椋野さんは元気そうで「1月までは選挙に出ようなんて思ってもいなかったのよ」と明るく話す。私が「子育て支援など社会保障政策の推進を訴えれば勝てるよ」というと「そこまで聞いてもらうのが大変なのよ」と。なるほどね。長居してもなんなので、今夜の宿の別府へ。別府行きの特急に乗ったつもりが熊本行きで最初の停車駅で大分に戻る。そんなこんなで別府のホテルに着いたら10時近かった。温泉には翌朝入ることにして寝る。

4月某日
大分空港から伊丹空港へ。伊丹空港から京都嵐山の天龍寺へ。かなり前から会社が維持会員か何かになっているようで毎年、花見に呼ばれる。天龍寺に着くとHCM社の平田会長が迎えてくれる。平田会長は天龍寺の前管長、平田晴耕師の実弟。前管長は確か東大の印度哲学を出てドイツへ留学したという英才だが、平田会長は同志社大学に入ってスチールギターを弾いていたという変わり種。大変、洒脱な人で私は尊敬している。花見の前にはいつも講演があるが、今年は同志社大学の先生が白隠について話してくれた。宴席に移ってビール、日本酒、お弁当、おでん、お蕎麦をいただく。2次会は祇園のバー「くろこ」へ。平田会長は神戸に住んでいる。私も京都に宿をとれず、尼崎のホテルにしたので新幹線で新大阪まで一緒に帰る。

4月某日
尼崎から西宮へ出てタクシーで関西学院大学へ。人間福祉学部坂口先生にグリーフサポートの調査研究についてアドバイスをいただく。坂口先生はたいへん謙虚な方で私のつまらない話にも真剣に付き合ってくれる。関西学院大学から京都の同志社大学へ。厚生労働省から同志社に移った井上恒夫さんを訪問。井上さんには東京へ来たら連絡ください、呑みましょうと約束する。同志社大学から京大へ。本部に厚労省の事務次官から京大の理事になった阿曽沼さんを訪問。ほどなく元住宅情報の編集長の大久保京子さんが来る。大久保さんが予約してくれた焼き鳥屋へ向かう。ここの焼き鳥は、モツとモツの間にタマネギの小片を挟んでいるのが特徴。私の故郷、北海道室蘭の焼き鳥は、豚肉の正肉にタマネギを挟んで洋辛子で食べる。ちょいと故郷のことを思い出した。

4月某日
京都から名古屋へ。我が家ネットの児玉さんと面談。福祉住環境コーディネーターのフォローアップ研修について意見を聞く。ニーズはありそうだ。途中から住快護創造ネットの小多美恵子さんが参加。小多さんは30過ぎてから大工に転身したという。体つきは華奢だが精神がタフなのだろう。

4月某日
「月次決算の進め方」(金児昭 日経文庫 05年12月)を読む。著者は信越化学で経理財務部門一筋で来た人。月次決算の基本というか、なぜ月次が重要なのかがわかったような気がする。つまり本決算や半期決算、四半期決算を待っていたのでは迅速な経営判断ができないということに尽きると思われる。

4月某日
「財政危機の深層―増税・年金・赤字国債を問う」(小黒一正 NHK出版新書 14年12月)を読む。著者は京大理学部卒業後、糸唾し大学の博士課程を修了、大蔵省に入省。現在は法政大学経済学部准教授。専門は公共経済学。先月読んだ「社会保障が経済を強くする」では財政再建のためには社会保障を中心とする歳出削減を行わなければならないとする考えは誤りと主張していたが、本書は年金を中心に社会保障には大ナタを振るわざるを得ないし、そうしなければ日本は沈没するだろうという指摘だ。
私は将来世代にできるだけ負担を先送りしないという観点からは財政再建派である。と同時に「子育て支援」など社会保障の充実によって経済成長を図るという意味からは社会保障推進派である。ただ社会保障ならばなんでもかんでも推進すればいいという考えではない。年金については世代間の公平性という観点からは削減はやむを得ないだろう。生活保護には自立支援の考えが大切で社会復帰をどう図るかが必要だ。また社会保障を税金と保険料のみで賄うのではなく互助的な考えも必要になってくると思っている。メリハリの効いた社会保障改革が必要なのだ。

4月某日
社会保険研究所発行の介護報酬関連の図書を介護関連団体へ営業支援を行っている。研究所の志賀ちゃんに頼まれた。今日はCIMネットワークの二宮理事長の後、介護クラフトユニオンへ。副事務局長で政策部門長の村上久美子さんに会うためだ村上さんとは数年前に2,3度呑んだ出だが覚えていてくれた。図書の紹介などをお願いする。雑談をするうちに当社の元社員が介護クラフトユニオンの幹部の奥さんになっていることが判明。世間は狭い。竹橋もホテルKKRで「へるぱ!」の編集会議。会議が終わった後、社福協の本田常務も交えて食事。私も当然、参加しなければならないのだが、我孫子で会合があるので失礼する。我孫子の会合は川村女子学園大学の副学長の吉武さんと、吉武さんと厚労省同期で元衆議院議員の大泉博子さん。場所は以前使ったことがある我孫子駅北口の「美味小屋」(うまごや)。6時の約束だったが30分ほど遅れた到着すると2人はすでにビールを飲んでいた。遅れた我孫子で「地産地消の会」をやっている中沢さんが登場。中沢さんは富山県砺波市出身。なかなかの資産家らしいが感じの良いフツーのおっさんだ。

4月某日
社内でグリーフケアの打合せを高本さんと当社の浜尾と3人で。引き続きSMSと打合せ。6時半過ぎにSMSの長久保さんと葡萄舎で合流。大分空港で買ってきた麦焼酎を2本空ける。

4月某日
社会福祉法人サンの職員採用の面接を西村理事長と。出版社の採用面接とはずいぶんと違う。今日面接した人は優しそうな人だった。私にはそれぐらいしかわからない。勉強します。元厚生労働省の宇野裕さんが来社。「椋野さんを勝手に励ます会」には参加できなかったけどと言って、1万円カンパをいただく。宇野さんは厚労省を辞めた後、社会事業大学で専務理事を務めた後、今は住友生命の顧問と筑波大学の准教授。2つの名刺をくれた。筑波大学では被災者支援の研究をやっているということでグリーフサポートにも関心を示してくれた。一緒に研究をできればと思う。山形・庄内料理の店「このじょ」へ。結核予防会の竹下専務が参加。

社長の酒中日記 3月その3

3月某日
国際厚生事業団の会員となっているので年1回の総会に参加。総会後厚労省の二川医政局長の講演を聞く。二川さんの講演を聞くのは初めてだが、わかりやすく、ユーモアを交えた語り口で好感を持てた。私は医療機関相互の機能分担と業務連携の推進のために新しく創設される「医療連携推進法人制度」の話が興味深かった。川本三郎の「君のいない食卓」(新潮社 11年11月発行)を机の上に置いていたら、顔見知りの事業団監事の佐野さん(元社会・援護局長)から「おや、川本三郎なんか読んでいるの」と声を掛けられる。川本は佐野さんの小学校の後輩、高校も麻布で一緒だそうだ。川本は東大法学部だから大学も一緒かも。川本の奥さんは08年の6月、食道がんで57歳で亡くなっているが、「食べ物と奥さんへの想い」を綴ったエッセーが「君のいない食卓」だ。川本の本を読んだのは初めてだがなかなかよい。川本は確か朝日ジャーナルの記者をしていた頃、「赤衛軍」を名乗る青年を匿った疑いで逮捕起訴され、朝日新聞社を馘首された。(あいまいな記憶で書いているので正確ではないかもしれない)。川本を支えたのが奥さんだったわけね。講演の後、懇親会に顔を出し、角田専務にあいさつして途中で抜け出す。日刊企画に寄って小宮山社長と寿司屋へ。
私が大学を卒業した時は第1次オイルショックの直前の1972年。世の中は空前の好景気に沸いていたが、この日記にもたびたび書いたように私は授業にはほとんど出たことがないうえ学生運動の活動家の端くれだったし、逮捕起訴経験もあった。まともなところには就職できるはずもなく、友人の村松君の親戚がやっている印刷屋にもぐりこんだ。その印刷屋にいたのが小宮山さんで、私は当時の最先端印刷技術だった写植のオペレーターに配属され、小宮山さんは「大組」といって活版印刷でいえば組版を担当していた。その印刷屋には2年ほどいて私は住宅建材の業界紙に転職した。小宮山さんは確かその会社が倒産するまでいたと思う。小宮山さんはその後、フジサンケイグループの日本製版という印刷会社に移り、20代で独立、日刊企画という印刷会社を始めた。地下鉄丸ノ内線で再会したとき、私は日本プレハブ新聞という業界紙に移っていたが、単行本の印刷をお願いしたりした。今の会社に移ってからも付き合いは続いているが、最近は印刷の仕事のウエートが低下し申し訳なく思っている。でもたまに会うと二人とも青春時代に戻ってしまう。

3月某日
「わがやネット」の児玉道子さんは、普段の生活の根拠は愛知県の知多半島の半田市。仕事で上京してきたので会うことにする。北綾瀬で仕事があるというので千代田線の根津で会うことにする。言問い通りと不忍通りが交差する根津の交差点近くに「海鮮茶や 田すけ」という看板を掲げている店があったので入ることにする。40前後の店主が一人でやっている店で、おいしそうな日本酒、焼酎をそろえていて、しかも料理が美味しく、さらにこれが重要だが値段もリーズナブルだった。8時過ぎに同じ根津「ふらここ」のママに「児玉さんが来ているんだけど今日帰るからちょっとだけ顔だすね」と電話。「ふらここ」でウイスキーの水割をいただく。

3月某日
大分市長選挙に元厚生労働省の椋野美智子さんが出馬表明した。江利川さんや中村秀一さん、社会福祉法人にんじんの石川理事長、ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんに発起人になってもらい「勝手に励ます会」を霞が関ビル35階の東海大学校友会館でやることにする。当日、受付をやってくれる当社の迫田、石津、浜尾と一緒にタクシーで会場へ。15分くらい前から参加者が続々と集まってくる。義理で来てもらったHCMの大橋さん、青海社の工藤さん、社保研てぃらーれの佐藤さん、グリーフサポートの高本さんたちに感謝。発起人を代表して江利川さんがあいさつ。「私たちは椋野美智子さんが大分市長となって、福祉の基盤を整備し新しいふるさとを創生していくことを強く望みます」という共同アピールを採択した。羽毛田さんや浅野史郎さんからも心のこもったあいさつがあった。大分からわざわざ大分選出の吉良代議士が来てくれて最近の状況について話してくれた。予想以上に盛り上がった「勝手に励ます会」だが、椋野さんの仁徳でしょうね。私の選挙応援は浅野さんの宮城県知事選が最初。それから阿部さんの参議院選挙なども応援した。根が好きなのだと思う。

3月某日
図書館から借りていた「物書同心居眠り紋蔵 わけあり師匠事の顛末」(佐藤雅美 講談社 2014年4月)を読む。佐藤雅美は好きな作家の一人だが「居眠紋蔵シリーズ」はそのうちでもお気に入りのシリーズだ。シリーズがこれで13冊目というからずいぶん続いていることがわかる。「わけあり師匠事の顛末」を読んで初めて気が付いたことがある。全体が8章で構成されており、それぞれが独立した物語なのだが、安芸広島浅野家の浪人、青野又五郎と奥女中奥林千賀子の恋物語が各章を通じて語られる。当たり前かもしれないが「綿密に」構成されているのである。佐藤雅美独特の時代考証、これがあるから物語にリアリティを与えているのだろう、と合わせて私には「堪らない」。

3月某日
社会保険研究所の谷野編集長のご尊父のお通夜に出席。最近のお通夜では故人の在りし日の画像が放映されることがある。今日のお通夜もそうで画業にいそしむご尊父の映像が流されていた。高校か中学の美術の教師でもされていたのであろうか。私とは一面識もないが、画像を目にすることによって故人にいささかなりとも近づけた思いがする。浦和の焼き鳥屋南蛮亭にフィスメックの田中会長と流れる。

3月某日
元社会保険庁の池田保さんに会社に来てもらって私の年金相談。とにかく4月中に何らかの手続きをすることを勧められる。日本の年金は社会保険方式による申請主義。皆さんはちゃんとやっているのだろうけど。まぁとにかく時間を作って手続しなければ何も始まらない。年金相談を切り上げて会社の向かいの「ビアレストランかまくら橋」へ。セルフケアネットワークの高本代表が打合せに。関西学院大学の坂口教授との打合せの相談である。こちらもちゃんとやらねば。

3月某日
「社会保障が経済を強くする―少子高齢社会の成長戦略」(盛山和夫 光文社新書 2015年3月)を読む。盛山氏は専門は数理社会学。社会保障や経済学の専門家ではないところが味噌である。「社会保障の充実と経済成長の両立は可能なのか」という市民の疑問に経済学や社会保障の専門家ではない著者が見事にこたえていると私には思われた。著者は、財政再建のために社会保障を中心とする歳出削減を行わなければならないとする考え方は誤りと断言し、「小さな政府論によって日本経済の成長戦略を描くことは不可能なのです。日本の将来のためには、もはや、そうした誤った考えからは脱却しなければなりません」と説く。家族は弱い存在なのだ、という認識から著者は出発する。だから家族を社会全体で支えるという考えと仕組み、すなわち社会保障が必要なのだというのだ。