3月某日
国際厚生事業団の会員となっているので年1回の総会に参加。総会後厚労省の二川医政局長の講演を聞く。二川さんの講演を聞くのは初めてだが、わかりやすく、ユーモアを交えた語り口で好感を持てた。私は医療機関相互の機能分担と業務連携の推進のために新しく創設される「医療連携推進法人制度」の話が興味深かった。川本三郎の「君のいない食卓」(新潮社 11年11月発行)を机の上に置いていたら、顔見知りの事業団監事の佐野さん(元社会・援護局長)から「おや、川本三郎なんか読んでいるの」と声を掛けられる。川本は佐野さんの小学校の後輩、高校も麻布で一緒だそうだ。川本は東大法学部だから大学も一緒かも。川本の奥さんは08年の6月、食道がんで57歳で亡くなっているが、「食べ物と奥さんへの想い」を綴ったエッセーが「君のいない食卓」だ。川本の本を読んだのは初めてだがなかなかよい。川本は確か朝日ジャーナルの記者をしていた頃、「赤衛軍」を名乗る青年を匿った疑いで逮捕起訴され、朝日新聞社を馘首された。(あいまいな記憶で書いているので正確ではないかもしれない)。川本を支えたのが奥さんだったわけね。講演の後、懇親会に顔を出し、角田専務にあいさつして途中で抜け出す。日刊企画に寄って小宮山社長と寿司屋へ。
私が大学を卒業した時は第1次オイルショックの直前の1972年。世の中は空前の好景気に沸いていたが、この日記にもたびたび書いたように私は授業にはほとんど出たことがないうえ学生運動の活動家の端くれだったし、逮捕起訴経験もあった。まともなところには就職できるはずもなく、友人の村松君の親戚がやっている印刷屋にもぐりこんだ。その印刷屋にいたのが小宮山さんで、私は当時の最先端印刷技術だった写植のオペレーターに配属され、小宮山さんは「大組」といって活版印刷でいえば組版を担当していた。その印刷屋には2年ほどいて私は住宅建材の業界紙に転職した。小宮山さんは確かその会社が倒産するまでいたと思う。小宮山さんはその後、フジサンケイグループの日本製版という印刷会社に移り、20代で独立、日刊企画という印刷会社を始めた。地下鉄丸ノ内線で再会したとき、私は日本プレハブ新聞という業界紙に移っていたが、単行本の印刷をお願いしたりした。今の会社に移ってからも付き合いは続いているが、最近は印刷の仕事のウエートが低下し申し訳なく思っている。でもたまに会うと二人とも青春時代に戻ってしまう。
3月某日
「わがやネット」の児玉道子さんは、普段の生活の根拠は愛知県の知多半島の半田市。仕事で上京してきたので会うことにする。北綾瀬で仕事があるというので千代田線の根津で会うことにする。言問い通りと不忍通りが交差する根津の交差点近くに「海鮮茶や 田すけ」という看板を掲げている店があったので入ることにする。40前後の店主が一人でやっている店で、おいしそうな日本酒、焼酎をそろえていて、しかも料理が美味しく、さらにこれが重要だが値段もリーズナブルだった。8時過ぎに同じ根津「ふらここ」のママに「児玉さんが来ているんだけど今日帰るからちょっとだけ顔だすね」と電話。「ふらここ」でウイスキーの水割をいただく。
3月某日
大分市長選挙に元厚生労働省の椋野美智子さんが出馬表明した。江利川さんや中村秀一さん、社会福祉法人にんじんの石川理事長、ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんに発起人になってもらい「勝手に励ます会」を霞が関ビル35階の東海大学校友会館でやることにする。当日、受付をやってくれる当社の迫田、石津、浜尾と一緒にタクシーで会場へ。15分くらい前から参加者が続々と集まってくる。義理で来てもらったHCMの大橋さん、青海社の工藤さん、社保研てぃらーれの佐藤さん、グリーフサポートの高本さんたちに感謝。発起人を代表して江利川さんがあいさつ。「私たちは椋野美智子さんが大分市長となって、福祉の基盤を整備し新しいふるさとを創生していくことを強く望みます」という共同アピールを採択した。羽毛田さんや浅野史郎さんからも心のこもったあいさつがあった。大分からわざわざ大分選出の吉良代議士が来てくれて最近の状況について話してくれた。予想以上に盛り上がった「勝手に励ます会」だが、椋野さんの仁徳でしょうね。私の選挙応援は浅野さんの宮城県知事選が最初。それから阿部さんの参議院選挙なども応援した。根が好きなのだと思う。
3月某日
図書館から借りていた「物書同心居眠り紋蔵 わけあり師匠事の顛末」(佐藤雅美 講談社 2014年4月)を読む。佐藤雅美は好きな作家の一人だが「居眠紋蔵シリーズ」はそのうちでもお気に入りのシリーズだ。シリーズがこれで13冊目というからずいぶん続いていることがわかる。「わけあり師匠事の顛末」を読んで初めて気が付いたことがある。全体が8章で構成されており、それぞれが独立した物語なのだが、安芸広島浅野家の浪人、青野又五郎と奥女中奥林千賀子の恋物語が各章を通じて語られる。当たり前かもしれないが「綿密に」構成されているのである。佐藤雅美独特の時代考証、これがあるから物語にリアリティを与えているのだろう、と合わせて私には「堪らない」。
3月某日
社会保険研究所の谷野編集長のご尊父のお通夜に出席。最近のお通夜では故人の在りし日の画像が放映されることがある。今日のお通夜もそうで画業にいそしむご尊父の映像が流されていた。高校か中学の美術の教師でもされていたのであろうか。私とは一面識もないが、画像を目にすることによって故人にいささかなりとも近づけた思いがする。浦和の焼き鳥屋南蛮亭にフィスメックの田中会長と流れる。
3月某日
元社会保険庁の池田保さんに会社に来てもらって私の年金相談。とにかく4月中に何らかの手続きをすることを勧められる。日本の年金は社会保険方式による申請主義。皆さんはちゃんとやっているのだろうけど。まぁとにかく時間を作って手続しなければ何も始まらない。年金相談を切り上げて会社の向かいの「ビアレストランかまくら橋」へ。セルフケアネットワークの高本代表が打合せに。関西学院大学の坂口教授との打合せの相談である。こちらもちゃんとやらねば。
3月某日
「社会保障が経済を強くする―少子高齢社会の成長戦略」(盛山和夫 光文社新書 2015年3月)を読む。盛山氏は専門は数理社会学。社会保障や経済学の専門家ではないところが味噌である。「社会保障の充実と経済成長の両立は可能なのか」という市民の疑問に経済学や社会保障の専門家ではない著者が見事にこたえていると私には思われた。著者は、財政再建のために社会保障を中心とする歳出削減を行わなければならないとする考え方は誤りと断言し、「小さな政府論によって日本経済の成長戦略を描くことは不可能なのです。日本の将来のためには、もはや、そうした誤った考えからは脱却しなければなりません」と説く。家族は弱い存在なのだ、という認識から著者は出発する。だから家族を社会全体で支えるという考えと仕組み、すなわち社会保障が必要なのだというのだ。