社長の酒中日記 5月その2

5月某日
「介護職の看取り、グリーフサポート」の調査研究で元厚生労働省で今は筑波大学の宇野さんに話を聞く。宇野さんは東日本大震災の被災者に対するメンタルヘルスの研究を実施。そのなかでグリーフケアについても触れている。宇野さんに来社してもらい、当社の会議室でインタビュー。被災者に対するケアはグリーフに限らず、簡単ではなさそうだということがわかった。セルフケア・ネットワークの高本代表理事、市川理事、当社の浜尾が同席。インタビュー終了後、会社近くのベルギー料理の店「St.Bernard」でベルギービールで乾杯。最近はどこの店に行っても、私は最年長グループだ。まぁしょうがありません。

5月某日
飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターで日本介護福祉士会の内田千恵子副会長が「介護福祉士の今とこれから~2015年の介護保険を考える」という話をするというので、聞きに行くことにする。介護職の現状が分かって、大変有意義だったが、「介護職の現状がこんなので私たちが後期高齢者となる2025年は大丈夫か」と思ってしまった。介護福祉士の資格取得方法は大きく分けて2つ。①養成施設卒業②実務経験3年を経て国家試験を受験―である。養成施設卒業者は国家試験を受験しなくても介護福祉士の資格が付与される(2017年度の卒業生からは、国家試験を受験する)。内田さんは「国家試験を受けずに国家資格を取得できることにも問題はあるが、実務経験者は受験対策の勉強はしても、知識等を体系的に学ぶ機会はほとんどない」と問題点を指摘。さらに「介護職自身が正しく自分の職業を捉えておらず、ホスピタリティがあればできると考えている」「アセスメント力やコミュニケーション能力が非常に大事にもかかわらず、教育や訓練等を受ける機会がない」と語り、「介護は単なる肉体労働などではなく、利用者の意思を尊重し、尊厳を守るという職業倫理をもって行う頭脳労働」であり「介護福祉士自身が介護の仕事を見つめなおし、その重要性を認識する必要がある」と結んだ。その通りだが現状を変えていくためには、介護事業の経営者、養成校の教師、経営者の意識、そしてなによりも市民の意識を変えていくことが必要だ。

5月某日
世田谷区八幡山にある「夢のみずうみ村新樹苑」を見学に行く。元社会保険庁長官の渡邉芳樹さんや元毎日新聞の宮武さん、山地さんに誘われた。案内してくれたのは施設長の半田理恵子さん。説明も的確だし、説明の端々に施設経営の理念が伺える。聞くと世田谷の輝正会のリハビリ施設で働いていたこともあり、私が船橋リハ病院でお世話になった伊藤隆夫さんのこともよく知っていた。

5月某日
富国生命ビルの富国倶楽部。18時半からだが18時過ぎからビールを呑み始める。18時30分過ぎに当社の岩佐が来る。地域医療推進機構(JCHO)の藤木理事から「少し遅れますが亀井さん(同機構理事)はそろそろ着くはずです」との電話がある。亀井さんが登場。富国倶楽部に掛かっているシャガールの絵などを説明。遅れて藤木さん、それから支払基金の石井専務理事が来る。石井さんは広島への出張の帰り。20時過ぎに京大の阿曽沼理事が来る。阿曽沼さんは厚労事務次官の後、京大IPS研究所の顧問になり、昨年、京大の理事になった。何かと使われるらしく、今日も京大出身の政治家との会合があったそうだ。21時過ぎに散会。

5月某日
社会福祉法人サンで理事長と話していると川村女子学園大学の吉武副学長から電話。東京での会合が終わったら根津の「ふらここ」に顔を出すという。「ふらここ」は8時過ぎにしか店を開けないからそれまで時間をつぶす必要がある。で、僕よりも20歳くらい若いけれど友人の計良弁護士に電話するとOKだという。高田馬場の駅近くの「食道いろかわ」で待つことにする。板前さんがきちんとした和食を作るなかなかいい店だった。計良君と別れ根津の「ふらここ」へ。ほどなく吉武先生が来る。

5月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」。夕方の情報交換会に出席。我孫子の関議員、鴻巣の頓所議員、豊橋の宮沢議員、健康生きがい財団の大谷常務と会社近くの福一に呑みに行く。地方議会においても社会保障が重要な論点になっていることがよくわかる。介護や公衆衛生、生活費後、児童福祉など社会保障のほとんどの分野を、支えているのは基礎自治体だ。私たちももっとそこに目を向けていかなければと思う。

5月某日
高田馬場でグループホームを運営する社会福祉法人サンの理事会・評議員会。少し早めに行ったら評議員の三木さんが見えていた。三木さんは昨年ご主人を亡くし今は柏の有料老人ホームに住んでいるという。今回、息子さんの運転で柏からわざわざいらしてくれた。三木さんは浴風会ケアスクールの服部さんとも親しい。いろんな話ができて楽しかった。理事会の議論の中で社会福祉法人経営の難しさを垣間見た思いがする。

5月某日
民介協の定例総会。当社も賛助会員であるので参加。同じ賛助会員の社会保険出版社の高本社長、SCNの高本、市川理事も参加。総会後の厚労省、三浦老健局長の講演を聞く。地域包括ケアシステムは何も高齢者のみのためのシステムではなく、障碍者や児童、一般市民も含んだものということがよくわかった。パーティではSNSの2人を民介協のメンバーに紹介する。

5月某日
「つやの夜」(井上荒野 新潮社 10年4月)を読む。艶という名前の女と関わりのあった男たち。そして彼らの妻、恋人、娘たちの物語。艶は末期のがんでO島の病院に入院している。料理旅館を経営している夫の松生は看病のため足繁く通うのだが。男女関係に奔放だった艶。それに翻弄されつつも艶に魅かれる松生。男女間の愛とはなんだろうか、関係って何だろうと考えさせるような小説だ。井上は独自の小説世界を築いたように思う。

社長の酒中日記 5月その1

5月某日
五月晴れにふさわしいいい陽気だ。神田駅南口の「軍鶏鍋龍馬」で民介協の佐藤理事長、扇田専務、そして民介協で健保組合の設立を検討していたソラストの岡村さんと4人で呑む。健保組合は今のところ拠出金の負担が膨大になるとかで断念、今日は岡村さんのご苦労さん会。私は関係ないけれど時間が空いていたので参加。ここはチムニー系の居酒屋だそうだがなかなか美味しかった。民介協の理事長も専務も楽しい人で気持ち良く酔えた。

5月某日
ゴールデンウィーク。毎年のことだが特に予定もないので福島県のいわき市に出かけることにする。震災後、いわき市には何度か行ったが、私の場合はボランティアで何かをするというのではなく「ただ行く」だけ。我孫子から常磐線の各駅停車を乗り継いで3時間以上かけていわきへ。いわきの中心市街地は地震や津波の影響は軽微だったが、常磐線のふたつ先の四倉は津波の被害を受けた。四倉駅から私の足で15~20分ほど歩くと四倉海岸だ。ここの道の駅は津波で大きな被害を受けたが、改修して今は営業をやっている。野菜などを購入。大川商店という大きな魚屋があるのだが今回はパス。帰りは四倉から水戸行に乗って水戸で上野行きに乗り換え。水戸でビールと日本酒を買い、それを呑みながら我孫子へ。途中で大越さんから「今、愛花にいるから」と携帯に電話。で愛花に寄る。

5月某日
連休中なれど高田馬場の社会福祉法人サンへ。理事で西東京市でグループホームを経営している安岡さんやフリーアナウンサーの町さんと食事へ。さぬきうどん屋に行く。少し摂取カロリーを減らそうと思っているんで私もレディーズセットを注文。すると「男の人は注文できません」。町さんが「じゃ私が頼んだことにすればいい」と言ってくれたので、めでたくレデーズセットにありつけることができた。これって逆差別だと思う。
高田馬場からに日本橋小舟町のセルフケアネットワーク(SCN)へ。アンケート調査の設問事項の確認。終わると人形町のカウンターだけの創作料理屋さんで御馳走になる。美味しいし雰囲気がいい。この界隈はレベルが高い。

5月某日
我孫子市民図書館でポプラ文庫の「Tanabe Seiko Collection5 うすうす知っていた」を借りる。田辺の短編をテーマ別に再編集したもので面白い試みと思う。巻末に田辺のインタビューがついているのもいい。そのインタビューによると「この本には、表だってあきらかにはできない、微妙な心理を扱った作品を集めた」という。要するに独身者2人だけの恋愛ならば、問題は2人の愛に限定されるが、それに家族が絡むとややこしくなる。そのもつれた糸をときほぐすでもなく「こんなになっている」と見せるのが田辺の力量なのではないだろうか。それもユーモアを交えて。田辺の短編にユーモアは欠かせないし、そのユーモアは登場人物たちが話す大阪弁とも密接につながっている。言葉と土地が分かりやすく結びついているのが大阪だ。

5月某日
我孫子市民図書館で借りた「妻の超然」(絲山秋子 10年9月 新潮社)を読む。表題作と「下戸の超然」「作家の超然」の3作が収録されている。3作は独立したストーリーで連関しない。共通するのは主人公が何者かから「超然」としていること。第3作で主人公の作家である「おまえ」は「超然というのは手をこまねいて、すべてを見過ごすことなのだ」と語らせている。第2作の主人公「僕」は恋人に「そうやっていつまでも超然としていればいいよ。私は、もう合わせられないけど」と別れを告げられる。第1作の主人公「理津子」は「およそ妻たるものが超然としていなければ、世の中に超然なんて言葉は必要ないのだ」と考える。まぁ私が思うに絲山の「超然」は夫(第1作)、恋人(第2作)、社会や自然(第3作)に対する関係性の持ち方の態度のあり方ではなかろうか。この小説は現代人の持つ「関係性への不安」をよく表していると思う。

5月某日
連休明け。映像の仕事をやっていて当社とも何度かコラボしたことのある横溝Jrと胃ろう吸引シミュレータの開発者である土方さんとビアレストランかまくら橋へ。横溝JrとJrがつくのは、もともと横溝さんのお父さんと知り合いだったため、勝手に命名したもの。「胃ろう・吸引シミュレータ」は当社からHCMに販売を移したが、今年1月以降ほとんど動いていない。積極的な宣伝・営業活動を行っていないので当然と言えば当然であるが、商品力はあるとみているので再度テコ入れを図りたい。土方さんは40代、横溝Jrは30代と思われるが、66歳の私にとっては若い友人。向こうがどう思っているかわからないが年下の友人として大事にしたい。

5月某日
住宅金融支援機構の理事に東急住生活研究所の望月さんが就任したのでプレハブ建築協会の合田専務、高齢者住宅財団の落合さんと鎌倉河岸ビル地下1階の{跳人}で祝う会。望月さんとは住文化研究協議会で親しくさせてもらって20年位になるのかな。合田さんに至っては私が日本プレハブ新聞社の記者として当時の建設省住宅局住宅生産課を取材で回っていた時の担当係長。今から30年以上前の話である。落合さんは私が年友企画に入社して5年くらい経ったころアルバイトで年金時代の編集をしていた。そういうわけで3人とも古い友人。しかも住宅関係という共通点がある。望月さんはお酒は呑まないが非常にさっぱりした女性。お父さんの転勤で福岡の修猷館高校に転入、この欄に度々登場する吉武さんの後輩にあたる。昔話に盛り上がった。

5月某日
日本橋三越前で西東京の田無病院で地域連携の仕事をやっている社会福祉士でケアマネの高岡さんと待ち合わせ。日本橋小舟町のセルフケアネットワークで「看取り・グリーフケア」についてのインタビューをさせてもらうためだ。今日は神田明神の大祭にあたり三越前も見物客でごった返していた。小舟町に行く間にも神輿に遭遇した。インタビューは医療職と介護職との連携の必要性と難しさ、ケアマネの置かれている状況と課題など多岐にわたる問題に答えてもらった。高岡さんに深く感謝である。終わって近くの洒落た料理屋さんで御馳走になる。先付や刺身など美味しいうえに盛り付けがきれい。この界隈は本当にレベルが高いと思う。

5月某日
平野貞夫の「戦後政治の智」(イースト新書 2014年2月)を読む。著者は1935年高知県出身。法政大学の学生時代、同郷の吉田茂の知己を得、大学院卒業後衆議院事務局に入る。1992年、参議院議員に当選、自民党、新生党、自由党、民主党と一貫し小沢一郎と行動を共にする。実は私と親交のある樋高剛元衆議院議員の岳父でもある。そんな関係でこの本も贈呈されたものと思う。よくある政治家の本と思って読まずにいたのだが、連休中に読み始めて面白さに引き込まれることとなった。私は現今の政治家には甚だしく不信感を抱いている。安倍首相にしろ、あの何とも言えない高揚感には「関わりたくない」と思ってしまうし、民主党の鳩山とか管などは「論外」としか思えない。もちろん近しく言葉を交わしたこともないので本当のところは確認できないのだが、政治家としての見識が感じられないのだ。
平野は本書で吉田茂、林譲治、佐藤栄作、園田直、前尾繁三郎、田中角栄について議会の事務局としてつきあった印象を記しているが、いずれも極めて人間的でしかも国家、国民の将来に対して深い思いを持っていることが伺われた。私が過激派と一緒になってデモをしたり火炎瓶を投げてた頃は、ちょうど佐藤栄作政権のときと重なる。当時は自民党の保守政治こそが打倒すべき対象であったのだが、まぁ若気の至りでしたね。こうした保守政治家たちにはおそらく確固としした国家観があったのだと思う。総じて現今の政治家は小粒であると思わざるを得ない。国民にとっての不幸である。

社長の酒中日記 4月その3

4月某日
結核予防会の竹下専務と高田馬場の「だるま」で5時半くらいから呑み始める。竹下さんとは30年来の付き合い。この間、一緒に呑んだ回数はもっとも多いのではないか。よく飽きないものである。焼き鳥をつまみに秋田県由利本庄の「天寿」、東北大震災で蔵元自体が福島から山形へ引っ越した「親父の小言」などを呑む。

4月某日
「介護職による看取り、およびグリーフケアのあり方に関する調査研究」を一般社団法人のセルフ・ケア・ネットワークとやることになった。社会保険福祉協会が助成してくれることになり、関西学院大学の坂口先生に全般的な監修をお願いすることにする。明日、朝の9時半に先生の研究室にうかがうことになっているので神戸に泊まることにする。旅行代理店に頼んだが手ごろなホテルがどこも一杯で「ケーニヒスクローネホテル」がやっととれた。朝食付きで1泊1万2、3000円だったと思う。当社の出張規定では宿泊費は一律9500円だから差額は自腹である。昔仲人をした佐々木健君がこっちに住んでいるので呑みに行くことにする。ホテルに迎えに来てくれた佐々木君が「なんでこんなお洒落なホテルに泊まっているんすか」と驚くほどのホテルである。あとで調べたら「ケーニヒスクローネ」とは神戸の有名な洋菓子屋さんらしい。三宮の居酒屋で新鮮な刺身と灘のお酒を御馳走になる。

4月某日
坂口先生をセルフ・ケア・ネットワーク(以下SCNと略)の高本代表理事と訪ねる。調査にいろいろとアドバイスをいただき監修も引き受けてもらった。三宮に戻り生田神社に参拝。お昼ご飯を高本代表理事に御馳走になる。インタビュー調査のため尾道へ。福山で「のぞみ」から「こだま」に乗り換え新尾道へ。新尾道からバスで尾道へ。最初のインタビューは在宅医療やチーム医療の先駆者である片山先生。片山先生は診察があるのでインタビューは6時から。それまで時間があるので私は尾道の繁華街を散策。小洒落た喫茶店でビールをいただく。尾道ゆかりの作家、林芙美子の坐像も見ることができた。片山先生からは「主治医の立場」での在宅緩和ケアや長期にわたるグリーフケアの話を伺うことができた。グリーフケアというのは人間同士のマナーであり、ヒューマニィティとフィロソフィーが必要という話が印象に残った。片山医院からタクシーで黒瀬歯科医院へ。歯科医院の前で先生と奥さんが待っていてくれる。内装を黒で統一したお洒落なレストランに案内される。地元の食材をふんだんに使った創作料理と広島の日本酒をいただく。口腔ケアや医科と歯科、歯科と介護の連携の話も伺ったのだが、料理と酒に夢中で覚えていない。近くのバーに寄って私はウイスキーのソーダ割りを頼む。先生はウオッカベースのモスコーミュール。すっかり御馳走になってしまった。

4月某日
早起きして尾道の港のほうを散策。尾道は「しまなみ海道」の起点。サイクリング客の誘致に力を入れている。港の空き倉庫を改修してホテルにしている。1階はレストラン、喫茶、物産店になっている。私は尾道の柑橘類と野菜を買う。11時に昨夜の黒瀬先生に紹介された小規模多機能「森のクマさん」を訪問。看護師で地区統括本部長の佐古田さん社会保険労務士でこの施設を運営するブレークスルーの相川社長が応対してくれた。佐古田さんは「誰にでも死は必ず来る。入居施設として入居者の最期まで責任を持ちたい」と語り、当初は介護職も看取りには抵抗があり、辞めていく職員もいたが1年半たつと職員の離職率はずいぶん減ったという。「疾患や障害しか見てこなかったのが入居者を全人的にみられるようになったからだと思う」と語ってくれた。昼食を近くのイタリアンレストランで御馳走になる。私はあさりのスパッゲティをいただく。非常においしかった。相川社長によると尾道の飲食店は総じて平均点が高いということだった。古くから港町として栄えてきたこととも関係するのだろうが文化度が高いのだ。
東京へ帰る高本さんと別れ、私は名古屋へ。名古屋では社会福祉士でケアマネの小藤さんに「対人援助DVD」の制作について相談。その後、児玉道子さんとその夫の隆夫さん、それから隆夫さんの社会福祉士の研修仲間と沖縄料理の居酒屋へ行く。沖縄出身者が集まる店のようで沖縄方言、うちなー口が飛び交っていた。若い人たちと呑めて楽しかった。

4月某日
3泊4日の出張も終わり。今日は日曜日なので東京駅から我孫子へ直帰。我孫子の駅前の「しちりん」と「愛花」による。

4月某日
映像プロデューサーの横溝さんと社会保険福祉協会の内田さん、岩崎さんと4人で西国分寺の社会福祉法人にんじんの会が運営する「にんじんホーム」を訪問。理事長の石川さんと介護事業者のための危機管理をテーマとしたDVDの教材の製作の打合せのためだ。にんじんの会の在宅サービスの職員、老健や特養、グループホームの職員も参加してディスカッション。老健のドクターやナースも参加したので医療的な危機管理についても話すことができた。終わって横溝君は次の打合せへ。社会保険福祉協会の2人と私は西国駅前の割烹で理事長に御馳走になる。新潟の酒と肴が絶品だった。

4月某日
厚生労働省の武田審議官を訪ねて1階のゲートを出ようとすると共同通信の城から声を掛けられる。今日、健康生きがい財団の大谷常務と福井Cネットの松永さんと呑むという。私も予定した呑み会が先方の体調不良で中止になったこともあって参加することに。会社近くのレストランかまくら橋に6時に行くと「今日は貸切です」と断られる。同じビルの地下1階の津軽料理の店「跳人」にする。6時半ころ大谷さんと松永さんが到着。遅れて城が参加。松永さんは福井県で障碍者の就労に取り組んでいる。松永さんと話していると障碍者の問題は健常者の問題であり、市民社会全体の問題であることがよくわかる。

4月某日
今日は「緑の日」で休日なのだが東京福祉専門学校の白井孝子先生に用があるので出社。西葛西の東京福祉専門学校へ。大谷さんにも付き合ってもらう。キタジマ印刷の金子さんのところへ。金子さんにも休日出勤してもらう。キタジマ印刷は都営地下鉄の森下の近く。近辺には良さげな呑み屋さんが多いのだが、休日の4時過ぎということで空いている店が少ない。いっそのことと京成立石まで足を伸ばすことにする。「中みっちゃん」という居酒屋に入り、ビール、お酒、ニラ玉、アジのなめろう、ホウレンソウのバター炒めなどをいただく。安くておいしかった。

4月某日
「舟を編む」(三浦しおん 光文社文庫 15年3月 単行本初版は11年9月)を読む。玄武書房に勤める馬締光也青年が国語辞書「大渡海」の制作のために辞書編集部に異動する。下宿の女主人との交流、その孫娘との出会い、恋愛、結婚、同僚、先輩、編集顧問の老いた国語学者たちとのさまざまなエピソードがこの小説に大小の起伏を与えている。馬締は自らがノメリコムことができる「辞書作り」という仕事につけて幸せであった。私自身のことを言うのはいささか憚られるが、私も介護や福祉というジャンルに雑誌作りを通して出会えることができて幸せであった。

4月某日
私が理事をやっている高田馬場の社会福祉法人サンで理事長の西村さんと評議員で税理士の伊藤さん、理事で弁護士の川島さんと打合せ。ここの社会福祉法人は職員はもとよりほとんど無報酬の理事や評議員によっても支えられていることを実感する。打合せを終わって有楽町電気ビル地下1階の「あい谷」へ。ここは10数年通っているが今日が閉店ということだ。新宿に「あぐら」という店があり、厚生省の官僚がよく使っていた。そこの雇われママさんのような人が「あい谷」でもママさん役をやっていた。今日聞くと経営者のマスターは当時学研の社員で客として「あぐら」に来ていたという。おそらく脱サラして「あい谷」を始めたものと思われる。阿曽沼氏と南極の氷でウイスキーを呑む会をやったり、私の母校である室蘭東高校の首都圏同級会をやったりいろいろと思い出のある店だ。さみしいが店も客も老いてゆくのだ。