社長の酒中日記 9月その2

9月某日
「胃ろう・吸引ハイブリッドシミュレータ」の販売会議。これはデザイナーの土方さんが開発したもので、当初は当社が販売していたが昨年からHCM社が販売を行うようになった。今日の販売会議は私のほかに土方さん、HCMの大橋社長、映像の横溝君が参加。途中から当社の迫田も加わった。このシミュレータは介護職の医療行為が一部解禁されることを契機に開発されたもので、ほとんど宣伝していないにもかかわらず細々とだが売れている。今日の会議では気管カニューレを販売に加えるかどうかが主な議題。結論から言うと気管カニューレもやってみようということになった。会議終了後、みんなで食事。西新橋のHCM社の近くにあった廣豊苑という中華料理屋が内神田に移転したのでそこに行くことにする。土方さんは40代、横溝君は30代、大橋さんは60代前半、私が60代後半。シミュレータがなければ出会うことのないメンバーだが、何となく気が合って打合せの後の酒が楽しみ。

9月某日
民介協の関東甲信越地区の研修会に参加。会場のあいおいニッセイ同和損保新宿ビルに着くと概ね席は埋まっていた。最初の1時間は民介協副理事長でエルフィス社長の阿部さんから「民介協の考えるサ責のあり方」についての講演があり、次いでソラストの田口さん、カラーズの田尻さん、若武者ケアの吉田さんを加えてパネルディスカッションが行われた。田尻さんからは大田区の訪問介護事業者連絡会の取り組みが報告され、吉田さんからはサ責とマネジャークラスとのコミュニケーションの大切さが報告され、私には興味深かった。懇親会は新宿南口のイタリアンで。吉田さんが隣に座り、向かいにはソラストの新松戸事業所の平田さんが座った。2人とも若い女性だったので楽しかった。考えてみると介護の現場を支えているのは圧倒的に女性だ。女性に好かれる職場づくりも大切なテーマと言える。

9月某日
社会保険出版社の高本社長に「こくほ随想」の筒井孝子兵庫県立大学大学院教授の連載コピーを渡される。筒井さんは何年か前に今は神奈川大学教授の江口さんに紹介されたのがきっかけ。当時は国立保健医療科学院の主任研究官だった。医療、介護にかかわる精緻な研究実績と該博な知識を持っているが、それを少しも表に出さない謙虚な人だ。それはともかくこの随想は「保険制度成立前の世界の概観」というテーマからはじまる。書き出しは釈迦の出家した理由、王城の東門で老人に、南門で病人に会い、西門では葬列に遭遇し、人生の無常の姿を見、北門では出家者の堂々たる姿をみることで、そこに自分の進むべき道を見出したとされるエピソードである。このエピソードがどうして「保険制度成立前の世界の概観」につながるのか?筒井さんは続けて書く。「さて、現代日本に生きる我々は、釈迦出家の理由となった老いや病、死に対応するために国家による公的医療保障制度や民間の生命保険制度といった多様な制度によって、悟りに至らずとも、必ず迎える老いや病や死に対するリスクを管理してきた」。で筆は保険制度成立前の無尽や頼母子講などの仕組みに進むのだが、私は筒井さんの論法にこの前亡くなった青木昌彦の「制度論」に似たものを感じてしまった。(こくほ随想は社会保険出版社のホームページで閲覧することができます)

9月某日
「介護職の看取り、グリーフケア」の調査でSCNの高本代表理事と当社で打合せ。元厚労省で現在筑波大学の准教授でもある宇野さんが参加、いろいろと貴重なアドバイスをもらう。打合せの前に結核予防会の竹下専務のところに寄ったら「今日、呑もう」と言われたが、「打合せの後、呑み会があるから」と断ったら、「私も入れて」ということになった。会社の前の「ビアレストランかまくら橋」で待っていてもらう。途中からSCNの市川理事、SMSの長久保さん、当社の迫田が参加。だいぶ遅れて高齢者住宅財団の落合さんも合流。ドイツ、フランス、イタリアのワインの話に始まって、アメリカの利上げの可能性、宇野さんの株式投資とマンションリフォームの話と相変わらず脈絡のない話題で終始した。しかし酒を呑んで深刻な話をしてもしかたがないのだ。我孫子の駅前の愛花に顔を出すと、筑波大学の看護学の大学院生だった上田さんが来ていた。東京有明医療大学の助教という名刺をもらった。

9月某日
全住協の加島常務とGPIFの内田さん、それに年住協の森さんを加えて呑み会。場所は前日と同じ「かまくら橋」。後から迫田が加わる。加島さんとは年金福祉事業団以来の付き合いだから、25年以上の付き合い。昔話に花が咲いた。内田さんは奥さんと山歩きを始めたようで「山ガール」の迫田と話が弾んでいた。我孫子駅前の愛花に寄ると、昨日と同じく上田さんがいた。デジャブ?

9月某日
SCN(セルフ・ケア・ネットワーク)とやっている「介護職の看取り、グリーフケア」の調査の打合せで日本橋小舟町にあるSCNの事務所へ。インタビュー調査のテープ起しががだいぶたまってきたのでこれを整理しなければならない。私がやろうと思っていたが挫折、当社の浜尾さんが10月からフリーになるので浜尾さんにやってもらうことにした。それで2人でSCNを訪問した。「社長(私のこと)はすぐ飽きちゃうからなぁ」と高本代表理事。その通りです、すみません。めでたく浜尾さんに引き継いでもらうことができた。高本さんにランチを御馳走になる。事務所の近くの「恭悦」という和食の店へ。ここでは何度かご馳走になったがランチは初めて。「豚肉となすの味噌炒め」を注文する。実に美味しかった。ここの食事は美味しいだけでなく「見た目がきれい」なのも特徴。小舟町界隈にはしゃれた店が多い。

社長の酒中日記 9月その1

9月某日
昨日、会社へ帰ると当社の浜尾が「横溝君とにんじんの会の中村さんが見えています」と言うので会議室であいさつ。横溝君は当社の映像部門のビジネスパートナーで、社会福祉法人にんじんの会が企画した認知症予防に効果のある「ダンダンダンス」の映像化をお願いしている。夕食を中村さんと浜尾の3人でレストランかまくら橋でいただく。中村さんは立教大学大学院でにんじんの会の石川はるえ理事長に指導を受け、今年から入職したということだ。福祉というよりは人事管理や人事制度が専門らしいが、福祉と言う仕事に熱意と興味をもって取り組んでいるのが伺われた。

9月某日
横浜市のひまわり訪問看護ステーションの松尾代表にインタビュー。介護職の看取り・グリーフケアについて聞く。場所は「ひまわり」が経営する「あかつきデイサービス横浜北」。新横浜からタクシーで10分ほどの住宅地にある。ここのデイサービスは利用者の男性比率が高いのが特徴。終末期をどうしたいか、利用者・家族の事前指示書を作成中と言う。利用者も家族も死を前にしていろいろと揺れ動くのだ。その時々の希望を事前指示書と言うことで書面に残しておくということだろう。そのためにも家族同士の話し合いが必要ということだ。とくに夫婦はよく話し合っておくべきだと松尾さん。なるほどねー。

9月某日
特別養護老人ホームでの看取りについて社会福祉法人きらくえんを取材する。SCNの高本代表理事、当社の迫田が同行。神戸市三宮の法人事務局へ土谷千津子副理事長を訪ねる。けま喜楽苑の西久保孝子施設長も同席。喜楽苑には利用者の自治会があると聞いてびっくりする。しかし考えてみるとマンションに自治会があるのは当たり前なのだからびっくりするほうがおかしいのかもしれない。入居者の終末期や看取り、グリーフケアについて丁寧な説明を受ける。喜楽苑は高齢者住宅財団の落合さんの紹介だが飲み友達の堤修三さんも理事をやっているし、けま喜楽苑の設計監修をやったのが亡くなった外山正さん。何か不思議な縁を感じる。
法人本部を出て三宮の地下街で3人でお昼。高本代表理事は調査の監修を依頼している関学の人間科学部の坂口教授に面談しに西宮へ。私と迫田はSMSの「ケアマネ・ドットコム」の取材で朝来市へ「特急こうのとり」に尼崎から乗車する。尼崎から2時間はたっぷり在来線の特急に乗って和田山へ。駅前の市役所別館で主任ケアマネの中治さんを待つ。会議を終えて中治さんが素敵な笑顔を浮かべて登場。中治さんは午前中取材した社福の「きらくえん」の「いくの喜楽苑」介護支援事業所所属の主任ケアマネ。「役職定年を迎えたので現場に出かけられるのがうれしい」と語るはつらつとした女性だ。中治さんは大学で栄養学を学んだあと、一念発起して板前を志望、板場修行に入る。しかし当時、女性の板前志望者は希で、指導する側、指導される側双方に戸惑いがあったようで挫折する。人生の挫折は人を打ちひしがせるが同時にその人の人生に厚みと幅を与える。中治さんにもそんな感じを抱いた。実は朝来市に来たのは「朝来発・地域ケア会議視察研修会」を取材する目的もあった。視察研修会は翌日なのだが、前泊組の全国のケアマネたちと食事会があるのでそれにも参加することにする。朝来は但馬牛の産地ということでおいしい牛肉を頂く。だがそれよりも北海道や山形、九州、四国からも参加した全国のケアマネたちと話せたのが収穫。自腹を切って参加した人も多く、山形のグループはレンタカーで仙台空港へ。仙台空港から関空へ、関空からまたレンタカーで朝来まで来たという。彼らをそんなにもひきつけるのが朝来の地域ケア会議なのだ。

9月某日
「朝来市発・地域ケア会議視察研修会」は午後1時から和田山ジュピターホールで開催される。近くの食堂でマツタケご飯で腹ごしらえをしてから参加する。第1部の講義では朝来市の地域包括の主任ケアマネである足立理江さん(この業界では有名な人らしい)が「朝来市の地域ケア会議」~暮らしを支える資源開発・政策形成への道筋という講演を聞く。こうした講演はえてして成功例を取り上げがちなのだが、足立さんの講演は「朝来市の失敗から学ぶ」から始まってとても説得力があった。地域ケア会議、在宅医療連携会議、ケアマネジメント支援会議、向こう三軒両隣会議、認知症施策を検討する脳耕会などでの話し合いがバラバラに行われていたと総括。「地域課題に優先順位をつける」「マトリックスで着手順位を可視化する」などにより問題点を克服していったようだ。前日インタビューした中治さんも出演する「ケアマネジメント支援会議の実際」も聞きたかったが、その日は京都で約束があるので途中で失礼する。
和田山から特急で2時間かけて京都へ。新幹線にすっかり慣らされてしまったが新幹線網から外れた地域のほうが日本には多いことが痛感させられる今回の旅ではあった。京都では元厚労省の阿曽沼さんと「割烹たいら」で食事。阿曽沼さん痛風を患っているそうでノンアルコールビールを呑んでいた。

9月某日
京都から名古屋へ。建築家の児玉さんと会う。「味噌煮込みうどん」を食べる。朝来市の地域ケア会議のことを早速話す。自分のことのように自慢して話してしまった。私の悪い癖である。

9月某日
理事をやっている社会福祉法人サンの理事会・評議員会。現在の理事長である西村美智代さんに代わって10月から私が理事長を引き受けることになった。「西村さんから要請があり軽く引き受けてしまったが現在は身の引き締まる思い。利用者の皆さんや地域の皆さん、職員の方々に学びながらよりよいケアと経営の安定をはかりたい」とあいさつする。評議員として元厚労省の足利さんも参加してくれ、いろいろと発言してくれる。

9月某日
大学の同級生だった弁護士の雨宮君を弁護士会館の事務所に訪ねる。沖縄の依頼者からの頂戴ものという40度の泡盛を事務所で呑み、その後、近くの呑み屋でご馳走になる。同じく同級生だった内海君がいすゞの関連会社の役員を退任、ミラノへ行くという話を聞く。内海君は父上の仕事の関係で高校生の頃、アフリカに行ったり、いすゞに入社してからもインドネシアに赴任したりと、私の知り合いの中ではグローバルな人だったがこの年になってミラノとは。

9月某日
「地域包括ケアシステム・介護推進議員連盟」の設立総会が衆議院第一議員会館でk再際された。民介協の扇田専務が誘ってくれたので出席する。会場で民介協の佐藤理事長、安東さんと待ち合わせ。麻生太郎財務大臣が会長に就任する。日本介護福祉士会の内田千恵子副会長に挨拶。終了後、富国倶楽部で呑み会。二次会でおねーチャンのいる銀座の店に連れて行ってもらう。こういう店は久しぶりなのではしゃぎすぎてしまったかも。