社長の酒中日記 10月その1

10月某日
石巻から小牛田経由で古川へ。車窓からはこれから稲刈りを迎える田圃やすでに刈り入れが終わった田圃が見える。ここら辺は日本でも有数の穀倉地帯なのだ。小牛田で1時間弱の電車待ち。穀倉地帯ということは酒が旨いということでもある。駅前の酒屋を訪ね地酒を買うことにする。買ったのは「黄金澤」。電車に乗って古川へ。タクシーで「穂波の里クリニック」へ向かう。迎えてくれたのは緩和支援センターはるかのセンター長、大石春美さん。大石さんは山形県の米沢市出身。母子家庭で育ちリクルートの奨学金を得て、淑徳大学の社会福祉科へ。大石さんが社会福祉士を希望することになったのは、中学のとき入院でお世話になったMSWの影響。卒業して社会福祉士の国家資格を得ても、なかなか社会福祉士の仕事に就くことはできなかった。やっと大崎市立病院へMSWとしての就職が決まるが、その直後、お母さんが亡くなる。こうして書くとなんだか不運の人のようだが、実際の大石さんはとても明るくキュートな女性だ。その明るさで何度も逆境を乗り越えて行ったのだろう。センターに案内されると高齢者がスタッフと一緒に今日の昼食を調理していた。ピーマンに具を詰めていたKさんと話す。Kさんは大正12年うまれというから私の母親と一緒。10数人の大家族の農家へ嫁いで味噌も醤油も自家製だったと誇らしげに話す。Kさんはセンターが主宰する劇団の女優でもある。人は幾つになっても役割が必要なんだと実感する。あとでスタッフに聞くとKさんは認知症だというではないか。またびっくりである。

10月某日
土曜日だが理事長を勤める高田馬場の社会福祉法人へ。現在、人員不足から休止しているデイサービスの再開についてスタッフと話し合う。結論はあと2~3人人員確保のめどがたたなければデイサービスの再開は難しいというものだった。しかし空間を遊ばせておくわけにはいかない。なんとかめどをつけて早期の再開を図りたい。昼食はグループホームで入居者の皆さんと摂る。男女とも穏やかな人ばかりだ。2回に分けてスタッフにあいさつ。入居者の尊厳、人権を守ること、安全・安心を守ることを強調した。そのうえで社会福祉法人として地域福祉にも貢献しなければならないことを述べる。早稲田大学出身で40数年ぶりで高田馬場へ帰ってきたこと、学生運動で戸塚署や商店街に迷惑をかけたこと、罪滅ぼしの意味もあって地域の福祉に取り組みたいと話す。みんな高齢者ケアへ真面目に取り組んでいることが伺えた。

10月某日
元社会保険庁長官の金田一郎さんが亡くなる。江古田斎場での通夜に行くことにする。開式30分前に行ったら社会保険研究所の川上社長が来ていた。日本IBMの顧問をしている川邉さんと式場に入る。お浄めの席で元次官の幸田さん、多田さん、浴風会の京極先生たちに挨拶する。国際厚生事業団の角田専務、健康生きがいづくり財団の大谷常務と呑みに行くことにする。江古田駅の南口へ。焼肉屋でビールを呑む。江古田は学生時代2年ほど住んだがその当時の面影はほとんどない。時間があれば当時住んでいた国際学寮のあった小竹町のあたりを散策したかったのだが。

10月某日
「FACE BOOKで見たんだけど、高齢者住宅財団の落合さんが誕生日なんだって。誕生会してやろうよ」と結核予防会の竹下さんから電話がかかってきた。私は「50過ぎたら誕生日なんて嬉しくもなんともないんじゃない」と返事したが、竹下さんは「いいじゃないかやってやろうよ」と食い下がる。竹下さんは仕事でも手腕を発揮し友情にも厚い立派な人。さらに加えれば女性に大変優しい人である。というわけで私が親しい人に声を掛けることにした。当日、予約していた「ビアレストランかまくら橋」に当社の迫田と足を運ぶ。6時過ぎに竹下さんが登場。3人でハーフ&ハーフなどを呑んでいると住宅金融支援機構の理事になった望月久美子さんが来る。次いでプレハブ建築協会の合田専務、セルフケアネットワークの高本さん、フィスメックの小出社長も。1時間ほど遅れて国立病院機構の古都副理事長が来る。肝心の落合さんは高齢者住宅財団の仕事が長引いてみんながいい気持になったところで登場。改めて乾杯。いろんな業種の人、いろんな会社の人が集まって呑むのは楽しい。「朋有り遠方より来る。亦楽しからず哉」である。遠方じゃないけどね。

10月某日
SMSという会社は看護、介護人材の紹介、介護報酬請求ソフトの開発、販売などで急成長している会社で、当社ともWEBマガジンンの原稿制作などでつきあいがある。急成長している会社だけあって組織や担当がよく変わる。最初の担当が長久保さんという好青年だった。SMSに所用があったので長久保さんに「いる?」と電話すると、「その日は神田駅北口近辺の会社に行ってます」とのこと。で7時に神田駅南口で待ち合わせて葡萄舎へ行く。私が持ち込んだ日本酒を呑む。長久保さんは北海道教育大学出身で地学専攻だったかな。長久保さんの父親が私の1歳上というから私の息子と同じ世代だ。まぁ向こうがこちらに合わせてくれているのだろうが、私は結構気が合うと思っている。SMS担当の迫田を呼び出して3人で歓談。

10月某日
国際展示場に「福祉機器展」を見に行く。「胃ろう・吸引シミュレータ」に引き続きデザイナーの土方さんが気管カニューレの模型を開発、量産の目途も立ったので一般財団法人社会保険福祉協会のブースをお借りして出展しているのだ。社会保険福祉協会のブースに行くと看護師の大津さんが実演していた。韓国の人が興味を示して韓国で売ってみたいと言ってくるなど反響は上々のようだ。大津さんと土方さん、販売担当のHCMの大橋さん、映像担当の横溝君が食事に行くとのことだったが私は先約があったので「ゆりかもめ」で新橋へ。新橋の「お多幸」でSCNの高本さんと待ち合わせているのだ。で新橋のレンガ通りの「お多幸」を探したが無いではないか。
高本さんの夫の社会保険出版社の高本社長が迎えに来てくれる。探しても見つからないはずで私の知っている「お多幸」は数年前に閉店、別のお多幸が「株式会社お多幸」として新橋3丁目の交差点付近に開店したというわけ。マグロのお刺身やおでんを肴に日本酒を頂く。フィスメックの小出社長も同席して座は大変盛り上がった。お勘定は高本社長にお世話になってしまった。なんかいつもご馳走になっているような気がする。申し訳ありません。新橋お多幸の代表取締役、柿野さんは中央大学スキー部で高本社長と一緒だったそうだ。紹介してもらい名刺を交換する。相当酔ったが、我孫子で電車を降り今日は駅前のショットバーで締めることにする。ジントニックとスコッチのソーダ割りを一杯づつ呑む。今週も呑みすぎである。