11月某日
セルフ・ケア・ネット(SCN)の高本代表に「秋の宴遊会in新川」に誘われる。中央区新川にある高本夫妻が住むダイヤビル隅田リバーサイドタワーを訪ねると2階の集会室が会場となっていた。中に入ると宴はすでに始まっていて若い女性がビールを注いでくれくれてお料理もとってくれる。まぁ私は高齢者で障害者だからそのくらいはいいか。高本夫妻、今日ストレスチェックについて話をするフィスメックの小出社長、社会保険研究所の関連会社、現代社会保険の佐藤社長もいる。ほどなくSCNの市川理事もご主人の母親を伴って現れたので計画中のサービス付高齢者住宅の話などを聞く。どうもこの会は高本夫妻を中心とした「呑み仲間」の集まりのようではあるが同じマンションの住人、それから人形町界隈の呑み仲間も多いようだ。「下からの」地域包括ケアの原型がここにはある。
11月某日
5時から当社でシミュレータの販売会議。メンバーは当社の迫田と私、HCMの大橋さんとHCMと顧問契約を結んでいる三浦さん。本格販売に向けて役割分担をどうすべきか話し合う。専任の営業マンを置くより医療機器販売店に卸したほうが効率的だろうという方向では一致。場所を会社近くの跳人に移す。ここは津軽料理の店だが、大橋さんと三浦さんは青森の高校で卓球部の先輩後輩の関係。そんなこともあって津軽料理の店にした。介護予防と卓球の話で盛り上がりそろそろ帰ろうという時に当社の赤堀が登場。赤堀は新興スポーツのパドルテニスをやっているそうで三鷹市パドルテニス連盟の理事長という。それで話はまた盛り上がった。
11月某日
東京福祉専門学校に武田看護師に会いに行く。武田さんは60チョイ過ぎの男の看護師さん。東京福祉専門学校の白井貴子先生の紹介でいろいろお願いしているところだ。東京福祉専門学校でも夜間部で教えている。「教えることはとても勉強になります」と謙虚な人柄には感心する。授業がある武田さんと別れ、西葛西の駅へ。西葛西に事務所のあるネオユニットの土方さんに会うためだ。土方さんお勧めの焼き鳥屋へ入る。シミュレータの販売について打合せ。亡くなった大前さんの話になる。不覚にも涙が出てしまった。仕事以外の話をいろいろする。土方さんとは10歳以上年が離れているが、なぜか話が合う気がする。
11月某日
図書館で借りていた「グローバル経済史入門」(岩波新書 杉山伸也 14年1月)を読む。
著者の杉山は1949年生まれ。72年に早大の政治経済学部を出ている。ロンドン大学博士課程終了後、慶応大学経済学部に迎えられている。私も72年に早大政経学部を卒業しているがもちろん面識はない。もっとも私は1年の2学期以降ほとんど教室に足を踏み入れたことはなかったから同級生はともかく同じ学年の学生と親しく話を交わす機会もなかった。1年の2学期以降、私はデモに明け暮れていた。そんな生活が翌年の9月3日まで続く。9月3日の第2学館の闘争で逮捕起訴され冬に東京拘置所から出された。自分の話が長くなったが、私がデモに明け暮れ、逮捕起訴された後、麻雀や酒に溺れていたときも杉山は学問していたわけである。私は今まで自分の生き方に後悔したことはあまりないのだが、同年に早稲田を卒業した杉山の本を読んで「学問をするという選択肢もあったかもしれない」とふと思った。
それはともかく本書を私はとても興味深く読ませてもらった。私の歴史理解は一国の歴史があり(たとえば日本史)、それをとりまく周辺の歴史があり(たとえば中国史、東アジア史)などがあり、それらを集約、統合したものとして世界史があるというものだ。これに対しグローバル経済史は当然のことながら交易(異なる地域間の交換)が前提となる。異なる地域間の交換には陸路にしろ海路にしろ通商ルートの確保が前提となる。ヨーロッパとアジアを結ぶ通商路としてのシルクロードやスペインポルトガルがはるか希望峰を廻ってインドやフィリピン、中国本土、台湾を経て日本に到達したのもそういうことであろう。産業革命がイギリスに興り、資本主義経済がヨーロッパを覆った。アジア、アフリカの多くは植民地化され、植民地と資源を争って二度の世界大戦があって現在がある。
われわれはどこへ行こうとしているのか? 杉山は「人間の歴史に刻まれてきた普遍的な価値観としての自由や平等の思想や民主主義の伝統は、全体主義や排他主義への回帰を許容しない抑止力として機能することは間違いないし、そうあることを信じたい」という。まったく同感である。
11月某日
セルフ・ケア・ネットワーク(SCN)の高本代表を小舟町の事務所に訪ね「介護職の看取り、グリーフケア」調査の打合せ。終了後、水天宮から日比谷線で西新井へ。「へるぱ!」の取材で「ケアサービスとも」を訪問するためだ。西新井駅で当社の迫田、ライターの沢見さんと待ち合わせ。取材は社長の海老根さんと海老根さんの奥さんで看護師兼管理者の久美子さん、取締役の永田さんが対応してくれる。久美子さんが来るまでの雑談のなかで、海老根さんの次男に重い障害があったことがこの事業を始めたきっかけと分かる。次男の施設への送り迎えのため社長の海老根さんは比較的時間が自由になる個人タクシーをはじめたそうだ。まあそれからずいぶんと大変なこともあったに違いないが今は順調に業績を伸ばし現在はサービス付高齢者住宅にも進出しているという。久美子さんが看護師のため看護師の確保にはそれほど苦労はしていないが、看護師のために多様な働き方を許容しているのが特徴ともいえる。取締役の永田さんは実は海老根さんの娘婿。そして前職は弁護士という。高田馬場の日本介護福祉専門学校に一年通って社会福祉士の資格を取得、この業界に入ったという。弁護士経験者がスタッフにいるなんてすごい!と思ってしまった。取材が終わって西新井の駅まで出て、沢見さん、迫田と私の3人で食事をすることにする。駅前で探すがこれといった店がない。「竹そば」という店の前でうろうろしていたら店の人に「どうぞおはいりなさい」と声を掛けられてしまった。いろいろなつまみを各種とって酒は会津誉と八海山。客が少なく味もまあまであった。沢見さんは目黒に帰ってまだ呑むそうだ。私も我孫子の駅前の「愛花」に寄ったら常連の看護師さんが来て話が長くなった。
11月某日
「いちまき―ある家老の娘の物語」(中野翠 新潮社 15年9月)を読む。著者中野翠が曾祖母みわの「大夢 中野みわ自叙伝」を著者の父の遺品から見つけたのがきっかけ。それから著者のルーツをたどる旅が始まるのだが。大夢はみわの父で幕末には関宿藩の家老職だった。藩内は勤皇と佐幕に別れ、大夢は幼君を擁して佐幕派に。これが大夢の流転の始まりで彰義隊に参加するも敗走して転々とする。最後の将軍慶喜とともに静岡に落ち着き学校長などを務める。「いちまき」というのは血族のことを指すらしいが、中野のいちまきは庶民であって庶民ではないところが面白い。武士の気質のようなものが三代、四代を経ても息づいている。中野翠は早大政経学部で私の3年上。呉智英と一緒に文研に所属していた。中野は卒業後、出版社に勤めたがその頃、私は中野と麻雀を打ったことがある呉智英こと新崎さんはロシヤ語研究会の先輩。4年のとき文研から移ってきた。中野はすでに出版社に勤めていたが新崎さんは第一次早大闘争の被告で裁判を抱えていたこともあって留年中だった。そのときの麻雀は私が勝ったように思うが中野はまぁ覚えてないだろうな。
11月某日
民間介護の質を高める事業者協議会(民介協)の事務所は当社と同じビルの3階にある。民介協の扇田専務が事務所の移転先を探していた時、3階が空いていたので入ってくれた。それ以前から民介協にはいろいろとお世話になっているので今日は民介協の佐藤理事長、扇田専務それと民介協の事務をやっている天野さんを有楽町の「牛や」に招待することにする。当社からは私以外に岩佐と迫田が参加する。牛やは当社の大前さんが存命の頃はよく使っていたが最近とんとご無沙汰だった。今日は「しゃぶしゃぶコース」にした。お通しにお刺身がついてお酒は呑み放題、しゃぶしゃぶも美味しかった。お客さんも満足してくれたようだ。佐藤理事長は北海道出身。札幌西高だそうだ。そういえば牛やの隣のビルにあった「あい谷」の経営者も西高出身とか言っていた。つい先日、神保町で「あい家」という店を開店したというはがきが来ていた。今度、佐藤理事長を誘ってみよう。