社長の酒中日記 1月その3

1月某日
社会保険倶楽部霞ヶ関支部(幸田正孝支部長)の新年賀詞交換会に出席。幸田支部長や社福協の近藤理事長、元参議院議員の阿部正俊さんたちに挨拶。小林チーさん、百軒さん、池田保さんといった昔、下野カントリーで一緒にゴルフをした懐かしい顔もいた。四谷の健康保険組合の会議室を借りての新年会だったので帰りに四谷に事務所のある編集者で元社会保険研究所の保科さんに電話して一杯飲もうと誘う。「今日お化粧していないし普段着だからな。まぁ森田さんだからいいか」と率直なお答え。当社の大山と3人で呑む。

1月某日
「五稜郭の戦い―蝦夷地の終焉」(菊池勇夫 吉川弘文館 2015年10月)を読む。五稜郭の戦いについては榎本武揚率いる幕軍(新選組や彰義隊の残党プラス幕府海軍や陸軍の正規軍)が官軍に函館五稜郭で最後の抵抗を試みた程度のことしか知らなかったが、本書を読んでその全貌をいささか知ることができた。著者の官軍にも旧幕府軍にも偏しない公平な史観には共感できるし、庶民、民衆の視点を大切にするという立場もよくわかる。民衆からすればまさに外から「持ち込まれた」戦争でしかないのだから。そうは言っても私の故郷であるところの北海道を舞台にした近代的な戦闘としての五稜郭の戦いには興味は尽きない。これは会津の戦いにも言えることだが、官軍が自軍の死者のみを丁重に葬るのに対して旧幕軍は敵味方を問わず死者を哀悼する傾向がある。これは薩長を中心とする官軍と、会津や桑名、旗本をなどの旧幕軍の文化程度の違いと見えるのだが。私の父方の祖父は彦根出身、母方の祖母は幕臣の末裔と聞いたことがある。私には反薩長、反藩閥の知が流れている?

1月某日
スタジオパトリというデザイン会社を経営する三浦哲人さんから久しぶりに呑もうという電話があった。元社会保険研究所の保科さんを誘って3人で会社近くの「跳人」へ飲みに行く。三浦さんとは私がこの会社に入る前、日本プレハブ新聞社に在籍していた当時からだからもう30年以上も前からの付き合いである。「日本海苔食品新聞社」とかいう『業界紙の争議』の支援を通じて知り合った。当時三浦さんは四谷3丁目当たりのエロ本を出版する会社の編集者だった。確か元信州大学の全共闘で私より1歳若い昭和24年生まれだ。途中からSCNの高本代表理事が参加。高本さんは私たちより20歳近く若い。でグリーフケアの団体であるSCNを立ち上げる前は冠婚葬祭のコーディネータをやっていた。高本さんが「ソウギ」で思い浮かべるのは「葬儀」だが、私と三浦さんがイメージするのは「争議」でなんとも面白い。

1月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いしに「オープン・シティ研究所」の日下部元雄所長を訪ねる。市ヶ谷の高級住宅地の一角にあるマンションが自宅兼研究所。所長は東大の数学科を出た後修士課程を2年修めた。そして当時の大蔵省に経済職で入省した。世界銀行の副総裁を務めたこともあるという。世銀はワシントンだが世銀の後はロンドンにあるナンチャラ復興投資銀行の顧問も務めたという。おいしいお茶とお饅頭、大粒のイチゴを出された。所長と奥さんの笑美さんは「エビデンスに基づく子育て支援システム」を研究、実践している。フォーラムの講師も快く受けてもらった。

1月某日
日暮里駅前の「喜酔」という店でフリーライターの福田さんと待ち合わせ。ここは魚料理の店でマグロが旨い。福田さんのお嬢さんはピアノでチェコのプラハに留学。今もかの地で暮らしているという。また息子さんも国際的な運送会社に勤め、一時シンガポールに駐在していた。要するに福田さんは娘や息子の住まいをホテル代わりに海外旅行を楽しむことができるのである。

1月某日
東商傘下の「生活福祉健康づくり21」というNPOに加入している。この下にビジネス研究会というのがあり不定期ながら勉強会を開催している。勉強会のあとの懇親会が楽しいのでできるだけ参加するようにしている。今回はセントラルスポーツが港区から委託されている介護予防事業の見学に港区スポーツセンターへ。8階建てのビルで中に体育館、弓道、アーチェリー、卓球などの施設、プールがある。一緒に行ったHCMの大橋社長と感心することしきり。懇親会は近くのワインバーで。アテナの常勤監査役の小笠原さんが大橋さんと青森で道教であることが判明、おおいに盛り上がった。懇親会が終わった後、フィスメックの小出社長と神田へ。

1月某日
霞ヶ関ビルの東海大学校友会館で「森民夫長岡市長を囲む会」。会は6時からだが5時半からケア・センターやわらぎの石川代表理事と社保研ティラーレの佐藤社長と認知症予防の「だんだんダンス」の打合せ。元厚労省の辻さん、江口さん、清水さん、元建設省の小川、合田さんたちが来る。現在内閣府に出向している伊藤明子さん、JCHOに出向している藤木さんも駆けつけてくれる。森市長は長岡長岡の日本酒、久保田の万寿を持ってきてくれる。さすがに旨い。

1月某日
ポプラ社のポプラ文庫に田辺聖子コレクションというシリーズがある。田辺の短編をテーマ別に再編集したものだ。私には田辺の魅力が再発見できるようでうれしい。シリーズの5冊目「うすうす知っていた」を読む。5編の短編が収められているが私はどの短編も既読である。だがそれだけに前回気づかなかった点にも気づかされ興味は尽きない。私が好きなのは「クワタさんとマリ」だ。仲の良い夫婦がいる。夫婦には子供がいない。ある日自宅に乳母車とぬいぐるみが届けられる。夫には外に愛人と子供がいたのだ。夫婦はしかし深く愛し合っている。だが夫は妻も愛人も愛人に産ませた子供も愛しいのだ。これは大いなる矛盾であり解決のつかない問題である。こういう恋愛短編小説は本当に田辺の真骨頂だと思う。

1月某日
「複眼で見よ」(本田靖春 2011年4月 河出書房新社)を図書館で借りて読む。本田は1933年、朝鮮京城生まれ。早大政経学部卒業後、読売新聞社に入社、社会部記者として活躍。71年退社してノンフィクション作家に。私は戦後の愚連隊の一つの頂点を究めた花形敬の生涯を描いた「疵」や遺作となった「我、拗ねものとして生涯を閉ず」を読んだことがある。いずれも面白く読ませてもらったが本田のノンフィクションを続けて読んでみようとはならなかった。だが本書にはちょっと違う印象を持った。ジャーナリストとはジャーナリズムとはについて考えさせられるところが大きかった。本田の死後、単行本未収録作品を集めたというのが本書の趣旨だが、それだけに本田のジャーナリズムないしはジャーナリストに対する本音のようなものがうかがえる。テレビや大新聞などのマスコミに対する批判、なかでも政治部の派閥記者に対する批判はジャーナリズムの本質に迫るものと思う。72年の沖縄返還前の文芸春秋71年11月号に掲載された「沖縄返還 もうひとつの返還」は現在の沖縄の辺野古移設問題と通底する問題意識が感じられてきわめて読み応えがあった。このドキュメントを読む限り沖縄問題の本質は戦後70年経っても変わっていないように感じられた。