2月某日
フリーライターの香川喜久江さんと会社近くの「跳人」で呑む。香川さんは私が日本プレハブ新聞の記者をしているころからの知り合い。展示場運営会社のナショナル開発というところに勤めていて、香川さんの同僚の伊藤さん、私の同僚の岡田さんを交えてよく呑んだ。香川さんはナショナル開発を辞めてフリーライターとなった。当時のナショナル開発の話で盛り上がったけれど、どうも最近昔話で盛り上がることが多いような気がする。年をとったことにもよるだろうが、甘利大臣への献金疑惑をはじめとして、世の中「変わっていねー」ことが多すぎる。昔話をしても今につながってしまうのである。
2月某日
HCMの大橋社長、三浦さんと港区スポーツセンターへ。ここで介護予防事業を港区から受託しているセントラルスポーツの話を聞くためだ。セントラルスポーツは執行役員の相川さんと介護予防総合センターの國井センター長が丁寧に応対してくれた。説明を聞いた後、三浦さんと大橋社長、私の3人で年友企画へ。迫田を交え、シミュレータの打合せ。打合せ後、会社近くの「福一」へ。海鼠を2日続けて食することができた。
2月某日
セルフ・ケア・ネットワークの高本代表理事と社会保険福祉協会の本田常務と内田次長へ来年度の調査研究事業のお願いに。終わってから弁護士ビルの雨宮弁護士事務所へ。雨宮君は大学の同級生。司法試験合格後、検事に任官、30代半ばで弁護士を開業した。雨宮君に昼ご飯をご馳走になる。夜、当社の大山とM銀行の当社担当の松田君と神保町の「あい谷」で。「あい谷」は有楽町の電気ビル地下1階で営業していて厚生省のOBや現役が割とよく使っていた。少し早く着いたのでご主人とおしゃべり。ご主人は元学研の編集者。札幌北高の出身で千葉大教育学部を卒業後、学研へ。児童向けの科学雑誌の編集を長く続けていたという。新宿の末広亭の近くにあった「安具楽屋」の常連で、学研を定年前に早期退職し料理屋さんを始めることになったそうだ。時間通りに当社の大山、少し遅れて松田君が来る。松田君は小樽商大を出てM銀行に就職、最初の支店が神保町支店ということだ。
2月某日
白内障の手術を我孫子の眼科で。手術室に入って15分ほどで「はい、ご苦労様でした」。実際の手術時間は5分もなかったのではなかろうか。翌日、眼帯をとると実にクリアな世界が目の前に現れた。とくに色彩がね、彩度というのか明度というのかわからないがクリア。近視も改善されていた。2週間後に右目も手術する。待ち遠しい。
2月某日
先日呑んだM銀行の松田君が本店への異動ということで後任の槙得(まきえ)君と一緒に挨拶に来る。槙得君は松田君の1年後にM銀行に入行、九大の法学部出身。槙得君も松田君も性格は良さそう。午後、デザイン会社のスタジオパトリの女性デザイナーが2人営業に来る。若くて美人に見えたけれど会議中だったので当社の担当者に紹介する。夕方、当社が入っているビルの3階に事務所のある民介協の扇田専務が来社。今日は出勤日ではないが碁を打ちに来たという。扇田専務と呑みに行くことにする。神田駅南口の葡萄舎に連れていく。タコの刺身としめ鯖を肴に40度の焼酎を呑む。扇田専務は確か私の3歳上の昭和20年生まれ。県立奈良商業を卒業後、当時の富士銀行に入行、高卒ながら支店長をいくつも歴任した「切れ者」。とは言え私とはなぜかウマが合う。銀行時代の話や介護業界の課題など楽しいながらも為になる話を聞かせてくれた。