社長の酒中日記 2月その2

2月某日
「コーポレート・ガバナンス」(花崎正晴 岩波新書 14年11月)を読む。コーポレート・ガバナンスは企業統治とも訳されるが、広い意味で「会社はどうあるべきか」という話だと思う。会社は利潤を上げ出資者に配当を行うのが第一義的には求められているが、果たしてそれだけでいいのか?ということだ。会社には株主だけでなく多くのステークホルダー、利害関係者がいる。従業員、販売先、仕入先、地域住民等々。これらのステークホルダーとどのような関係を取り結んで行くか、というのもコーポレート・ガバナンスだ。本書によるとコーポレート・ガバナンスの出発点は、企業における所有(株主)と支配(経営者)が分離し、両社の利害は必ずしも一致しなくなることにある。経営者は日常的に経営情報に接することができるが、株主はそれができないという問題もある。コーポレート・ガバナンスの当初の目的は、いかにして経営者に株主利益に合致した経営をさせるかにあった。しかし社外取締役を活用した経営者のモニタリングやストックオプションなどによる経営者へのインセンティブ付与などアメリカ型のガバナンスでは株主と経営者との間の「エージェンシー問題」を完全に解決するには至らなかった。日本においてはメインバンクが顧客企業に対してモニタリング機能を発揮して日本経済の発展を後押ししたとの説があるが花崎の実証研究によれば、日本の製造業においては市場競争こそが企業経営に対して有効な規律付けを与えたという。経済はますますグローバル化していくにしても、企業行動、企業文化はそう簡単に1国の枠を超えられるとは思えない。グローバル化に対応しつつ日本独自のあるいはその企業独自のコーポレート・ガバナンスを追究していかなければならないのかも知れない。

2月某日
CIMネットワークの二宮理事長に八丁堀の「月山」でご馳走になる。二宮さんは老年医学会とやった「末期認知症患者への胃ろうの適応について」の調査研究とシンポジウムを一緒にやってからのお付き合いだ。PDN(ペグ・ドクターズ・ネットワーク)の支援をずっとやっている。ときどき私に声をかけてご馳走してくれる。医療関係のネットワークを独自に築いていて、いろいろな人を紹介してもらったことがある。

2月某日

土曜日だが仕事が溜まっているので会社へ。16時に民介協の扇田専務に会いに新浦安へ。新浦安から徒歩5分のタワーマンションへ。談話室に通される。扇田さんのマンションの老人会、入船長和会の関根会長に紹介される。それから東京精密㈱の太田会長も顔を出す。太田会長は富士銀行で扇田さんの後輩らしい。東京精密が開発した高齢者の見守りシステムの実証実験を浦安市でやりたいということだ。高齢者のみ世帯や高齢夫婦のみ世帯が増えているし、認知症の夫婦の認認介護これから増えていくに違いない。大都市のマンションだけでなく戸建て住宅や限界集落でも見守りは必要となってくる。コストを考えると何らかのシステムは必ず必要となってくる。システムと同時にバックアップするマンパワーも必ず必要となってくるはずだ。打合せ後、談話室で扇田専務に焼酎をご馳走になる。

2月某日
SCN(セルフ・ケア・ネットワーク)の高本代表理事を日本橋小舟町のオフィスに訪ねる。一般社団法人の社会保険福祉協会からの補助を受けてSCNが「介護職の看取りとグリーフケア」の調査研究をやっており、その報告書について相談をしたいという。「はじめに」の原案を読んだが、私はなかなか面白いと思った。ありきたりの調査報告書の「はじめに」とは一味違って「なぜ、この調査研究が必要か」について自分の言葉でしっかり描かれていると思った。一般的に言えば少子高齢化が進むと社会には高度経済成長期のような「ノビシロ」は期待できなくなくなってくると思う。「ホンモノ」しか市場、社会では生き残るのが難しくなってくるだろう。そのとき生き残れる条件は社会にとって必要か否かということだろう。高本代表理事はそこのところを模索しているように感じる。翻って私はどうなのか?当社は生き残れるのか?

2月某日
「営業をマネジメントする」(石井淳蔵 岩波現代文庫 12年11月)を読む。製造業で言うと、企業は生産現場、営業、管理に分けられる。当社のような出版ないしは編集プロダクションは生産現場が編集に置き換えられる。私は編集者として入職したが、何時のころからか営業の方が面白くなってきた。会社を支えるのは顧客に他ならず(ドラッカー)、その「顧客との関係の絆をつくりあげる仕事を担っているのが営業」(はじめに)である。私は「顧客との関係をつくりあげる」という仕事に魅力を感じたのだと思う。第8章「マネジメントを深く考える」で石井は「私たちが生きていく上で一番大事な知恵は、何とも手の打ちようがない状況(つまり「マネジメントが可能でない状況」)を何かしら手が打つことができる状況(つまり、「マネジメント可能な状況」)に切り替えることにある」と言っている。私の言葉で言うと「マネジメント可能な状況」とは「顧客とイー感じで話ができる関係」になったときである。その関係は顧客によって異なるし、同じ顧客でも変化する。私はそこに「営業」の魅力を感じたのだと思う。

2月某日
東京精密の太田会長と子会社の東精ボックスの高野社長が当社のビルの3階の民介協へ扇田専務を訪ねてくる。高齢者の見守りについて意見交換。神田駅の近くで太田会長にご馳走になる。太田会長と扇田専務は若いころ富士銀行大阪営業部で一緒だったという。富士銀行時代の話で盛り上がっていた。私にはチンプンカンプンの話ではあるものの、組織のガバナンスやマネジメントという意味では会社の大小に関わらず同じような問題があるものだと感じた。皆酒が強く、焼酎を2本空けた。

2月某日
「医療にたかるな」(村上智彦 新潮選書 13年3月)を読む。著者は2006年から財政破綻した夕張市の医療再生に取り組んだ人。北海道薬科大学を卒業後、研究者を志望して大学院に進学、病院で薬剤師のバイトをしていたとき、医者に薬のことで進言したら「薬剤師の分際で何をいうか!医者になってからものをいえ!」と言われたのがきっかけとなって医者を志望、金沢医大に進んで医者になったという。夕張の医療再生に取り組みを著者は日本再生とアナロジィしているように思う。膨大な財政赤字、既得権にしがみつく市民たち、夕張はある意味で日本の縮図だ。日本の医療を考え直す良書だと思う。

2月某日
我孫子駅北口の小川眼科で白内障の手術。2週間前に左目、今度は右目だ。実際の手術時間は15分もかからなかったが、目の手術は嫌ですね。でも翌日、眼帯を外すと付近の光景が違って見えた。視力も0.9まで戻った。私は小学校4年生から眼鏡を掛けているから裸眼で風景を目にするのは50年ぶり以上だ。手術日と手術の翌日は会社を休むつもりだったが、翌日、検査で異常なしだったので出社することにする。