社長の酒中日記 6月その3

6月某日
図書館から借りた「平成不況の本質-雇用と金融から考える」(大瀧雅之 岩波新書 11年12月)を読む。今から5年前の東日本大震災後の刊行であり、当時は民主党が与党であったが、本書で展開されている論理は古びていないと私は思う。アベノミクスという言葉が流布し始めたのは第2次安倍政権の誕生以降だから、本書にアベノミクスについての記述はない。しかしおそらく著者の言いたかったのはグローバリズムや構造改革に代表されるアベノミクス的政策への批判であり、社会資本の整備や公教育の充実などであろう。私もこのごろつくづく思うのは、ケインズ的な経済政策と社会民主主義的な社会政策の重要性である。

6月某日
元厚労次官の江利川さんを囲んで一杯やろうということで富国生命ビル28階の富国倶楽部を予約。6時半からスタートだが当社の岩佐愛子、社保研ティラーレの佐藤社長と6時頃富国倶楽部へ。私と岩佐が生ビール、お酒の吞めない佐藤社長がジンジャーエールを吞んでいると江利川さんが時間通り来る。次いで鈴木年金局長、間年金課長、今度の人事異動で保険局長からまち・ひと・しごと創生事務局に行く唐沢さん、今回、雇用均等・児童家庭局長を最後に厚労省を退職する香取さんが来る。新旧官房長も来て総勢10人くらいになった。みんながよくしゃべって和気あいあいのいい会だった。

6月某日
図書館で借りた「文壇アイドル論」(斎藤美奈子 文春文庫 06年10月)を読む。斎藤美奈子は56年生まれの文芸評論家でこの本では村上春樹、俵万智、吉本ばなな、林真理子、上野千鶴子、立花隆、村上龍、田中康夫の8人を取り上げている。80~90年代の文壇やジャーナリズムのアイドルという捉え方なのだろう。括りとしては「文学バブルの寵児」として村上春樹、俵万智、吉本ばなな、「オンナの時代の象徴」となった林真理子、上野千鶴子。「コンビニ化した知と教養の旗手」立花隆、村上龍、田中康夫という具合である。「はじめに」で斎藤も言っているように本書は「作家論」というより「作家論論」に近いかもしれない。作家はどのように文壇やジャーナリズム、アカデミズム等の世間で取り上げられてきたかの実証的評論であり、それはすなわち時代批評として極めて有効に機能していると思う。斎藤美奈子は初めて読んだが「恐るべし」である。

6月某日
日本橋小舟町のセルフ・ケアネットワークで地域包括ケアパンフの打ち合わせを高本代表理事とフリーライターの香川さん、それに当社の寺山と打合せ。次いで神保町のデザイン会社「スタジオパトリ」で同パンフのデザインの打ち合わせ。結核予防会に寄ろうと思ったがそのまま直帰。我孫子駅前の「七輪」で軽く一杯やるつもりでカウンターの席に着こうとすると「モリちゃん」と呼び止められる。「愛花」の常連の大越さんが奥さんと吞んでいた。大越さんは私より1歳上。国士舘の工学部を出て建設会社に就職。今は独立して下請け工事会社を経営している。なぜか気が合い大越さんの生まれた葛飾区の立石のディープな呑み屋で何度かご馳走になった。今日もホッピーをご馳走になったうえ焼酎のニューボトルを入れてもらった。

6月某日
社会保険研究所で「月刊介護保険情報」の進行、校正をやっているナベさんと会社向かいの鎌倉橋ビル地下の「跳人」で待ち合わせ。ナベさんとは30年以上前、「住宅ジャーナル」という業界紙で机を並べた仲。当時、会社の仲間とよく行った上野駅近くの「泡盛屋」の話で盛り上がった。そこは奄美大島出身の老夫婦がやっている店で、確か飲みすぎると良くないと泡盛は3杯までしか飲ませてくれなかった。ご主人は奄美大島で巡査をやっていたそうでそのせいか厳格なわけね。豚足やセンマイなどを食べたように記憶している。そんな話をしていたら飲みすぎてしまった。

6月某日
当社も会員になっているシルバーサービス振興会の総会。5分前に会場の霞が関ビル35階の東海大学校友会館に行こうとエレベータに乗ると同じ会員でグループ会社フィスメックの小出社長と乗り合わせた。会場に着くとすでに来賓の蒲原老健局長が来賓席に座っていたので挨拶。総会後の懇親会では中井常務や久留事務局長に挨拶。小出さんや社会保険出版社の高本社長、社会保険研究所の飯岡さんと歓談。

社長の酒中日記 6月その2

6月某日
三菱東京UFJ銀行が国債入札に特別な条件で参加できる資格(国債市場特別参加者、プライマリー・ディーラー)を返上する方針を固めたことが昨日の日経朝刊の1面のトップ記事となっていた。マイナス金利で金融機関が国債を引き受ける負担は増大している。日銀も他の金融機関の追随を懸念してこれ以上、マイナス幅は広げることに躊躇するだろう。異次元の金融緩和を軸としたアベノミクスが綻びはじめつつあると私には思える。
結核予防会の竹下専務と神保町の「あい家」で待ち合わせ。この店はもともと有楽町の電気ビル地下1階で「あい谷」として営業していたのだが店名も変えて神保町に出店した。6時半に待ち合わせたが私が6時入店、竹下さんは7時半頃になった。竹下さんが来るまで店主とおしゃべり。店主は札幌出身で高校は札幌北高、大学は千葉大の教育学部で学研で学習雑誌の編集をやっていたという。

6月某日
赤坂にある医療科学研究所に江利川理事長を社保研ティラーレの佐藤社長と訪問。7月の「第10回地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いしているのでその打合せ。そのあと、内閣府の伊藤明子審議官。「山本繁太郎とその時代」という本が完成したので「シャイの会」用に10冊確保したという連絡をもらったので受け取りに。山本さんは元建設官僚で山口県知事在任中にガンで亡くなった。本は予想以上に立派な出来栄えだった。
「へるぱ!」の取材で横浜市瀬谷区のめぐみ在宅クリニックの小澤竹俊院長にインタビュー。当社の迫田とフリーライターの沢見さんに同行。先生は高校生のとき見たマザー・テレサの映画に影響を受け「この世で一番困っている人たちを救いたい」と医者を志した。とくに死に行く人たちとの苦悩を医者として、人間として向き合っていきたいということから在宅看取りを進めている。初対面だがとても表情が豊かで若々しい先生だった。患者、家族とフラットな関係を築いているのがうかがわれた。インタビュー後、横浜駅構内の日比谷松本楼で迫田、沢見さんと食事。沢見さんは「居合い」を始めたそうだ。

6月某日
SMSの長久保氏と「跳人」で待ち合わせ。長久保さんが来るまで「山本繁太郎とその時代」を読む。私が知る繁太郎さんは「シャイの会」での非常にバランスのとれた姿しか知らないが、この本を読むと呑み屋でのお茶目な姿や国土行政にかかわるまじめな姿、そして故郷、山口に対する思いが伝わってくる。長久保さんが来る前に結核予防会の竹下専務が「乱入していいか?」と来る。次いでフィスメックの小出社長。長久保さんが来た頃にはいい機嫌に出来上がっていた。

6月某日
図書館から借りた「鏡をみてはいけません」(田辺聖子 集英社 96年8月)を読む。初出はマフィン93年8月号-95年5月号。主人公は広告会社を辞めてフリーの絵本作家を目指す30代の女性。小学生の子持ちバツ1、未婚の妹と同居している律と律の家で同棲を始める。実際に田辺聖子は夫人を亡くした子持ちの医者(カモカのおっちゃん)と結婚するが、この小説は田辺の実生活をなぞったところがないとはいえない。小学生の宵太との交流がほほえましく描かれているが、ここらへんにも田辺とカモカのおっちゃんの子供との関係が反映しているように思う。ただこの作品は田辺が60代半ばから後半の作品で、みずみずしさに限れば40代、50代の作品に及ばないように感じた。暮らしの描きぶりだと思うのだけれど。
日経朝刊の経済教室欄の「私見卓見」というコラムで元外務政務官の山中燿子という人がイギリスのサッチャー元首相が79年の総選挙で付加価値税(日本の消費税に相当)の増税を掲げたにもかかわらず、地滑り的大勝をした事実をあげ、サッチャーの増税政策に学ぶべき点を提言している。要約すると①弱者に配慮した軽減税率②インボイス方式(税額票方式による税補足の効率化③税率変更の柔軟性-である。なるほどね。日本とは大きな違いだ。日本でも消費増税の必要性を丁寧に国民に説明しそのうえで弱者への配慮をきちんと行えば国民の多くは増税を受け入れると思う。

6月某日
年住協の森理事、HCMの大橋社長と当社で年住協の新規事業について打合せ。終わって何処へ吞みに行くかで揉めたが、結局久しぶりに「福一」へ。今回気が付いたけどここは食べ物が旨い。焼き鳥もしめ鯖も上出来で値段もリーズナブル。2軒目に神田駅前の居酒屋へ行くがよく覚えていません。

6月某日
結核予防会の竹下専務から「昔、厚生省の資金課にいた吉田さんと吞むからモリちゃんも来れば?」という電話。指定された上野池之端の鷗外荘のレストランへ。レストランへ行く前に鴎外荘の100mほど先にある銭湯、通称「黒湯」へ行くことにする。ここは鉱泉で沸かし湯だが44度くらいあるのじゃないかと思われるほど熱い。水を足すとおじいちゃんに怒られそうなので我慢して1分ほどつかる。さっぱりしてレストランへ。吉田さんは現在、東京都家具健康保険組合の健康管理部長で部下で保健師の遠藤スミレさんを連れてきていた。遠藤さんは兵庫県立保健大学の出身で学生時代はウインドサーフィンやヨットをやっていたというが、そうは見えない色白の美人。4人で根津の「ふらここ」へ。

6月某日
川越の尚美学園大学に高橋幸裕先生をSCNの高本代表理事と市川理事が訪ねるというので同行する。介護職員の看取りやグリーフケアについて意見交換。高橋先生が校内を案内してくれたがグラウンドでは女子の硬式野球部員が練習していた。尚美学園大学は女子サッカーも強いのだそうだ。京大の阿曽沼理事が出張で東京に来ているらしく「今晩時間ある?」のメール。「5時以降フリー」とメールを返すと「東京駅周辺で5時以降店を予約しておいて」。市川理事が新丸ビルの「四川豆花荘」を勧めるのでそこを予約。5時を少し回ってから着くと阿曽沼さんはすでにビールを吞んでいた。友愛十次会の小林和弘さんが来る。舛添東京都知事の進退問題と厚労省の人事が話題に。

社長の酒中日記 6月その1

6月某日
消費増税が再延期された。愚かなことだと思う。経済学者の吉川洋氏が6月3日の日経朝刊で「消費増税を延期する理由が私には分からない。4月の有効求人倍率は1.34倍と24年ぶりの高水準。失業率は3.2%と完全雇用に近い。今でなければ一体いつ増税するというのか」、さらに「増税を延期したのに大型補正予算を編成する方針も理解に苦しむ。(中略)完全雇用状態にある日本で増税を延期して補正というのは理屈に合わない」と語っている。全く正しいと思う。消費増税は赤字国債を発行してきた過去のツケを払うためには避けられない選択である。過去のツケを将来世代にまで払わせるのは理屈に合わない。与党の自民、公明党も野党の民進党も再延期では一致しているという。ポピュリズムとしか言いようがない。2年半後に景気が回復しているという保証はどこにもない。リーマンショック並みの不況、東日本大震災並みの大災害の可能性だって否定できない。そのときどうするのか。再再延期するというのか。その責任は誰がとるのか。

6月某日
厚生労働省に武田政策統括官を訪ねる。シルバーサービス振興会に行くまで時間があったので26階の喫茶室へ。喫茶室は中華料理店に代わっていたが、ドリンク類もあるというので入店。私はビールを頼む。共同通信の城記者に26階にいるとメールしたら来てくれる。
城さんもビールを頼む。シルバーサービス振興会へ行って柳沢さんに「キャリア段位制度」の広報についてアドバイス。ついでSMSでカイポケビズという雑誌の記事の打ち合わせ。「カイポケ」というのは介護請求ソフトにいろいろな機能を付加した優れもの。介護事業者にとって管理コストの削減が急務となっているが、カイポケはその力強い味方となると考えられる。でも「広報が弱い」と感じた。担当の山田さんに率直にそのことを話す。5時半に葡萄舎で昔、当社にいた村井と待ち合わせだったが30分ほど遅刻。当社の迫田、HCMの大橋社長も参加。

6月某日
図書館から借りた「祖父 大平正芳」(渡邊満子 中央公論新社 16年2月)を読む。総理大臣在任中しかも総選挙の演説中に倒れ、死んだ大平正芳の孫娘から見た評伝である。大平は財政再建のためには一般消費税の導入が必要と考えていたのだが「この新税導入に対しては、野党はおろか与党自民党内からも厳しい反対に直面して断念し、加えて党内抗争に疲れ果てた結果、初の衆参同時選挙のさなか急死した」(同書「消費税という十字架」より)。やっぱりなぁ現代の政治家とは違うね。真のステーツマンというべきであろう。

6月某日
訪問看護事業を展開している(株)ホスピタリティ・ワンの高丸社長を港区海岸の同社にSCNの高本代表理事と市川理事と訪問。高丸社長はほかに納棺士を養成する「送り人アカデミー」の校長などを務める「終末期ケア」の草分け的な存在らしい。高丸さんは慶応大学の看護学部出身で博士課程まで修了している。しかも背が高くイケメン。しかも事務所が高丸ビル6階というから資産家(本人または一族が)と思われる(下世話な推測でスミマセン)。一昔前に流行った所謂「三高」ね。しかしこちらの質問にとても丁寧に答えてくれて感じのいい青年だった。事務所を辞して高本さんと市川さんが「ゆりかもめ」の「日の出」駅の方に行こうとするので「あれ!水上バスで浅草行くんじゃなかったの?」と言うと「じゃいきましょう」と水上バス乗り場へ。日の出桟橋から浅草まで隅田川を上る。天気は快晴、高本さんがビールを買ってくれたので気分も最高!浅草では市川理事が前に行ったことがあるというお店に行くことにする。「どんな店?」と聞くと「料理は普通で出てくるのが遅いの」。「なんじゃそれ」と言いながら暖簾をくぐると、一見すると下町の普通の居酒屋。私は宮城の日本酒「伯楽星」を頼む。市川さんの前評判とは違って料理もおいしく普通のスピードで出てきた。

6月某日
中央区で「家で死ぬ町づくり」を進めている「はじめの一歩の会」の篠原良子会長にインタビュー。SCNの高本代表理事と市川理事、フリーライターの香川さんが同席。篠崎さんは学校を卒業後、父親の経営する繊維会社に就職、はじめは総務に配属されたが「つまらなかった」ので営業へ。キャリアウーマンの「はしり」かもしれない。仕事を続けながらボランティア活動も始めた。話の端々に「島津さんが」と出てくるので、「旧皇族の?」と聞くと「そうです」。今上天皇の妹で島津家に嫁いだ島津貴子さんのことでした。

6月某日
神田駅南口の葡萄舎で健康生きがい財団の大谷さんと待ち合わせ。葡萄舎には私がこの会社に入ってから通い始めたから、もう30年以上通っていることになる。マスターの賢ちゃんは元東京電力。20代のころインドを放浪しそのとき本場のカレー料理を身に着けたらしい。今でも看板メニューはカレー。ランチは普通のご飯がつくが夜はフランスパン、これはこれで美味しいがランチもおすすめだ。大谷さんは前に一緒に飲んだことがある元国際線のキャビンアテンダントを連れてきたが彼女(失礼!名前を失念)も「デリーで食べたカレーの味がする」と言っていた。彼女は宮城県石巻出身で石巻の話で盛り上がった。