社長の酒中日記 8月その5

8月某日
当社の石津さんが会社の帰りに御徒町の歯医者さんに行くという。「それじゃ御徒町で吞もう」ということになった。なんでもその歯医者さんは「奥さん公認酒場 岩手屋」の近くらしい。岩手屋というのには、私が日本木工新聞社という業界紙の記者をしていたころ、何回か行ったことがある。もう40年近く前になるのだが、その業界紙を印刷している工場が湯島にあり、校正の帰りに校正部の石渡さんに連れて行ってもらったのだと思う。でも今回は岩手屋ではなく、御徒町駅前のスーパー「吉池」の8階にある「吉池食堂」にする。
ここは「食堂」と言う名前がついているだけにつまみが充実している。石津さんが歯医者さんに行っている間、私は吉池食堂に先行。「晩酌セット」を頼む。晩酌セットは日本酒1合か生ビール1杯につまみが3点ついて、確か800円くらいだったと思う。「セット」と名がついているとつい頼みたくなってしまう私である。30分くらいで生ビールの「晩酌セット」を吞み終わり日本酒に。日本酒を3杯くらい吞んだ頃に石津さんが来る。

8月某日
土曜日だけど出社して残務整理。あまり気が乗らないので14時頃帰ることにする。吉池食堂で抽選券をもらったことを思い出し、御徒町のスーパー吉池に寄ることにする。地下2階の抽選会場に行くと、「3回、抽選機を回してください」と言われる。茶色い球が3つ出て「うどん」か「鮭」を選べということなので「うどん」を選ぶ。日曜日の昼食に食べたが意外においしかった。

8月某日
図書館で借りた「森は知っている」(吉田修一 幻冬舎 15年4月)を読む。何ページか読んで「あれっ読んだことがある」と気付く。奥付を見ると去年の4月の発行だから1年位前に読んだことになる。読み進むうちにストーリーは思い出してくるのだが、細部は思い出せない。ボケてきたのかもしれないが同じ本を短期間に2度読んで、違った感慨を抱くというのも悪くないと思った。吉田修一にしてはストーリーは荒唐無稽な冒険譚だ。AN通信という通信社を装うある種の秘密結社がある。企業や国家の機密情報を入手して高値で売るという組織だ。組織員は孤児によって構成されている。石垣島の南西60キロの南蘭島の高校に通う鷹野が主人公だ。鷹野は知的障害の弟と暮らす柳とともに高校に通う傍ら構成員としてのトレーニングを受けているのだ。最初に読んだときはAN通信と構成員の裏切りと言ったスリルとサスペンスが主題と思ったのだが、今回読んで感じたのは「子どもの無垢」ということだ。鷹野は幼いころに児童虐待を受け、実の母親に弟とともに自宅にわずかな食べ物とともに監禁される。餓死した弟を抱きながら糞尿にまみれた姿で発見された鷹野はAN通信に引き取られる。この時点の鷹野は完全な被害者であり「無垢」である。柳の知的障害の弟も「無垢」として描かれる。離島の高校生の鷹野も柳も「無垢」である。さてこれからである。柳は知的障害の弟と海外で暮らす資金を得ようと組織を裏切る。鷹野もそれに手を貸す。「目的は手段を浄化できるか?」という話にもつながるのだが、いずれにしても粗削りなストーリーもまた私には魅力的であった。

8月某日
「日本財政 転換の指針」(井手英策 岩波新書 12年12月)を読む。著者は東大経済学部、同大学院博士課程修了で現在、慶應大学の経済学部教授。専攻は財政社会学。財政社会学とは聞いたことがないが、財政を収支で見るのではなく「社会的」に見て評価するということだろうと、本書を読んで思った。「国の借金、1000兆円」というのが独り歩きしたのかも知れないが、私なども財政再建は「待ったなし」だし、消費増税の再延期に対して「愚かなこと」だと思っている。いまさらその考えを変えようとは思わないが、本書を読んで財政の「入り」と「出」だけに目を向けて財政再建を至上命令とする考え方には疑問を持つようになった。人口が増大し経済が成長し続ける時代は終わった。成長の果実を分配する財政から、人口が減少し高齢化が進むなかで負担を公平に分担する財政へと転換しなければならないのだが、それができていない。それを訴える政治家も政党もいないのではなかろうか。

8月某日
元年住協の青木さんと久しぶりに吞む。青木さんとは年住協の広報誌「年金と住宅」の編集をやってからの付き合いだからもう30年の付き合いになる。向かいのビルの地下1階の「跳人」で昔話に花が咲く。近くの「神田バー」に寄って秋葉原で別れる。我孫子で駅前の「愛花」に寄ると、看護師で今は東京有明大学の助教をやっている上田さんが大阪の病院で一緒だった先輩の看護師と来ていた。先輩は今は休業中で「訪問看護」をやりたいと言っていた。

8月某日
「健康・生きがいづくり財団」の大谷常務と神田の葡萄舎へ行く。5時半過ぎに葡萄舎に行くとまだお客は誰も来ていない。店主の賢ちゃんと店を手伝っている賢ちゃんのお姉さんと雑談しているうちに大谷さんが現れる。大谷さんは佐野真一の「唐牛伝-敗者の戦後漂流」(小学館)を貸してくれる。唐牛伝とは60年安保のときの全学連委員長、唐牛健太郎のドキュメントである。私は60年安保のときは小学校の6年生で、6月15日の翌朝、母親が真剣な顔をして「昨日、女子学生が死んだの」と告げ、子どもながらにただならぬ雰囲気を感じたことを覚えている。私自身は唐牛健太郎と面識はないが、唐牛の未亡人の真喜子さんとは何度か吞んだことがあるが、さっぱりしたいい人である。思えば60年安保から60年近く経過しているわけだ。