社長の酒中日記 9月その4

9月某日
三島由紀夫賞の受賞会見で著者、蓮見重彦のとぼけた受け答えで話題となった「伯爵夫人」(新潮社 16年6月刊)を読む。舞台は戦前の東京、中国大陸と欧州の戦火が拡大し太平洋での新たな戦争も予感される昭和16年。主人公は来年、帝大の受験を控える二朗と二朗の屋敷に同居する謎の伯爵夫人。伯爵夫人は倫敦で高級娼婦やスパイもどきの冒険を経験した過去を持つ。伯爵夫人の性体験が「熟れたまんこ」「金玉」という俗語、卑語とともに明らかにされる。この小説はひとつの文化の成熟、爛熟と退廃を背景にして成立する。明治から大正、昭和にかけて成熟してきたひとつの文化は、昭和戦前期の爛熟、退廃を経て敗戦により終焉を迎える。同じように江戸の文化は文化・文政期の爛熟と退廃を経て明治維新により終焉する。小説の本旨とは違うが小説を読みながらそんなことを考えた。

9月某日
夜半に目が覚め何気なくNHKBS1にチャンネルを合わせるとチェ・ゲバラの映像が。キューバ革命が成功してからゲバラは中央銀行総裁、工業相などを歴任しながら、やがてすべての要職を辞任しアフリカ、コンゴや南米ボリビアでの武装ゲリラ闘争に赴く。番組ではその背景には現実主義者のカストロと世界革命の理想を追うゲバラとの確執があったことを、当時のゲバラの側近や歴史家、ジャーナリストのインタビューを通して明らかにしていく。キューバとアメリカが国交を回復し、日本とも国交を回復した。カストロは昨年、国家評議会議長の座を弟のラウルに譲った。一方、ゲバラは50年近く前の1967年10月、ボリビア山中で政府軍に捕えられ銃殺されている。カストロの路線が正しかったことは明らかだが、ゲバラの考えや彼が理想としてきたことは人民の記憶に永久に残ると思う。

9月某日
佐野真一の「唐牛伝-敗者の戦後漂流」の出版記念報告会に参加。受付で唐牛さんの未亡人、真喜子さんと浪漫堂の倉垣君に挨拶。報告会は2部構成で1部は元外務省の孫崎と佐野の講演。孫崎と佐野の講演はそれなりに面白かった。講演会後のパーティでは唐牛さんの墓をデザインした秋山祐徳太子や元ブント叛旗派の三上治といった人たちが挨拶していた。結核予防会の竹下さんと途中で抜け出し、新橋の「鯨の胃袋」へ。フィスメックの小出社長も来る。3人で神田のスナック「昴」へ。

9月某日
図書館で借りた佐藤雅美の「物書同心居眠り紋蔵-魔物が棲む町」(講談社文庫 2013年2月 単行本は2012年2月)を読む。物書同心とは今でいう調書を取る人。居眠り紋蔵は今でいうナルコレプシーなのか、所かまわず居眠りをしてしまう。ついたあだ名が居眠り紋蔵である。町奉行の長官には直参の旗本が就任する。今でいうキャリア官僚である。しかしその下の与力、同心は一代限りの御家人が当たる。ノンキャリアである。したがって佐藤の捕物シリーズは現代でいう警視庁の刑事ものということになる。佐藤の時代小説は時代考証がしっかりしているからだろうか、読んでいると自分もその時代に生きているよう気がしてくるのである。

9月某日
休日出勤。国際厚生事業団に出向している伊東和也君が出勤していた。午後、花小金井のベネッセの経営する有料老人ホームに入居している荻島道子さんを訪問。道子さんは20年ほど前に亡くなった厚生官僚の荻島國男さんの奥さん。私は荻島國男さんとは老人保健制度のパンフレットづくりを手伝ったことから親しくさせてもらった。というか荻島さんをきっかけに同期の江利川さんや酒井さん、川邉さんたちと親しくなり、厚生省のネットワークが次々と広がっていったような気がする。私の大恩人なのだ。私が11月で社長を退任することを伝え、退任パーティでご子息の良太君にサックスを演奏してもらいたい旨お願いする。花小金井から池袋の芸術劇場へ。社会福祉法人にんじんの会の理事長で立教大学大学院の客員教授の石川はるえさんと現在進めている虐待防止パンフレットの打合せ。芸術劇場のレストランでビールとワインをご馳走になる。我孫子へ帰って駅前の「愛花」へ。しばらく店を閉めていたがママの実家に不幸があったようだ。

9月某日
「コーポレート・ガバナンス―経営者の交代と報酬はどうあるべきか」(久保克行 日本経済新聞出版社 2010年1月)を図書館で借りて読む。コーポレート・ガバナンスについて論じた本は多いが、経営者の交代や報酬にからめて論じられたものは少ないように思う。本書はそれをアメリカと日本を対比して分かりやすく論じている。日本に比べてアメリカの大企業の経営者の報酬は驚くほど高い。ストックオプションなど自社の株価に連動した報酬体系になっているからだ。だがそれがエンロンなどの不正を呼んだとの指摘もある。さらにアメリカの経営者は株価に反映される短期的な利益の追求に走りがちという批判もある。著者の考えを乱暴に要約すれば、日本の経営者の報酬は企業への業績の連動性がアメリカのそれに比べると圧倒的に低い。アメリカ並みにせよとは言わないがもう少し高めた方が企業にとっても経営者にとってもいいのではないか、というものだ。この考えは正しいと思うが、そもそも経営マインドとは金銭的インセンティブのみに左右されるものなのか、という疑問が残る。私としては金銭的インセンティブも大切だが、会社の業績が悪いときは「武士は食わねど高楊枝」というのも大事だと思いますね。