社長の酒中日記 11月その5

11月某日
愛知県の(一社)わがやネット(児玉道子代表)の水曜塾で「胃ろう・吸引シミュレータ」の話をさせてくれるというので「勤労感謝の日」だけれど名古屋へ。会場には工務店の経営者、リフォーム業者、訪問看護ステーションの理学療法士など10数人が集まる。シミュレータの実演はいつも介護士や看護師が対象なのだが、今回はちょっと違う雰囲気。でも皆さん発信力の強そうな人なのでアナウンス効果としてはかなり期待できそうだ。何人かと名刺交換をしたが、そのうちの一人が上京した児玉さんと一緒に神田で吞んだ(株)ノダ建材事業部の長田さん。日本福祉大学の大学院にも在籍しているそうで、たまたまこの日、中村秀一さんの講義があったという。世間は広いようで狭い。

11月某日
大学の同級生の雨宮弁護士の事務所へ社長退任の挨拶。5時を過ぎたので雨宮君に「今日予定入ってるの?」と聞くと「空いてるよ」というのでそのまま飲みに行く。弁護士事務所の近くの日本酒をたくさん置いている店に連れて行ってくれる。「雪の茅舎」など日本酒をぬる燗で。「日本酒はやっぱりぬる燗」で雨宮君と一致。雨宮君にすっかりご馳走になる。

11月某日
年友企画の株主総会で代表取締役社長を退任。社長に就任して2、3年は調子が良かったのだが、その後、社会保険庁は解体されるし年金住宅融資は廃止されるしで舞台は暗転、本当に苦しい時代が続いた。その私を支えてくれたのはやはり社員だ。社員の支えがあったからここまでやれたとつくづく実感する。社長を退任してもシミュレータの販売、「地方から考える社会保障フォーラム」、セルフケアネットワーク、雑誌の「へるぱ!」、SMSのカイポケマガジンなどの手伝いはするつもり。
株主総会の日、つまり私の社長退任の日はたまたま私の誕生日、11月25日だ。SMSの長久保君と神田明神下の「章太亭」で吞んでいたら、店の若女将が「あちらの方も今日が誕生日ですよ」と教えてくれる。私より5歳ほど年長で文芸春秋社の社長をやった池島信平の甥っ子だそうだ。11月25日は1970年のその日、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監部で総監を監禁、隊員に決起を促すが聞き入れられず、楯の会会員の森田必勝とともに自決した日でもある。そんなことを話しながら社員から退任記念にもらった高級ウイスキーを長久保君と吞んでいたらすっかり悪酔いしてしまった。

11月某日
図書館で借りた「日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」」(森山優 新潮選書 2012年6月)を読む。著者は1962年生まれ、現在は静岡県立大学の准教授。1941年12月8日、日本海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃を敢行した。1945年の8月、日本の敗戦によって終結した3年半以上にわたって続いた対米英蘭戦争の始まりである。本書は日本が開戦に踏み切るに至る政治過程を各種資料から丁寧に追跡、明らかにしている。そこで明らかになるのは本書の副題にあるように、当時のリーダーたちの政治的意思決定場面における「両論併記」と「非決定」の実態である。政治的リーダーシップが欠如するなかで「両論併記」と「非決定」を繰り返したうえ、陸軍の主導する開戦論がなし崩し的に国策とされる。「非決定」は今も「決められない政治」として日本の伝統のようになっている感がある。しかし開戦に至るまで「非決定」が続いていれば開戦には至らなかったはずである。陸軍の開戦論を阻止できなかった政府首脳、重臣、そして天皇の責任は重いと言わざるを得ない。

11月某日
「7月24日通り」(吉田修一 新潮社 2004年12月)を図書館で借りて読む。地方都市のOLである「私」は自分の住んでいる町をポルトガルのリスボンになぞらえる。いつもバスに乗る「丸山神社前」は「ジェロニモ修道院前」だし「岸壁沿いの県道」は「7月24日通り」だ。このアイディアは冴えていると思う。地方都市の若いOLの抱える「閉塞感」とそこから脱出を願う「希望」がよく表れている。

11月某日
「星々たち」(桜木紫乃 実業の日本社文庫 2016年5月)を我孫子駅前の本屋で買う。帯に「松田哲夫氏激賞」とあったのでつい買ってしまう。松田哲夫は筑摩書房の編集者。呉智英とも友人で私の1年年長。桜木は北海道を舞台とする小説が多いようだがこの小説も北海道の母、娘、孫娘の三代にわたる性愛にまつわる物語。母は呑み屋の女将を続けながら流浪の男と同棲、困窮のうちに死ぬ。娘は交通事故で片足を失う。こう書くと悲惨な小説のように思われるかもしれないが、三代の女性のひたむきさが伝わり、孫娘の幸せな結婚を暗示するラストも悪くない。

11月某日
「薄情」(絲山秋子 新潮社 15年12月)を読む。この本も絲山のサイン入り。うちの奥さんが絲山のトークショーで買い求めたものだ。高崎市郊外に住む宇田川は神主見習い。それだけでは食べていけないので5月半ばから夏が終わるまで、嬬恋村でキャベツの収穫の手伝いに行く。宇田川と高校の同窓生の蜂須賀や木工芸家の鹿谷などとの交流が、上州弁でたんたんと描かれる。上州弁に限らず、栃木や茨城など北関東のなまりは独特。それが一種のリズムになっている。
さて社長を辞めたので「社長の酒中日記」はこれでお終い。12月中は「顧問の酒中日記」として当社のHPに掲載するが、1月からは独自のブログにしようと思っている。