モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
亡くなった荻島国男さんの奥さん、荻島道子さんを花小金井の有料老人ホームに訪問する。我孫子の鈴木珈琲の珈琲をお土産に持って行く。係りの人が「荻島さんなら3階の談話室にいらっしゃいますよ」と教えてくれたので談話室に行くとそれらしき人がいない。キョロキョロしていると「あらっ」と声を掛けられ振り返ると道子さんがいた。髪が黒々として後ろからだと気が付かなかった。「染めたのよ」と道子さん。道子さんは長く小学校の教師をしていたが、本日は野方の小学校のころの同僚の方たちが来ていた。一緒に「図書館の改革をやったのよ」ということだ。

3月某日
佐藤雅美の「縮尻鏡三郎シリーズ 首を斬られにきたの御番所」(文春文庫 2007年6月)を図書館で借りて読む。佐藤の時代小説にはいくつかのシリーズがあり、主なもので「物書き同心居眠り紋蔵」「八州廻り桑山十兵衛」それに「縮尻鏡三郎」がある。この3つはいずれも捕物ものだが、主人公の人間関係や家庭を丁寧に描いているのも特徴の一つ。その意味ではホームドラマの要素もある。本作でも義理のせがれ(娘の知穂の夫)で家を継いでいる三九郎が狂言回しの役を担っている。私も当初は佐藤雅美の綿密な時代考証に魅かれていたのだが、最近では家族ドラマの要素も楽しんでいる。

3月某日
図書館で借りた村田喜代子の「八幡炎炎記」(平凡社 2015年2月)を読む。村田喜代子は割と好きな作家で、最近も熊本の遊女を描いた「ゆうじょこう」を面白く読んだ。本書は広島の紳士服店の親方の女房と深い仲となり、九州の八幡に駆け落ちしてきた瀬高克美と駆け落ちした相手、ミツエとその親族を中心にした物語。どこにでもありそうな戦後の庶民の物語だが、実はそれが圧倒的なリアリティをもって「どこにもない」庶民の物語として読者に迫ってくる。挿絵が何枚か掲載されていて、「ずいぶん迫力あるなぁ」と思ったら作者は堀越千秋だった。

3月某日
HCMの大橋社長、ネオユニットの土方さんとHCMで「シミュレータの販売会議」。売ったところからの評判はいいし、もっと売れてしかるべき商品ということでは一致。要するに商品情報がユーザーにまで浸透していない、情報を露出させなければとなった。会議を終わって新橋の「花の舞」で吞む。映像を担当している横溝君も参加。

3月某日
日経新聞の書評欄で中学か高校のころ、太宰治の「人間失格」の大きな影響を受けたというエッセーを読み、図書館で「人間失格」を借りることにする。図書館にあったのは岩波文庫で「人間失格」と絶筆となった「グッド・バイ」、晩年の評論「如是我聞」が収められている。底本となったのは1948年7月刊の「人間失格」(筑摩書房)、同年11月刊の「如是我聞」(新潮社)である。太宰は1948年6月13日、玉川上水に山崎富江と入水している。私は同年11月の生まれだから、「人間失格」は、この世に出てから私とほぼ同じ年月を過ごしたことになる。解説の三好行雄がいうように太宰の文学のキーワードのひとつは「道化」。道化によって世間との和解を図ろうとする主人公は、しかし根源的な和解に至ることはなく、自身の規定によると「人間を失格」し、脳病院に収容される。凄惨な物語ではあるが、太宰の実人生をある程度たどった青春小説の一面もある。

3月某日
上野駅構内の書店、ブックエクスプレスで「結婚」(井上荒野 角川文庫 平成28年1月)を買う。結婚詐欺師とその連れ合い、そして複数の被害者の物語。結婚詐欺に関わらず詐欺に引っかかるのは普通の人である。世間知らずな人が騙されるというのとも違う気がする。この小説は犯人と被害者の関係を詐欺というかなり特殊な犯罪であぶり出す。井上はここら辺の心理描写が巧みと思う。

3月某日
図書館で借りた「夜の公園」(川上弘美 中央公論新社 2006年11月)を読む。中西リリと夫の隆夫を中心とする既婚、未婚に関わらない男女関係を描く。心中未遂もあったりするのだが、太宰の描く心中未遂事件に比べると時代の違いを感じざるを得ない。ひとつは時間の過ごし方。現代はおしゃれな食事、お酒、携帯電話が必須だ。過剰な消費が前提となっているのだ。終戦直後に描かれた太宰の小説は欠乏が前提である。しかし男女の結びつきは小説の永遠のテーマとなっている。

3月某日
図書館で借りた浅田次郎の「月島慕情」(文春文庫 2009年11月)を読む。浅田次郎は「巧いなー」と思う。このところ桜木紫乃の恋愛小説にはまっているが、小説の深さというか余韻というか、そこらへんは浅田次郎が数歩リードかな。桜木はまだ若いのだから頑張ってね!表題作の「月島慕情」。吉原の遊女に売られたミノは生駒太夫として年季を重ね、駒形一家の時次郎に引かされることになる。しかし、ひょんなことから時次郎には妻も子もあり、妻子と離縁した後の身請け話だったことが知れる。ミノは身を引くことを決め、宿替えを人買いの卯吉に相談する。「あたしはね、この世にきれいごとなんてひとっつもないんだって、よくわかったの。だったら、あたしがそのきれいごとをこしらえるってのも、悪かないなって思ったのよ」「ばかだな、おめえは」「それァ承知さ」「ばかだが、いい女だぜ」。泣かせるセリフである。

3月某日
奈良県の天理市で介護事業を展開する「あいネットグループ」をセルフケア・ネットワーク(SCN)の高本代表と社会保険出版社の高本社長と訪ねる。あいネットグループを訪問するのは私と高本代表は3回目、高本社長は初めて。あいネットの山本さんと中川さんの優秀さには毎回驚かされるし、今回はパンフレット「40歳からの介護研修」をデザインしたデザイナーの方ともお話ししたがこの人も優秀。こういう出会いは大切にしたい。今回の出張は、SCNの仕事なので交通費はSCNに出してもらった。帰りの新幹線は3人で宴会。2人とは東京駅で別れて私は我孫子へ。駅前の「愛花」に寄る。

3月某日
日本経済新聞にシンポジウム「AI本格稼働社会へ」の内容が掲載されていた。その中で富国生命の部長が「医療保険の給付金の支払い部門にAIを導入した。(中略)AI導入で肝心なのは、導入を目的とせず、AIを前提とした業務設計を行うことだ」と語り、NECの研究所長は「人間の認識・理解、予想・推論、計画・最適化をシステム処理し」と言っていた。公的医療保険や介護保険の支払い審査にもAIの導入は不可避と思うし、ケアプランの作成などはまさにAI向きと思った。さぁーて、人間は何をやるのか。

3月某日
民介協の理事長はソラストの佐藤専務、その佐藤専務を支えていたのが同じくソラストの柴垣さん。佐藤専務もソラストを退き柴垣さんもソラストを退社することになった。で、民介協の扇田専務が音頭をとって柴垣さんの送別会を開催することになり、私にも声がかけられた。会場は神田の「玄品ふぐ」、出席者はほかにカラーズの田尻さん、浜銀総研の田中さんなど総勢9人。なかなか心温まる会だった。ソラストの中国人の女性が参加していたので出身を聞くと西安だという。上越教育大学で勉強したという。優秀そうであった。

3月某日
図書館で借りた「咲庵(しょうあん)」(中山義秀 2012年3月 中公文庫)を読む。中山義秀(1900~1969)を読むのは初めて。咲庵とは明智光秀の号で、明智光秀が斎藤道三の首実検に立ち会う冒頭から、本能寺で織田信長を自害に追い込み、山崎の合戦で秀吉に敗れるまでの生涯を描いている。信長の苛烈な独裁者ぶり、それへの対応に右往左往する家臣たちの姿がよく描かれている。しかし戦国時代の主従関係って凄い。主の意に添わなければ切腹、磔刑も覚悟しなければならなかったのだから。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長と阿佐ヶ谷の星乃珈琲で会う。だんだんダンスと児童虐待防止パンフの新しい担当を紹介される。立教大学大学院の石川さんの講座の出身ということだ。名刺がまだ出来ていないということで名前を聞いたけど忘れてしまいました!終わって近くの「築地日本海」という店でご馳走になる。店名に恥じず刺身と寿司が美味しかった。

3月某日
システムエンジニアの李さんが晩ご飯をご馳走してくれるというので、会社近くの小料理屋「福一」へ。李さんは名前からもわかるように在日だ。今は日本に帰化して日本名は大山というのだが、みんなが李さんと呼ぶので私も李さんと呼んでいる。もともとは亡くなった大前さんの知り合いで、明治大学生協の同僚だったそうだ。李さんは昔、ボイラー関係の仕事をしていて、そのときの同僚が早稲田の哲学の教授をやっているという。私が「早稲田の哲学と言えば竹田青嗣がいるね」と言ったら「それそれ、竹田青嗣」と李さん。
ボイラー仲間なんだ。私は焼酎のお湯割りを4杯ほど、李さんは生ビールを2杯。いい気持になりました。

3月某日
数年前に閉店した新宿歌舞伎町のクラブ「ジャックの豆の木」のマスター、三輪さんと会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で待ち合わせ。私が酒のディスカウントストアでニッカウヰスキーの「宮城峡」を買い込んで店に行くと三輪さんはすでに来ていた。生ビールの後、私は宮城峡、三輪さんはずっとビールだった。三輪さんに「ジャックの豆の木」のころの話をいろいろと教えてもらう。いつか三輪さんの「聞き書き」本を作ってみたいものだ。

3月某日
日本橋小舟町のSCNの事務所で「40歳からの介護研修」の打合せ。お昼ご飯を近くの「花乃蕎麦」でご馳走になる。ミニ天丼と温かい蕎麦のセットを頼む。小舟町、堀留町、人形町界隈はおいしい店が多い。夕方、健康・生きがいづくり財団の大谷常務と築地のがんセンターへ。厚労省から出向している経営企画部長の横幕章人さんに面会。横幕さんは水道環境部計画課のとき荻島課長の下にいたことがあるそうだ。「そのうち呑みましょう」ということで横幕さんとは別れ、大谷さんと2人で日比谷線で人形町へ。甘酒横丁の居酒屋へ入る。なかなか結構でした。

3月某日
先日読んだ小林信彦の「天才伝説 横山やすし」(文春文庫)の解説は映画評論家の森卓也という人が書いていた。解説の冒頭、山本夏彦の「私の岩波物語」から「若いとき天才といわれた人は一生忘れない。誰一人おぼえていなくなっても忘れない。全盛時代があったことを世間は忘れてあとかたもないのにひとり当人は忘れない」という一節が引用されていた。森卓也はもちろん「若いとき天才といわれた人」=横山やすしという意味で引用しているのだが、「天才伝説」と同じく古書として入手したのが、たまたま山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫 1997年5月)だった。山本夏彦の主宰する雑誌「室内」に1987年4月~1993年4月まで連載され、1994年に文藝春秋社で単行本になっている。「室内」という雑誌はもと「木工界」という名称で家具、建具業界、設計家、デザイナーなどを主要な読者としていた。40年前、私が在籍していた日本木工新聞社という業界新聞社は「週刊家具」「週刊建具」「週刊新建材」(のちに住宅ジャーナルと改題)という新聞を発行していたから「室内」という雑誌の存在は知っていたが、手に取って読むことはなかった。20代の学生運動崩れの業界紙記者が読むには高級すぎたのかもしれない。「私の岩波物語」は「室内」が創刊35周年を超えたのを機会に山本が社史として同誌に連載を始めたものだが、岩波、講談社、電通はじめ印刷、製本に至るまでの業界のナマの歴史を描いている。山本夏彦は2002年に亡くなり「室内」も休刊、ああいう雑誌はもう現れないだろう。ちなみに「若いとき天才といわれた人は一生忘れない」は「実業之日本社の時代」の項にあり、実業之日本社が日本の出版界をリードしていたことを述べているが、ここでの「若いとき天才といわれた人」は同社のことである。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
久しぶりに神田明神下の「章太亭」へ。ここは女性3人(70代、60代、50代(いずれも推定))でやっている小料理屋で、お客も女性たちと同じような年代が多い。ビールを頼むと「銘柄は何がいい?」と聞いてくれる。こういう店はなかなかない。キリンの一番搾りを頼む。おでんと月見を肴にぬる燗(確か沢の鶴だったと思う)を3本ほど。少しいい気持になって我孫子へ。駅前のバー「Vingt Neuf」に寄る。ジントニックを頼む。隣のお客が呑んでいたジンが美味しそうだったのでストレートでいく。確かにうまいような気がした。

3月某日
有楽町の交通会館の三省堂に寄る。今話題の村上春樹の「騎士団長殺し」が所狭しと平積みされている。私は躊躇せず2階の文庫本売り場に行く。村田喜代子の「ゆうじょこう」(新潮文庫 平成28年2月発行 単行本は25年4月)を買う。鹿児島県の硫黄島(小笠原諸島の硫黄島とは別)で生まれ育ったイチは15歳で熊本の東雲楼に売られてくる。遊女として売られて来るのだがこのイチは滅法たくましい。遊女はなじみ客に手紙を書かなければならないし、借金がいくら残っているか算術も学ばなければならない。イチと同僚たちは遊郭の学校、女紅場(じょこうば)に通わされる。そこにはお師匠さんの鐵子がいた。鐵子は下級幕臣の娘。幕府瓦解ととともに収入の途絶えた親によって吉原に売られた。年季を終えた後、遊女たちの読み書きの師匠となる。鐵子にイチは女紅場に行くたびに手紙を書く。島育ちでなおかつ好奇心いっぱいのイチには何もかもが新鮮だ。島の言葉で書かれた手紙の幼さ。遊女として女として成長していくイチ。これらを描く作者の筆力に脱帽。

3月某日
3.11の東日本大震災から6年。土曜日なので家でゴロゴロしていると、同じ我孫子の住人の吉武民樹さんから電話。駅北口のショッピングセンターで鎮魂の催しがあってその打ち上げがあるから来ないかという誘い。社長を辞めてやることもないだろうと心配してくれているのだろう、ここは厚意に甘えて行くことにする。開始の6時を少し回ったころ会場のショッピングセンターの3階に行くと打ち上げはすでに始まっていた。吉武さんは川村女子学園大学の副学長を去年まで勤め、地元でも名士。我孫子消防団の元団長で震災直後に南三陸町に入った人の話を聞くことが出来た。会の後、近くの蕎麦屋「おかめ」で吉武さんにご馳走になる。聞けばもうすぐ店を閉めるという。後継者不足なのだろうか。吉武さんと別れた後、駅南口の「愛花」へ。

3月某日
上野駅構内の本屋で「とめられなかった戦争」(加藤陽子 2017年2月 文春文庫)を買う。加藤陽子は東大大学院人文社会系大学院教授で日本近現代史専攻。日本が戦争へと突き進んでいく過程を実証的に研究している。何冊か著作を読んだことがあるが、実証的で謙虚な研究姿勢には好感が持てる。さて本書は、2011年5月、NHK教育テレビで4回にわたって放映された「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争」の内容に添って書かれている。第1章「敗戦への道」1944年から第4章「満州事変 暴走への原点」まで歴史をさかのぼって、敗戦へ至る道が明らかにされている。加藤の視点は軍部が暴走したという単純なものではなく、それを阻止できなかっただけでなく、むしろ支えた当時の政治家、官僚、宮中そして次第に好戦的なっていくマスコミや庶民にも批判の目は向けられている。ところで本書によって私は「満州」の意味を始めて理解した。もともとは清王朝を建てたジュシェン(女真)族の国名(マンジュ国=16世紀末、清の太祖ヌルハチが建国した部族国家。マンジュとは梵語のマンジュシリ、文殊菩薩に由来する)であり、民族名だった。その後、マンジュの音に漢字の「満州」が当て字された。その範囲は清末、中華民国の行政区画でいえば東三省(遼寧省〔奉天省〕、吉林省、黒竜江省)の地域に該当する。なるほどねー。

3月某日
わが家のある我孫子市若松の近くにちょっと洒落た喫茶店がある。ランチもやっているのだが私は入ったことがない。日曜日に近郊の農家が軽トラックに野菜を載せて売りに来る。散歩のついでに寄ることがある。今日は菜の花を買う。その喫茶店の店頭で古本も売っている。「天才伝説 横山やすし」他文庫本4冊を買う。文春文庫で初版は2001年1月、単行本は1998年1月、「週刊文春」連載は1997年。やすしが死んだのは1996年1月、今から21年前だ。本書を読むと2人で演じるショービジネスとしての漫才の難しさがよくわかるような気がする。両雄は並び立たなければならないのだが、漫才はそこが難しい。ツービトは結局たけしが残り、伸介竜介では竜介が脱落した。漫才の相方同士が仲の悪いのは当たり前で例外は兄弟、夫婦、もと夫婦と本書にも出ていたが、それほど難しいということであろう。私は本書に描かれた芸人やすしの肖像を大変面白く興味深く読ませてもらったが、天才の不安、哀しさも十分に伝わった。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
西新橋の社会保険福祉協会で会議。会議終了後、同じ西新橋の弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪ねよもやま話。近くの「酒房 長谷川」へ。高齢(80代?)のマスターに挨拶。マスターは力道山の後援者だった新田組の社長と親しく、「力道山VS木村政彦」のゴングを鳴らしたそうだ。ここは新潟の料理と酒の店で美味しい。雨宮弁護士にすっかりご馳走になる。

3月某日
図書館で借りた「対話する社会へ」(暉峻淑子 岩波新書 2017年1月)を読む。淑子は「いつこ」と読むそうだ。暉峻の名前はオールド左翼として私の記憶に残っていたが、「対話する社会へ」を読むとそんな感じはなかった。むしろ「対話」の重要性を諄々と説く姿勢には好感が持てた。大事なことは人間の考えがいろいろであり、単一の価値観に陥らない広い視野が必要ということ。そのためにこそ対話が大切なのだ。人間同士、憎みあうのではなく「対話」することにより、こんがらかった糸もほぐれるということだろう。インターネットによる通信が飛躍的に拡大する現代だからこそ対話がより重要になってくると思う。

3月某日
吉田修一の新刊「犯罪小説集」(KADOKAWA 2016年10月)を図書館で借りて読む。人気があるようで裏表紙に「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください。」と印刷された黄色い紙が貼ってあった。5つの犯罪が吉田の小説上で展開される。モデルとなった犯罪があると私にはっきりわかったのは2つ。名家の3代目で大手企業の専務の地位にありながらギャンブルにおぼれていく男を描く「百家楽餓鬼(ばからがき)」、これは大王製紙の会長が関連会社から多額の借金をして賭博につぎ込んだ事件をモデルにしている。もうひとつは「万屋善次郎」。これは過疎の村での大量殺人がモデルになっていると思う。犯罪は小説やドラマの宝庫である。日本の古典でいえば石川五右衛門や白波五人男、ドストエフスキーなら「罪と罰」、現代日本なら「復讐するは我にあり」(佐木隆三)、最近なら「籠の鸚鵡」(辻原登)、吉田修一なら「悪人」など。圧倒的多数の読者は善良な市民で生涯、犯罪と関わることはなかろう。そういう人がなぜ、犯罪に魅かれるのか?おそらく小説の供給側(小説家)としては、人間の極限が描きやすいということ、小説の需要側(読者)としては、犯罪の非日常性かもしれない。これについては自信がないけれど。

3月某日
当社の石津さんを飲みに誘う。会社から神田駅に向かう途中に「神田もつ焼きセンターえん」という店があるのでそこにする。期待していなかったけれど「モツ」が非常にうまかった。朝どれのモツで石津さんによると「私んちの方でとれた」。モツはやはり鮮度ですね。
石津さんにご馳走になってしまった。

3月某日
図書館で借りた「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」(大崎善生 KADOKAWA 2016年11月)を読む。この本も人気があるようで「次の人がまっています」という黄色い紙が貼ってある。大崎は「聖の青春」「将棋の子」など将棋界を題材にしたノンフィクション作家としてデビュー、最近は小説も発表している。この本はタイトルにもある通り2007年に名古屋で起きた、闇サイトで知り合った男たちが女性を拉致して殺害した事件を題材にしている。被害者の女性が30歳を過ぎてから囲碁に興味を抱き、名古屋市内の囲碁カフェに通い始めたことを知った大崎が事件をノンフィクションとして描きたいと思い至った。何の罪もない見ず知らずの女性を拉致し殺害する。しかも犯人の一人は女性に強姦に及ぼうとまでする(未遂)。母一人子一人で育った被害者女性の、控えめだが確かな人生と残された母の苦悩、そして犯人の卑劣さが抑制された筆致で描かれていると思う。

3月某日
「共生保障〈支え合い〉の戦略」(宮本太郎 岩波新書 2017年1月)を図書館で借りて読む。少子高齢化社会ということは支えられる層が増大し支える層が減少するという社会である。少子化については20年ほど前から様々な人や団体が警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、消費税の10%への引き上げは見送られたのを始めとして見るべき改革がなされたとは言い難い。私ら団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年には「どうなるんだよ!」と思っていたときだけに、この本には共感し納得するところが多かった。
 著者は以前から「「支える」「支えられる」という二分法からの脱却」を唱えていたが、本書はその理念的かつ具体的な処方箋ということができる。その前提として社会全体として中間層がやせ細り貧富の差が拡大していることを指摘する。「支える」「支えられる」の二分法的思考では社会保障給付の拡大か切り捨てと言ったそれこそ二分法的な政策しか出てこない。著者は「「支える側」を支え直す」と「「支える側」の参加機会を拡大」を提唱する。前者ではこれまで「支える側」であった現役世代を広く支え直し、彼ら彼女らがその力を発揮できる条件づくりを目指す、として具体的には企業の外部でも知識や技能を身につけることができるリカレント教育や職業訓練、女性の社会参加を支える子育て支援、あるいは将来の支え手を育てる就学前教育などをあげている。後者ではこれまで「支える側」とされがちであった人々が積極的に社会とつながることを支援することであるとしている。この他、介護や子育てなどの「準市場」では「サービスの質を客観的に評価することが必要」とする一方、準市場における情報の非対称性も指摘している。こうした議論は論壇だけでなく政策決定の場でも積極的に議論すべきと思う。