3月某日
西新橋の社会保険福祉協会で会議。会議終了後、同じ西新橋の弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪ねよもやま話。近くの「酒房 長谷川」へ。高齢(80代?)のマスターに挨拶。マスターは力道山の後援者だった新田組の社長と親しく、「力道山VS木村政彦」のゴングを鳴らしたそうだ。ここは新潟の料理と酒の店で美味しい。雨宮弁護士にすっかりご馳走になる。
3月某日
図書館で借りた「対話する社会へ」(暉峻淑子 岩波新書 2017年1月)を読む。淑子は「いつこ」と読むそうだ。暉峻の名前はオールド左翼として私の記憶に残っていたが、「対話する社会へ」を読むとそんな感じはなかった。むしろ「対話」の重要性を諄々と説く姿勢には好感が持てた。大事なことは人間の考えがいろいろであり、単一の価値観に陥らない広い視野が必要ということ。そのためにこそ対話が大切なのだ。人間同士、憎みあうのではなく「対話」することにより、こんがらかった糸もほぐれるということだろう。インターネットによる通信が飛躍的に拡大する現代だからこそ対話がより重要になってくると思う。
3月某日
吉田修一の新刊「犯罪小説集」(KADOKAWA 2016年10月)を図書館で借りて読む。人気があるようで裏表紙に「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください。」と印刷された黄色い紙が貼ってあった。5つの犯罪が吉田の小説上で展開される。モデルとなった犯罪があると私にはっきりわかったのは2つ。名家の3代目で大手企業の専務の地位にありながらギャンブルにおぼれていく男を描く「百家楽餓鬼(ばからがき)」、これは大王製紙の会長が関連会社から多額の借金をして賭博につぎ込んだ事件をモデルにしている。もうひとつは「万屋善次郎」。これは過疎の村での大量殺人がモデルになっていると思う。犯罪は小説やドラマの宝庫である。日本の古典でいえば石川五右衛門や白波五人男、ドストエフスキーなら「罪と罰」、現代日本なら「復讐するは我にあり」(佐木隆三)、最近なら「籠の鸚鵡」(辻原登)、吉田修一なら「悪人」など。圧倒的多数の読者は善良な市民で生涯、犯罪と関わることはなかろう。そういう人がなぜ、犯罪に魅かれるのか?おそらく小説の供給側(小説家)としては、人間の極限が描きやすいということ、小説の需要側(読者)としては、犯罪の非日常性かもしれない。これについては自信がないけれど。
3月某日
当社の石津さんを飲みに誘う。会社から神田駅に向かう途中に「神田もつ焼きセンターえん」という店があるのでそこにする。期待していなかったけれど「モツ」が非常にうまかった。朝どれのモツで石津さんによると「私んちの方でとれた」。モツはやはり鮮度ですね。
石津さんにご馳走になってしまった。
3月某日
図書館で借りた「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」(大崎善生 KADOKAWA 2016年11月)を読む。この本も人気があるようで「次の人がまっています」という黄色い紙が貼ってある。大崎は「聖の青春」「将棋の子」など将棋界を題材にしたノンフィクション作家としてデビュー、最近は小説も発表している。この本はタイトルにもある通り2007年に名古屋で起きた、闇サイトで知り合った男たちが女性を拉致して殺害した事件を題材にしている。被害者の女性が30歳を過ぎてから囲碁に興味を抱き、名古屋市内の囲碁カフェに通い始めたことを知った大崎が事件をノンフィクションとして描きたいと思い至った。何の罪もない見ず知らずの女性を拉致し殺害する。しかも犯人の一人は女性に強姦に及ぼうとまでする(未遂)。母一人子一人で育った被害者女性の、控えめだが確かな人生と残された母の苦悩、そして犯人の卑劣さが抑制された筆致で描かれていると思う。
3月某日
「共生保障〈支え合い〉の戦略」(宮本太郎 岩波新書 2017年1月)を図書館で借りて読む。少子高齢化社会ということは支えられる層が増大し支える層が減少するという社会である。少子化については20年ほど前から様々な人や団体が警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、消費税の10%への引き上げは見送られたのを始めとして見るべき改革がなされたとは言い難い。私ら団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年には「どうなるんだよ!」と思っていたときだけに、この本には共感し納得するところが多かった。
著者は以前から「「支える」「支えられる」という二分法からの脱却」を唱えていたが、本書はその理念的かつ具体的な処方箋ということができる。その前提として社会全体として中間層がやせ細り貧富の差が拡大していることを指摘する。「支える」「支えられる」の二分法的思考では社会保障給付の拡大か切り捨てと言ったそれこそ二分法的な政策しか出てこない。著者は「「支える側」を支え直す」と「「支える側」の参加機会を拡大」を提唱する。前者ではこれまで「支える側」であった現役世代を広く支え直し、彼ら彼女らがその力を発揮できる条件づくりを目指す、として具体的には企業の外部でも知識や技能を身につけることができるリカレント教育や職業訓練、女性の社会参加を支える子育て支援、あるいは将来の支え手を育てる就学前教育などをあげている。後者ではこれまで「支える側」とされがちであった人々が積極的に社会とつながることを支援することであるとしている。この他、介護や子育てなどの「準市場」では「サービスの質を客観的に評価することが必要」とする一方、準市場における情報の非対称性も指摘している。こうした議論は論壇だけでなく政策決定の場でも積極的に議論すべきと思う。