モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
2日間にわたった「第13回地方から考える社会保障フォーラム」が無事終了。「社会保障政策を立案する厚生労働省と、地方議員の橋渡しができれば」という想いから始めたのだが今では定員の55名に対して毎回、70名以上の参加申し込みがある。地方行政の花形は以前は道路や箱モノの建設といった公共工事関連だったが今は、高齢者問題を中心とした福祉に関心が移っているということだと思う。毎回、講師を務めて頂いている厚生労働省をはじめとした中央省庁の官僚の皆さんに深く感謝である。

7月某日
中村秀一さんが主宰する「医療介護福祉政策研究フォーラム」に参加。今回の講師は財務省の宇波弘貴総合政策課長。テーマは「財政からみた社会保障の現状と課題」。中村さんが保険局の企画課長のとき課長補佐で厚労省に出向していたというし、総合政策課長の前は主計局で厚生労働担当の主計官というからこのテーマを語るとしたらまさに適任。社会保障制度の持続可能性を担保するためには、①経済成長②財源の確保③社会保障費の伸びの抑制、が必要という論はまさに正当。しかし①はともかく②と③は国民の痛みを伴う改革が必要だ。ポピュリズムに傾斜する安倍政権、何でも反対の民進党、彼らに任せておいて大丈夫なのか!フォーラム終了後、結核予防会の竹下専務とプレスセンタービル地下の焼鳥屋「おか田」で吞む。

7月某日
ケアセンターやわらぎの石川さんと内閣府の唐沢剛さんを訪問。「にんしんSOS」の中島かおり代表理事が同行。児童虐待防止のための勉強会について相談。社会福祉法人にんじんの会の石川施設長、当社の酒井が同行。その足で石川さんと私と酒井は虎の門フォーラムの中村理事長を訪ねる。中村さんの新しい単行本「社会保障改革に伴走して」(仮タイトル)の打合せ。打合せ終了後、私と石川さんで虎ノ門の居酒屋へ。「赤まる 虎ノ門店」はタイガースファンの店。大型テレビが4台ほど設置してある。石川さんはタイガースファンということで店長とタイガースの話で盛り上がっていた。石川さんにご馳走になる。我孫子に帰って「愛花」に寄る。

7月某日
図書館で借りた「ヒトラーと第2次世界大戦」(三宅正樹 清水書院 2017年5月)を読む。これは1984年に刊行したものに加筆・修正を施して新訂版として復刊したものだが、基本的な論旨、考え方は変わっていない。アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、オーストリアとドイツの国境の町、ブラウナウで生まれた。父はオーストリア‐ハンガリー帝国の国境の税関の官吏であった。ヒトラーは第1次世界大戦ではミュンヘンでドイツ軍に志願、兵長で敗戦を迎えている。敗戦直後の1919年9月、ミュンヘンの群小右翼政党のひとつに過ぎなかった「ドイツ労働者党」に入党する。やがて党名は「国家社会主義ドイツ労働者党」(ナチ党)とかえられ、1921年には党首となっている。1933年1月、ナチ党は議会の過半数は制していなかったが、ヒトラーはヒンデンブルグ大統領から首相に指名される。ヒンデンブルグ大統領の死後、ヒトラーは「総統」(フューラー)に就任する。ヒトラーはアーリア人種の代表としてのドイツ民族が、ヨーロッパの東部に自己の生活空間(レーベンスラウム)をきずく権利を有することをくり返し「我が闘争」のなかで主張し、チェコスロバキアの解体、ポーランド分割、英仏への宣戦布告(第2次世界大戦)を通して実践される。
政権奪取後のヒトラーは、ナチ党と軍部の力を背景に独裁権力を強化する。しかしヒトラー暗殺計画が軍の一部で企てられるなど、その独裁権力は必ずしも盤石とは言えなかった。またヒトラーの世界戦略は、最終的には英仏を屈服とソ連の解体を目指したにせよ、西部戦線と東部戦線の2正面作戦に加えて、米国の参戦により破たんし、ドイツは敗北しヒトラーは自殺する。ヒトラーにとって日本を三国軍事同盟に参加させることは、ソ連をけん制する意味からも重要であった。日本では主に陸軍と近衛が三国同盟を推進した。海軍は省的な反対に止まり、三国同盟は締結され日本も対米英戦争に踏み切らざるを得なくなる。ドイツも日本にも開戦を踏みとどまるという選択肢は残っていたし、開戦後も和平の機会はいくつかあった。しかし結局は敗戦国の日本とドイツだけでなく戦勝国も多くの犠牲を払うこととなる。このような犠牲の上に現在の平和があるということを忘れてはならない。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
年金住宅福祉協会(年住協)の理事を退任した森益男さんのご苦労さん会。HCMの大橋社長が声を掛けてくれた。西新宿の「佐賀県三瀬村ふもと赤鶏」という大橋さんが予約してくれた店に行く。「ふもと赤鶏」というのは鶏の種類らしいけれど、レバーやハツが美味しかった。森さんと初めて会ったのは今から30年以上前だったと思う。森さんは富国生命で団体信用生命保険を担当していて、年住協はじめ転貸民法法人や年金福祉事業団を担当していた。私も年友企画で年金住宅融資を担当していた関係で親しくなった。当時は資金不足の時代で住宅金融公庫や年金住宅融資の人気も高く、転貸民法法人の鼻息も荒かった。特に年住協は転貸民法法人の中でも常にトップで、当時は毎年、関連の生保や損保に声を掛けてヨーロッパツアーを催していた。森さんと私は20年以上前のツアーに参加したが、団長は当時の環境次官を退任して年住協の理事長に就任していた森幸男さん。森団長と当時、千代田生命の専務だった津山さんは奥さん同伴だった。私と森さんは若輩者だったがツアー仲間のセントラルシステム社長の大沼さんなどに可愛がられた。森さんと私、それに千代田火災の黒川さんの3人が割と一緒に行動していたことを懐かしく思い出す。津山さん、大沼さん、黒川さんは亡くなってしまった。それだけ時間が経過したということなのだ。

7月某日
江藤淳の「南洲残影」(文春文庫 2001年3月)を読む。単行本になった平成10年に私は買って読んでいるはずなのだが、内容はまったく覚えていない。「南洲残影」は「全的滅亡の曲譜」という章から始まる。勝海舟は西郷隆盛との談判によって江戸無血開城に成功したことは良く知られている。その海舟は西郷が西南戦争に敗死した後も彼を追慕してやまず、「亡友南洲氏」などいくつかの漢詩を残している。江藤はしかし「なんといっても一私人海舟の心情、あるいは真情は、切々と流露してやまないのは」、海舟作の薩摩琵琶歌「城山」であるとしている。琵琶歌というのは七五調で四弦の薩摩琵琶の調べにのせて朗誦されるという。ちなみに江藤によると「城山」は「きのふまでは陸軍大将とあふがれ、君の寵遇世の覚え、たぐひなかりし英雄も、けふはあへなく岩崎の、山下露と消え果て〃」と西郷隆盛一人の悲劇を描くだけでなく「桐野村田をはじめとし、むねとのやからもろともに、烟と消えしますら雄」のすべて、私学校党全体の滅亡が、語られ追慕されているとしている。西南戦争は明治維新という革命に対する、復古的な反革命戦争というイメージが色濃くあるように思うが、本書を読むことによって西郷軍への参加者には実に多様な経歴、思い、政治思想があったことがうかがえる。
例えば西郷軍が鹿児島へと敗走するなかで自刃した小倉処平は、明治4年に英国に留学、英語もよくし訳書もある。城山で西郷の死を見届けた後戦死した村田新八は、岩倉使節団の一員として欧米各国を視察した。また佐土原隊の隊長で藩主忠寛の妾腹の三男、島津啓次郎は、7年間米国に学び、アナポリス海軍兵学校を卒業したという。欧米の進んだ文明を知悉していたわけである。ここからは私の想像になるのだが、西南戦争には明治維新に対する反革命戦争的な性格と、明治維新の不徹底なブルジョア民主主義革命、市民革命としての性格を徹底させようとした革命戦争(戊辰戦争に次ぐ第二次革命戦争)という性格も併せ持っていたのではないだろうか。

7月某日
朝、我孫子駅から電車に乗ったら「愛花」の常連の「カヨちゃん」に会った。カヨちゃんは看護師で「愛花」で知り合った頃は筑波大学大学院の院生だったが、今は有明の確か嘉悦大学の助教だ。南千住でつくばエクスプレスに乗り換え、新御徒町で大江戸線に乗り換えて有明まで行くらしい。南千住まで人工知能や手塚治虫のおしゃべりをして楽しかった。
お茶の水の社会保険出版社で「40歳からの介護研修」の打ち合わせ。天理から(有)あいネットの中川社長、NPO法人つむぎの山本代表とアトリエ・カプリスの岩田さんにきてもらい、東京からはSCNの高本代表、社会保険出版社の高本社長、間宮君、戸田さん、それとHCMの大橋社長と私が参加した。中川社長には「へるぱ!」の特集「介護は本当に成長産業か?」の取材をお願いして快諾してもらった。打ち合わせ後、私は近くの「スタジオ・パトリ」に寄って三浦さんと「スタジオ・パトリ」に最近間借りするようになった保科さんに挨拶。

7月某日
図書館で借りた「ピンポン」(パク・ミンギョ 白水社 2017年6月)を読む。いじめっ子に殴られる姿が「釘」に似ていることから釘とあだ名される中学生と、同じいじめられっ子で「モアイ像」に似ていることからモアイとあだ名される中学生は、原っぱのど真ん中にある卓球台で卓球をするようになる。卓球を卓球店主の「セクラテン」に習う2人。セクラテンから教わる卓球の歴史は戦争の歴史だった。世界はいつもジュースポイントで勝負はまだついていない。空から巨大なピンポン玉が落下し地球は巨大な卓球界になってしまう。「ネズミ」「鳥」との勝利者に、人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのか、選択権があるという。という粗筋からもわかるように、この小説はリアリズムではなく壮大な暗喩である。地球という現実、世界という存在に対する暗喩。その暗喩を正確に読み解くことはできなかったが、ストーリーはとても面白かった。小説はそれでいいと思う。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「退屈論」(小谷野敦 河出文庫 2007年10月)を読む。退屈とは何かについて内外の哲学書、思想書、小説などを巡って論じた書である。著者の該博な知識と読書量には圧倒されるし、本書の内容を要約し論評するのは私の能力を超える。とはいえ本書を読むのは苦痛ではなかったし、著者の考えに反発も覚えなかった。小谷野敦はふしぎな人だと思う。

7月某日
元厚労省で川村女子学園大学教授の吉武さんと「健康生きがい財団」の大谷さんと我孫子で飲むことに。我孫子駅の改札で5時に待ち合わせ。我孫子駅の北口で飲むことにする。この日私は休みをとっていたので4時から我孫子駅南口の「七輪」で軽く飲んでいた。それほど酔っているとは思わなかったが3人の会話の内容をほとんど覚えていない。やばいね。それでもそのお店には川村学園の女子大生が「バイトにいますよ」と店長らしき人が言っていたのは覚えている。2人と我孫子駅で別れ、私はひとりで南口の「愛花」へ。

7月某日
「山崎豊子と〈男〉たち」(大澤真幸 新潮選書 2017年5月)を読む。山崎豊子は「白い巨塔」や「大地の子」などで知られる小説家、1924年生まれだから私の父母と同世代で2013年に亡くなっている。山崎の長編小説の多くは映画化やテレビドラマ化されている。私は山崎の小説の良い読者とは言えないし、テレビドラマも熱心に見た記憶はない。でも子供のころ両親が山崎豊子原作の「横堀川」というテレビドラマを熱心に見ていたのを覚えている。しかし本書の巻末の「作品年表」にも「横堀川」の記載はない。ネットで検索するとウイキペディアで「NHKが1966年4月から1967年3月まで放映したテレビドラマ。山崎豊子の小説から「花のれん」と「暖簾」の二作を軸にして、茂木草介が脚本を書いた」とあった。「横堀川」という小説はなかったわけだ。ちょうど私が高校3年生のときで受験勉強の合間に見た記憶がある。大澤真幸は山崎豊子の「白い巨塔」以降の「沈まぬ太陽」「大地の子」「不毛地帯」に焦点を当てて山崎を論じる。これらの作品も週刊誌や月刊誌に連載されていたころから話題を呼び、映画化やテレビドラマ化されている。私も週刊誌や月刊誌で断続的に読んだ記憶がある。大澤は山崎の作品に戦争の影が色濃く投影されていると指摘する。「大地の子」は中国残留孤児が主人公だし、不毛地帯の主人公は終戦時の大本営参謀でシベリア抑留の後、商社に入社、自動車産業の米国メーカーとの合弁や次期戦闘機の輸入に深く関わる。「沈まぬ太陽」は日航機の御巣鷹山墜落事故に題材をとっており、戦争とは直接の関係はないが主人公は組合運動に熱心に関わったことから長くアフリカに左遷される。いずれの主人公にも共通するのは「敗れざる者たち」という点である。山崎はそういう〈男たち〉を描き切ったのだ。

7月某日
「財政と民主主義-ポピュリズムは債務危機への道か」(加藤創太・小林慶一郎編著 日本経済新聞出版社 2017年3月)を読む。「民主主義は過剰なポピュリズムを招き、やがて持続不能になるのではないか」という問題意識から「本書は「財政」の観点に焦点を絞りつつ」日本の現状と将来について論じている。大山礼子(駒澤大学法学部教授)は戦前の帝国議会では男子普通選挙が実施される以前は、納税者代表としての衆議院議員が政府の予算案を厳しくチェックしていたが成人男子があまねく選挙権を得るようになると、議会の大勢はポピュリズムに陥るようになったと指摘する。「デモクラシーがポピュリズムの産婆となる」というパラドクスである。田中秀明(明治大学政策研究大学院教授)は膨張する社会保障関連予算と国と借金に依存する地方財政に警鐘を鳴らす。社会保障や地方財政のモデルは貧しい時代の「分配モデル」を継承しているとして、その転換を訴える。神津多可思(リコー研究所所長)は、「歴史的に類を見ない低位の国債利回り」に支えられた財政運営に対して「持続可能性」の観点から疑問を呈する。最後の「政策提言」は「財政問題を後ろ向きの問題として封印せず、民主主義の再設計に取り組むきっかけとして前向きにとらえなおし、国民階層の広範な議論の対象とすることが、今もっとも求められている」と結ばれている。同感である。

7月某日
会社近くの「跳人」で全住協の加島常務と飲む。「毎日、弁当を作っている」と私が言うと、加島さんは釣りが趣味で、釣った魚を自分で捌くと言っていた。なるほどねぇ。上には上があるもんだ。途中からHCMの大橋社長が参加。心地よく酔う。酔った勢いで我孫子駅前の「愛花」による。

7月某日
「戦後政治を終わらせる」(白井聡 NHK出版新書 2016年4月)を読む。「はじめに」で本書が目指すのは「戦後レジームからの脱却」としているが白井のいう「戦後レジームからの脱却」は安倍首相の唱えるそれとはまったく異なる。白井は「戦後レジーム」の根幹は、敗戦と東西冷戦によってもたらされた対米従属にあるという。もちろんこの対米従属路線を政治的に主導したのは戦後の保守政権=自民党である。そしてこの自民党を一方で支えたのが革新勢力の要であった社会党である。(白井はこれを「プロレス」と表現するけれどプロレスファンが読むと怒るよ!)それはともかく白井は矢部浩治の著作から、戦後の日本は憲法を最高法規とする法体系と「アメリカと約束したこと」(条約のように公認されたものもあれば、密約のように非公然のものもある)もまた事実上の法になっているとする。たとえば米軍機は事実上日本のどこであれ、高度何メートルで何の問題もないとし、これは日米地位協定に基づいた航空法の特別法によって保障されているとしている。このことも含めて永続敗戦レジームに最も敏感に抵抗しているのが沖縄だ。本書は戦後の政治過程を「永続敗戦レジーム」というキーワードによって鋭く解いて見せたといえるだろう。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「偽りの経済政策-格差と停滞のアベノミクス」(服部茂幸 岩波新書 2017年5月)を読む。服部は1964年生まれ、京大経済学部卒、現在同志社大商学部教授。2014年に岩波新書で「アベノミクスの終焉」を上梓しているから、本書はその続編。安倍首相は経済の成長路線を選択しその政策的な表現がアベノミクスで、黒田日銀総裁とともに消費者物価の2%上昇を公約した。この公約は現在に至るも実現していない。服部は経済理論を駆使してなぜ実現できないか、主として副総裁として日銀を黒田とともにけん引している岩田規久男を標的に批判している。表やグラフを用いての批判はち密に行われているのだろうが、経済の素人として読み通すのにいくらか苦労した。しかも理解できたのは全体の60%くらいだろうか。しかし私なりにアベノミクス批判をするとすれば労働生産性が上がっていないということを上げたい。労働力人口が減少する中で、経済成長を遂げようとすれば労働生産性を上げるしかない。AIやICT、ロボットの活用はもちろんのこと、経営や労働の在り方も変えていく必要があるがそこができていないような気がしてならない。それは政治や行政に頼るのではなく経営者やそこで働く一人一人の労働者の問題であると思う。

7月某日
都議選で自民党が大敗、都民ファーストの会、公明党など小池都知事の与党が圧倒的な多数を制した。安倍政治の「終わりの始まり」の予兆か。「アベノミクスと暮らしのゆくえ」(山家悠紀夫 岩波ブックレット 2014年10月)を読む。「偽りの経済政策」に続くアベノミクス批判の書だが、こちらが出版されたのは3年前。だから批判の対象は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の「旧三本の矢」である。私なりに著者の考えを要約すると、黒田日銀の政策はそもそも中央銀行の独立性という観点から疑問があるし、量的な金融緩和についても効果は限定的だ。現に量的緩和にマイナス金利の導入という質的緩和に踏み切ったが、これも効果を上げているとはいいがたい。「機動的な財政政策」は相変わらず公共事業頼みであり、「成長戦略」については企業減税や規制緩和は企業の内部留保を膨らませたもののそれが投資に向かっていない、と批判する。消費増税に反対するという著者の見解には同意できないが、それ以外の主張にはおおむねうなずける。アベノミクス批判についてうちの奥さんと話したら「証券会社の営業マンはとっくに安倍ちゃんに見切りをつけている」そうだ。

7月某日
「誰が日本の労働力を支えるのか」(野村総合研究所・寺田知太、上田恵陶奈、岸浩稔、森井愛子 東洋経済新報社 2017年 4月)を読む。労働力人口の減少という現実を受けて、外国人労働者とAI、ロボットの活用について論じている。2015年度の国勢調査によると日本の総人口は1億2709万人、2010年に比較すると100万人減少している。また労働力人口はピークの1998年に比べると200万人少ない6598万人となっている。四国全体の労働力人口が191万人だから、その分がすっぽりと抜け落ちた勘定になる。労働力人口は2030年までに300万人減少すると予測されているが、これは東海地方全体の労働力人口に匹敵する。このような労働力人口の減少への対応策としてまず考えられるのは、外国人労働者の活用である。本書は外国人労働力(F-wf)について「受け入れるか否か」より「来てくれるか否か」だと指摘する。日本の外国人労働者数は2016年で108万人、これに対して総人口が日本の半分の韓国のそれが96万人、同じく日本の5分の1の台湾が60万人であり、日本の出遅れ感は否めない。スイスのビジネススクールIMDの調査によると、日本の「働く場所」としての魅力は61か国中52位で長時間労働と高くない給与水準が不人気の理由という。世界的な人材争奪戦は激しさを増す一方で、そもそも人材の供給国だった中国でさえ2025年から総人口の減少が始まる。
 期待の持てそうなのが劇的な変化を遂げつつある人工知能である。本書ではソフトウエアアルゴリズムの革新として、1980年代は人間が情報とモデルを入力する「エキスパートシステム」、2000年代は機械が情報を分析するモデルを自動構築した「機械学習」、2012年頃から機械が情報を分析するモデルを自動構築する「ディープラーニング」へと移ってきたという。さらに日本の労働者の49%は人工知能やロボットで代替可能という衝撃的なデータも示される。医療についてはディープラーニング(画像認識の応用)により自動診断が可能になると予測する。人間はどうすればいいのか。本書は元リクルートの藤原和博氏の著作から「ジグソーパズル型人材」と「レゴ型人材」という2つのパターンを拾い上げる。「ジグソーパズル型」は「情報処理」や「正解を当てるチカラ」が強みであり、デジタル労働力(D-wf)が得意とする分野である。一方、「レゴ型」は「情報編集力」や「納得解を導き出すチカラ」に優れ、これは「正解のない組み合わせを世に問う」ということでもあり、引き続き人間の仕事であり続けるという。様々な革新プランについて「うちの業界(組織)は特殊だから」ということで退けられるケースがあるがこれは危険と警鐘を鳴らす。これからの人材は「複数の選択肢を持ち、選択の痛みに耐える精神力を持つこと」、「これが選択する力を持つことに他ならない」と本書は結論する。なるほどねー。納得である。

モリちゃんの酒中日記 6月その5

6月某日
村上一郎の妻のことを描いた「無名鬼の妻」を読んで久しぶりに村上一郎を読もうかと思ったが書棚に見当たらず。確か書名は「浪漫者の魂魄」で出版社は冬樹社だったように思うのだけれど。代わりに桶谷秀昭の「草花の匂ふ国家」(文藝春秋 平成11年6月)が出てきたので読むことにする。平成11年といえば1999年、今から18年前、私が50歳のころだ。「こんな本を読んでいたんだ」と思うけれど内容は全く覚えていない。江藤淳が死んだのが1999年だからそれに触発されたのかもしれない。というのは本書の帯に「西郷隆盛を主軸に描く揺籃期の明治日本。日本人は何を守り、何を捨てたのか?」とあり、当時私は江藤淳の西郷隆盛を論じた「南洲残影」を興味深く読んだ記憶があるからだ。
明治政権は誕生時、極めて脆弱な基盤に依拠せざるを得なかった。大政奉還とその後の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争の勝利により、軍事的な支配は確立したものの明治新政権の政治的、経済的、外交的な基盤の整備、改革が急がれた。それが版籍奉還と廃藩置県であり、岩倉使節団の欧米への派遣などの施策であった。ここら辺の政権内部の動きを三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛の主として書簡を通して明らかにしていく。よく知られているように西郷が政権を離れ、鹿児島に隠棲するのは征韓論に敗れたためだが、ことはそれほど単純ではなく同じ征韓派でも西郷と板垣退助、江藤新平等にはその目的と手段の両方に大きな差があった。結論として西郷は鹿児島に帰郷し私学校に拠る反政府勢力に担がれることになる。本書ではもちろんその政治過程を明らかにしてゆくのだが、私はむしろ西郷という類い稀な人格の存在に大いに興味をそそられた。それと書簡の文体ね。明治初期の知識階級、支配者階級の書簡って漢字仮名交り文の候体、漢学の素養が教養の基礎になっているんだろうな。これも日本人が失ったもののひとつだろう。それと桶谷秀昭は旧仮名遣いを守っている。「草花の匂ふ国家」という具合。パソコンで1回では変換できないけれど、こだわりがあるのだろうな。私は嫌いじゃないです。

6月某日
土曜日だけれど「40歳からの介護保険」の打ち合わせで10時に社会保険出版社へ。奈良県の天理市で訪問介護事業などを展開している中川氏と山本さん、社会保険出版社の高本社長と戸田さん、セルフケア・ネットワークの高本代表、そして私。ビジネスモデルについて話し合ったが、息の長いビジネス展開ができればと思う。打ち合わせ後、山の上ホテルでステーキをご馳走になる。中川氏は私が先日インタビューした奈良市の医師で元プロボクサーの川島さんとフェイスブックでつながっているという。フェイスブックを私はやらないが伝播力ってすごいんだなぁ。

6月某日
京大の阿曽沼理事が東京に出て来ているということなので、新丸ビルの「神田新八」という店で待ち合わせ。新丸ビルに着く直前に結核予防会の竹下専務から「夜空いている?」。「阿曽沼さんと会うのだけれど」「じゃ俺も行く」。てことで3人で会食。阿曽沼さんは8時前に「京都に帰るから」と大枚2万円を置いて帰る。そのあと竹下専務と意地汚く「森伊蔵」などを飲み続ける。追加分は竹下専務にご馳走になる。ご馳走になりっぱなしも申し訳ないので神田の「庄屋」で飲み直し。その後、フィスメックの小出社長や社会保険出版社の高本社長、社会保険研究所の鈴木社長たちが呑んでいる場所に合流。

6月某日
佐藤雅美の「町医 北村宗哲」(角川文庫 平成20年12月)を読む。主人公の北村宗哲は芝神明前で開業する町医者。母は江戸城の奥医師の妾で母の死後、本家に引き取られ医学院に学ぶが父の死により学業を中断、手っ取り早く飯を食うために浅草の顔役、青龍松の配下となる。ひょんなことから青龍松の息子を刺殺することとなり、宗哲は旅に出ることを余儀なくされる。巻末の縄田一男の解説によると、作者はこの設定を往年のテレビドラマ、デヴィッド・ジャンセン主演の「逃亡者」からヒントを得たという。なるほど。綿密な時代考証ののもとに描かれるのは作者の他のシリーズと同様ではあるが、対象が医療なので苦労したと思われる。近代的な制度としての社会保障は江戸時代には存在しなかったが、それなりの相互扶助、所得の再分配とは言えないまでも限定的ながら社会的な扶助システムがあったことも本書からも読み取ることができる。

6月某日
「健康生きがい開発財団」の大谷常務に連絡すると、共同通信の城記者が来ているというので合流。茗荷谷の喫茶店でビールをご馳走になる。城さんは最近結婚して、旦那さんの仕事の都合で、共同通信を一時休職、アメリカに行くと言っていた。城さんと別れて大谷さんと私はアメ横へ。「余市」という居酒屋で飲む。

6月某日
元厚労次官の江利川毅さんが叙勲されたようなので、いつもの仲間と「叙勲を口実に飲む会」を企画したのだが、江利川さんは相変わらず多忙なようで「9月頃なら」という返事。ならば江利川さん抜きで「叙勲を口実に飲む会を企画する会」を企画、江利川さんと同期で江利川さんの次に年金局資金課長を務めた川辺さん、そのころ資金課の補佐だった足利さんと岩野さんと私で、鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」で飲むことにする。