モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「退屈論」(小谷野敦 河出文庫 2007年10月)を読む。退屈とは何かについて内外の哲学書、思想書、小説などを巡って論じた書である。著者の該博な知識と読書量には圧倒されるし、本書の内容を要約し論評するのは私の能力を超える。とはいえ本書を読むのは苦痛ではなかったし、著者の考えに反発も覚えなかった。小谷野敦はふしぎな人だと思う。

7月某日
元厚労省で川村女子学園大学教授の吉武さんと「健康生きがい財団」の大谷さんと我孫子で飲むことに。我孫子駅の改札で5時に待ち合わせ。我孫子駅の北口で飲むことにする。この日私は休みをとっていたので4時から我孫子駅南口の「七輪」で軽く飲んでいた。それほど酔っているとは思わなかったが3人の会話の内容をほとんど覚えていない。やばいね。それでもそのお店には川村学園の女子大生が「バイトにいますよ」と店長らしき人が言っていたのは覚えている。2人と我孫子駅で別れ、私はひとりで南口の「愛花」へ。

7月某日
「山崎豊子と〈男〉たち」(大澤真幸 新潮選書 2017年5月)を読む。山崎豊子は「白い巨塔」や「大地の子」などで知られる小説家、1924年生まれだから私の父母と同世代で2013年に亡くなっている。山崎の長編小説の多くは映画化やテレビドラマ化されている。私は山崎の小説の良い読者とは言えないし、テレビドラマも熱心に見た記憶はない。でも子供のころ両親が山崎豊子原作の「横堀川」というテレビドラマを熱心に見ていたのを覚えている。しかし本書の巻末の「作品年表」にも「横堀川」の記載はない。ネットで検索するとウイキペディアで「NHKが1966年4月から1967年3月まで放映したテレビドラマ。山崎豊子の小説から「花のれん」と「暖簾」の二作を軸にして、茂木草介が脚本を書いた」とあった。「横堀川」という小説はなかったわけだ。ちょうど私が高校3年生のときで受験勉強の合間に見た記憶がある。大澤真幸は山崎豊子の「白い巨塔」以降の「沈まぬ太陽」「大地の子」「不毛地帯」に焦点を当てて山崎を論じる。これらの作品も週刊誌や月刊誌に連載されていたころから話題を呼び、映画化やテレビドラマ化されている。私も週刊誌や月刊誌で断続的に読んだ記憶がある。大澤は山崎の作品に戦争の影が色濃く投影されていると指摘する。「大地の子」は中国残留孤児が主人公だし、不毛地帯の主人公は終戦時の大本営参謀でシベリア抑留の後、商社に入社、自動車産業の米国メーカーとの合弁や次期戦闘機の輸入に深く関わる。「沈まぬ太陽」は日航機の御巣鷹山墜落事故に題材をとっており、戦争とは直接の関係はないが主人公は組合運動に熱心に関わったことから長くアフリカに左遷される。いずれの主人公にも共通するのは「敗れざる者たち」という点である。山崎はそういう〈男たち〉を描き切ったのだ。

7月某日
「財政と民主主義-ポピュリズムは債務危機への道か」(加藤創太・小林慶一郎編著 日本経済新聞出版社 2017年3月)を読む。「民主主義は過剰なポピュリズムを招き、やがて持続不能になるのではないか」という問題意識から「本書は「財政」の観点に焦点を絞りつつ」日本の現状と将来について論じている。大山礼子(駒澤大学法学部教授)は戦前の帝国議会では男子普通選挙が実施される以前は、納税者代表としての衆議院議員が政府の予算案を厳しくチェックしていたが成人男子があまねく選挙権を得るようになると、議会の大勢はポピュリズムに陥るようになったと指摘する。「デモクラシーがポピュリズムの産婆となる」というパラドクスである。田中秀明(明治大学政策研究大学院教授)は膨張する社会保障関連予算と国と借金に依存する地方財政に警鐘を鳴らす。社会保障や地方財政のモデルは貧しい時代の「分配モデル」を継承しているとして、その転換を訴える。神津多可思(リコー研究所所長)は、「歴史的に類を見ない低位の国債利回り」に支えられた財政運営に対して「持続可能性」の観点から疑問を呈する。最後の「政策提言」は「財政問題を後ろ向きの問題として封印せず、民主主義の再設計に取り組むきっかけとして前向きにとらえなおし、国民階層の広範な議論の対象とすることが、今もっとも求められている」と結ばれている。同感である。

7月某日
会社近くの「跳人」で全住協の加島常務と飲む。「毎日、弁当を作っている」と私が言うと、加島さんは釣りが趣味で、釣った魚を自分で捌くと言っていた。なるほどねぇ。上には上があるもんだ。途中からHCMの大橋社長が参加。心地よく酔う。酔った勢いで我孫子駅前の「愛花」による。

7月某日
「戦後政治を終わらせる」(白井聡 NHK出版新書 2016年4月)を読む。「はじめに」で本書が目指すのは「戦後レジームからの脱却」としているが白井のいう「戦後レジームからの脱却」は安倍首相の唱えるそれとはまったく異なる。白井は「戦後レジーム」の根幹は、敗戦と東西冷戦によってもたらされた対米従属にあるという。もちろんこの対米従属路線を政治的に主導したのは戦後の保守政権=自民党である。そしてこの自民党を一方で支えたのが革新勢力の要であった社会党である。(白井はこれを「プロレス」と表現するけれどプロレスファンが読むと怒るよ!)それはともかく白井は矢部浩治の著作から、戦後の日本は憲法を最高法規とする法体系と「アメリカと約束したこと」(条約のように公認されたものもあれば、密約のように非公然のものもある)もまた事実上の法になっているとする。たとえば米軍機は事実上日本のどこであれ、高度何メートルで何の問題もないとし、これは日米地位協定に基づいた航空法の特別法によって保障されているとしている。このことも含めて永続敗戦レジームに最も敏感に抵抗しているのが沖縄だ。本書は戦後の政治過程を「永続敗戦レジーム」というキーワードによって鋭く解いて見せたといえるだろう。