8月某日
老健局長、社会保険庁長官を歴任した後、阪大教授におさまったのが堤修三さん。阪大教授を定年で辞めた後は「小人閑居して不善を為す」かと思ったら、最近何かと忙しいらしい。取材にかこつけて会うことにした。当社までご足労願って1時間ほど取材、取材が終わったら亡くなった高原亮次さんが眠っている四谷の聖イグナチオ教会に行くことにする。高原さんは厚生省の医系技官、健康局長で退職した。高原さんと堤さんは同じ日に厚生省を退職したそうだ。在職中はそれほど親しくなかった2人だが退職してから仲良くなり、私も同席して3人でよく吞んだ。堤さんが東大全共闘、高原さんが岡山大学の医学部の全共闘、私が早大全共闘という全共闘つながりでもあった。高原さんが納骨されているところで黙祷、せっかくだから四谷の新道通りで吞むことにする。5時前だったので空いている店は少なかったが、2階の居酒屋に入る。さかなが美味しい店で「のどぐろ」がお勧めということで刺身を頼む。ビールで乾杯の後は日本酒。
8月某日
日本経済新聞の「経済教室」で井上智洋駒澤大学准教授が「2030年には汎用AIが実現し労働の大半は代替され」、筆者の名付ける「純粋機械化経済」が実現する。「純粋機械化経済では成長率が年々高まる」が、ベーシックインカム(基本所得、BI)のような大規模な所得の再分配制度を導入しなければ、資本家が高い収益を得る一方、多くの労働者が失業して所得を得られなくなると予言する。「BIなきAIはディストピア(反理想郷)をもたらしかねない。しかしBIのあるAIはユートピアをもたらすであろう」というのが結語である。AIとBIって語呂合わせ的にもいいんじゃないかな。
夕方、「ジャックと豆の木」の元マスター、三輪ちゃんと会食。当社の岩佐が私に話があるというので岩佐も同席。岩佐も「ジャックと豆の木」には何回か訪れたことがあったそうだ。三輪ちゃんは現在、鹿児島在住だが、慈恵医大で治療中の身でもあるのでときどき東京に出てくる。30年以上も新宿歌舞伎町でクラブをやっていただけに話はとっても面白い。
8月某日
図書館で借りた井上智洋駒沢大学准教授の「ヘリコプターマネー」(日本経済新聞出版社 2016年12月)を読む。井上の主張は単純化させると、世の中に流通する貨幣の量を増大させれば好況になり、そのためにはかつてミルトン・フリードマンが主張した「ヘリコプター」政策をとるべきというものだ。空からヘリコプターでお金を降らせるように、日銀のような中央銀行(または政府)が発行したお金を国民にばらまく政策である。実際の政策となるとそう簡単にはいかないと思うが、井上という経済学者は「国民にとっての経済」を考えている学者ではないか。AIに対する考え方にもそれは現れていると思う。
会社近くの「いきしぐさ」でフィスメックの小出社長にご馳走になる。当初は編集者の阿部さんと3人の予定だったが、全住協の加島常務が来社したので誘うことにする。小出社長は以前、年金住宅融資を扱う全国社会保険共済会という財団にいたので加島さんとは旧知の仲。阿部さんは年住協の「ヨーロピアンハウス」の編集をお願いしたので、共通の知人もいる。年金住宅融資の全盛期の話などで盛り上がった。
8月某日
終戦記念日が近いためだろう、我孫子市民図書館の展示コーナーには太平洋戦争関連の図書が並べられていた。そのうちの一冊「日本のいちばん長い夏」(文春新書 2007年10月 半藤一利編)を借りる。第2次世界大戦の敗北は日本人にとって初めての対外戦争の敗北であり、外国軍による占領も有史以来の体験であった。日本の敗戦とは何であったか、30人の大座談会が明らかにする。表紙に刷られたコピーに曰く“政治や軍部の中枢から前線の将兵や銃後の人々まで、30の視点が語る忘れてはいけないあの戦争。貴重な証言で埋め尽くされた「後世への贈り物」”。この大座談会を企画し司会を務めたのが若き日の半藤一利であった。座談会が行われたのが昭和38(1963)年の6月、文藝春秋の8月号に掲載された。吉田茂元首相と町村金吾元警視総監(当時北海道知事)は誌上参加だったが、それにしても28人が「なだ万」という料亭の大広間に集まり、午後3時から5時間に及ぶ座談会がスタートした。ということが巻末の半藤と昭和思想史の研究者、松本健一の対談で明らかにされている。大座談会という形式で、しかも各界の人材を集めて当時の状況を明らかにするという発想は、半藤の編集者としてのセンスの良さであろう。半藤はこの座談会に触発されてドキュメント「日本のいちばん長い日」を執筆することになる。座談会が実施されてから半世紀。出席者のほとんどが故人となっている。当たり前のことだが「生きているうち」にしか話は聞けないのである。